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第1話

 叶愛(とあ)は誰もが認める美少年だった。幼少の頃からそれはそれは愛らしく、親、兄姉、親戚、ご近所様から可愛がられ甘やかされ天使の生まれ変わりだと持て囃されて育った。  十六になった今もその可愛さは損なわれず、寧ろ年々磨きがかかっていった。  歳を重ねるにつれあどけなさに徐々に色気を纏い、見る者を魅了する絶世の美少年へと成長した。  道を歩けば通行人は叶愛に目を奪われる。叶愛を愛で見守ろうと活動するファンクラブまであった。  そして叶愛はその人生を心の底から楽しんでいた。どこへ行っても注目を浴び、称賛を浴び、ちやほやされる。それを、心底喜んでいた。  だから美しくあるための努力は惜しまなかったし、周りからの評価を当然のものとして受け入れていた。  その日も、うっとりと見惚れる数多くの視線を向けられながら、叶愛は学校から家までの帰路を歩いていた。たまに声をかけられ微笑み返してやれば、相手は叶愛の美しさに腰を抜かす。  そんないつもの帰り道だった。 「きゃー!! いやぁー!! ナイフを持った男がー!!」  金切り声が響き渡った。辺りは騒然となる。  叶愛も思わず足を止め、振り返った。すると、ナイフを振り回しながら喚き散らす男がこちらに走ってくるのが見えた。男は錯乱状態で、かなり危ない状況だ。今にも近くの通行人に切りかかりそうだった。 「うるせぇ!! 騒ぐんじゃねー!! 騒いだら殺すぞぉ!!」  ナイフを構えながら、男は怒号する。  そのとき、男から少し離れた場所にいた子供が泣き叫んだ。異様な雰囲気と男の怒鳴り声に怯え、火が付いたように泣きだしてしまったのだ。 「黙れクソガキ!! 殺されてーのか!!」  男の脅し文句は子供の耳には届かない。寧ろ男の怒りを感じ、更に泣き声は激しくなった。  そのことに、恐らく正気ではない男が逆上する。 「うるせえぇええ!! 殺してやるぅう!!」  男はナイフを突き出し、子供に向かって駆け出した。 「危ない……っ」  子供を庇うように、叶愛は男の前に立ち塞がった。それは無意識の行動だった。  あっと思ったときには腹部をズップリと刺され、激しい痛みに襲われた。 「っは、ははっ、殺したぞ! ははっ、はははっ、殺してやったぞ!!」  男は壊れたように引きつった笑い声を上げながら、ナイフを引き抜きふらふらと後退る。  叶愛は腹を押さえてその場に倒れた。 「いやああああ!!」  周りから絶叫が次々と上がった。 「叶愛様があぁ……!!」 「いやあぁ!! 叶愛様、叶愛様あぁ……!!」 「早く、救急車を……!」 「警察が来た!」 「それより叶愛様よ!!」 「国宝級の美貌が!!」 「私達の叶愛様が……!!」  叶愛を愛で見守るファンクラブ会員達の声やパトカーのサイレンやバタバタと響く足音が遠くに聞こえる。 「お、おにぃちゃぁん……っ」  地面に倒れる叶愛を見て、子供が泣きじゃくる。  叶愛はその子に向かって微笑んだ。研究に研究を重ね、どの角度からも美しく見える完璧な笑顔を浮かべる。 「君が無事で、よかった……」  子供にそう言葉をかける。  叶愛は完全に自分に酔っていた。子供を庇い、儚く命を散らす自分の美しさに。  刺された傷は信じられないほど痛い。死ぬほど痛い。血はどくどく流れて止まらないし、体はどんどん冷たくなっていく。しかし痛みに顔を歪めることはしなかった。美しく微笑みながら死にたかった。  幼い命を救い、称賛を浴び、惜しまれながらこの世を去る。自分に相応しい死に方なのではないかと叶愛は自画自賛した。  かといって、別に死にたいと思っているわけではない。生きられるなら生きたい。まだまだちやほやされ足りないし、これから叶愛はもっともっと美しく成長するはずだったのだ。