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第1話
胡蝶 望海
森でいちばん大きなクマさんは、小さなものが好きでした。森でいちばん小さなヤマネくんは、大きなものが好きでした。だから、ふたりは出会うとすぐに仲良くなりました。
(『もりいちばんのおともだち』 作ふくざわゆみこ)
幼い頃に何度も読んでもらった大好きな絵本の冒頭に、俺は何度も大きく頷いた。
俺が咲が好きで、咲が俺のことを好きなのは、当然のことだと。
そんな大好きな絵本に後押しされるように咲に惹かれて、もう何年経つだろう?
角が捲れてボロボロになるまで遊んだカードゲーム。
目が充血するまで夢中になったテレビゲーム。
弾まないボールで笑い転げたあの時間。
あの頃大事だったはずのものは、いつのまにかこの手から溢れていた。
けれど、その時間は今でも鮮明に心に張り付いている。
日常が色彩豊かに輝いていて、盛り上がりに欠けると感じていたあの頃が本当は1番大切な時間だった。
あの輝いていた時間と空気が愛おしくて、たくさんの思い出の中には決まって隣に咲がいた。
何を見て、何を感じて、何を考えているのか、多くを語らなくても理解できていたあの頃。
笑って、泣いて、怒られて、喧嘩して、その決まったサイクルの中に埋没している毎日は、心地よかった。
それなのに、ガラス越しに見えていた幼馴染の脳内が、何の前触れもなく遮光カーテンで閉じられた。
その距離感が、とても寂しく感じているのはきっと俺だけで……
不機嫌そうに隣を歩く幼馴染を見上げても、あの頃を懐かしむ素振りも、好意的な眼差しもない。
「のぞ、行くよ。」
「あーい。」
声変わりをしてから、声色がより冷淡になった。
優しかった眼差しはどんどん尖り、無表情のポーカーフェイスが常になっている。
年が明けて、連休ボケが少しましになってきた2月。
息を吸うと、腹の中に冷たい空気が充満していく。
「ボタン、開けすぎ。イキってると先輩に目つけられる。」
「可愛いから大丈夫。咲こそ生意気だって言われ……くるしっ!!」
「最初からそうしてな。」
器用な指先でボタンを1番上まで留められると、喉に届く長い指先にヒヤリとした。
心の距離は離れているが、物理的な距離は近い。
家が近所という分かりやすい理由で、暗黙の了解で登下校は咲と一緒だ。
脚の長さから歩行スピードが異なる俺たちが、肩を並べていられるのは咲の優しさ。
「月曜1限から体育とかだる。」
「AB合同だっけ?」
「じゃあ咲もいんのか。体育館寒そうで無理。」
「サボんなよ?」
「いつも出てっし。」
「出てもやる気ないくせに。」
「あーね。女子いないし。」
「のぞみん先輩、おは。」
「おは。」
「胡蝶パイセン!ハートつくって!」
「はいはい。」
「キャ〜〜〜!!!」
「今の部活の後輩?」
「そー。なんて言ったっけな?長距離か幅跳びの……。」
「それ確率で当てにいってる?」
「まー、いいべ。後輩ちゃんで。みんな同じくらい可愛いよ。」
「かわいそ。」
「微塵にも思ってない顔じゃん。」
「シャツ着てる?」
「着てるって。咲って親みたいなこと言うのな?」
「のぞ抜けてるから。」
「キャラ作ってるだけだし。着替えうちのクラスだっけ?」
「じゃ、後でな。」
「あ、忘れた!」
「は?」
「ジャージ。他クラ今日体育あったっけ?さすがにこの時期に半袖短パンはネタでしかないし。」
「俺の着る?」
「いや、だから合同体育だろ?」
「いいよ。寒くないから。」
「いやいや、気温5℃よ?正気か?」
「大丈夫。」
「メンタルいかつ。」
人口密度がエグい教室で、肘が当たる距離に咲がいる。
しなやかに伸びた手足。
引き締まった腕や脚。
大人の身体とは言い難いが、子供と呼ぶほど幼さはない。
肌着の下に隠れた裸体を脳内で補正して、話しかける体で横目で眺める。
別にいい。
触れなくても、見ていられる距離でいられたら十分。
そう自分を納得させて、パンツ越しの膨らみを見つめる。
―――エロい。触りてえ!
正直すぎる欲望を、ぎちぎちの理性で封じ込めて。
長すぎるズボンは諦め、腕周りがやたらもたつくジャージに袖を通す。
―――彼ジャー最高!!ナイスッサー!ポンコツな俺!!
幸せを噛みしめながら咲を見つめると、不機嫌そうな視線とぶつかった。
「やっぱり返してはなしな?」
「着てろ。」
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