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90日目

周が店を出て、少し寝ようと思ったけれどなぜか目は冴えてしまっていた。いくら外が眩しくても、昼過ぎまでいつも眠れていたのに。ごろりと布団の上で寝転がってみるものの、頭の中には周のことばかりが浮かんでくる。  少し乾燥した肌の感覚、汗に混じった白檀の香り、それから、喉の奥から搾り出される掠れた声。  ついさっきまで手の届くところにあったのに。もう随分と遠くに行ってしまった。 「あと十日……か」 横になっていても仕方がない。どうせ眠れないのなら起きていよう。そう思い、香袋を袂に入れて立ち上がった。 * この時間なら厨にヨネが居るだろうと、よろよろしながら階段を降りる。最後に厨に行ったのは周に茗荷の料理を作った時だ。 少し動いただけで汗が出る。もう夏も盛りなのか。 「おや、坊ちゃん。どうされましたか?」 流しのところで皿を洗っていたヨネが、こちらに気づいて嬉しそうに笑った。店がなくなると決まってから、厨の仕事はとても少なくなったそうだ。 今では俺と雲雀、女将さんと旦那さんの分だけ用意している。昨日までは周の分もあったが、それも今日からなくなる。 それを伝えると、ヨネは悲しそうな顔をした。 「十日は来ないそうだ。だから、しばらくは楽が出来るな」 「そんなことありません。周様の食事を作るのは楽しかったんですよ」 「それならよかった。周も、いつも美味しそうに食べていた」 どんなに仕事が忙しくても、たくさんの書類を抱えていても、周は必ずヨネの作った料理を残すことはなかった。 何もせずに話すのも居心地が悪く、洗い場で皿を一緒に洗う。冷たい水が気持ちよかった。 「こんなにも長く坊ちゃんの元に通われたのが周様で、ヨネは嬉しく思ってますよ」 「なんだ、急に」 「なんでしょうね。今まで当たり前に隣に居た人が急に居なくなると、寂しくなるものだと思いましてね」 それは、まさしく今の俺を言い表していた。あまりにも突然、会えなくなった。今まで隣に居ることが当たり前だったのに。このままずっと、そばにいるのだと無意識のうちにそう思っていた。  でも、そんな「当たり前」なんか存在しないのはずっと昔に思い知らされたはずだ。それまで、ずっと一緒にいると思っていた家族は、一瞬でバラバラになってしまった。  そして、周も。 「坊ちゃん」 「え、あ?」  それでも、ヨネの優しい声は。 「周様は、必ず戻って来られますよ」 「何を根拠に」 「勘ですよ。でも、ヨネの勘は当たるのです」 「そう、だな」  優しい声は、昔から変わらなかった。「あの日」も、ここで再会した日も。いつだってヨネは優しく俺を見守ってくれていた。 しかし、周が来ないとなると夜にすべき事が本当になくなってしまう。早めに寝て、朝はヨネの手伝いをしようかと思いさっさと寝巻きに着替えた。そのまま布団に入り、ぼんやりと考え事をする。 ヨネの言う通り、周はきっと戻ってくるだろう。十日分の金を前払いしているんだ。生半可な気持ちでここを後にしたとは考えられない。だから、そこについては何も心配してはいない。 ただ。 「……落ち着かないな」 隣に誰もいないことが、落ち着かなかった。ごろり、ごろりと何度寝返りを打ったところで眠気は訪れてこない。 さて、どうしたものかと、何気なく枕元に目をやると。昨夜、周にもらった香袋があった。柔らかい白檀の香りがする。それだけで次第に気持ちが落ち着いてきた。 「まあ、焦ったところでしょうがないか」 今の自分に出来るのは、ここで大人しく待つこと。周が戻ってきたら事情を聞いたりして忙しくなるだろう。それに、店も無くなるからその片付けもしなくてはいけない。 そうだ。周が戻ってきたら。 「する……のか……? 