美少年から美青年、美紳士へと変貌を遂げていく自分の姿を見られないのが心残りだ。  生まれ変わるのなら、この顔で生まれ変わりたい。もっともっと美しさに磨きをかけ、そして今度こそ満足するまで生き抜いて。美しさを褒め称えられながら安らかに死にたい。  そんな願いを胸に、叶愛は意識を手離した。  叶愛はゆっくりと目を覚ます。パチパチと瞬きしながら上半身を起こした。  ぼんやりと周りを見回す。木々の生える森の中に、叶愛はぽつんと一人でいた。 「え、どこここ……」  ぽつりと呟く声に答えが返ってくることはなかった。  ハッとして、腹部に触れる。そこに傷はなかった。血もついていない。制服に穴もあいていない。  自分は確かに刺された。だって死ぬほど痛い思いをしたのだ。子供を庇って刺されて、恐らく死んだ。  つまり、ここは天国か。  叶愛はキョロキョロと周囲に視線を向ける。  太陽の光が射し込み葉っぱがキラキラと輝き、目に映る光景は綺麗だ。神秘的な空気を感じないでもない。  天国だとして、どうしてこんなところに一人で放置されているのだろう。天使とか神様とかが迎えに来るのではないか。まさか忘れられているのか。  ぼうっと座り込んでいるのも暇なので、叶愛は立ち上がり歩き出した。迎えが来るまで辺りを散策でもしていよう。  叶愛のような美少年がこんな清浄な空気に包まれた森の中を歩く姿など、さぞ絵になることだろう。写真を撮りたい。後世に残したい。その美しさを称えられたい。  そんなことを考えながら歩いていると、森の中に泉を発見した。  水面が太陽の光を反射してきらめき、とても綺麗だ。綺麗なものは漏れなく叶愛に似合う。  叶愛は自然と泉へ近づいていった。  淵に膝をつき、水面を覗き込む。  その瞬間。 「ぎゃああああ!?」  叶愛は美少年らしからぬ絶叫を上げて後ろに飛び退いた。  今、恐ろしいものを見た気がした。いや、そんなわけはない。きっと今のは見間違い。目の錯覚。水面が揺れていたから歪んで見えただけだ。  早鐘を打つ心臓を宥めながら、叶愛は恐る恐るポケットに手を入れる。ポケットに常に入っている鏡をそっと取り出した。 (違う違う違う。絶対そんなわけない。そんなのあり得ない。大丈夫。大丈夫だから!)  自分に言い聞かせながら、叶愛は鏡を目の前に持ってくる。  そしてチラリと鏡面に視線を向けて。 「うわあああああ……!!」  再び絶叫した。 「か、か、顔っ……僕の、顔が……!」  食い入るように鏡を見つめる。何度瞬きを繰り返しても、痛くなるほど目を擦っても、映る自分の顔は変わらない。 「なんだよ、この顔は……!!」  叶愛は蒼白になり、鏡の中の自分に向かって叫ぶ。  絶世の美少年ではない、どこにでもいそうな平凡な自分の顔に向かって。 「どういうこと!? これが……この平凡モブ顔が僕……!?」  一体どうなっているのだろう。体格や年齢は変わっていないように見える。だが首から上が、すげ替えられたかのようにまるで違っている。  外国の血が流れる色素の薄かった髪は真っ黒になり、なにもしなくてもくるんと巻き上がっていた長い睫毛も、常にきゅるんと潤んでいた瞳も、すぅ……っと通った芸術的な鼻筋も、ほんのりと赤く色づく滑らかな頬も、ぷるんと果実のように艶やかな唇も、なにもかもが失われなんの特徴もない平凡な顔立ちになっている。見れば見るほど平凡だ。すれ違っても誰の目にも留まらないようなモブ顔だ。 「ど、どうして……なんで……!?」  よくよく聞けば、鈴の音を転がすようだった涼やかな美声もなんの変哲もない声に変化していた。  叶愛はパニックに陥る。命よりも大切にしていたものを奪われ、死んだときよりもショックを受けていた。  鏡をポケットに戻し、うろうろと歩き回る。 