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第45話
望海
校長に呼ばれ、俺は3日ぶりに学校を訪れていた。
汗が首筋を通っていく感触がやけに遅く、不快だった。
肌に張り付く生ぬるい空気を感じながら、陽兄と一緒にタクシーで校門をくぐると……
好奇の目で俺を見つめる視線に、すぐに気がついた。
平日の放課後。
部活組がたくさんいる中で起こったこと、噂好きの生徒が何も知らないわけがない。
人がいるのにやけに静かで、俺に気安く話しかける奴はいない。
話しかけるわけでもないのに、視線だけは感じる。
―――キッショ!
「クソが見てんじゃねえよ!!!」
陽兄の突然の罵声に、驚いたのは隣にいる俺だけではない。
校舎にまで反響し、窓から覗いていた生徒もカーテンを閉じた。
ちらちらと見ていた生徒があっという間にいなくなり、俺に向かってのみ陽兄はとびきりの笑顔を向ける。
「だるくね?スタバでデートして帰ろうぜ。」
「大丈夫。」
「なめたこと言う奴いたら、俺が秒で殺すから。」
言うことがあまりにも咲に似ていて、思わず笑ってしまった。
家には、あれから帰ってない。
母さんがひどく取り乱していて、それを間近で見ているのが辛かったから。
俺がいると余計に泣かせてしまうから、陽兄の家に来ないかっていう誘いに甘えさせてもらっている。
俺が何も言わなくても甲斐甲斐しく世話をしてくれるから、陽兄といるのは昔から気楽だった。
勝手に飲み物や食事が用意され、面倒なドライヤーもかけてくれる。
子どもを愛でるように思い切り甘やかされ、眠るまで手を繋がれ、なにを言っても「いいよ」って即答してくれる。
昔から変わらない優しさに、申し訳なくなる。
でも、俺が目を閉じている間、ずっと泣いている。
いつまで泣けば枯れてくれるんだろうと思いながら、俺よりも深く深く傷ついている大好きな人を見ると、心が塞がれる。
―――陽兄、ごめんね。泣かないで。
被害者の俺が、家族の中で一番普通だった。
もっと酷いことをされると最悪の場面を覚悟していたから、このくらい大したことではない。
数えきれないほど男とキスやセックスをしているし、フェラもする側じゃなくてされた側。
性欲処理の相手が好みではなかっただけと思えば、それほどメンタルは抉られていない。
傍から見たら男に襲われた男なんて、悲惨以外のなにものでもないだろうが……
可哀想な奴って思われ同情されることが、俺にとっては強姦されることより不快だった。
***
校長室に呼ばれ、簡単な挨拶を済ませる。
今回の不祥事への薄っぺらい謝罪を聞きながら、俺は咲のことを考えていた。
いつもなら何もなくとも連絡してくるのに、あれから一度も連絡はない。
電話を掛けても繋がらないし、既読もつかない。
電源が切られているようで、陽兄の家にいては連絡のとりようがなかった。
―――咲、何してるんだろ?大丈夫かな?
「じゃあ、出来る範囲でいいので、説明してもらえますか?」
スクールカウンセラーのかやちゃんに促され、俺はようやく教師を見つめた。
担任、学年主任、校長、教頭。そしてスクールカウンセラーのかやちゃん。
みんなで可哀想な俺を見つめているのが気色悪くて、陽兄に聞かせるのも申し訳なくて、窓のほうを向いて独り言のように話し始めた。
「暑かったので、図書室で今野くんが部活を終えるのを待っていました。いつも図書委員2人と司書がいましたが、気がつくと図書室に2人になっていました。その相手が平井です。男と2人になるのが不安だったので、今野くんがいる体育館に行こうと図書室を出たところを、後ろから殴られました。
頭が割れそうに痛くて、朦朧としていて、吐き気がして、運ばれている時は誰か分からない背中だけ見えてました。見慣れない教室だったので、第三校舎だということは理解しました。
カーテンが閉まっていて、少しかび臭い部屋で、平井に羽交い絞めにされながら、多分岩井に服を脱がされました。
岡島に胸を触られてキスされて、暴れたので足首をネクタイとベルトで縛られました。
それで岩井に股間を舐められました。それから岩井の口内に射精して、勃起してたんであいつのを足コキしました。」
「は?」
校長の間の抜けた声に、この年で知らないわけないだろうなと思いながら、じっと見つめる。
それでも視線が合わず、校長の視線を辿ると俺の脚に注がれていた。
―――キッショ!妄想すんなや!!
