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*** ベランダの戸の向こうには、ジリジリと熱い太陽が照りつけ、蝉が景気良く鳴き声を上げている。これだけ大きな声が聞こえるのは、アパートの近くにある桜の木に止まっているからだろう、青々と生い茂る桜の葉は太陽に照らされ、キラキラと輝いていた。 ここは(まき)の部屋だ、槙が謹慎処分となり、学校は夏休みに入った。咲蘭(さくらん)高校には、もう戻れない、きっと、教師も辞める事になるだろう。 「もう、教師は出来ないのか…」 クーラーの効いた部屋で、ベランダの窓越しに空を眺めながら槙が呟けば、向かいに座っていた龍貴(たつき)は、「そんな事ないっす!」と、槙の両肩を掴んで揺さぶった。 テーブルに足が当たり、麦茶の入ったコップが倒れそうになる。 「坊っちゃんが頑張ってきたこと、俺は知ってますから!何なら教育委員会に殴り込んだって良いんすよ!」 昔の血が騒ぐのか、龍貴は爽やかな顔つきを、出会った頃のように目をつり上げるので、槙は「気持ちだけで良いよ」と、苦笑いつつ、龍貴の気持ちを宥めた。 こんな事なら、いっそクビにしてくれたら良いのに。そんな風に思いながら、槙が手を伸ばすのは、胸元のペンダントだ。 もし教師じゃなくなったら、|文人《ふみと》の生きる筈だった未来も絶たれてしまう。そうなったら、ますます文人の存在がこの体から抜け落ちてしまいそうで怖かった。 「大体、坊っちゃんが何したって言うんすか!過去は過去っすよ!そんな事言い出したら、俺なんか元組員すよ!それでも、ちゃんと働かせて貰ってるんすよ!」 「まぁまぁ、とりあえず食え。腹が減ってはなんとやらでしょ」 相変わらず憤慨している龍貴をあしらうように、咲良(さくら)が三人前のチャーハンをテーブルに並べた。 槙が謹慎処分を受けてから、咲良と龍貴は槙を心配して、ちょくちょく顔を見せに来てくれていた。 「槙ちゃん、まともなもん食ってないんだろ?」 「…ごめん、買い物行くのも二の足踏むっていうか、はは、なんで同じ事繰り返しちゃうんだろ」 身辺に気をつけていたとは言えない。まさか自分の過去を知っていて、今になってこのように貶めるられるなんて思いもしなかった。救われても良いのかな、なんて、自分だけ幸せになろうと少しでも思った自分への罰だと、槙はただ自分が情けなかった。 「…今の事は置いといて、昔の事はなんでバレたんだろうな。それがなきゃ、織人(おりと)との事だって誰も変な目で見なかっただろ?あの写真見たってさ。いつもの槙ちゃんと生徒の写真だ」 咲良が首を傾げる。それを聞いて、墓前で会った文人の妻、実咲(みさき)の顔が浮かんだ。槙を恨んでいる人なんて、彼女くらいではないか。だが、彼女が今更こんな事するだろうか、顔さえ見たくない相手を、昔の嫌な記憶を呼び起こしてまで。 そこへ、インターホンが鳴った。 「俺、行ってくるっす」と、龍貴が怖い顔をしながら立ち上がるので、「俺が行くから座ってな」と、咲良が変わって立ち上がった。龍貴には、早く昔の血の気を鎮めてほしい、でなければ、何もやましい事がなくても、ヤクザが居ると騒がれたら、今度は龍貴まで生きづらくなるかもしれない。それが槙には心配だった。 「暗い顔してんねぇ。ほら、差し入れ色々持ってきた。日用品とかも」 新たな声に、槙と龍貴は揃って顔を上げた。インターホンを押したのは、恋矢(れんや)だったようだ。相変わらず面白そうにこちらの様子を見て笑っているが、その両手には、大きな買い物袋を下げている。槙はそれを見て、申し訳なく眉を下げた。 「ありがとう、ごめんね、買い物なんか頼んじゃって」 「自分の買い出しのついでだよ」 ついでな事はないだろう。気を遣わせないように言ってくれる恋矢に、こうしてまだ付き合ってくれる咲良や龍貴に、槙は改めて感謝の思いでいっぱいだった。 「やだー、泣かないでよ、槙ちゃん。