「いやいやいやいや、あり得ない、こんなのなにかの間違いだ……」  ぶつぶつと呟き徘徊するその様は端から見るととても怪しかったが、叶愛は今それどころではないのだ。 「そうだ、これは夢なんだ……っ」  自分は死んでなんかいない。刺されたのも夢。そして今もまだ夢を見ているのだ。目を覚ませば、いつもと変わらない美少年の自分がそこにいるはずだ。 「よし、目を覚ますために一旦寝よう!」  叶愛はその場に横になった。完全に現実逃避だった。現実を受け入れられず、眠れば全てをなかったことにできると混乱する頭でそう思い込んだ。  だがそもそもこんなに興奮状態で眠れるわけもなく、けれど叶愛は固く目を閉じて眠りが訪れるのを待った。 (眠れ眠れ眠れ眠れ……!!)  まるで呪いのように頭の中で繰り返す。寧ろ逆効果だが、平静さを失っている叶愛は気づかない。  そのとき、複数の足音が聞こえた。  叶愛は思わずパチリと目を開けた。 「確か、叫び声はこっちの方から聞こえたよね」  そんな声が聞こえてきた。叫び声とは、叶愛の絶叫のことだろう。 「あっ、あそこに人が倒れてる……!」 「クリス王子、危険です、無闇に近づいては……!!」  バタバタとこちらに足音が駆け寄ってくる。 「君、大丈夫かい? 一体どうしたんだ?」 「いけません、クリス王子! 危険です!」  クリス王子と呼ばれる人物が制止を振り切って叶愛の背中に腕を回し、そっと上半身を起こした。  そして、叶愛とクリス王子と呼ばれた人物の目がばっちりと合った。  王子と呼ばれるに相応しい、二十代半ばくらいの美貌の青年だった。サラサラと流れるしなやかな金髪に、輝く宝石のような碧眼。まさに絵に描いたような王子様だ。叶愛は自分が一番美しいと思っているので、ぼうっと見惚れたりはしなかったけれど、金髪碧眼の美貌を間近で見て僅かに目を見開いた。  そして青年もまた、同じように叶愛を見て驚いたように目を丸くした。 「き、君、名前は…………?」 「あ、え、叶愛だけど……」  震える声で尋ねられ、つい答えてしまった。 「叶愛……君は……」 「は……?」 「可愛い!!」 「んむぅぅ!?」  いきなり、避ける間もなくぶちゅうっと唇にキスされた。  突然のことに、叶愛は目を白黒させる。 「お、王子、なにを……!」 「クリス王子、いけません……!」  クリスの背後に控えていた兵士っぽい格好の人達が慌てふためいている。  叶愛は生前に守り抜いてきた唇を奪われたショックに愕然としていた。その間にも、深く濃厚な口づけを続けられた。激しく唇を貪られながら、叶愛はピクピクと全身を痙攣させた。  濡れた音を立てて、唇が離れる。  放心状態の叶愛の目に、恍惚とこちらを見下ろすクリスの顔が見えた。 「ああ、可愛い、叶愛、叶愛」  熱っぽく囁き、クリスはべろべろと叶愛の顔面を舐め回す。  犬のように夢中で舌を這わされ、呆然としていた叶愛は漸く我に返った。 「んぎゃぁあああ!! 気持ち悪い!! なにすんだよ変態!!」  叶愛の繰り出した拳が、クリスの顎にめり込んだ。そのまま、クリスは後ろに倒れた。当たりどころが悪かったようで、気絶している。 「王子ー!!」 「クリス王子!!」  途端に兵士っぽい男達が騒ぎだす。腰にさげていた鞘から素早く剣を抜き、その切っ先を叶愛の喉元に向ける。 「ひっ……」 「貴様! クリス王子になんてことを……!」 「いや、だって悪いのはこのセクハラ変態男の方で……」 「黙れ!」  言い訳など聞いてもらえず、叶愛は地下牢に投獄されてしまった。 「なんで僕がこんな目に……」  じめじめとした雰囲気のカビ臭い牢屋の中で叶愛は呆然と呟いた。  どうやら叶愛が目覚めた場所は森ではなく、塀に囲まれた城の敷地内。無駄に広い庭だったらしい。その庭を、護衛を連れて第三王子のクリスが散歩をしていた。その途中、叫び声を聞いて駆けつければ倒れている叶愛を発見した。実際には倒れていたわけではなく寝ていたのだけれど。