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*** 五月に入ってからは、まるで夏のような暑さが続いていた。熱中症対策を早くも万全にとアナウンスが流れる中、(まき)は廊下の窓から、校庭で運動に励む生徒を見つめていた。 もうすぐ体育祭だ、気合いの入れ方は人によって様々だが、織人(おりと)はやる気を出さなくてもエースポジションに入れられてしまい、早速不服そうに顔を歪めていた。 「あいつのクラス気合い入ってんね」 そう言うのは恋矢(れんや)だ。廊下をすれ違う生徒に愛想を振りまいているのが、背中越しでもよく分かる。きゃっきゃと喜んで小走りに駆けていく女子生徒を見送ると、恋矢は槙の隣で同じく校庭に目を向けた。 「居残りで練習があるから、嫌だってぼやいてたよ」 「ふーん」 「あれ、そういう話聞かない?」 「…あいつ、あんま喋んないから」 「この前まで、あんなにベタベタしてたのに、どうしたんだろうね」 槙はちらと、恋矢を横目で見る。どこかとぼけたような言い方に、知らず内に眉間に皺が寄った。 「さぁ、知らないよ。こんなおっさん嫌だって、ようやく気づいたんじゃない?」 「あれ、怒ってる?」 「は?怒ってねぇし」 「それ、怒ってる時の言い方よ」 「……」 思わず黙れば、恋矢は声を押し殺して笑った。ムッとしたが、怒ってる自分がやるせなくて、槙は文句の一つも言えなかった。 「まぁねー、最近あいつモテモテだからなー」 「え?」 「主に後輩に。男女ともに羨望の眼差しよ」 「…へぇ」 「やっぱ運動出来るイケメンは強いよ。ま、俺ほどじゃありませんが」 「生徒と張り合うなよ」 槙は恋矢の肩を小突き、溜め息を置いて歩き出した。このまま織人の事を考ていたら、思考がおかしな方向へ向いていきそうだ。 「ほら、仕事たまってんだから」と振り返れば、恋矢もやれやれといった様子で後をついてくる。 「はいはい。ね、たまにはクローバーにご飯行かない?織人も寂しいんじゃない?」 「行ったら迷惑だよ。このまま離れるなら丁度いい」 「え、なんで?」 「なんでも何も、教師と生徒だから。幼なじみって言ったって、今までの方がおかしかったんだよ」 槙は笑って歩いていく。恋矢は思わず足を止め、再び窓の向こうに目を向けた。 「…雲行き怪しいんじゃない?織人君」 校庭に目を向ければ、案の定、女子に囲まれる織人がいて、恋矢はどうしたものかと顎を擦った。 体育祭には、部活対抗種目がある。これは立候補制の種目で、主に運動系の部活のアピールの場となっているが、今もギリギリの部員数で存続の危機に瀕している演劇部にとっては、部活をアピール出来る絶好の機会だ。なので勿論、演劇部はエントリー済みである。 放課後になると、槙は手芸部に断りを入れてから、演劇部が集まっている空き教室へとやって来た。部活対抗種目について相談する為だ。 「今年は障害物競争だって」 今年は、という言葉から分かるように、部活対抗種目は、毎年競技内容が変化する。 リレーの年もあれば、借り物競争の年もある。何をやるかは、生徒会のくじ引きで決めるのがお決まりだ。 競争といっても、部活対抗戦は、箸休め的な種目だ。それに、一位を取りに行く部活は、運動部の花形と相場が決まっている。 ここで演劇部が狙うのは一位ではない、生徒の受けだ。なんだこいつら面白そう、と思って貰う事が、部員確保への道のりだと考えている。 因みに、どんな競技であれ、最終走者は顧問の教師と決まっている。これは部活の順位に直接影響はなく、エキシビションという感覚だ。リレーをやった時は、生徒がリレーを終えた後に、教師だけで五十メートル走を別にやっていた。 「とりあえず、槙ちゃんはドレス着せたいよね」 「は!?」 部長である女子生徒、折川の発案に、槙はすっとんきょうな声を上げた。 「演劇部員募集中のプラカード首から下げてね。私達もそれ下げて、衣装着て芝居しながら挑むつもり」 折川は眼鏡を押し上げ胸を張る。