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「遊んでる場合じゃないでしょ。仕事の催促や、依頼の連絡がスゲー来てるんだけど」
昨年、有名ブランドとコラボした作品を発表して以来、咲良 の知名度は更に急上昇し、有難い事に、仕事を取って来なくても依頼が次々と舞い込んでくる状態となっていた。その忙しさ故、締め切りを守れない事もしばしばで、槙 もどうにかクライアントに待って貰えるよう説得してと、てんてこ舞いの日々を過ごしていた。
「画家は気まぐれなのさ」
それでも咲良は性分か、マイペースを崩さない。歌うように背を向けた咲良に、槙は溜め息を吐いた。
「信用失うよ」
「だから俺は今、槙ちゃんに大変感謝している」
「まったく、調子良いんだから」
槙がクライアントの対応をしているので、咲良も助かっているようだ。
咲良の仕事について海外に渡る時、槙は仕事の失敗への挽回に燃えていたが、どうやらこの三年の内に、咲良からの信用を無事に勝ち得たようだ。
「そんで?何したいか見つかったの?」
背中を向けたと思ったが、またすぐに話題が戻ってきた。槙は仕方なく、紙袋の中身を整理しながら口を開いた。
「…料理に物語があったらどうかなって」
「物語?」
「ほら、よくあるじゃん。漫画に出てくる料理を実際に作るやつ。それの逆でさ、作った料理から、こういう登場人物達がこういう経緯を辿ってこの料理が出来ました、とか。オリジナルの物語の中に、その料理を入れ込む、とか。
それを料理の脇に、ちょっとした冊子でも一枚の紙に収めるでもしたら、他の店との差別化が出来るかなって思って。短期企画でも良いし、それなら織人の料理の邪魔にはならないかなって」
「やっぱり織人 の為じゃん!」
「う、うるさいよ、そこ!」
今度こそ赤くなりながら、槙は咲良にバケットのサンドイッチと珈琲を差し出した。サンドイッチは、このアパルトマンの一階にあるカフェでテイクアウトしたもので、蒸し鶏やトマト、玉子がたっぷりと挟んである。
槙も同じ物をテーブルに並べ、向かい合って席についた。
「織人と連絡は?」
いただきますと、サンドイッチにかぶりつきながら咲良が言う。槙は珈琲にミルクを垂らしながら、気まずそうに視線を逸らした。
「…取ってない」
恐らく敢えてだろうと、咲良は槙の返事に、ふーんと、軽く返事をした。
「あいつ、学校卒業してから、真面目に働いてるってね。ちゃんと資格も取って、クローバーの店長が修行先見つけてくれたってよ」
「え、クローバーで修行するんじゃないの?」
「もっと上を目指すなら俺じゃない方が良いって、店長が言うんだって。背中押してくれたんだろうな」
「…頑張ってるんだな」
「一人立ちには、まだまだみたいだけどな。今もカズがよく様子見に行ってるってよ」
「そっか」
「そろそろ会いに行く?」
「……」
槙は少し考えて、首を横に振った。織人とは連絡も取っていないが、それどころか日本を発ってから、一度も顔を合わせていなかった。
「俺は咲良君の仕事があるから。咲良君が日本に帰るまでは帰らないよ」
「俺の事は二番手でいいんだよ、俺に着いて来た目的はそれじゃないだろ?自分を見つめ直しに来たんだろ?」
「…まだ、分かんないんだ。まだ迷う、俺なんかって…つい思っちゃうし…」
槙の胸元に、文人 とお揃いのペンダントはもうない。ケースの中に夜空は仕舞われた。簡単に外せた訳じゃない、外せたとして、文人との日々が槙の中から消える訳じゃない。消して良いものでもない。
俯く槙を見て、咲良は窓の方へ目を向けた。少しだけ開いた窓から柔らかな風が入り込み、白いカーテンを揺らす。ネモフィラの絵が、風に揺れているみたいだった。
「…決めなきゃダメ?」
「え?」
ぽつり呟いた咲良に、槙はきょとんとして顔を上げた。
「ちゃんと、ライン引いて決めなきゃダメ?許すとか許さないとか、良いとか悪いとか。絶対なんかないよ、曖昧で、皆、結構自分本意だよ。
先生が今どう思ってるかなんて、生きてる俺達には分かりっこないし。許す許さないも結局、生きてる俺達の想像でしかない」
「…家族がいるだろ」
「じゃあ槙ちゃんは、ずっと幸せにならないようになんて、生きていけると思う?うまい飯食って、綺麗な景色見て、仕事が上手くいって、誰かに話したくって。幸せだって思うだろ。でも槙ちゃんは、その中でも先生を忘れない。先生も、それで許してくれるんじゃないの?」
「……」
口を噤んでしまった槙に、咲良はそっと表情を緩めた。
「次の春、日本に帰ろうと思うんだ」
「え、」
「日本に新しいアトリエ作ってもいいし、そろそろ日本に腰を据えるのも良いかなってさ。四季をテーマにした依頼もあるし、まぁ、またどっか行きたくなれば行くけど」
咲良の今後の活動方針を聞いて、槙は戸惑いに視線を落とした。
咲良が活動の拠点を日本に移したら、槙も帰る事になる。槙は、咲良の仕事に就いているだけだ、一人で外国で働いて暮らす覚悟はない。
咲良の仕事に就いている間、自分なりの答えが見つからなかった訳ではない。その答えが、本当に正しいものなのか、まだ槙にはそれを認める勇気も、踏み出す勇気も整わず、胸には途端に不安が溢れていく。
そんな槙の様子を、咲良は穏やかに見つめ、それから、何でもない話をしながらサンドイッチを頬張った。
この帰国が槙の為のものだなんて、槙は気づきもしない。そうして春は、いつも通りやって来た。
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