そしてクリス王子は倒れる叶愛を助け起こし、なぜかいきなりキスをして顔中を舐め回した。その結果、叶愛は第三王子に暴力を振るった罪で投獄された。城の中を見る余裕もなく、問答無用で地下牢へ連行された。 「一体、どういうことだよ……」  一人になり、漸く冷静にものを考えられるようになってきた。  恐らく、多分、やはり叶愛は死んだのだ。動揺して夢だと思い込もうとしたけど、あの痛みはどう考えても夢ではない。叶愛は刺されて死んだ。そして、信じたくはないけれど、この平凡モブ顔で生まれ変わったのだ。叶愛が生前に暮らしていた世界とは違う世界に。  こんな平凡モブ顔に生まれ変わってしまっただけでも最悪なのに、このままだと確実に処刑されてしまうという更に最悪な展開になってしまった。 「すぐに殺されるなら、なんの為に生まれ変わったんだよ!?」  ショックは怒りに変わり、叶愛は憤怒の形相で硬い地面の上を転げ回る。 「そもそもなんでこんな顔で生まれ変わるわけ!? 善行の果てに命を落としたんだぞ!? それなのにこの仕打ちってどういうこと!? こんな顔でわけわかんない世界に連れてこられて、一体僕がなにしたって言うんだよ!? 誰だよ、こんなことしたの!! 僕の美しさに嫉妬した誰か!? 僕を妬んでこんなことを!? こんなことする暇があるなら自分の美しさを磨けよ!! だから僕に勝てないんだよ!!」 「うるさいぞ!!」  上から怒鳴り声が降ってきて、叶愛はビクッと硬直した。地面に転がったままそちらへ顔を向けると、見張りの兵士が憮然とこちらを見下ろしていた。 「一人で喚きやがって。騒いだってどうにもならないんだ。大人しくしてろ」  このまま大人しく待っていたら、叶愛は処刑されるだけだ。それは嫌だ。  踵を返そうとする兵士を、叶愛は呼び止める。 「ま、待って、行かないで……っ」  叶愛の声に、兵士は渋々振り返る。 「なんだ」 「な、なんか、お腹が、痛くて……っ」  叶愛はいやらしい手付きで制服の裾を捲り、腹部から胸元を露にする。そうしながら、艶っぽく潤んだ瞳で兵士を見上げた。 「貴方が撫でてくれたらきっと治るから……だからお願い、僕のお腹、撫でて……?」  可愛く首を傾げ、甘えるように叶愛は言った。  兵士はそれはそれは冷めきった目で嘲笑する。 「なに気持ち悪いこと言ってるんだ。一人で腹でもなんでも摩ってろ」  そう吐き捨てて、兵士は今度こそ離れていった。 「き、気持ち悪い!? 誰に向かって言ってんだよ!!」  叶愛の怒号が虚しく響き渡った。 「くっそー……!! こんな顔じゃ、色仕掛けもできないじゃないか……!」  死ぬ前の誰をも魅了する美少年顔だったら、あの失礼極まりない兵士だってコロリと騙されてくれたはずなのに。  立ち上がり、鉄の檻をギリギリと握りながら歯噛みする。   (もう助かる方法はないっていうの……)  頼る人もいない。自分の武器である美貌も失い。一人ぼっちで、叶愛の心は折れそうになる。  そんなとき。 「クリス王子……!?」  驚く兵士の声が聞こえた。 (クリス王子って、あの変態王子? ここに来たの? まさか僕に文句でも言うつもり……?)  思い切り顔を殴ったのだ。叶愛に恨み言の一つや二つ、言いに来たのかもしれない。けれど叶愛は、自分が悪いことをしたなんて思っていない。被害者はこちらの方だ。キスされた上に顔中舐められたのだ。当然の報いだろう。一発殴るだけじゃ足りないくらいだ。  謝罪を求められたって、絶対に謝ってやるものかと、叶愛はこちらに近づいてくる王子様面した変態を睨み付けた。 「ああ、叶愛、ごめんね。今の今まで気絶してて、君が牢屋に入れられているなんて知らなかったんだ……っ」  申し訳なさそうに眉を垂れたクリスにそんな言葉をかけられて、叶愛は出鼻をくじかれた。 