「だから足コキ。まさか知らないんすか?」
「いや、知っているけれど……。なんでそんなことを?」
「腕を後ろから拘束されて脚も縛られていたし、しゃぶるのは嫌でした。唯一動くのが足首から下で、イかせてしまえばしばらく掘られないでしょ?流石にこんなこと初めてやったし、射精までは無理でしたけど。説明を続けていいですか?」
「お願いします。」
「その後、岩井にキスを強要されました。」
俺のことを熱心にまっすぐに見つめるのは、かやちゃんだけだった。
他は何か綻びがないか探るような眼差しで、表面的な同情の顔とのコントラストの違いに寒気がした。
校長が俺の言葉に、すぐに質問をなげる。
「拒まなかった?」
「かわいくお願いしてベロチューしたら足の拘束を解く約束をしたので、自分からしました。」
「合意ではなかったと?」
「違います。逃げることしか考えてませんでした。足縛られてたら、ボルトだって逃げられないでしょ?」
「随分余裕があるように感じるのですが、本当に合意はない?」
「ないです。あったら頭を殴られてない。何度もしつこく岩井に誘われていました。以前個室に連れ込まれた時にタマ蹴って逃げたので、足癖の悪さは警戒されてたんだと思います。」
「今まで相談しなかったのは?」
「担任には相談しました。でも、特に岩井の態度は変わらなかったです。直接的な被害がないと、警察も先生も動かないでしょ?妄想するのは自由だから。」
「福原先生からは、岩井くんに指導しましたか?そもそも誰かに相談しましたか?」
「いえ、あの……すみません。」
ふくちゃんを見ると、バツの悪そうな顔をしていた。
責任を被りたくないというのが見え見えで、俯いたまま固まっている。
「普段から仲がいいですよね?今野くんの他にも進藤くんと田中くんも。」
「含みのある言い方はやめてください。普通にみんな友達で、ずっと守ってもらってました。」
「胡蝶君も男ですよね?守ってもらうのは少し違う気がしますが。」
「顔見りゃ分かるでしょ?女子だけじゃなくて、男にもクソモテるんで。女顔だから、女子と勘違いした野郎に狙われるんです。」
取り繕うのが、面倒になってきた。
説明してすぐに帰れると思っていたのに、無駄な質問ばかりで話が進まずイライラする。
髪をかきあげて見つめると、校長の耳がじんわり紅潮するから吐き気がした。
―――こいつ、マジでキッショいわ。
「物心ついてからずっとです。冗談の類から虐めに近い性的被害を、特に小学生の時は継続的に受けてました。股間触られたり、キスされたり、下半身見せられたり。そういう行き過ぎたものから、いつも今野に守ってもらってました。」
「親御さんや学校に相談は?」
「出来るわけないでしょ?男なのに男にセクハラ受けてますって?まだよく分からないうちからそういうの多かったんで、言っちゃいけないことだとは思ってました。そういう時に今野に助けてっていうと、俺の代わりに殴ってくれました。俺は見た目通り非力な社会的弱者なんで。」
「今回のことを含めて、随分暴力的な解決法だったとは思いませんか?」
「勃起させて馬乗りになってくる奴に、口で言ってやめてくれると思います?俺が嫌がるとあいつら喜んで何度も何度もしつこくするんです。吐き気がする。
ああいう連中は、蹴り飛ばされるまでやめてはくれない。今野は問題児じゃないし、今回のことも責任はない。俺が岩井たちを殴るように命令した。あいつは従っただけで本意ではない。」
「話を戻します。キスをしてからどうしました?」
「足首の拘束を解かれました。」
「すぐに逃げられた?」
「いえ、3人相手にしなくちゃいけなかったので、隙をつくるためにオナりました。」
「は?」
「俺のオナを見ながら自慰をするように促しました。1人なら玉蹴って逃げるだけなんで問題ないですが、2人以上ならそうします。もし失敗したら、掘られるの分かってたんで慎重に。逆に自分よりでかい男3人に囲まれて、他になにが出来ると思いますか?」
「随分余裕があることに、違和感を感じるのですが……。」
「あいつらに捕まって俺が一番最初に捨てたのは、恥じらいだ。掘られたくなかった。そのためなら何でもできます。」
「本当に同意はなかったんですか?」
「何度も言わせないでください。絶対にありません。キスをしたのもオナったのも油断させるためで、セックスの合意はない。あったら殴られてないし、拘束もされない。最後まで楽しくセックスしたに決まってるじゃないっすか?裸で逃げないし、ここにいない。」
「わかりました。岩井くんたちの話と大分異なるので。」
「証拠はあります。体操着にぶっかけられてから姉に渡されてました。もし最悪のことがあったら、証拠を残すように。図書館を出る前につけました。警察にも提出して、こっちはコピーなのでどうぞ。今からみんなで俺の喘ぎ声とか聞きます?上手に演技したんで褒めてください。」
