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その後、仕事を終えた槙 は、半ば強制的に恋矢 に付き添われての帰宅となった。
「カズ、もう俺大丈夫だよ」
「まぁまぁ、途中でまた倒れても面倒だろ?」
平気だけどな、と内心思いながらも、自転車を押してくれている恋矢には感謝…なのだが、何となくいつもと様子が違う気がして、槙は小首を傾げた。
どこがと聞かれたら上手く答えられないが、幼なじみだから感じる雰囲気とでもいうのだろうか。単刀直入に聞いても誤魔化されるだけだろうし、槙はそれには触れずに恋矢の後を歩いている。
恋矢は時折スマホを確認しつつ、槙が眠っていた間の体育祭の様子を話してくれていた。
「にしても、あの時の織人 にはびっくりだったよ」
「え?」
「槙ちゃん倒れてさ、多分その前から様子がおかしいのに気づいてたんだな。槙ちゃんがふらっとした時には走り出しててさ、頭とか打つ前に抱き留めてたよ。俺も近くにいたから、連れてってやってって、織人に頼んで」
「…は?」
連れてって、という事は、自分は織人に運ばれたという事だろうか。そんな話聞いていない、槙は軽く青くなった。
「いやー、生徒に運ばせるのもなーとか思ったけど、あいつ絶対俺より筋力あるからさ」
いや、筋力云々ではない。恋矢は槙より少し背が高いくらいで背格好は似ているが、それでも槙を背負えない程、非力ではない筈だ。
「そしたらあいつ、ひょいってさ、軽々と。生徒からは感嘆すら漏れてたね」
「………」
その饒舌に語る様子に、槙はじっとりと恋矢を睨んだ。
絶対、面白くなると思って織人に声を掛けたんだ、人が倒れたってのにこいつ。
恋矢の思惑が知れて、感じていた感謝があっという間に時の彼方へと消えたが、不意にある疑問が頭に浮かんだ。
「え、待って、どんな抱え方されたの俺」
ひょいっとは、まさか、お姫様抱っこってやつだろうか。
シンデレラのドレス姿で、ロングヘアーのウィッグをつけてお姫様抱っこなんて。それも全校生徒の前でだ、一体どんな顔で生徒の前に出れば良いんだ、…いや、もう出てしまったが。織人もなんで何も言わなかったんだ、その前に、織人とどんな顔で会えば良いんだ、…織人にも会っちゃったけど。と、槙の思考は面白い程に回り始め、このままでは、また目を回して倒れてしまいそうだ。
目を白黒させる槙を見て、恋矢は槙が何を考えテンパっているのか予想がついているのだろう、槙があわあわしている横で、堪えきれない、といった様子で吹き出しているのだから質が悪い。
「はは、普通におんぶだよ。なんか手慣れてたな、人運ぶの」
「バイト先でそういう経験あるのかな」と、思考を巡らせ始めた恋矢に、槙はほっとしたのも束の間、槙の胸はまたどんよりとした靄に包まれた。
織人のアルバイト先は、クローバーだけじゃない。クローバー以外のアルバイト先は定期的に変わっているし、年齢を偽って働いている事もあった。槙は、織人のアルバイト先を全て把握している訳ではないが、居酒屋で働いていた事は覚えている。酔っぱらい客を相手にする事もあるだろう、それでも、人を背負う事はあるのだろうか、それとも、やんちゃな仲間とつるんで、誰かを抱えて帰る事もあるだろうか、今は聞かなくなったが、昔から織人には、危なっかしい噂がついて回った。
急に逞しく感じるようになったのも、そういった事が関係しているのかもしれない。もう織人は、槙の後をくっついて歩かないし、槙の家にばかりいる訳じゃない。過去にだって、槙を寄せ付けない時期はあった。
ずっと近くにいると思って、それで分かった気になっていただけで、織人について知らない事の方が多いように思う。咲良のアトリエに通っていた事もそうだ、こんな事で寂しさを感じるのはおかしいのに、なんだか織人がどんどん遠くへ行ってしまう気さえする。
