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第7話
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例えばパソコンで「死にたい」と打ち込むと、自殺防止相談ダイヤルや相談窓口のサイトがずらずら出てくる。
「お金が無い」と打ち込めば、怪しい金融業者のサイトやいかにも闇金っぽい業者がずらずら出てくる。
そのたびに、あぁ世の中って甘くないなぁと思う。
俺が知りたいのは、死にたいほどつらい状況を打破する方法であって、自殺の方法じゃないのだ。いくら相談窓口で思いのたけを話しても、お金が生まれるわけじゃない。
その時間があるなら、何か資格の勉強でもしてた方がよっぽど有意義なのだ。
でも精神的に追い詰められてる人間にはそんな余裕ない。
とにかく「早く現状を打破する事」しか頭にないから、危ない話にも簡単に引っかかる。きっと精神が安定してれば引っかからないような話に、どうしてか簡単にかかってしまう。
怪しい闇金に引っかかりたいんじゃなくて、生活を立て直すための手段が知りたい。
だけど、俺みたいなバカの為にそんな方法用意されていない。
俺が欲しいのはいつだって特効薬だった。苦しい状況が一瞬でひっくり返るような魔法の薬。
自分にまとわりつくありとあらゆる問題を一瞬で無かったことにしてくれる秘密の道具。
そんなの探してる暇があるなら仕事を探せって話なんだ。
俺は先生のパソコンを借りて、何かいいバイトが無いか探していた。
いいバイトっていうより、俺みたいなバカでも雇ってくれる職場を探していた。
勉強もまともにできない俺みたいなのでも雇ってくれる、懐の大きなところは無いか、毎日のようにサイトを見ていた。
そんなうまい話あるわけないのに、藁に縋るのを辞められない。
最終的には体を使うようないかがわしいものにたどり着く。
それだけはできない、と俺はブラウザバックする。
とか何とか言ってみたけれど、俺の今の状況は、俺と同じ境遇にいる人間からしたら羨ましくて仕方ないと思う。
衣食住そろっていて、性格も、まぁちょっと変態臭いけどちゃんと仕事してるまともな人間にかくまってもらって、何が不満なんだとボコボコに怒られるかもしれない。
正直、俺はこのままここで暮らすつもりはない。というか、許されない。
なんでそんな事思うのかっていうと、誕生日が近づいているからだ。
次の誕生日で俺は26になる。
26で、まともに職歴もない、貯金もない、友達もいない、一人で生きて口からもない、ないない尽くしの男になってしまう。
そう考えただけで気が狂いそうな不安に駆られた。眠れないこともあった。
それよりなによりむかつくのは、それが全部今までの自分のだらしなさが招いた結果だって事。
あの時ちゃんとしてればなぁ、と何度思ったか分からない。
学生の頃ちゃんと勉強しておきなさいという台詞の本当の意味が、大人になって、取り返しがつかなくなった今やっとわかってしまった。
どうせなら分からないまま死にたかった。
世間から見たら、俺は火事で住居を失ったかわいそうな人なのかもしれない。
でも、よくよくほじくってみれば、それも自分のせいなんじゃないかと思う。
それなりに稼げる仕事について、防災設備がちゃんとした家に住んでいれば、こうならなかったんじゃないかと思う。
「ばかだなぁ」この一言に尽きる。せめて俺が、なんか夢とか目標を持ってて、生きるための指針があったらよかったのに、俺にはそれすらない。
結局今日もいい仕事は見つからなかった。俺はパソコンの電源を落としてうずくまった。
隅々まで掃除が行き届いた清潔な空間。その真ん中にゴミのような自分がいるのがだんだん許せなくなってきた。
ここから出ていかなきゃいけない。そう思うのに、実行できるだけの金が無い。勇気もない。知恵もない。努力もしない。
涙も枯れてしまったようだ。長いため息が口から漏れ出る。
「ここにいたんだ」先生の声がする。
「そろそろご飯が出来るよ」やんわり笑ってそういうけれど、本当は俺の事をどう思っているんだろう。
