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第1部 フェルザード=クリミリカの攻略者 1.ディーレレインの魔法技師
ソリード広場はいつも混雑している。ディーレレインにやってきた人間は全員ここを通るからだ。
僕は急いでいた。さっさと家に帰り、腕に抱えた袋の中身を味わいたかった。
広場には六角形のタイルが敷き詰められている。六角形はディーレレインのしるしだ。鉱山迷宮〈ハイラーエ〉の唯一の町は、もとは迷宮の一部でもあったいびつな六角形の壁に囲まれている。ソリード広場はディーレレインの最上部にあって、町の入口でもあるタルノズアートの門につながっていた。
ここはハイラーエで唯一の、絶対に迷わずにたどりつける場所だ。町の住人だけでなく待ちあわせをする観光客や冒険者も集まってくる。広場の中央には三体の巨大な銅像が立ち、そのまわりには客待ちの案内人がたむろしている。
いつもご苦労様、と思いながら足を速めて彼らの横を通り過ぎかけたとき、斜めうしろから僕めがけて声がかかった。
「そこのお兄さん、案内人は雇った? ハイラーエを観光するなら絶対にガイドが必要だ。ディーレレインは迷いやすいし、南の迷宮にはガイドなしでは入れない。どうだい、ルッカが案内するよ!」
「お兄さんだって?」
僕は笑いをこらえてふりむく。
「客の顔をみてから声をかけろよ。住人を釣ってどうする」
「あ……オスカー?」
僕の名を呼んだルッカの顔はちょっとした見ものだった。十六歳の丸い目がみひらかれ、頬が赤くなり、つぎにぷっと口をとがらせる。知りあったのは五年前だが、案内人ギルドに登録したのは三カ月前。生粋のディーレレイン育ちといってもまだ新米だ。
「そんなもの持ってるからまちがえるんだ。シュライク通りの紙袋を抱えていれば観光客だって思うだろ」
「だから顔をみてからにしろっていったんだ。調子は?」
「まあまあ」
ぷいっとルッカは顔をそむけたが、次の瞬間には口をあけて銅像を見上げている老夫婦に視線をとめ、声を張り上げた。
「案内人はお決まりですか? 土産物屋や空中庭園、迷宮見学もルッカが案内するよ!」
今度はほんものの観光客だったようで、ルッカは老夫婦へあれこれまくしたてている。気配を感じて横を向くと、ルッカと僕のやりとりをみていた顔見知りのベテランガイドがにやにやしながら親指を立てていた。
ソリード広場で観光客と間違って僕に声をかけるとは、ルッカはあとで仲間にさんざんからかわれることだろう。ディーレレインの住人のあいだでは僕はちょっとした有名人なのだ。この町で唯一の生成魔法技師だから。
〈ハイラーエ〉はユグリア王国の西の果てにある。古ユグリア語で「罰せられた山」という意味があるらしい。
伝説によるとハイラーエの起源は数千年前か、あるいはもっと昔にさかのぼる。そのころ生きていた人々は、今の僕らには及びもつかない技術と魔法を持ち、地上をあまねく支配していた。でも彼らはそれだけでは足らず、天まで征服したかった。そこで古代の人々はこの地に、ひとりでに成長し増える塔を建てたのだという。
塔は山よりも高く成長し、その先端を支えるように東西南北へ広がる巨大な都市となった。ところがこんなふうにただの人間が天を征服しようとする行為はやがて神の怒りに触れた。あるとき天から火が降りそそぎ、どろどろに溶けた岩が塔の集合体と住んでいた人々を襲った。そして古代の文明は滅びた、という。
人々が消え、古代の魔法や技術も忘れられ、それから長い時が経った。天罰の地は今、地上で唯一の鉱山迷宮としてユグリア王国の産業と観光を支えている。