本当に」 今までも何度かそういう流れになったことはある。でも床入りまではしていない。約束だからだ。しかし、周が戻ってくるのは百日目、つまり床入りが許される日ということになる。 その時に俺が何も分からず、されるがままというのは如何なものか。仮にも陰間なんだ。せめて相手に迷惑をかけないようにはしないと。 そのために、今の俺がすべきことは。 「いちぶのり、あったかな」 十日かけて、周を受け入れる用意をすること。それしかなかった。 陰間になった時、一応やり方だけは教えてもらった。かつての陰間茶屋には予め作法を教えてくれる立場の人がいて、その人に後孔の解し方を学び、抱かれ、快楽の得方を教えこまれたそうだ。 俺はそういう機会を得ないままだったから、頭にある知識だけでどうにかしないといけない。これはある意味とても大変で、根気のいる作業だ。でも、逆に周以外の人に抱かれることがなかったのは良かった気がする。 初めては、好いた人がいい。 そんな、陰間には決して叶わない願いが許されるのだから。 「口に含んで、柔らかくして……滑りが出てきたら、周りを揉むように解していく……」 言葉で習った通り、いちぶのりを咥える。ほんのと甘い味がした。唾液をまとわりつかせると、とろりとした感触が広がっていく。手のひらに出してみると、思ったよりぬめりけがあった。 恐る恐る、足の間に手を伸ばす。普段は触ることの無い場所だ。本当に大丈夫だろうか。いくらぬめりけがあったとしても、やっぱり痛いんじゃないだろうか。 そんな不安が頭をよぎる。でも、その次に浮かんできたのは周のことだった。 これを乗り越えないと床入りなんて出来やしない。 「深呼吸……深呼吸……体の力を抜いて……」 緊張で指先が冷たくなっていた。それでも勇気を振り絞って後孔に触れる。ぐちゅ、と音を立てながら周りを解す。想像よりもすんなりと指先を飲み込みそうだ。 試しに、と中指を入れてみる。抵抗なく飲み込んでいく自分の体に驚きつつも、何とも言えない異物感に体が震えた。 「う、っ……っ」 本来なら何かを入れる場所ではないのだ。しかも初めてなのだから、そう上手くいくはずない。 頭ではわかっているのに、このままではいけないと焦る気持ちもあった。ふぅふぅ息を整えながら、もう少しだけ指を進めてみる。うねうねした熱い内壁が中指にまとわりついてきた。 「は、はい、った……」 痛みは、ない。 大丈夫。 まだ一本だけど、ちゃんと入った。 「よかったぁ……」 周を受け入れるにはまだ狭すぎるが、初日にしては及第点だろう。全く気持ちよくないし、むしろ腹の底が冷え切るような気分ではあるが、そこは慣れなんだろうな。 しかし、たった十日で慣れるのだろうか。おまけに周の、あれは、多分指よりも随分と大きい。それに長かった。掴んでも先端がはみ出ていたし、指が届かないほど太かった気がする。 「ん、っ、……っ」 想像したら、中がひくんと動いた。触れたことはそう多くはない。でも、簡単に想像できるくらいには覚えている。 その、大きくて太くて、熱いものがここに入るのかと思うと。 「は……っ、あ、っ」 萎えていたはずの物が形を変えだした。たらりと先走りも流れてくる。自分一人でするなんて虚しいだけと分かっていながら、左手で握りしめた。 そのまま周の香袋に鼻を突っ込んで、思い切り香りを吸い込むと、まるで抱きしめられているような感覚になる。次第に手の動きが激しくなり、それに合わせて中も収縮するのが分かった。 「あ、っ、ああ、……っ、あー……、っ!」 手のひらに生暖かいものが迸り、体の力を抜く。冷えきっていたはずの手は熱を帯び、体は汗でしっとりと濡れていた。 汚れた手は適当に拭い、その日は香袋を抱きしめたまま眠りに落ちた。  

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