いつまでここにいてもいいといった。でも、それはきっとお世辞だ。
家が燃えちゃってかわいそうだから、とりあえずそう言ってくれただけなんだ。
「散歩してくる」「そう、ご飯までには帰っておいで」なんか夫婦みたいだなぁと思った。
小さい頃、母親とも交わした会話。今日は泰文が大好きなハンバーグだから、早く帰っておいで。
そう言って見送ってくれた母親。
もう長い事連絡を取っていない。今何をしているかさえ知らない。
俺みたいなのが子供で、ほんとにかわいそうだなぁと思った。
泰文君が散歩に出かけてからもう二時間が経っている。
いくらなんでも遅すぎる。外はもう真っ暗だ。彼は携帯を持たずに出かけてしまったらしい。僕名義で買ったものを渡したけれど、彼はふだんからあまり触っていなかった。
食卓の上に並んだ料理はすっかり冷めてしまった。最近彼が僕のパソコンで調べ物をしているのには気づいていた。一日に数時間眺めていることもあれば、数分で終わらせる時もある。
僕は後ろめたさを感じつつも、彼の行く先の手掛かりがないかパソコンの履歴を見てみた。
そのほとんどが求人サイトだった。派遣、正社員、バイト、様々なサイトを毎日閲覧しているようだった。
その後ろの方には、性的サービスを提供するお店の名前があった。
僕はドキリとした。
僕が彼をこの家に招いたのは、先輩に似ていたからだった。
先輩に似ている彼を、弱い立場にいる彼を、自分に逆らえないと知ってて自分の性癖を押し付けていた。
最低だって分かっていても、やめられなかった。昔の自分にかなえられなかった小さな夢が手の内に収まってしまった感動は、どうしても手放すことができない。
こんな生活がずっと続くわけないと分かっていても、僕は彼を手放したくなかった。
不器用で、人見知りで、それでも一生懸命生きようとしている彼が、
泰文君そのものが、愛おしくてたまらなくなっていた。
そう思った瞬間、僕は家から飛び出した。
外は、雨の匂いがする。
手掛かりもないのに、どこへ行こうというんだろう。
ぽつぽつと降り始めていた雨が、どんどん強くなっていく。アスファルトを蹴っていた硬い足音はびしゃびしゃと水気を含んだものに変わっていった。
彼が好きだったものは何だろう。そう考えても、なにも頭に思い浮かばない。
焦っているからか、それとも彼のうわべしか見ていなかったからなのか、混乱した頭では何もわからない。
僕の足は、飲み屋街へ向かっていた。酔っぱらいの鼻歌と、目にまぶしい赤提灯の色。
人ごみをかき分け進んでも、泰文君はいない。
僕は、まさかと思いながら、風俗街の方へ行ってみた。ピンクやライトブルーのまぶしいネオンが、水たまりに反射して目に痛い。
すれ違う人みんな腕を組み、なんとも淫靡な雰囲気が漂っている。
おにーさんかっこいー、とキャッチに腕を掴まれそうになりながら、僕は走った。
自分でも体のどこにこんな体力があるんだろうと思った。
今頃誰かに店の中に引き込まれてしまったんだろうか。心臓がバクバク跳ねる。水滴がついた眼鏡が邪魔ではずした。視界ぼやけてよく見えない。
「泰文君、」名前を呼んだ。
返事してくれ、という思いと、ここにはいないでくれ、という思いがせめぎあう。
「せんせ、」
人々の声に交じって、ほんとうに小さな声で、そう聞こえた。
僕は声を頼りに走った。「泰文君、」名前を呼びながら、呼ばれながら、走った。初めて通ったはずの道なのに、足は止まらない。
人ごみから離れた、路地裏を通った時、見覚えのある瞳と目が合った気がした。
引き返して路地へ進むと、そこに彼がいた。
今にも泣きそうな顔をして、僕を見ている。
もうこれ以上走れない、と思っているのに、足は彼のもとへ進んでいく。
「せんせ、」泰文君はそうつぶやいた。それ以外の言葉を知らないみたいに、泣きながらそう言った。
僕は、泰文君にキスをした。
今までもしたことはあったけど、なんだかこれが初めてのように感じた。
泰文君はほんのちょっとだけ驚いたような顔をしたけれど、決して拒否しなかった。
