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第1話 sideソラ

「俺はサクラが好きだーー!! 俺と付き合ってくれるのなら、今日の午後五時、俺たちの思い出の場所に来てくれーー!!」  大声での告白に、体育館にいた生徒や先生たちが一斉に壇上の男を見た。  そして僕はその場に立ち尽くした。  *****  槙原(まきはら)高等学校には変わった伝統がある。  誰が最初に始めたのか、卒業式終了後の卒業生の希望者が壇上に上がり、何でも好きなことを大きな声で絶叫する。この行事は無礼講で、明日からもう学校へ来ることがない卒業生たちはここぞとばかりに学校や先生に対する不満や愚痴、感謝など今まで言えなかったことを叫ぶ。もちろん中には告白をする者もいる。そう、今壇上にいる円居祐樹(まどいゆうき)のように。  ユウキの突然の告白に会場はユウキの声よりも大きな甲高い悲鳴に包まれた。  悲鳴の主はユウキに恋心を抱いていた女の子たちだ。当たり前だ。学校一のモテ男が衆人環視の中で告白したのだから。ユウキは祖母が外国人のクオーターで、身長が高く、彫りが深く端正な甘いマスクで人当たりも良く勉強もできた。先生からの信頼も厚く、二年生から三年生まで生徒会長を務めていたハイスペックなユウキはもちろんとてもモテた。しかし在学中は誰とも付き合う事はなく、告白されても断っていた。 「ごめん。俺はずっと片思いをしている好きな人がいる」  その理由がこれだった。その片思いの相手は誰なのか、聞いても本人が答える事はなく、やれ去年卒業した読モをやってる美少女だとか、教育実習に来た胸の大きな実習生だとか、幼稚園の頃の美人先生だとか、噂は色々あったけれど噂は噂でしかなく、ユウキの片思いの相手が誰なのか分からず終いだった。  そんなユウキの名指しの告白だ。会場は色めき立った。ここで告白したという事は、好きな相手の『サクラ』はこの中にいるのだ。その場で固まったように動けなかった僕にクラスメイトのタツミが声をかけてきたので、僕は動揺を顔に出さないように努めながらぎこちなくタツミを見た。 「おーい! ソラ。ユウキ凄えな! みんなの前で告白したぞ!」 「うん……」  この学校にはユウキと関わりがあって名前に『サクラ』が付く人物が三人いる。クラスメイトの佐倉静香、二年生の工藤さくら、そして保健医の五島咲良先生だ。まあ、あだ名を含めるともっといるのだが。 「いやあ、ようやく告白したのかって感じだよな」  僕は驚いてタツミの顔を見た。僕は全然気づかなかったのに……! 「タツミ! ユウキの好きな相手知ってたの!?」 「えっ、逆にお前は気付いてなかったのか!? あんなにもあからさ……」  タツミの声にかぶさるように女の子の大きな声が聞こえてきたので、タツミが僕に何を言おうとしたのか分からなかった。声のする方を向く。そこにいたのは工藤さくらとその友達だった。  元生徒会書記の工藤さくらは中学校が同じだった。彼女の兄が僕たちと同じ学年にいて、彼と遊んだこともあったため、ユウキと僕は彼女と顔見知りだ。彼女はボーイッシュで明るくて、笑顔をいつも振りまく可愛い印象の女の子だ。ユウキのことを「センパイ」と呼び、一緒に学校から帰る所を目撃されていたりもする。  しかし僕に対する態度だけが変で、何かを言いたげな顔で陰に隠れて僕とユウキが一緒にいるところを見てくるので、何を考えているのか分からず苦手だった。 「きゃあ、さくら! あれ、あなたのことじゃないの?」 「えー、やだ。違うわよ〜〜」  工藤さくらが友達に囲まれてきゃいきゃい騒いでいるのを横目で見る。なぜかばちっと彼女と目が合った。