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 ――猫のことに決まっている。  それなのに、「違う」と直感で思ってしまった。これは「俺」のことだと。  とんでもない自意識過剰だ。そう思うのに、勘違いと一蹴するにはあまりにも嘉貴の瞳が鮮やかすぎた。  うわ、マジか。何で? どうして? みっともない姿しか見せていないのに、趣味が悪すぎないか?  そう思うのに、どうしてちっとも嫌じゃないんだ。マジか。  ストン、と。  答えが急に自分の中に落ちてきた。流れ星みたいに。  好きなんだ、嘉貴のことが。  この男といたいと思ってしまった、強く。  理解した途端、じわりと身体中の体温が上昇する。  ちょっと優しくされたからって、バカみたいだ。少女漫画だって今時もう少し捻った恋のきっかけがあるだろう。  けれど自分のために一も二もなく駆けつけてくれて、あまつさえこんな蕩けるような笑みを見せてくれる相手を、好ましく思わないほうがどうかしている。  初めて感じる胸の高鳴りは嘉貴にも聞こえてしまったのだろうか。  まあるく見開いた目で見つめる凌に、嘉貴がどこか嬉しそうに笑みを深めた。  絶対何か気取ったに違いない反応を憎たらしいと思う反面、抱き締めてしまいたい衝動に駆られる。  これが恋なのかと浮き立ちそうになる心を咎めたのは、紗英の何気ない言葉だった。 「でも凌くんに甘えすぎないで、ちゃんと自分でも家事覚えなさいね。将来結婚した時、お嫁さんを支えられないわよ」  ひゅ、と。誰にも気づかれないくらい小さく、喉が引き攣れた。  それは凌を現実に引き戻すには十分すぎる台詞。責めるには、これ以上ないくらいの台詞だ。  何を考えた、今?  身体から急激に体温が奪われ、心臓を直接握りつぶされたような心地だった。  何をおこがましい想像をしたんだ、自分は。  嘉貴は過去につき合っていた彼女もいた。これからだって普通に生きて、気立てのいい女性と結婚して子どもに恵まれ、そして幸せになる。  誰もが疑っていない嘉貴の将来の姿だ。  こんなにも優しくしてくれている徹と紗英の大事なひとり息子が道を踏み外すきっかけを、凌が与えてはいけない。  きっと今は、弱っている凌を放っておけないだけだ。恋じゃない。――お互いが同じ気持ちだとしても、こんなものは気の迷いだ。 「――大丈夫っすよ、紗英さん。俺がちゃんと将来いいお嫁さん捕まえるためにもちゃんと花婿修行してやりますから」  うまく笑えているだろうか。  自覚したばかりの恋心なんて全てなかったことにして笑う凌に、嘉貴は何を思っただろう。  何か言いたげな視線すら無視した凌をそれ以上追及することもなく、いつも通りの笑みで嘉貴が応えてみせた。 「……そうだね。じゃあ、お願いしようかなぁ」  嘉貴は聡いから、初めから全部分かっている。  凌が自分と同じ気持ちなことも、恋人になることを望んでいないことも。  頑なに一線を引いてあくまで親友として接する凌を何故か嘉貴も許し、茶番につき合ってくれている。  その真意が凌には分からないけれど、凌はずっとずっと待っている。  早く嘉貴に新しい好きな人ができることを。この恋が思い出になることを。  抱き締めてくれる腕も、愛してるよと囁く唇も何もいらない。  いつか、こんなこともあったねと笑い合えるいつかの未来だけが欲しい。  誰からも咎められることもなく嘉貴の傍にいられる親友の立ち位置だけを望んでいた。  だから早く諦めてくれ。早く、誰もが羨むような女の子とつき合ってくれ。凌はその日をずっとずっと待っていた。  ――待っているだけの自分に、神様は望むものなんて与えてはくれないと知っていたのに。

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