僕が住むディーレレインはハイラーエで唯一の町だ。ハイラーエで何かしようと思ったら――たとえば、リヴーレズの谷でジェムを掘る、物見遊山の観光客として探索済みの南迷宮を見物する、冒険者として未踏の場所を探検する――何にしても、この町の門をくぐらなければはじまらないし、迷宮の高層へ探索に行ったとしても、いずれこの町に戻ることになる。
ディーレレインはかつて迷宮の一部でもあった。ここはハイラーエで最初に攻略された部分なのだ。
ハイラーエの中央には横一文字を描くようにリヴーレズの谷がのびていて、谷底には動力源となるジェムの鉱床が広がっている。谷の南側はオリュリバード、北側はフェルザード=クリミリカという、高い峰に挟まれている。
しかし峰といっても、それは外見の話。つるつるの岩に開いた裂け目から内部にふみこむと、そこには古代の秘宝を隠した迷宮が果てしない層となって上へ、雲の上までのびている。
ディーレレインは谷の東端にあり、攻略される前はオリュリバードの一部だった。北迷宮とも呼ばれるフェルザード=クリミリカの最上部は雲のはるか上にあって、最上部がどのくらいの高さなのかすらわかっていない。ディーレレインと回廊でつながる南迷宮のオリュリバードは北迷宮よりずっと小規模で、探索も進んでいる。だから低層は観光地になって、ルッカのようなガイドたちが稼いでいる。
僕は広場を通り抜け、自分の店がある方向に足を向ける。シュライク通りのしるしが入った紙袋を(できるだけ揺らさないように)慎重に片手に下げながら。道は大きく円を描きながら下り、広場の下の層へつながる。広場には空があったが、ここにはもうない。僕が今歩いているのは高い天井をもつ回廊で、かつて迷宮の一部だったところだ。角の酒場の前で誰かが手を振っている。
「よう、オスカー」
野太い声で呼んだのは、僕がこの町に来た五年前に知りあったデイヴだ。当時はリヴーレズの谷でジェムを掘る鉱夫だった。一年前に引退して今は悠々自適の毎日を送っている。いつものように今日も酒場の前に置かれたテーブルに座っていた。まわりにいる三人はかつての鉱夫仲間だ。小さなグラスがテーブルを埋めていて、僕はあきれた顔をしてみせる。
「また昼間っから飲んでるのか。調子は?」
「絶好調よ。俺の右足は今日もびんびん! なあ!」
デイヴはブーツを履いた片足をのばし、他の面々がいっせいに笑った。
「右足以外はどうなんだ? その付け根にあるしろものはよ」
「そっちはもうさっぱりだろ」
「ちげえねえ」
ギャハハ、とさらに上機嫌な笑い声があがるが、デイヴは自信たっぷりに腕を組む。
「何いってやがる、足があればまだまだよ。迷宮の壁だって登れる……その気になれば北迷宮の攻略だってやってみせるさ。なあ、オスカー」
僕は肩をすくめた。
「水を差して悪いが、せっかく再生した足だ。馬鹿な冒険者みたいに壁登りなんかで失くすな。引退したんだから楽しくやってろ」
またどっと笑い声があがった。
「壁登りなんかときたもんだ」
「オスカーは顔に似合わず冷たいねえ、冒険者には」
「いや、きれいな男には毒があるくらいがいいのさ」
「しかし連中でさんざん稼いでるんだろう?」
デイヴの隣でマシューが親指を立てる。三年前、鉱床を上るときに誤って切り落とした部分だ。
「ま、俺たちが手足を失くした時には、このオスカー・アドリントン殿はたいした礼も受け取らないからな。そのかわり冒険者からがっぽりいただくってわけだ」
たしかに、と同意の声があがるなか、僕はわざとらしくまばたきしてみせる。
「あたりまえだろ。迷宮の秘宝探しはジェム掘りじゃない、ただの道楽だ。道楽者相手に僕が稼いで何が悪い」
「ははは、まったく手厳しいよ、この魔法技師殿は」
「ディーレレインにあんたが来てよかったぜ」
彼らにそういわれるのは悪くなかった。この町は陸の孤島のようなところだ。どこの出身者だろうが平等に受け入れるという、ユグリア王国のほかの地域とはちがう気風があるが、いい噂もわるい噂もあっという間に広がる。長く住みついてうまくやろうと思ったら、評判を大事にしなければならない。
