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何が、ごめん、なのか。そんな寂しい顔を残してどこへ行くのか。今、槙じゃなきゃダメだと言ったばかりなのに。
そう思えば、槙の胸は途端に不安に襲われ、嫌な音を立て始める。織人が遠くへ行ってしまいそうで、急に怖くなった。
「待っ、」
その背中を見たくなくて、迫る恐怖に突き動かされるように、槙は腕を伸ばしてベッドから出ようとしたが、急に動こうとしたせいか、視界は途端に真っ暗になり、そのままベッドの上に倒れてしまった。それには、さすがに織人も驚き、慌てて槙の体を支えた。
「おい、何やってんだよ」
「ご、ごめん、平気だから」
「平気じゃないだろ、寝てろよ」
「ごめん、」
「わかったから」
「…ごめん」
体を支えてくれるその指先を捕まえて、槙は俯きながら、きゅっとその指先を握った。そのまま、瞼をぎゅっと閉じて、織人の肩に頭を寄せた。
「ごめん…」
織人は、槙の呟いた「ごめん」に、どんな意味が含まれているか、気づいただろうか。こんな風に身を寄せる自分を、どう思っただろうか。
織人の指先を掴んだ指に力がこもれば、まるで行かないでと訴えているみたいで、槙はどうしようもない自分の行動に、ただ、ごめんと繰り返すしか出来なかった。
そんな織人はといえば、突然寄りかかられた愛しい体温に頬を赤らめ、意味もなく周囲を確認すると、ベッドの傍らに腰を落ち着けた。
それから、ぎゅっと目を閉じた槙の表情を盗み見る。織人からは、槙の顔は辛そうに見え、少しでもその気分が和らげばと思い、空いた手でその頭に触れた。さらりとした髪が手のひらに馴染んで、どれくらいそうしていただろうか、気がつくと、槙からは再び寝息が聞こえてきた。
「…ずるいな、あんた」
優しさに満ちた声は、槙に届いただろうか。優しい織人の温もりの中、槙の表情は次第に和らいでいった。
***
その後、体育祭は無事に終わった。槙が倒れてしまったので、代わりに恋矢 が率先して、校庭を駆け回っていたようだ。おかげで、常に恋矢に降り注ぐ教頭の厳しい眼差しも、この日ばかりは幾分和らいだようだ。
槙が次に目を覚ました時、もう傍らに織人の姿はなかった。なんだか少し幸せな夢を見た気がすると、まだどこかぼんやりしたまま仕事に戻れば、流れる汗も爽やかにしかならない恋矢から、織人がリレーのアンカーとして、一番にゴールテープを切ったと聞かされた。
見られなかったのは残念だったなと思い、槙はふと手の平に視線を落とした。まだそこに、織人の温もりが残っているような気がして、そっと手を握りしめた。
生徒の下校が始まる中、午後の部に参加出来なかった分、槙が率先して後片付けに精を出していると、演劇部の面々が顔を見せに来てくれた。
「ごめんな、途中で白けさせたよな」と、槙は申し訳なく謝ったが、部員達はそんな事ないと、心配そうに槙の体を気遣ってくれた。
「それに、演劇部に興味持ってくれた子もいたんだよ!もしかしたら、部員増えるかも!」
部長の折川が気合い十分に言うと、部員達は頷き合い、その明るい様子からは、槙が気にしないよう気遣ってくれている事が伝わってくる。優しい生徒達に、申し訳なさを感じる一方、胸は温かさで満ちていく。今日はお疲れ様会を行うようなので、槙はせめてもの気持ちで費用だけ出させて貰った。ちょっと奮発したので、生徒達も喜んでくれたようだ。
「あまり羽目を外すなよー」と、生徒達を見送りつつ、ふと思う。織人もクラスメイト達に誘われたのだろうか、きっと誘われただろう、何てったって、クラス対抗戦の功労者だ。
「………」
不意に、こうやって自分は、織人の人生から離れていくんだろうなと思った。これから先、織人は沢山の人に出会う、いつまでも進展しない恋なんて追いかけなくても、きっと良い出会いは、この先いくらでもある。
少し眠ったからか、頭の中はどこかすっきりして、追うべき現実がはっきりと見えてくるようだった。槙の向かう道は、やはり織人の元ではないのだと。どんなに心が反発しても、苦しむのは自分だけでたくさんだ。
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