縋るように抱き着いてくる仕草が、僕まで泣いてしまいそうなほど愛おしかった。
「もう出ていくから、」「え?」「もうやめよう、俺、出ていくから、先生の重荷になるの、もうやめるから」
泰文君がぐずぐず泣きながら言う。「いつまでもこんな生活してちゃ駄目って分かってるんだ」「うん」「でも俺、ばかだから、一人で生きてくことも、手段も、なんにもないから」「うん」
雨が少しずつ弱くなっていく。
「でも、先生まで、俺の方に引きずり込みたくないから」
「出ていこうと思ったの?」「だって、俺がいたら、先生結婚とかできないじゃん」「え…?」
「家に俺みたいなわけわかんない居候がいたら、先生の事好きだと思ってる人が、付き合いたいと思ってる人が引いて行っちゃうじゃん」
髪の毛から滴り落ちていく雨粒の冷たさを感じない。
「そんな事、思わなくていい」泰文君が顔を上げる。
「なんで、」「僕は誰とも結婚しない」「なんで、」
「泰文君が好きだから」
ずっと心の中にあった、先輩への思いはいつしか彼への思いに変わっていた。
歪んだ感情が、慈愛に変わった。
本当の意味で大事にしたい。主従関係とか、そういう事じゃなくて、
彼を、泰文君を一人の人間としてちゃんと愛したいと思った。
「なんで俺なの」「好きだから」「理由になってないよ」「かわいそうだからそう言ってるんでしょ」「違う、離れたくないから」
抱きしめた泰文君の体が、じんわりとぬくもっていくのを感じる。
「君も、君自身の事を好きになって」「出来ない」
「僕が好きな君の事を、君自身が否定しないで。今すぐになんて言わないから、ゆっくりでいいから、自分の事をそんなに嫌いにならないで」
「じゃあ、」「ん?」
「自分よりも、先生の事の方が好きになっちゃったら、どうしたらいいの」
「何も困ることなんてない」
僕はもう一度キスをした。遠くから聞こえていたキンキンした音楽もキャッチの呼び声も、今は聞こえない。
雨音とは違う、甘く湿った音だけが、静かに二人の間で鳴っている。
どうやって帰ってきたのか、あんまり覚えていない。
タクシーを拾ったんだったか、二人で手をつないで歩いてきたんだったか、記憶がおぼろげだった。
雨に降られて濡れていたはずの体が、こんなにも熱いのはなぜなんだろう。
「せんせ、」キスの合間に呟かれるだけで、たまらない気持ちになる。
背中の産毛をじわじわとなぞられているようだった。
玄関は二人の衣服が吸った雨水で濡れているけれど、どうでもよかった。
「名前で呼んで」「…まことさん」「呼び捨てでいい」「まこと」
まこと、と名前を呼ばれるたびに、つま先から満たされていくようだった。
もつれながら靴を脱いで、風呂場へ向かった。
彼の体を抱え込むようにして、何度もキスした。泰文君は恥ずかしそうに体をよじったり逃げようとする。そうされると余計に構いたくなってしまう。
重たい服を脱ぎ捨てると、びしゃっと音を立て床に落ちる。
泰文君の服の裾に手を入れ「ばんざいして」というと、言われたとおりに万歳する素直さが愛しい。
初めて会った時はもっとやつれていた。今は年相応の体つきになり、顔色もずっと健康的に見える。
肩甲骨を撫でてそのまま下へとたどっていく。やわらかい皮膚の下に通る血管一本一本を感じたいと思った。
もう僕の頭には、先輩の面影はない。目の前の、泰文君だけが頭を埋めている。
下を脱がせようとすると泰文君は「あ、」と声を出す。
「嫌?」「俺ばっか嫌」「じゃあ僕にもして」
そういわれるとは思わなかったと言いたげな顔をされる。
濡れているから余計に脱ぎづらい。「脱げない」と恥ずかしそうにしているのが可愛いと思った。
「ほんとだ」と笑うと彼もちょっと笑う。
二人でくすくす笑いながら、裸になった。それでもまとう空気は甘いまま。
「眼鏡、取んないの」言われて初めて気が付いた。
「それもそうか」外すと、泰文君が「あ」という。顔がどんどん赤くなる。
「なに?」「なんかずるい」「なにが?」
「かっこいいから、あんまみないで」と言われてこっちが困ってしまう。