「いえ、これは預かります。」
「じゃあ、お疲れっした。」
そう言って立ち上がると、先ほどから俯いていた担任に腕を掴まれた。
平井にずっと手首を掴まれていたら、まだ少し痛む。
ギリギリとやけに汗ばんだ手で握られて、気色が悪い。
「今野とも付き合ってない?」
「え?」
「セックスしてたんじゃないの?男とセックスするの慣れてんだろ?」
「慣れてるから何?俺がヤりたくてすることと、合意なくされることは別問題だろうが?」
質問の意図が分からず素で応えると、真顔の陽兄が間に入る。
「ちょっと待て。てめえなに興奮してやがる?」
「い、いや、別に。」
「ズボン膨らませてんだから、勃起してんのバレバレ。マジでクソ野郎ばっかじゃねえか。何が義務教育だ?ふざけるな。こんなスラム街で教育なんて馬鹿げてるだろ。」
今まで黙って聞いていたのが嘘のように、思い切り捲し立てる。
その迫力に押されて、担任が小さく尻もちをついた。
「だっさ。」
「俺たち家族がどれだけ神経すり減らしてるか分かってる?望海は、俺たち家族の宝だ。ガキの頃から可愛いから、可愛すぎるから、てめえみたいな獣の皮被った人間に迫害されて生きてんだよ!!」
「陽兄、もういいって。」
―――恥っず……宝ってなんなのよ。
尻もちをついた担任の胸ぐらを掴み、視線をそらすことすら許さない。
陽兄の怒号にピリピリと空気が歪み、少しだけ息が吸いやすくなった。
―――この人、俺のこと好き過ぎるでしょ……。
「小学校の帰りに車で連れ去られそうになったから、登下校はずっと車だった。外で遊ばせると写真撮られるしキモい目で見られるから、基本家で遊ばせてた。家の中で弾まないボールで遊ぶ不自由な生活をずっと、ずっと強いてきたんだ。
海にも温泉にも肌が露出するところには絶対に連れて行けず、陽の光から隠すように大切に大切に育ててきた。
でも、その中で走ることだけは熱心に教えた。てめえら変態に追いかけられても逃げる脚力磨くために、好きでもない陸上やらせて自由を搾取してきた。」
「いいって!」
「それなのに、ふざけるなよ。体操着にぶっかけだと?冗談じゃない。許さねえから!絶対に!!!全員豚箱ぶちこんで、一生臭いメシ食わせてやるから!!」
「陽兄、落ち着けって!!」
今にも殴りかかりそうだから背中に抱き付くと、陽兄の身体が震えているのに気がついた。
「その次は強姦だ?マジでふざけるなよ。気をつけろって死ぬほど念を押したじゃねえか!精液から犯人は割れてんだよ。他人は大嫌いだし、信用してない。」
泣きそうになりながら膝をつく陽兄に、ここに連れてきたことを深く後悔した。
全身が痛いって叫ばれているようで、塞いだはずの傷跡が抉られる。
「咲をなめんな。あいつはガキの頃からバスケ馬鹿だったけど、その大好きな練習より望海といる方を選んだ。
狭くて窮屈な場所で、望海の隣で弾まないボールを転がしていることを選んだんだ。
学校の中は閉鎖的だから、俺たち家族は介入できない。だから、あいつに望海を託した。クソキモい程に望海を溺愛している俺たち家族が、信用している唯一の他人が今野 咲だ。てめえら教師なんかよりも断然信用してる。あの馬鹿が望海の嫌がることをするわけがねえだろ?お前と一緒にするな!!変態教師が!!!」
思い切り捲し立てると、糸が切れたかのようにその場に蹲る。
ようやく担任の胸ぐらから手を離し、項垂れるように俺のことを抱きしめる。
「咲に頼むなんてどうかしてた。あいつだってまだまだガキで、庇護されなくちゃいけない対象なのに、望海のことしか考えてなかった。それは俺たち家族の責任だ。あいつはお前たちと違って、直接俺たち家族の前に来て、何度も何度も額が削れるくらい頭下げて謝ってきた。
望海も咲もガキなんだから、大人の俺たちが守ってやらなくてどうするよ?なんで咲が守らなくちゃいけない?あんたら教師だろ?真面目に仕事しろ!!」
泣き叫ぶように怒鳴り、血走った目で教師を睨む。
「これから先は姉貴に任せてる。てめえらがいくら取り繕うが、証拠はきっちり固めて、罪は償ってもらうからな。」
もう立ち上がれない程興奮している陽兄の肩を抱えると、かやちゃんがもう片方の肩を支えてくれた。
かやちゃんと陽兄と一緒に廊下に出ると、湿った空気が少しましになっている。
「あいつらクソだな。みんなで埋めようか?」
かやちゃんがぼそっと呟き、俺も頷きながら微笑んだ。
いつものかやちゃんの様子にすごく安堵して、3人で教師の悪愚痴を喚きながら校門に向かった。
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