「迷わず抱え上げて、かっこ良かったけどね」
恋矢の言葉に、槙は曖昧に笑みを浮かべるしか出来なかった。
「自転車ここで良い?」
重い気持ちに思考を持っていかれている内に、気づくと槙のアパートに着いていて、恋矢が駐輪スペースに自転車を停めてくれていた。槙ははっとしたように顔を上げて、慌てて鍵を取り出した。
「う、うん、ありがとう。上がってく?」
自転車に鍵を掛けながら言えば、恋矢は一度スマホを確認してから、うん、と笑顔で頷いた。
先程から何度か見かける行為に、この後、予定でもあるのだろうかと思ったが、でも、もし予定があるなら、槙の誘いを断る筈だ。槙は再び不思議に思いながらも、先に階段を上がって行く恋矢の後ろ姿を見ながら後に続いた。そのまま部屋の前までやって来ると、部屋の中から、ガタッと大きな物音がした。
「え、」
反射的に台所脇の窓へ目を向けたが、窓に明かりはない。もしもの為に合鍵を渡しているのは龍貴 だけだ、もし龍貴が中に居るなら、部屋の明かりは点けている筈。
「…今、音しなかった?」
「…そう?気のせいじゃない?」
恋矢は素知らぬ顔をして答えたが、槙には何かを隠しているように思え、眉を寄せた。
「…カズ、お前何かやった?」
「え?何を?何の為に?」
きょとんとして、恋矢は答える。その表情に一瞬騙されそうになるが、いや、この男は昔からこういうのが上手のだと思い直す。恋矢とは長い付き合いだ、どんなに巧みに嘘をついても、嘘をついてるかどうかは何となく分かる。
「なによ、そんなに疑うなら自分で確かめてみたら良いじゃない。そもそも俺は、何しようにも部屋の鍵持ってないんだから」
「…まぁ、確かに」
それなら、龍貴から借りた可能性もあるが、槙はそこまでは頭が働かないようで、ふむ、と納得した。だが、次の瞬間、顔を青ざめさせて勢いよく顔を上げた。
「待ってよ!じゃ、じゃあ泥棒?」
「盗まれるもんなんかないでしょ」
「そうだけど…って、お前が言うなよ!自分で言うならともかく」
失礼だなと、槙がむくれれば、恋矢は溜め息を吐いて槙の背中を押し、その体をドアに向かわせた。
「もう、ここで騒いでたらご近所に迷惑になるよ。ほら、なんかあったら俺もいるから」
「…わかった、…そこ離れるなよ!」
「はいはい」
軽くいなすような返答は腑に落ちないながらも、確かに玄関先で騒いでいたら迷惑なので、槙はぐっと口を噤んだ。
恋矢の暮らすマンションと違い、セキュリティもなく壁も薄い安アパートだ。泥棒も、わざわざこんな部屋に忍び込まないだろう。槙はそう自分を勇気づけ、小さく深呼吸をしてから鍵を回した。
どうか、何事も起こりませんように。
願いながら、恐る恐る玄関のドアを開けていく。
「……え」
ふわ、と風が起こった気がした。
目の前に現れたのは、夜空の下で咲く、青い花の花畑だった。
「うわ…え、なんで、」
部屋の明かりはついていないが、床には小さな丸いライトが、ぽつりぽつりとその灯りを灯している。その灯りに浮かび上がるのは、青い花が描かれたキャンバスで、それが部屋中に立て掛けられ、小さな部屋の中を彩っていた。天井からは、微かな光を放つ小さな星飾りが、ぽつぽつと吊るされている。
何故、自分の部屋がこんな事になっているのか。
ぽかんとしていると、部屋の奥から、パンッパンッと、クラッカー音が響いた。加えて、「誕生日おめでとう!」という声が飛び込んでくる。驚いて顔を上げると、そこにいたのは、咲良 と龍貴だった。
突然の事に訳が分からず、驚きのままよろけた槙を、恋矢が後ろから支えてくれた。
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