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真実とは目に見えぬもの

 結局あの日、俺はあいつを殺さなかった。なぜかって?……あの時の燃え(たぎ)るような嫉妬心を、君を抱く時まで取っておこうと思ったからさ。君の中の奥の壁を突き破る程に “俺自身” を突き上げてやりたい。名案だろう?これなら誰も、傷付きやしないしね。  勘違いしないで欲しい、俺は別に人を傷付ける事に興味なんて無いんだ。俺が興奮する要因はあくまでも君なのさ。君は俺のもの。そして俺のものである君を横取りしようとする輩は放っておけないよね、単純さ。  ………やっとこの時がきた。長らく待ち焦がれたこの瞬間が。今日、君を俺の物にする。 そんなに綿密な計画は立てなかった。何をどう考えても、そんな大罪を犯して一生逃げ切れる訳が無いのは初めから分かっていたからね。失敗して君を逃そうと、成功して君を我が物にしようと、チャンスはこの一度きりって訳さ。  興奮して手の震えが止まらない。俺は業者のフリをしてチャイムを鳴らした。きっと君は一度、覗き穴から確認したんだろうね。ドアを開けた君は驚いた様子ではなかった。 「水道のパイプを点検しに来ました。少しお時間よろしいでしょうか?」君は何の疑いも無く俺の言った嘘を信じた。そんな君が愛おしくて、つい抱きしめてしまいそうになる自分を抑えるのに大分苦労したよ。 数日前にホームセンターで買って来た工具セットを片手に持ち流しの前に行くと、工具入れにあらかじめ入れておいた睡眠薬の錠剤が入った小さな容器を取り出す。君がいつも白いマグカップを愛用している事は知っていた。……そうそう、これに違いない。中にお茶が入っているみたいだね、まだほんのり温かい、淹れてからそんなに経ってないみたいだ。俺はそのマグカップの中に睡眠剤を一度砕いて溶けやすいようにしてから適量入れた。三十分くらいだろうか、君が深い眠りにつくのは……はぁ……もう興奮してきてしまった。だって考えてもごらん?ほんの三十分後に、俺はもう君の中に居るかもしれないんだよ。おっと……いけない、今はまだ、役を演じ切らないと。  君が台所に忘れたマグカップを取りに俺の元へと歩いてくる。……あぁ、なんて素晴らしい気分なんだ。まるで半日離れて過ごしていた恋人同士が再開したような、そんな気持ちさ。少し切なく、愛おしく、君の足音を数えるんだ。 コップを手に取り、一口飲んだのを俺は横目で確認した。少し多めに入れておいたから、最悪飲み切らなくても効果はあるだろう。  十五分ほどたった時、君がカーペットに上に寝ころんだ。ただくつろぎたかっただけなのか、薬の効果があったのか、俺は確信することが出来ずにもうしばらく様子を見る事にした。 ………いくら何でも早過ぎる。ここでしくじれば全てが水の泡だ。 あれから十分ほど経ったが、君はさっきと全く同じ場所で倒れている。 ………寝たのか?俺は恐る恐る、顔を確かめに行く。そっと体をこちらに向かせると、君は目を閉じていた。一応念のため「大丈夫ですか?」と三回聞いた。君からの返事は無く、薬が効いたことをこの時確信した。  俺は君を抱えてベッドの上にその体をのせると、まずそっとキスをした。これが君の匂いなのか。思っていたよりも良い匂いだ。髪の毛が軽くてふわふわしている……匂いを嗅ぐと、シャンプーの香りがまだ強く残っていた。きっとさっき風呂に入ったばかりなのだろう。俺は君の着ている服の上からその身体にこの手を這わせる。そして君が退屈しない様に、手を這わせている間もキスを止めない。最初に上唇を舐め、次に下唇を舐め終わると、この舌を俺の唾液で濡れた君の上下の唇の間にねじ込む。君ってこんな味がするんだね……絶品だよ。今後はもう一切、何も口に合わなくなってしまいそうだ。その瞬間、君の舌が一瞬動いた。「…………!!!」嘘だろ、薬が効いてなかったのか?君は両腕を俺の首に回し、目を大きく開き「捕まえた。」と言った。 …………どうする?逃げる?いや、もうお終いだ……。失敗だ。 「ねぇ、ストーカー君。」  君は俺の瞳をじっと見つめ、その手で俺の手を掴むと自分の首に絡ませた。 「俺を、殺して。」  殺す………?そうか、その手もあったか。上手くやれば逃げられるかもしれない。そして君がそれを望んでいる以上、自殺で済ませる事も出来るかもしれない。俺はこの手で君のその首を絞めつける。君の息が、段々と細く聞こえてくるんだ。  ………こんな事に、何の意味がある?  君の居ない世界で俺は何を楽しみに生きていけばいい?