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 引き取るから、と承諾書にサインをしたはずなのに大丈夫なのかと心配する凌に、嘉貴は思い出したように「ああ」と呟く。 「それなら大丈夫。知り合い夫婦に猫好きで、もう三匹捨て猫保護してる人がいるんだ。うちでは飼えないし凌のアパートも無理って分かってたから、母さんが先に連絡しておいたんだ。一匹増えるくらい大差ないって、いい返事もらえてるよ」 「……そっか……」  その答えにほっと胸を撫で下ろすと同時に、いつの間にそんなことまで、と感心すらしてしまう。  凌ひとりでは絶対こうはいかなかっただろうと、改めて嘉貴たちがいてくれたことに感謝を覚えた。 「何から何まで悪い。本当は俺が飼えたらよかったんだけど……」 「凌、猫好きだしそれが一番よかったんだけどね。あ、凌の実家って手もあったのか。実家って猫飼える環境?」  不意打ちの問いかけに、ギシ、と身体が強張ってしまう。  今住んでいる家が「実家」だ。帰る場所なんて、どこにもない。昼間の父親のことを嫌でも思い出して、僅かに瞳が揺らいでしまった。 「……あー、悪い。それもちょっとムリ」  へら、と意味のない笑みを浮かべて誤魔化そうとしても、嘉貴はその不自然を流してはくれなかった。  ちゃぷ、と音を立てて伸ばされた左手が凌の目尻を捉え、もうありもしない涙の跡を指先がなぞる。 「……今日泣いてたのって、子猫のことだけじゃないだろ?」  尋ねてくるくせに、確信めいた台詞。 「……そんな、言うほどのことじゃねぇから」  違う、と言っても信じてくれないのなら、ほっといてくれと言外に含ませる。 「本当に?」  しかしそれすら許さないとばかりに、嘉貴の端正な顔が覗き込んでくる。 「凌。大丈夫だから、全部教えて」  何が大丈夫なのか、全然意味が分からなかった。それなのに、徹といい嘉貴といい、魔法のように凌の心を優しく解いてしまう。  へたくそに笑った口角は段々と下がっていき、ころりと言葉がこぼれ落ちた。 「捨てられた」  ひとつ言葉にすると、あとはもうなし崩しだった。  母親のこと、父親のこと、そしてこれからのこと。ぽつぽつと語る凌の小さな声は、広い浴室によく響いた。  嘉貴は何も言わず、ただ黙ってそれに耳を傾けていた。 「別に、いいんだ」  一通り話した後、話を区切るように一言、落とす。 「正直もうどっちとも関わりたくない。疲れるだけだし、色々馬鹿らしくなってくる。今更あの人たちと家族をやり直せるとも思ってねぇし、そんなの望んでない。金ももらってるんだ、勝手にやるよ。ただなんか……自分ってしょーもない存在なんだなーって」  話す内に気が抜けて、頬を包む掌に甘えるように小首を傾けていく。 「……そんなにも俺っていらなかったかなーって思うと……ちょっとしんどかっただけ」

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