彼女はいたずらっぽく僕に笑いかけるとすぐに目線を外して友達との会話に戻っていった。 「だから、さくらはあたしじゃないって! ほら……」    工藤さくらと友達が僕の方を見てこそこそと何かを言っているのにいたたまれなくなり、僕は騒がしさの残る体育館の出入り口へと向かった。壇上から下りたユウキは真相が知りたいみんなに囲まれて身動きが取れなくなった。ご愁傷様、と心の中で呟いて独り足早に教室へと向かう。卒業式の後は教室に置いた荷物を持ち帰って終わりだ。この後、謝恩会でクラスのみんなとカラオケに行くことになっているが、この分だとユウキも欠席するだろう。  昨日まで暖かかったのに、今日になってまた気温が下がった。この時季らしい三寒四温だ。廊下を歩いていると、窓から吹き込んだ冷たい風で胸に差したバラの花びらがひとひら落ちた。僕は立ち止まって開いた窓を閉めてから校庭を見た。卒業式に出席していた着飾ったお母さん達やスーツを着たお父さんたちが集まって談笑している。その中に自分の母と話すユウキの母親を見つけた。ハーフであるユウキの母は子供を産んだとは思えない引き締まった身体に薄いクリーム色のスーツを隙なくピチッと着こなし、他のお母さんたちとは一線を画す若さと綺麗さで目立っていた。  ユウキとソラは幼稚園の頃からの幼馴染だ。  ユウキが海外から僕の家の隣に引っ越して来た時、僕は天使が空から舞い降りてきたのかと思った。今では背も伸びて男前になったユウキも子供の頃は小さくて、華奢な白皙の美少年だった。カタコトの日本語で「ヨロシク…」と一言だけ言ってすぐに母親の背に恥ずかしそうに隠れたユウキの手を取って強引に外へ連れ出し、日が暮れるまで一緒に遊んだ。  それからというもの僕は、あまり家から出たがらないユウキを毎回のように遊びに誘い外に連れ出した。遊び場はいつも近所の小高い丘の上に建つ神社で、一緒に木登りをしたり(これはあとで親に叱られてやめた)、鬼ごっこや隠れ鬼をして遊んだ。  慣れない土地と慣れない日本語の美少年は最初、同じ年代の子供たちには格好のイジり相手だった。みんなは可愛いユウキの関心をなんとか引こうとしただけだろうが、それが全くの逆効果だとまだ子供のみんなには分からなかったようだ。  ある日、僕は神社の軒下でうずくまって泣いているユウキを見つけた。ユウキの背をゆっくり撫でながら、僕はしばらく隣で静かに座っていた。  どれくらい時間が経ったのだろう。冷たい風が頬を撫でる頃、ようやくユウキが顔を上げた。涙でくしゃくしゃになっていたけれど、それでも僕はその顔が綺麗だと思った。 「ねえ、…なんで、みんな、ぼくを、いじめるの?」  ユウキがかわいいから、なんて言っても外見はどうしようもない。ユウキもそんな言葉が欲しいわけではないだろう。その代わり僕はユウキが今一番欲しい言葉を紡いだ。 「また何かされたのか? じゃあこれからはずっと僕が守ってやるから安心しろ!」  ニカっと笑った僕に、ユウキはあっけに取られた顔をした後、花がほころぶように笑った。僕はユウキの背後に白い羽根が舞う幻覚を見たような気がした。その時は分からなかったけれど、これが僕の心にユウキへの淡い恋心が芽生た瞬間だったように思う。  小さい頃の僕は子供たちの中では身体が大きい方で、喧嘩っ早い所もあったガキ大将だったから、ユウキが何かされそうになるたびに間に入った。ユウキはいつも僕の後をついて回った。頼られて嬉しかった。 「ありがとう。君はボクのヒーローだよ!」  顔を真っ赤にして僕のことをヒーローだと言ってくれていたユウキは、いつの間にか言葉が滑らかになり、僕の身長をぐんと追い抜き体格も立派になった。自信がついたのか嫌なことは嫌だと言えるようになり友達も増えた。