「それはどうも。デイヴもマシューも、調子が悪かったらいつでも来てくれ」
デイヴたちに手をふって僕は酒場の前を離れ、店と住まい兼用の穴ぐらがある横丁へと曲がる。穴ぐらというと聞こえが悪いが、ディーレレインの住まいはみんな、もとは迷宮だった穴ぐらに作られている。ジェムを動力源とした光が狭い通りを明るく照らし、ずらりとならんだ扉はオレンジや黄色でカラフルに塗られていた。
この通りにある店はみな鉱夫や冒険者が使う各種装備を商っていて、人気店には順番待ちの行列ができる。でも、通りのいちばん奥にある僕の店に看板はない。誰も開店を待ったりしない――はずだった。
僕の店は一見さんお断りで、紹介状のある予約客しか引き受けない。今日は誰が来るとも聞いていない。
それなのに、扉にもたれて待っている人影があった。
大柄な男だった。短く刈った髪は白くみえたが、顔立ちは若々しい。二十八歳の僕より多少年上か、もしかしたらあまり変わらないかもしれない。艶々した革のチュニックとズボン、きれいに磨いたブーツという、みるからに冒険者らしい身なりをしている。近づくと向こうから声をかけてきた。
「オスカー・アドリントン?」
詰め物をしたジャケットの右袖がぶらりと垂れている。僕を鋭い目つきで値踏みするようにみるので、睨み返してやった。
「何の用だ? この店は紹介制だぞ」
僕の口調は友好的ではなかったが、男は落ち着き払っていた。堂々としたといえば聞こえはいいが、ようするに厚かましい態度だった。
「俺はザック・ロイランド。フェルザード=クリミリカの攻略中だ。損なった体を再生できる魔法技師がいると聞いた。そうなのか?」
「いかにも、僕が生成魔法技師、オスカー・アドリントンだ。で?」
僕は荷物をもちかえて男の正面に立った。僕は痩せているだけでチビではない。それなのに多少見上げる姿勢になってしまうのにすこし腹が立った。ザックと名乗った男はきょとんとした目つきで僕を見返した。
「で、とは?」
「だからなぜここにいるんだ?」
「決まってる。俺の腕を再生してくれ」
これだから冒険者というのは。
僕はわざとらしくため息をついた。とっておきの軽蔑をこめて男をみつめかえす。
「紹介制だといっただろう。その腕を再生したいならギルド経由で申しこむんだな。断っておくが、僕は高いぞ」
男に背を向けて扉の鍵をあけ、隙間からすべりこむように店に入る。そのまま鼻先で扉を閉めるつもりだったのだ。ところが男はでかい外見に似合わず素早く動き、わずかな隙間から顔を突っ込んできた。びっくりした僕の指から紙袋がすりぬけ、扉と壁のあいだにぺしゃんと落ちた。
なんてこった! 僕は内心で叫んだ。やっと手に入れたハクニルダーの卵が!
「ああ、最高の腕前だと聞いた。紹介状はある。俺の右腕を戻せ」
男が偉そうにいった。なんだ、こいつ。
「いやだね」
僕はすばやく身をかがめて紙袋をひろい、扉をぐいっと引っ張った。顔を挟まれそうになった男が吠えた。
「なんだと?」
「礼儀知らずは断ることにしてるんだ。大丈夫さ、生成魔法を使える技師なら他にもいる。ハイラーエの外で探すんだな。王都まで行けばいるさ」
「それでは時間がかかりすぎる!」
「時間?」僕は鼻でせせら笑った。
「おまえは冒険者なんだろ? 爆弾 の探知魔法を使えるくせに腕を落としたマヌケが北迷宮の探索をいそぐのか? 百年早いぜ。じゃあな」
男が一瞬ひるんだすきに僕は両手で彼の体をおしやり、扉を閉めた。誰の紹介だかしらないが、僕がいちばん嫌いなタイプをよくよこしたものだ。
それでも名前はしっかり覚えていた。冒険者のザック・ロイランド――第一印象は最悪だった。
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