俺は男の涙にはぐっとこないんだから」 「大体の男はぐっとこないだろ」 恋矢のからかい口調に、咲良がおかしな事を言ってるなと笑えば、恋矢は「いやいや」と、肩を竦めた。 「いるでしょ、槙ちゃんバカな奴が一人さ」 その一言で、皆は納得してしまう。槙は、おずおずと口を開いた。もしかしたら恋矢は、織人の事を話題に出しやすいようにしてくれたのかもしれない。 「あの…織人、は?どうしてる…?」 恐る恐るといった槙の様子に、恋矢は表情を緩め、槙の傍らに腰を下ろした。龍貴はまだ怖い顔をしたままチャーハンをかきこみつつ、恋矢に場所を譲った。 「あいつは相変わらずだよ、補習もちゃんと受けに来てるし、バイトも出てるしさ」 「…そっか」 その事に、槙はほっとした。槙が謹慎となってから、織人は口で反論しない代わりに、態度で抗議の意志を示そうとしてか、暫く学校には来なかったという。補習を受けに来るようになったのも、恋矢達の説得のおかげだろう。 「そういや、学校の裏サイトどうなった?」 咲良の質問に、恋矢は緩く首を振った。 「あの書き込みがあったサイトは無くなったけど、他のサイトがどうせ立ち上がると思ってさ、生徒にも協力して貰って見てはいるけど、それっぽい書き込みは、今の所は無いっぽいんだよね」 「書き込みした犯人には、行き着かないか」 「ハッカーでもいれば分かるのかもね。でも、ただの教師と生徒じゃここまでだよ」 肩を竦める恋矢に、槙は申し訳なく眉を下げた。 「ごめんな、忙しいのにこんな事させて。生徒にも謝っといて、それに、もう探さなくて良いからさ」 すると、すっかりチャーハンを平らげた龍貴が、再び膝を立てて声を上げた。 「駄目っすよ、坊っちゃん!犯人野放しにするつもりっすか!」 「これ以上やっても見つからないよ。それに、俺は学校に行ってないんだし、その人の目的は達成されたんじゃない?そしたら、もう何もアクションは起こさないんじゃないか?」 「だから、もういいんだよ」と言う槙に、龍貴は不服そうにしながらも、納得はしたのか腰を落ち着けた。 「他の教師は、槙ちゃんの事なんか言ってる?」 「信じられないとか言ってるけど、裏じゃどう思ってるか…生徒の方がよっぽど槙ちゃんの事心配してるよ。手芸部と演劇部は特に」 「あいつら…」 生徒達の顔が浮かび、槙は胸が熱くなった。決して良い教師だったとは言えない、こんな事になってしまっては尚更だ。それでも思ってくれる生徒がいる事に、なんて自分は恵まれてるんだろうと、涙が出そうだった。 「顧問の問題も安心して。手芸部は他の先生が見てくれる事になったし、演劇部は、当分は俺が見とくから」 「ありがとう、カズ。世話かける」 「良いの良いの。これで暫くは教頭には何も言われないだろうしね」 「槙ちゃんより、カズの方がよっぽど問題ありそうだな」 「仕方ないよ、咲良君。生徒がそれを望むんだから」 「うわー…」 胸を張ってにこりと微笑む恋矢に、思いっきり苦い顔をする咲良。やいのやいのと言い合う二人を見ながら、槙は少しだけ安心して、目の前のチャーハンに手を伸ばした。 「あ、でもさ、補習受けてくれるのは良いんだけど、織人の奴、ちょっと働きすぎなんだよな」 「え?」 「さっきクローバー覗いて店主に聞いてきたけど、休み返上であちこちで働いてるらしいって。俺が何言ったって聞きゃしないから、困ったもんだよ」 苦笑い肩を竦める恋矢に、槙は眉を下げ力なく笑む。 「やっぱり槙ちゃんじゃなきゃ」、そう言われているような気がして、この状態でもそれを言ってくれる仲間達には感謝しかないが、もう槙は、織人には会わない方が良いと思っていた。織人に会う資格なんて無い、ここで顔を合わせたら、またおかしな噂を立てられたらと思えば、会える筈がない。 辛いのは、自分だけ。織人だって、その内、自分の事なんて忘れてしまう筈だ。 槙は笑顔の裏に悲しみを押し込め、友人達の楽しげな会話にそっと気持ちを癒していた。

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