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*** とある昼休みの職員室で、はあ、と深い溜め息と共に席についたのは恋矢(れんや)だ。 隣の席でパンにかじりついていた(まき)は、物珍しそうに恋矢を見やった。 「随分疲れてんな、何だよ、厄介事?」 「まぁ、ある意味ね。本当、愛されてるよ、あなた」 唐突に話の矛先が自分に向けられ、槙は皮肉を言われていると思い顔を顰めた。 「はぁ?愛されてるのはそっちでしょ、まーた女子生徒はべらせてるから、教頭怒ってたよ」 だが、恋矢にしてみれば、そんなのどこ吹く風のようだ。彼は椅子の背に背を預けると、優雅な仕草で足を組み、わざとらしく肩を竦めた。 「まぁ、仕方ないよね。それで生徒のやる気が引き出せてるわけだし?」 「うわ、言ったよこいつ」 「大丈夫、手なんて出してないから」 「当たり前だろ」 「出されてる奴に言われてもねー」 「……」 「はは、嘘うそ」 ぽん、と背中を叩かれるが、槙はふて腐れたようにデスクに突っ伏した。その様子に、恋矢は、ふと首を傾げた。 「なに、そっちこそなんかあった?」 「…なんも」 「ん?」 「…なんもない」 「…うん?」 恋矢が尋ねるように聞くので、その声の優しさにつられ、槙はのそのそと体を起こした。 「なんもなくてさ、あの墓参りに行ってから」 何が、と言わずとも、織人(おりと)の事だと伝わっているのだろう、恋矢は悪戯に口元を緩めた。 「ふーん、寂しいんだ」 「うん…いや、別にそうじゃないけど!授業もちゃんと受けてくれるし、ちゃんとさ、バイトもやって、家帰って、ちゃんと」 そう、織人はちゃんとしている。だからか、最近、織人が家にやって来ない。いつもなら、週に二、三日は呼ばずともやって来るのに、文人(ふみと)の墓参りに行ってから二週間、織人が槙の家に来る事はなかった。 いや、実家に帰るのはそれこそ当然のことだ、槙だって織人に、家に帰らなくて良いのかと、何度となく言ってきた。 けれど、それが実際に起こってみると、これはこれで落ち着かない気持ちになる。 「懐いた子犬が大人になって寂しいんだね」 「うん…いや、そうじゃないって、だから」 「あ、そっか。大人の男なのは十分知ってるもんね」 「うん…いや!だからー!なんなのお前!本当なんなの!」 「ははは!知らないよ、さっきから“うんうん”言ってるの、槙ちゃんでしょ」 「もー、いやだー」 「はいはい、大丈夫よ。その内またすり寄ってくるんだから」 ぽん、と最後に肩を叩き、恋矢はさっさと気持ちを切り替えて、自分のお昼にありついた。自分で作ったのか、それとも誰かに作って貰ったのか、恋矢のお昼は手作りのお弁当だ。つやつやの玉子焼きを横目に見ながら、槙も残りのパンを口に押し込み、胸に渦巻くもやもやを、パンと共に喉奥に流し込んだ。 五限目の授業が始まって、槙は生徒達に問題を解いて貰っている間、ふと窓の外へ目を向けた。外では体育の授業が行われていて、百メートル走のタイムを計ってるようだ。 あ。 思わず次の走者に目を止めた、織人だ。スタートの合図で、彼は一気にゴールへ駆け抜けていく。周囲からは歓声が上がっている、恐らく好タイムが出たのだろう。 相変わらず速いな、あいつ。 勉強もスポーツも、何をやらせてもちゃんと良い点を取れる。毎日遅くまで働いているのに、一体いつ勉強をしているんだろう。 「…ちゃんと食ってんのかな、飯」 「槙ちゃーん?もう皆、解き終わってるよー」 「え、あ!ごめんごめん!」 槙は慌てて授業に意識を戻した、他の生徒に授業を教えているのに、織人の事ばかり考えていてどうするのだと、槙はそんな自分を叱咤して、黒板に向き直った。 その頃、校庭では、織人も教室の窓を見上げていた。 「…昼飯ちゃんと食ったかな」 頭に思い浮かべるのは、槙の事だ。槙は織人の心配をしていたが、普段、生活面において心配されているのは槙の方だ。ご飯は勿論の事、自分が行かない事で部屋は荒れていないか、洗濯物は溜め込んでいないかと、織人の心配は尽きない。 その内、思案する織人の元に、クラスメイトの男子達がわらわらと集まってきた。織人は校内で怖がられている節があるのだが、このクラスの中では、織人を怖がる生徒はいないようだ。 「都築(つづき)、相変わらず良いタイム出してくるなー。フォームも綺麗だし、いつ陸上部に入ってくれんの?」 「入んない」 「じゃあ、うちのサッカー部は?」 「入んない」 「じゃあ、」 「入んない」 即時に却下される部活の勧誘に、男子達は嘆き、「もうちょっと考えてくれよ!」と、今度は勝手にプレゼン合戦が始まった。織人が真面目に授業を受けてるこの機会に、どうにか織人を部活に引き込もうと、皆必死な様子だ。 すっかり囲まれてしまった織人は、どうしたものかと、溜め息を吐いた。 こんな事なら、いつも通り授業をサボれば良かった、でも、そういう訳にいかない。織人はプレゼン合戦には目もくれず、再び校舎を見上げる。織人の原動力は、いつだって槙にあるのだ。 「じゃあ、演劇部なんてどう?」 「…は?」 これも槙の為だと思えば辛抱出来る、そんな風に思っていた所へ、新たな勧誘の声が飛んできた。なんで演劇部に、と疑問を抱いて振り返ると、声を掛けてきたのは恋矢だった。 「…なんでカズがいんだよ」 「先生ね」 「今更」 「今更も何も、ここでは先生なのよ、残念ながら」 わざと肩を竦める恋矢に、織人は面倒そうな顔をした。その内、体育教師から集合の声がかかり、クラスメイト達がぞろぞろ移動を始めると、織人はくるりと踵を返し、皆とは逆の方へ歩き出した。 「おいおい、教師の前で堂々とサボりか?」 「俺の勝手だろ」 「真面目に授業出るって言ってたじゃん」 「タイム計ったから良いだろ」 「でもさー」と、織人を引き止める気があるのか無いのか、恋矢はのんびりと注意をしながらついてくる。織人は大きく息を吐くと、足を止めて振り返った。 「つーか、“先生”が、サボって良いのかよ」 「先生がサボる訳ないだろー。授業ないから、倉庫の整理とか色々あるのよ、次の行事に向けてさ。で?演劇部入んない?」 だったら倉庫の整理に戻れ、と言い返してやりたかったが、その前に肩にのし掛かられ、織人は煩わしそうにその腕を振り払った。

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