「眼鏡が無いとよく見えないんだ」「だからって近い」「今更だよ」
胸元を触ると、彼も同じように触ってくる。
「あったかいね」「うん」「心臓ちょーはやい」「君も」
「死ななくてよかった」泰文君がぽつりと言った。
「本当に、僕も思う」そっと爪を立てると、気持ちよさそうに目を細める。
されること全部気持ちよかった。
お腹を撫でられるのも、腰回りを触られるのも、胸をゆっくり揉まれるのも、
全部気持ちがよくて仕方ない。
眼鏡を取って、前髪が下りた先生は、アホみたいにかっこよかった。
雨に濡れているからなのかわからないけど、色気ダダ漏れみたいな感じがとにかくすごい。
見るのが申し訳なくなるくらいだった。
どうしたらいいのか分からないから、されるがまま、先生がしてくれることを受け入れていた。
俺ってほんとに調子いいなと思った。ついこの前まで死にたいとか言ってたくせに、今置かれているこの状況を余すところなく味わいたいな、と思っている。
そう思ってしまうくらい、先生の腕の中にいるのは心地よくて仕方ない。
こういういやらしいことなんて、最後にしたのいつだろう。
思い出せないくらい昔だ。
先生がそっとそこに触れてくる。「う、」恥ずかしくてたまらないのに、やめられるのはもっと嫌だった。
綺麗な指の間で、熱くなっていく。耐えられなくなった分がこぼれていく。
ぬめった音も大きくなる。
視界が涙で滲んできた。「まこと、」名前を呼ぶと、返事の代わりにキスしてくれた。
映画みたいなキスだった。映画を見てて、親と見たら気まずくなるような、そういうキスだった。
厚ぼったい舌が生き物みたいに動き回って、優しい力で口の中をくるくる回る感触はとても気持ちがいい。
俺は先生の背中に回していた手を、先生のそこに運んでみる。
動揺したのか、先生は、はっと息をのんだ。
「俺ばっかりずるいから」というと、「その言い方の方がずるいな」と低くささやかれる。
先生って、声が低いなと思った。普段はそんな事感じないのに、こういう時に限ってそう聞こえるだけなんだろうか。
俺は先生と同じように手を動かした。他人のなんて触ったことない。
指がぬとぬとする。でも嫌じゃなかった。
先生の呼吸が乱れていくのが、嬉しかった。色っぽいため息と声を遠慮なしに体の中に注がれてどうにかなりそうなのを一生懸命耐えた。
「あう、」情けない声を俺が上げるのとほとんど同時に先生も「はぁ…」とバカみたいにいやらしい声を出す。
体を駆け回っていた熱い塊が、外へ流れていく。
これで終わりじゃないのが嬉しいような辛いような不思議な気持ちだった。
自分で触ったことのないところを触られる。
それも、凄く優しく。
ちょっと怖いからぎゅっと目を閉じていた。「泰文」呼ばれて目を開けると、先生が俺を見ている。凄く愛おしそうなまなざしだった。
その目を見ていると、なんだか泣きそうになる。
先生に抱っこされていたのが、ゆっくりと床に寝かされる。大人が横になっても余裕のある風呂場って凄いなと思った。
「背中痛い?」「痛くない」「怖い?」「ちょっと怖い」
先生が上からのぞき込んでくる。見づらいからなのか、ちょっと眉間にしわを寄せている。そんな顔までかっこいいのは、本当にずるいなと思った。
「ちょっと痛くても我慢するから、全部やって」そう言いながら先生のほっぺを触った。俺と同じくらい熱い。
すっと目を細め、「かわいい」と先生が言った。
その間に、先生の手や指先は、俺の体中をたどっている。
色んな所がやわらかくなって、ぬるぬるする。自分の声が反響するのが凄く恥ずかしいのに、黙れない。
口をきつく結びたくても、先生がキスしてくる。
唇の隙間に割り込んで、開けろと言われているようなしぐさに、はい分かりましたと口を開けるしかなかった。
このまま食べられそうな感じがしたけど、それは凄く幸せな事なのかもしれない。
「いい?」先生が言う。「うん」と答える以外の選択肢は俺にない。
そこにくっついた瞬間、熱いなぁ、と思った。
ちょうど俺の首のあたりに先生の顔がある。やわらかい唇が、俺の事をなだめるみたいにくっついている。
