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「シェフになる。あんたには、俺の隣に立って、俺の作った料理食べてもらう」
「…何、最初のお客さんにしてくれんの?」
「違う、プロポーズしてる」
「は…」
思いがけない言葉に、今度は槙 が固まってしまった。驚いて織人 を見上げれば、織人は至極真面目な顔をしているので、槙は更に戸惑ってしまう。
「…な、何、言ってんだよ、まだ高校も卒業してないくせに」
「そんなの半年もすればすぐだ。クローバーの店長が鍛えてくれるって。俺、一緒に歩けるよ。言ったろ、あんたの背中の荷物ごと、俺はあんたを抱えて歩けるよ」
「いや、その…なに言ってんの、ちゃんと」
「ちゃんと考えてる。それに、支え合うのは普通の事だろ。あいつだって、あんたを傷つけたくなかったんだろ、だから、」
織人は言葉を切って、川へと目を向けた。怒っているようにも思える横顔に槙が困惑していれば、織人が再び視線を戻したので、思わずドキリと胸が跳ねた。
「槙の事は、俺が幸せにする」
「え、」
ふわっと風が舞い上がり、槙は織人に抱きしめられた。ぎゅっと、頭を、腰を抱かれ、包まれる思いに、胸の奥がきゅっと音を立てた。
だが、槙はすぐに我に返り、焦ってその胸を突っぱねようとした。それでも織人は、そんなのはお構い無しに、更に力いっぱい抱きしめてくる。
「こ、こら!こんな道の往来で…!」
「暗いし、そもそも人なんか通ってない。それに、もう教師と生徒じゃない、ただの年の離れた幼なじみだ」
いとも簡単にそんな事を言う。槙にはとても言えない、織人の怖いもの知らずは、その年齢故だろうか。
「…そんな、簡単な話じゃないだろ」
槙はその体を抱きしめ返す事も、その胸を突っぱねる事も出来ず、するすると力なく腕を下ろした。
「…織人、俺どうしたら良いのかな」
包まれてしまえば、頼ってしまう。槙は力無く、その肩に額を寄せた。
「簡単な話だろ」
織人はその腕を少し緩め、槙の気持ちを宥めるように、ぽんと頭を撫でた。
「あんたが許せないなら、そのままでいい。俺があんたを許すよ。俺にはあんたが必要だから。どの未来に進んでも、そこには必ずあんたがいるから。どう生きたら良いか分かんないなら、俺の為に生きてよ」
願うように、縋るように、織人の言葉は槙に寄り添う。守るようにぎゅっと強く包まれれば、槙の心は、その思いの中に溶けてしまう。
心がほどけて、苦しくて、でも愛しくて。
槙は溢れ出す思いそのままに、織人の腕の中で涙をこぼした。
***
涙は、枯れる事がないみたいだ。
目元が腫れぼったい気がして、明るい灯りの下では、顔を上げるのが少々気恥ずかしかった。
夜だからそれ程乗客もいないだろうと思ったが、夏休み中のせいか、駅にはそこそこの乗客の姿があり、槙は終始俯いたままだった。電車に揺られている間もその後も、織人は槙の壁になってくれているようだったが、槙としては、目元の赤みよりも繋がれっぱなしの手の方が気になって仕方なかった。
絶対、誰かに見られてる。
さすがに槙は手を放そうとしたのだが、織人はわざと気づいてない振りをするので、槙はその内に諦めた。騒いで注目を浴びる方が厄介だと思ったからだ。
なので、帰り道も、槙は終始俯いて歩いていた。顔さえ上げなければ、もし学校関係者に見られても、槙だとは気づきにくいだろうと、苦肉の策だった。
歩きながら、槙はそろ、と織人の背中を見上げる。
男同士で年の離れた二人、手を繋ぐ自分達は、端からはどう見えるだろう。
高校生が、泣きべそをかく男の手を引いて歩く姿は、まさか恋人には見えないだろうし、友達も怪しい、ならば兄弟だろうか。
だとしたら、弟が出来損ないの兄の手を引いて歩いてる図だ、端から見ればさぞ滑稽だろう。すれ違う人と目が合わないのは、槙が俯いているだけでなく、哀れな兄を見ないようにしてくれているからかもしれない。
都合の良い想像で自分を励まして、でも哀れには違いないよなと自嘲しつつ、槙はふと手元に目を向けた。
そこには、しっかり繋がれた手があって、人々の視線から守るような大きな背中があって。
織人は、槙を恥と思わず堂々と胸を張って、守ってくれている、ここにいてくれる。
その存在の尊さに、槙はまた泣きそうになり、涙を堪えるように織人の手をぎゅっと握った。
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