もう僕が一緒にいなくても大丈夫なはずなのに、ただの幼馴染というだけで僕なんかとずっと親友を続けてくれた。  親友。  そう、親友のはずだった。  僕はだんだんと小さい頃から僕の傍にいて笑ってくれるユウキが好きになっていた。笑顔が、仕草が、声が、ユウキの全てが僕の理想で惹きつけられた。  僕は完璧なユウキの傍にいるために努力した。机にかじりつくように苦手だった勉強も頑張ってユウキと同じ高校へ入った。ユウキの親友に相応しいように、みんなに明るく平等に振る舞った。  僕はこの恋心にフタをした。もし告白してユウキに気持ち悪いと言われたら。ユウキに嫌われたら。  嫌われるくらいならずっと親友のままでいよう。ユウキに恋人ができたら、笑顔で祝福しよう。そう思ってきたのに。    でも、もうユウキの『親友』には戻れない。  考えごとをしながら外をぼんやりと見ていると、廊下の反対側のドアががちゃりと開き、部屋の中から五島咲良先生が水筒を手に持って出てきた。そうだ、ここは保健室の前だった。 「あら、もう卒業式は終わったの?」 「はい……って、先生! それ!!」  僕の目は五島先生の水筒を持った左手に吸い寄せられた。指にきらりと光るものがある。  それは薬指に嵌められた指輪だった。 「先生! 結婚したの!?」 「あ、バレちゃったわね。これは婚約指輪。結婚式は六月なの」  先生は手の甲を僕に向けて指輪を見せてくれた。透明な小さな石が真ん中に嵌まっている。ダイヤモンドだ。照れて頬がピンク色に染まっている五島先生に僕は祝福の言葉を贈った。 「おめでとうございます!」 「ありがとう。あなたも卒業おめでとう」  もし『サクラ』が五島咲良先生だったら、ユウキは告白イコール失恋ということになる。でもユウキが好きな『サクラ』は五島咲良先生ではないことを僕は知っていた。  職員室へ入っていく五島先生を見送ってから、僕は教室へと戻った。  絶叫大会を見ているんだろう、教室にはまだ誰も戻って来ていなかった。誰かにユウキのことを聞かれる前にさっさと学校から出たいと思っていた僕の目に、卒業の黒板アートが飛び込んできた。昨日の放課後に三年生以外の美術部員が三年生の全クラスの黒板に描いたそうで、出来映えがすばらしい。  黒板の周りには色紙で作った花がぐるりと付けられ、真ん中にでかでかと書かれた『卒業おめでとう』の文字の周りに桜の絵が赤いチョークの濃淡を使って立体的に見えるように描いてある。桜ーーサクラ。ユウキが好きな人の名。  ああ、もう卒業なんだなぁ。  僕は四月から、電車とバスに揺られて一時間ほどで着く小さな会社で働くことになっている。ユウキは県下で一番偏差値の高い一流大学にストレートで入った。幼稚園の頃から一緒だったユウキと初めて進路が分かれてしまった……。  感慨深く黒板アートを見ていたら、後ろから声をかけられた。黒板ばかり見ていたから教室に誰かが戻ってきたのに気付かなかったのだ。振り返って声がした方を見ると、そこには同級生の佐倉静香が立っていた。  彼女は眼鏡をかけ、髪を編み込みにして結んだ少し大人しい感じの子で、休み時間は一人で本を読むことが多かった。クラスにあまり馴染めていなさそうだった彼女をユウキは気にして、たまに声をかけていた。彼女は「ほっといて」と言ってたらしいが……。僕と佐倉さんは教室ではしゃべらないけれど、本の趣味が似ているので、たまに図書館で顔を合わせて目礼くらいはする仲だ。  しかし今日の佐倉さんはいつもとは全く違い大人の女性に見えた。だって目の前にいる佐倉さんは眼鏡を外し、髪も下ろして艶やかな黒髪を背中に流していたのだから。化粧をしているのかいつもより少し濃い眉毛に滑らかな白い肌、頬のうっすら紅いチークが色っぽい。