「ほんとにごめん、こんな狭い場所に閉じ込めて」  クリスは心から謝っているように見えた。  つまり、彼は自分が加害者だと自覚しているのだ。ならば、叶愛が処刑される理由はない。 「悪いと思ってるなら、さっさとここから出してよ」  高慢な態度で言えば、クリスの背後に控える護衛が思い切り眉を顰めて苛立ちを露にした。平民の平凡なガキが王子に向かって偉そうな口聞いてんじゃねー、みたいな顔で叶愛を睨んでくる。  背中を向けているクリスはそれに気づかず、項垂れた。 「ごめん。それはできないんだ……」 「はあ!? なんで!?」 「私が許しても、それでは周りが納得しないんだ。私は第三とはいえ、王の血を引く王子という身分だから……さすがに暴力を振るってお咎めなしというわけにはいかない」 「そ、それじゃあ、僕はやっぱり処刑されるってこと!?」 「処刑か、私と結婚するか、どちらかを選んでほしい」 「…………は?」 「私と結婚するなら、私への暴力は不問にできる。私の妻という身分が君にできるからね。でも、拒むなら君を助けるのは難しい。なにせ君は城の敷地に不法侵入した不審者だ。そんな怪しい少年が王子に暴力を振るって許されるなんてあってはならないからね」  そう言って、クリスはにっこりと笑う。親切面したその瞳の奥に、どろどろした叶愛への執着を感じた。叶愛を決して逃がすまいというような執念をひしひしと感じるのだ。  叶愛に対する頭のおかしい行動を思うに、どうやらこの変態王子は信じられないことに叶愛に好意を抱いているらしい。濃厚なキスをして可愛いと繰り返し顔面を舐めるなんて、好きでなければできない。つまりこの王子は美的感覚が大幅にずれているのだろう。見張りの兵士やクリスの後ろに控える護衛の態度を見る限り、叶愛のこの平凡モブ顔がこちらの世界では誰にでも愛される顔というわけではないのだ。寧ろクリス以外には完全に見下されている。  叶愛の味方はこの変態王子ただ一人で、彼との結婚を拒めば処刑は免れない。助かるには、クリスと結婚するしかないのだ。 「えっと、僕、見ての通り男だけど……」 「そうだね?」  叶愛の言葉にクリスはきょとんと首を傾げる。結婚に性別は関係ないようだ。王族でも同性婚を認められているらしい。 「どうする、叶愛?」  クリスの視線がねっとりと絡み付く。  ぞわぞわと背中に悪寒が走った。  こんな変態の言いなりになるなんて嫌だ。結婚なんて認めたら、どんな変態行為をされるかわからない。 (こいつの思い通りになんてなりたくない……けど……)  死ぬのだって嫌だ。処刑されて死んだら、またどこかで生まれ変わることができるのかもしれない。でも、そんな保証はどこにもない。それに、もし生まれ変われたとしても、今度は平凡以下の醜男になってしまう可能性立ってあるのだ。  それを想像し、叶愛はぶるりと体を震わせた。 (無理だ……怖くて死ねない……)  激しい逡巡の末、叶愛は口を開いた。 「あんたと、結婚する……」  それを聞いて、クリスは花が綻ぶように微笑んだ。 「よかった。そっちを選んでくれて」 「クリス王子、本当に宜しいのですか……?」  早まった真似はしない方がいい。こんな平凡男よりももっといい相手はいっぱいいる。そんな護衛の心の声が聞こえてきそうだ。  いくら平凡モブ顔だからって、そんな正気を疑うような目で見るなんて失礼過ぎないだろうか。  切実なトーンで確認されても、クリスはあっさり頷いた。 「うん。叶愛は今から私の婚約者だ。早くここから出してあげて」  納得はできていないが王子の命令には逆らえないので、叶愛は釈放された。  クリスは叶愛へ手を差し出す。 「じゃあ行こうか、私の叶愛」  言ってやりたい文句を飲み込み、叶愛は彼の手に自分の手を重ねた。

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