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皆が騒がしくしている間、槙は呆然と彼女を見つめていた。
黒髪を後ろで一つに束ね、勝ち気な瞳で槙を見つめている。彼女は、龍貴が怖い顔をして喚いても、一歩も引く様子は見せなかった。
全く似ていないのに、その顔にはあの人の面差しがあった。鼻の形、骨格、そんな些細な事なのに、彼女から彼を思い浮かべてしまうのは、二人が親子だからだろう。
その制服も記憶にある。文人の墓参りですれ違っている、彼女は文人の娘だ。
挑むような視線、噛みしめた唇、きつく握られたその拳。
その姿を見て、槙は息が止まるような衝撃を受けた。文人の墓参りで会った時、彼女は槙と通りすがっても何の反応も示さなかった。あの時は、槙の顔を知らなかったのだろう、いや、それ以前に、槙と文人の間に起きた事も知らなかったのかもしれない。十二年前、彼女はまだ幼かっただろうし、彼女の母親の実咲が、子供に進んで話をしたとは思えない。思い出したくもない過去だ、槙と話す時も、子供達には見えない場所に移動していた。
文人の娘である彼女が、文人の死の真相を知ってしまったのだ。そう思えば、槙は全身から一気に冷や汗が溢れ出るを感じた。まるで、過去が槙を押し潰そうとするみたいに、文人との思い出、失った命、責める文人の妻と誰かの怒声、謝る母親の声、それらが一度に甦り、槙の顔は途端に青ざめていく。呼吸が狂いそうになり、心臓が痛い程に喚いて目眩がした。目の前が真っ暗になり、足元がふらつきそうになった瞬間、槙は手首を掴まれ、その足を踏みとどめた。
その温もりに覚えたのは、真っ暗な世界によぎる小さな手の感触、織人の幼い手、変わらない優しい温もり。
「……」
視界が開けて顔を上げると、織人が真っ直ぐと槙を見つめていた。言葉はなくても、伝わってくる。
大丈夫、側にいる、ここにいる。織人がそう言ってくれているような気がして、槙はぎゅっと拳を握りしめると、必死に呼吸を繰り返し、自分を律した。
そうだ、倒れちゃいけない。また逃げる所だった。今は自分の為にも、織人の為にも、彼女の為にも、逃げちゃいけない。
「…あなたは、田所文人さんの、娘さんですね」
槙が必死に冷静を装い、落ち着いた声で尋ねると、彼女は瞳を揺らしたが、再びきっと槙を睨みつけた。
「…私、謝りませんから」
「おい」
「い、いいんだよ、織人。謝らないといけないのは、俺の方だ」
槙はそう言って進み出ると、勢いよく頭を下げた。その姿に、彼女は驚いたように目を見開いた。
「…は?なんの真似?」
「…ごめんなさい、苦しい思いをさせてしまって、申し訳ありません」
ぎゅっと震えそうな拳を握りしめ、ただ頭を下げる槙に、彼女は唇を噛みしめて、槙を睨みつけた。
「何も…何も知らないくせに、私達がどんな思いをしていたか知らないくせに!軽々しく頭なんか下げないでよ!」
槙の肩を掴みかかろうとする彼女に、織人がその腕を掴んで止めに入った。
「てめぇ!槙が今までどんな思いでいたのか知りもしないで!」
「や、やめろ織人!」
今にも殴りかかりそうな勢いの織人に、今度は恋矢が慌てて止めに入った。
彼女は、怒りか恐怖からなのか体を震わせていた、だが、決して弱みを見せまいとしてか、ぎゅっと拳を握りしめ、俯く事はしなかった。
その引かない強さに、恋矢は少々面食らった様子だが、それだけ彼女も覚悟を持ってこの場に来たのだろうと、想像出来る。恋矢は彼女の強ばるその肩を軽く叩き、視線を合わすように背を屈めた。
「ごめんね、怖い思いさせて。僕は数屋敷 、教師をやってるんだ。君は?」
恋矢は柔らかな声で、彼女に尋ねた。醸し出す雰囲気も柔らかく、彼女は虚をつかれたのか、睨みつけていた瞳は行き場を失ったように力を失くし、そっと視線が俯いた。
「…田所ひな」
「うん、田所ひなさんね。お互い、色々聞きたい事も言いたい事もあるだろうけど、今日はもう遅いから家に帰ろう。家はどの辺?」
「…今日は友達の家に泊まるので」
「そっか、この近く?」
「…はい」
「じゃあ送ってくよ」
先程までの勢いはどこへやら、大人しく恋矢の言葉に頷いた彼女に、槙は戸惑って恋矢を見つめた。恋矢は槙と視線が合うと、いつものようにおどけたように肩を竦めてみせ、それから、咲良と視線を合わせてから、龍貴に顔を向けた。
「龍貴も来てくれる?」
「は!?なんで俺がこんな女の為に!」
恋矢の申し出に、龍貴が再び声を張り上げれば、恋矢は困った様子で眉を下げた。
「俺一人が付き添ってたら、生徒に嫉妬されちゃうじゃない」
まさかの理由に、龍貴と織人は、あり得ない、といった表情を浮かべたが、咲良は苦笑うだけだった。これも、この場の空気を変えようとした恋矢なりの気遣いだろうと、理解しているのだろう。
しかし、そうとは全く思っていない龍貴は、「おい、恋矢さん、」と、呆れて物申そうとするが、恋矢は龍貴の言葉を遮って、再びひなに向き合った。
「徒歩で行ける距離?」
「…はい」
「よし、じゃあ日を改めて再集結ってことで良い?」
「ちょっと、無視しないで下さいよ!」と、龍貴が憤慨して身を乗り出したので、咲良は慌てて宥めに入っていた。大人達三人が騒ぐ中、槙は、再集結という恋矢の言葉に戸惑いを浮かべていたが、それは、ひなも同じだったようだ。
「あの、再集結って?」
「何か言いたい事があるんでしょ?」
「…別に、」
恋矢の問いかけに、ひなは、ふいっと顔を背けたが、その様子に、織人が大きな溜め息を吐いた。
「毎日、アパートの前で張り込んでた奴が何言ってんだよ」
織人の呆れた声に驚いたのは、槙達だけではない。ひな本人も驚いた顔をしていた。
「…なんで知ってるの」
「なんでもくそもねぇよ、俺だって毎日来てるんだから」
「え、」と驚いたのは、槙だけだ。目を丸くして固まる槙に、恋矢がパンパンと手を叩いた。
「はいはい、問題発言はここまでね。さ、こんな男所帯に長居は禁物だよ、また変な噂がたっちゃどうしようもないからね」
恋矢はそう言うと、「撤収撤収」と、ごねる龍貴の手を引き、ひなを外へと促した。
「田所さん、」
槙はその背中に思わず声をかけたが、恋矢にそっと手で制された。
「話は後日、お互い冷静になってからだ。近所の目もあるしさ」
恋矢は、ぽん、と槙の肩を叩き、そっとアパートの下に視線を投げた。それに促され、槙も階下を覗けば、騒がしい声に不審に思ったのか、住人が顔を覗かせていた。
「…ごめん」
身を引いた槙を、ひなはじっと睨んでいたが、やがて恋矢に促されると、彼女は何も言わずにこの場を後にした。
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