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田所の家を出た槙 と咲良 は、あの丘の上に来ていた。文人 と天体観測に来たあの丘だ。熱い太陽の日差しを避け、ガゼボの中のベンチに腰かける。風が吹くと、パタパタと手元の手紙が風に煽られた。
槙は、咲良から手渡された文人の手紙を手にしたまま、その中身を改める事が出来ないでいた。内容は分かっている、だから、開く事が出来ない。
文人は、自分から離れる決意をしていた。自分は最後に捨てられた、それを知らないで、愛されてると思っていた。
その喪失感と共に浮上するのは、そもそも自分がいなければ、文人が事故に遭わなかったという事。捨てた恋に、文人は殺された。
パタパタと風に煽られる手紙が指からすり抜けそうになり、咲良が槙の手元を押さえた。
「槙ちゃん」
呼び掛けた咲良の声が、戸惑いに滲んでいる。咲良は優しいから、どう声を掛けて良いのか分からないのだろうと槙は思った。大丈夫か、なんて、大丈夫じゃない人間に声を掛けた所で無理をさせるだけ、多分自分は、咲良にそう思わせるような顔をしているのだろうと。
「…先生は、事故だったんだね。俺との事をとか、そんなんじゃなかった。でもさ、でも、俺、」
だから、咲良を困らせたくなくて口を開いたけど、頭の中がぐるぐる渦巻いて、上手く言葉になっていかない。
手紙に皺が寄るのを見て、咲良はその手を上からぎゅっと握った。どこかへ飛んでいきそうな心が、引き留められるようだった。
「…俺が知ろうとしたからだ、知る事が槙ちゃんの為になると思ったんだ、…ごめん」
「違うよ、違う、そういうんじゃない」
それを責める事はない、咲良が自分を思ってくれているのは分かっているし、そもそも自分が望んだ事だ、前を向こうと思ったから、文人の死と向き合おうと思ったから。
そのおかげで、文人が自分との関係を悔やんで死んでしまった訳ではないと、知る事が出来た。
だけど、それをどう受け止めていいのか槙には分からなかった。文人の死を槙のせいにしようとした実咲を責める事も出来ない。どうしたって、自分のせいではないと、槙は言い切れないからだ。
堂々巡りの思いは混乱を呼んで、自分が文人を好きになったりしなければと、思いはいつもそこに辿り着く。
胸元で星空が揺れたけど、槙はもう、ペンダントに触れる事も出来なかった。
翌朝、槙の家にひなが訪れた。
昨夜は槙を心配して咲良が家に泊まっており、龍貴 も朝早くから槙の家を訪ねていた。
ひなは、これから咲蘭 高校に謝罪に行くという。その前に、立ち寄ってくれたようだ。
「昨日は、」
「ごめんなさい!」
槙の言葉を遮り頭を下げるひなに、「ごめんで済むか!」と龍貴が声を上げるので、「ちょっとは黙ってろよ!」と、咲良は慌てて龍貴を止めた。龍貴とは体格差があるので、咲良も必死だ。
「…煩くてごめん。それに、俺は謝ってもらう資格ないよ、俺の方が悪いんだし」
「…昔の事は、お母さんが作り話したから、騒ぎになったんでしょ?」
実咲 の作り話は、ヤクザをやっていた槙の祖父が、組員を使って文人を脅したという部分だ。
でも不意に、もしかしたら、文人との時間が全て作り物だったのではないか、そんな風に思いそうになり、槙は縋るものを失った手を握りしめ、不安定を自覚する自分を律しようと懸命だった。
「…でも、全部が嘘じゃない。俺と先生が…俺が先生を好きだったのは本当だし、君のお母さんが俺を恨むのも当然だから…本当に、ごめんなさい」
槙はひなとは視線を合わせず、きゅっと唇を噛みしめた。自分がバカだったんだ、そう言い聞かせれば、文人との思い出が本物になる気がして、そんな自分が情けなくもあった。
ひなには、そんな男がどう映っただろう。惨めだと思うなら、少しは償いになるだろうか、少しはその傷が癒えるだろうか。それともそれは、身勝手な思いだろうか。
ひなは視線を下げると、肩に掛けた鞄の持ち手をぎゅっと握りしめ、それから躊躇いがちに口を開いた。
「…私、お母さんがお父さん死なせちゃったと思ってた」
「え?」と、龍貴の声が後ろから聞こえる。考えもしなかったひなの思いに、槙も咲良も目を丸くしていた。
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