他の部員を見渡せば、皆もやる気十分で槙を見上げていた。 槙が来る前に、話し合いを進めていたようだ。 「何それ、役になりきってやるって事?」 「ざっつらいと!」 そう親指を立てたのは、男子生徒の速見だ。自信に溢れるの姿は頼もしいが、平仮名で聞こえてくる英語には、教師としては些か心配になる。 「英語もう少し頑張ろうな」と、槙が苦笑えば、「オゥ…」と、切ない嘆きが返ってきた。 「でも、そんなん出来るか?そもそも何の役やるんだよ」 そう尋ねるのは、男子生徒の田島だ。部長の折川は、ここぞとばかりに瞳を輝かせた。 「童話で、物語のリレーしていこうかと思って!分かりやすくいのだと、シンデレラとか白雪姫とか。槙ちゃんいれて三人出れるから、三作で完結にして」 はい、と手を上げたのは、女子生徒の宮地だ。 「なら、シンデレラに絞ってさ、一番が貧しい感じの服の女の子で、二番が魔法使い、最後の槙ちゃんがドレス着るとかは?」 「あ、それでいく?」 「いや、待て、なんで俺だけ女装だよ!男子は参加しないのか!?」 話が纏まりそうになり、槙が慌てて訴え出れば、女子生徒の橘が、困った様子で進言した。 「演劇部をアピールするには、槙ちゃん先生が目立つよねって話になって、より注目を集めるなら、やっぱり女装かなって話に…」 「いや、そういうのは俺じゃなくてお前達が全面に出てやった方が良いんじゃないか?」 「先生は舞台には出ないんだぞ?」と、説得を試みたが、 「男メンバーで女装して演じるの!その方が面白いじゃん!」 という、部長の折川の熱意に押しきられる形で、結局、槙のドレス姿は確定となってしまった。 「嘘だろ…」 頭を抱える槙に、男子生徒の速見と田島が、そっと肩を叩いた。慰めの意味もあるが、同じ境遇の者同士のエールも含まれているようだ。 そんなこんなで、ミーティングは早くも終了した。体育祭までは、各自衣装や小道具、プラカード作りに取りかかる事になった。男子の衣装は、お古の衣装に布を足してリメイクする事になり、早速、手芸部との合同製作の運びとなった。手芸部でも新たに活動の幅が広がった為か、なかなか熱のこもった衣装に仕上がりそうだ。 槙の衣装は、手芸部員が作ってくれる事となった。槙の手先の不器用さは誰もが知るところのようだが、本人は自分の事を不器用だと思っていないので、槙も出来る限り衣装作りを手伝う予定でいる。飾りを縫いつけるくらいどうにかなるだろうと、こんな時だけ、槙は自己評価が高かった。 また、障害物競走は芝居をしながら、という事なので、大声で台詞を言い、演技をしながら障害物を越えて行く事になる。その練習も必要だ。誰も真面目に芝居を見やしないだろうが、こういうものは本気でやるから面白いという見方もあるし、何より、女装までして白けられたら大惨事であると、槙は思っている。 そんな訳で、放課後は、台詞の練習を挟みつつ、生徒と一緒に裁縫をする事になった。 手芸部の使う家庭科室に、演劇部も混ざって賑やかな時間を過ごしている。ふと窓から校庭を眺めれば、織人の姿があった。バイトを減らしているのか、それとも途中で切り上げる予定なのか、リレーの練習に参加しているようだ。クラス対抗リレーは、体育祭の中でも花形の競技だ。 ぼんやりと練習の様子を眺めていると、走り終えた織人に、女子生徒がタオルを渡している姿が目に止まった。途端に、胸が嫌な音を立てて騒めき、槙は焦って目を逸らした。 「いてっ」 咄嗟に体ごと反転させた為、手元に注意を払っておらず、早速、針で指を刺してしまった。 「槙ちゃん大丈夫?」 「うん、やべー刺さった」 「もー、どんくさイケメンなんだから」 「はは、なんだよそれ」 生徒に笑って応じ、親指を舐めれば、広がる鉄の味がなんだか情けなく、虚しさを覚えるようだった。 ちらりと再び窓の外に目を向けたが、もうそこに織人の姿はなかった。

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