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残された三人は、一先ずテーブルを囲んで腰を落ち着けていた。 本当は、咲良(さくら)も頃合いを見て帰るつもりだったが、織人(おりと)が帰らないと駄々をこねるので、今日は咲良も共に(まき)の家に泊まる事になった。 謹慎中の教師の家に生徒が居る事も、その生徒が、槙との仲の疑いをかけられた織人だという事も、良い事ではない。それなら、せめて二人きりにならない方が良いだろうと、咲良も残る事になった。 もし、誰かにこの場を見られたらどうしようもないが、気休めでも、咲良がこの場に居てくれる事に、槙は安堵していた。 「変に見られてないと良いけどな」 「別に今更じゃん。それに、毎日ここに来てるんだし」 織人の不貞腐れた態度に、咲良は仕方なさそうに笑った。 「なぁ、毎日来てたってどういう事?」 槙は戸惑うばかりだ。織人とは会わないようにしていた。織人との事は誤解だと学校には認めて貰えたが、それでも、一度かけられた疑いが、再び噂の火種となる可能性もある。 これ以上、この件に織人を巻き込む事は出来ない。なので、噂の真相を突き止められないようにするには、会わない事が一番だと考えたからだ。 「だって、会わなきゃ良いんだろ?あんたのアパートの前を通りかかるのは、おかしくねぇじゃん」 「いや、おかしいって!教師の家を見上げて帰んのは、絶対なんかあるって思われるよ!」 「でも、おかげで犯人を取っ捕まえられたんだから」 「どうやって声をかけたの?」 頭を抱える槙に代わり、咲良が尋ねた。 「別に普通だよ、ここで毎日何してんだって。見かけない制服着てたし。そんで、きっと俺の顔見て気づいたんだろうな、槙と一緒にいた奴だって。で、あの教師も懲りない奴だとか言ってたから、カッとなって」 「殴ったのか!?」 「殴ってねぇよ!傷ひとつ付いてなかっただろ!?」 その言い分に、槙はほっとして浮かせた腰を落ち着けた。咲良は、ふむと、顎に手をあてた。 「本当に、あの子が槙ちゃんの事を書き込んだのか…」 その言葉に、槙はふと織人を見て、自嘲した。 「…懲りないか、確かにな」 溜め息と共に呟くと、槙は力なく項垂れた。 「なんで落ち込んでんだよ」 「こんなの、落ち込まない方がおかしい」 「…俺とあいつ、一緒にして考えてんのか?」 織人はムッとして、槙を見た。織人が言うあいつとは、文人(ふみと)の事だ。槙はその視線を受け止めきれず、うろうろと視線を彷徨わせた。織人と文人を同じように考えている訳では、勿論ない、織人は織人で、文人は文人だ。だが、はっきりと言い切る事が出来ないのは、過去と今を重ねているからかもしれない。槙は、織人にも、文人にも、救われた。そして、自分のせいで不幸にしている、そう考えたら、自分のやっている事は、昔から何も変わらないのだと思えてしまった。 「俺は、あの女の父親じゃないし、教師と生徒だったから槙を好きになったんじゃない。出会ったのも違うし、年の差だって違う。俺は不倫なんかさせないし、」 言いかけ、織人は迷いを見せながら、槙の手を掴むように握った。びくりと、肩を跳ねさせた槙だったが、その手の強さに、戸惑う気持ちが徐々に薄れていくのを感じた。 いつも槙を宥め包むその手が、今はどこか頼りなくて、必死に思いを伝えようとするようで、胸の奥がきゅっと締めつけられる。 それが少し怖くて手を引きたいのに、引いてはいけないと思う自分がいる。織人の手は、槙の戸惑いを覆い隠すように、ただ強くその手を握った。 「あんなのに言い寄られないくらい、どこの誰が見ても幸せって思われるくらい、俺はあんたを幸せにする自信がある。あんな、訳わかんないような死に方、俺はしない。あんたが責められるように残して死んでやらない。俺とそいつを同じ場所に立たすなよ。あの時と、違うんだから」 熱心な言葉に、槙が視線を上げれば、織人の視線とぶつかって。しっかりと自分を捕らえる瞳からは、もう逃れられなかった。 「…頼れよ、いい加減。あんたの荷物なら、半分どころか全部背負ったっていい」 「…なんでそこまで、俺なんかに」 「そんなの好きだからに決まってるだろ。何度も言わせんな」 照れくさそうに、ぶっきらぼうに。ふいっと逸らされた視線は、照れ隠しだろうか。でも、いくら目を逸らされたって、その思いに曇りがないのは、繋がる手から分かってしまって。 伝わってしまう、受け入れてしまう、寄りかかってしまう。 同時に、いつだって自分は、文人の為、織人の為と言いながら、それが自分の為でしかなかったのだと、思い知らされるようだった。 織人はいつだって、槙の事を考えているのに、それなのに、槙は過去と今を重ね、織人を見ながら、あの頃の自身と文人を見ていた。 自分への罰だと、傷を何度も上から刻んだ気になって、そうする事で、救われようとしていた。 でも、前に進む事は、忘れてしまう事じゃない。苦しみを背負って進む事だって、罰なのではないか、その隣に、誰かがいても良いのではないかと、思ってしまう。 「…きっと、後悔するよ」 「しないよ。何年片想いしてると思ってんだよ」 きゅっと手を握られれば、涙の気配がして、槙が堪らず俯けば、「はは!良いねぇ若いな」と、ケラケラ笑いながら咲良が織人の背中を叩くので、織人はすかさず「うるせぇな!」と、咲良に噛みついて。その様子を見て、槙はようやく笑う事が出来た。 そっと手が離れても、胸の中には優しい灯りが灯っている。槙は、服の上からペンダントを握りしめた。縋るでもない、しっかりと顔を上げる為だ。罰を背負うというなら、それからだ。ちゃんと向き合わなくては、過去と、今と。 「…ありがとう、織人。それに咲良君も。皆にお礼を言わなきゃ、…進まないといけないよな」 力なく、それでも前を向いた槙に、二人は頷いた。 「大丈夫、俺がいる」 「おいおーい、二人の世界に入るなー。一応、その他伏兵もついてるからなー」 咲良がくしゃと槙の頭をかき混ぜれば、また織人が不服そうに咲良に噛みついたので、この日は久しぶりに、夜遅くまで賑やかだった。 後日、恋矢(れんや)からの連絡で、ひなと会う日取りが決まった。

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