「怖いね」「ちょっとだけ」「ごめんね」「いいよ、」
少しずつ、少しずつ、と進んでいく。
あぁ、一緒になっちゃった。
体の真ん中に、あったかい何かがある。
先生もはぁはぁと息を乱している。大事にされているなぁ、としみじみ思った。
「辛いね」「ううん…」「我慢させてごめんね」「いいよ…」
俺は先生の背中をぺちりと叩いた。
「いいよ、動いて」
先生が、ものすごく優しくキスしてきた。そこから、ゆっくりと、先生が動きだす。
「あ、あ」先生が動くたびに勝手に声が出る。涙も出る。
痛いとか怖いとは違う、自分でもよくわからない涙だった。
「気持ちいい?」先生に聞かれて、「うん、」と言った。
あぁ、気持ちいいから涙が出るのか、と一人で納得していた。
「もっと」そう言うと、先生は自分の唇をなめていた。無意識なのか癖なのか分からないけど、色っぽくてかっこいいから、もっと見たい。
だから、もっともっと、と何回も言ってしまった。
ちょっとだけ背中が痛かったけど、俺だって先生の背中に爪をきゅーっとたててしまっている。
おあいこだから、恨んだりしない。
揺すられながら、先生の胸をわしづかみにしてむにっと揉んでみた。思ってたよりやわらかくて気持ちいい。
「あっ、こら、ちょっと、」先生が焦ったように笑った。「気持ちいい?」と聞くと、
「当たり前でしょう」と笑う。それが面白くて、おかしくて、俺は遠慮なしにむにむに揉んでやった。先生が、くくっと笑いながら体を曲げた。
その時、自分の体に甘いしびれがじーんと走る。
「あ、笑わないで」「ん?」「なんか、響くから、笑わないで、あ、」
自分でやったくせにばかだなと思った。
「おばかさん」ほんの少し、痛みが走る程度に耳たぶを噛まれて驚いてしまう。声の艶にも驚いた。
多分先生は、俺が先生の声に弱い事に気づいてるんだろうな。
足が大きく開かれる。「ひぇ、」自分の裸が暖色の明かりに照らされている。
俺の手が先生の胸から離れてしまった。思っていたより厚くて気持ちいいからもっと触っていたかったけど、今はそれどころじゃない。
これ以上くっつく手段が無いのに、もっと近づきたい。お湯も浴びてないのに、のぼせそうなほど熱い。
大きな手。患者のお腹を開いたり、薬を塗ったり、誰かを助ける、まじめな手。
そういうまじめな手で、散々いやらしい事をされているのが、何とも言えない背徳感みたいな、とにかく嬉しかった。
「はずかしい、」「どうして」先生の声も反響する。いやらしい音も声も何もかも反響している。
体と体がぶつかる音。肌と肌が合わさって、汗の粒が合わさる音。
先生がお返しとでも言うように、俺の胸を揉んでくる。
「うわ、ずるい、」「ずるくない」「ずるい、」
子供みたいにずるいずるい、と言い続けた。
「じゃあ、こうしてあげる」と、先生が俺の事を抱っこした。
「ひぇ、なんで、」「こうしたら泰文君も触れるよ」というけど、俺はそれどころじゃない。
「これ恥ずかしい、やだ、」なんていうか、さっきよりも気持ちがいい。
それでも先生はやめてくれない。悔しいから、俺も先生の胸をぎゅっと揉んでやった。
二人して胸をまさぐって、色んな所を触った。
ゆらゆら揺れて、熱くてぬるぬるして気持ちがいい。コップに並々注いだ、砂糖とかはちみつとか、甘くするためのものをたくさん入れた牛乳が、こぼれるかこぼれないかの所で揺れている。
そういう気持ちが、頭のてっぺんにまで溜まってきた。
「ねぇ、」「なぁに…?」その声ほんとにやめてくれ、と降参したくなる。
「もう、だめかも」「僕もだよ」「ほんと?」「うん…」
「じゃあいっしょがいい、」「いいよ…」
先生の背中に回していたはずの手は、いつの間にか先生と手をつないでいた。
きつく、ぎゅーっと力いっぱい握られる。俺も同じくらいの力で握り返した。
熱く弾けて散っていく。
「あっ、あ、」体が勝手に揺れた。先生がぎゅっと抱きしめてくれて、凄く嬉しかった。
もう離れるだなんて思えない。
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