初めから、君を殺すことなんてこれっぽっちも考えた事は無かった。  君の好きな色は原色に近いくっきりしたネイビーブルー、好きな音楽のジャンルはラブソングが中心のポップス。ご飯よりもパン食派で、寝る前は必ずストレッチをして寝る。朝は6:30にセットしたアラームの音で一度目を覚ますが、スヌーズを繰り返し結局起床するのは7:15。アパートの隣の一軒家の庭で飼われている雑種のソラと言う名の犬を撫でてから通勤するのが日課で、料理はあまりしない、毎晩買って来た惣菜で晩酌をしている君の体調が、時々心配だった。俺は君の全てを知っていて、それが俺の自慢だった。  全てを知っていた?………俺は君の、何を知っていたんだ?  俺は今日、犯罪を犯すつもりでここに来た。二年間付きまとっていた男を、ついに俺のものにするために……。 君の涙を人差し指でそっとすくう。俺の指先に、大きな水溜りができた。 「あんたが俺に付きまとってたのはずっと前から知ってた。男にこんな風にされたのは初めてだった。でも……一瞬寂しさが紛れたよ、ありがとうストーカー君。遺書はそこの箪笥の一番上の引き出しに入ってる、俺を殺したらテーブルの上に置いといて。」  ……それが君の望みなら、それが俺の愛する君の願いなら……俺は叶えてあげるべきなのか? 「俺が原因か?君が死にたいと思うのは。」 「いや、違う。ずっともう何年も職場の同僚から嫌がらせを受けてて。上司からは毎日のようにゴミ扱い。……俺がこの世に存在している意味なんて、()ぇんだよ。誰も俺を必要としてない。」 「俺には君が必要だ。君の居ない世界に、俺の存在する意味は無い。君がどうしても死にたいのなら、君を殺した後に俺も死ぬよ。」  ……だってそれしか他に、無いだろう?君はまだ分かってないかもしれないけれど、君の行く場所に俺は必ず行くよ。……それが隣町であろうと、あの世であろうと。 そしたら君は驚いた顔をして、こう言ったんだ。 「……何言ってんだよあんた、ダメだよ。俺の為に誰かが傷つくのなんてそんなの、ダメだよ……!」  君は自分の立場がよく分かっていないのかな?君に惚れ込んでいる俺に向かって偉そうにそうやって、勝手に自分の値札に割りに合わない安い値段を書き込んで、その命を簡単に売ってしまおうするもんだからつい頭にきてしまうよ。……少し、お仕置きが必要みたいだね。 「黙れ………!!!」  俺は怒鳴った。そうだよ、君を怯えさせるために。 君は俺のものなんだ……そんな君がさ、勝手に死のうだなんて許さないよ。君の命は俺のものなんだから。その苦しみも、涙も、全て………。 俺の知らない所で、俺の知らないどこぞの誰かが、俺の知らないやり方で、俺の大切な君を傷付けてさ……そいつらを殺していいかな? 怒りが込み上げてしまって仕方が無いよ。やり場が無いんだ……腹が燃える様に熱いのにこの思いを全て君に知ってもらう事ができないから。 その髪の毛の一本一本からつま先まで、この目にしっかりと映っていたはずの君の全てが……何一つとして俺にはちゃんと見えてはいなかったんだね。  許せないよ。君のそんな苦しみを、俺は何も知らなかったなんて。 「頼む、殺してくれ……。」  ………もう、何も言うな。悲しい事しか言えないその口を、もう開くな。俺はそう心の中で叫び続け、その弱々しく可哀そうな君の口を俺のこの口で必死に塞いだんだ。だってそうすればもう、哀しい言葉はその口から滑り出てはこないだろう? ……俺に首を絞めさせようとした、君のその憎い手、指を、俺のとしっかりと絡め合わせよう。もっと、もっと深く、強く……もう、君が迷子になってしまわないように。  泣いている君は水の底に輝くサファイアのように美しいよ。そして怯えた君は、森で偶然出くわしたシマリスのように可愛らしい。  だけど………。  いつも窓から見つめていた、カメラのレンズ越しに映っていた………君には笑顔が一番似合うから。  散々君のことを追い回していたストーカーからこんな事を言われても、嬉しくなんてないだろう。………気持ちが悪いだろう。だけど、それでも言わせてくれ。 俺は君の唇を、今度は優しく………そっと奪った。 「愛してる………。」  俺のこの想いが届かなくても、この想いが間違った形をしていても、それでも俺は、この想いを『愛』と呼ぶよ。  たとえ君が、この気持ちに応えてはくれなくとも………。  純粋で一途な愛情が強まり過ぎた時、それは科になり得る。 Insane Love, The First Recorded ーENDー

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