こんなきれいな子だと知らなかった。髪を下ろして眼鏡を外すと実は、という漫画の王道みたいだ。 「え、え、えっと、佐倉さん、だよね? 普段と全然違うからびっくりした。卒業式まではいつもと同じだったよね?」  僕が驚いたようにそう言うと、佐倉さんは髪をさらりと掻き上げた。手の指にはいつもはしていないマニキュアも塗ってある。プロがやったみたいな綺麗な白とピンクのグラデーションだ。 「ああ、今髪を下ろしてメイクしてきたの。今日で卒業だから真面目なフリはもういいかなって。わたし、これから彼氏とデートなの。謝恩会には行かないから幹事に言っておいて」  謝恩会の幹事はタツミだ。タツミにはメールを送っておこう。 「…………だけど、あなたは行くの?」  見慣れない佐倉さんにぼーっと見惚れていたら、何を言ったか聞き逃した。前後の話の流れから、たぶん謝恩会に行くかどうか聞いたのだろう。 「うーん、ちょっと今日は用事が出来ちゃったから」 「はあ!? 行かないつもりなの?」  なぜか佐倉さんは真っ青な顔で僕に詰め寄った。謝恩会に行かないのがそんなに駄目なことなの? 「え、謝恩会の話だよね? 僕はカラオケ苦手だし色々聞かれるのイヤだし」 「ああよかった。なんだ、用事って……。そっちか……ってじゃあもういいわ。早く行かないとデートに遅れちゃう」  腑に落ちたという顔をして佐倉さんは自分の机に置いてあった荷物を持って教室をさっさと出て行った。どうやら佐倉さんが行くの? と聞いたのは謝恩会のことじゃなかったようだ。  *****  どんよりとした空の下、は制服の上にダウンコートを羽織り、首に赤いチェックのマフラーを巻き、分厚い手袋を嵌めて目的地に向けて歩いていた。風が肌を刺すように冷たい。夜に雪が降る予報が出ていたが、きっとその予報は当たるだろう。それほどに外は寒い。歩くたびに口から真っ白な息が吐き出された。  コートのポケットに入っているスマホを取り出してスタートボタンを押し、時刻を確認。  午後四時五十分。約束の時間にちゃんと間に合いそうだ。  天気が悪いのでまだ夕方なのに外は薄暗い。風が足元の枯れ葉を飛ばし、あまりの寒さにコートの前を掻き合わせた。少し運動すれば身体もあたたかくなるかも、そう思いながら石段を見上げた。  石段を上り終えた先に赤い鳥居が建っている。  神社の軒下、そこがの思い出の場所だ。  エンジュは既に来ており、神社の軒下に膝を抱えてうずくまっていた。  真っ白な砂利を踏む音にばっと顔を上げたエンジュは、の顔を見て、あの時のように花がほころぶように笑った。背後に白い羽根が舞う幻覚を再び見たような気がした。 「来てくれないかと思った……」  ホッとしたに僕は近寄り、自分の首に巻いていたマフラーを外して祐樹の首に巻いた。いったいいつから待っていたのだろう。触れた頬が氷のように冷たい。 「サクラなんて昔のあだ名で呼びかけて、僕が気づかなかったらどうするの」 「でもちゃんと来てくれた」  僕の名前はスケガワソラ。漢字で書くと『』川『』『』  そう、『佐空良(サクラ)』は僕だ。  そしてユウキは『』居祐『』で『円樹(エンジュ)』。  ソラとユウキが二人きりの時だけに呼び合う、子供の頃に使っていた二人だけの特別なあだ名。  それが『サクラ』と『エンジュ』だった。  祐樹は立ち上がり、空良をーー僕を抱きしめた。 「好きだ、空良」 「うん。僕も祐樹のことが好きだよ」  端正な顔が近づき、唇に冷たいものが触れた。  ーーもう彼の『親友』には戻れない。  今日から僕たちは『恋人』になるのだから。

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