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織人には、自分から目を逸らし、墓石を見つめる槙は、文人に縋っているように見えただろうか。そのまま黙ってしまった槙を見て、織人は小さく舌打ちをした。 「あ、」 そのまま織人の手が離れ、槙ははっとして織人を振り返った。織人が行ってしまう、そう思ったのだが、織人は立ち去るどころか槙の横をすり抜け文人の墓前に向かった。そして、勢いよく頭を下げた。 「|田所文人《たどころふみと》さん。槙の事は、俺に任せて下さい。俺が槙を幸せにします」 「…え?」 思いがけない織人の宣言に、槙の口からは素っ頓狂な声が出た。きょとんとしている槙に、織人は頭を上げると、堂々として振り返った。 「一応、伝えとけば安心だろ」 「ま、待って、えっと…え?お、俺の気持ちは?織人だって、今、」 傷ついていたのではないのか。舌打ちは、いい加減呆れて出たものではなかったのか。それがどうしてプロポーズまがいの宣言に繋がるのかと、槙は織人の行動についていけないで混乱していた。 そんなあたふたしている槙に、織人は不機嫌そうな表情のまま、仕方なさそうに溜め息を吐いたので、槙はびくりと肩を揺らした。 「もう分かった、あんたにはこうする方が早い。あんたの気持ち待ってたら、じーさんになっちまう。さすがにそこまで気は長くないんで」 「は?」 「俺はもう待たない。いつからあんたに片思いしてると思ってんだよ、そろそろ報われたっていいだろ」 「え、と、」 「嫌でも槙には俺の隣に居て貰う。そんで俺は、毎年ここに、あんたと来る」 その揺らがない憮然とした瞳を、槙は呆然と見つめるばかりだ。 「俺も一緒に背負うって言ったろ。俺も、この人が居た事、起きた事を忘れないで生きていく。それくらい、許してやってもいいだろ」 槙は織人の言葉を、思いを受け止めきれず、戸惑いに瞳を揺らした。本当に、そんな事良いのだろうかと、不安が胸にぶり返して、「でも、」と出かけた言葉を、織人はそっと手を取る事で、それを遮った。織人の綺麗な瞳に槙が映れば、不安に揺らぐ心が、緩やかに高鳴りを呼んできて、槙はその手をきゅっと握った。 「許せないのは、あんた自身だけだよ。もう、自分の為に生きろよ。その上で償えばいい。何が出来るか分かんねぇけど、俺も一緒に背負うから」 だから、隣にいて。 織人の真っ直ぐな言葉に、じわ、と視界が滲んでいく。槙は俯き、無意識に胸元に手をやれば、ふわっと風が起こった。吹き抜ける風に桜の花びらが乗って、顔を上げると、同じく桜の行方を追っていた織人と目が合った。優しく緩められた瞳に、槙の胸がきゅっと苦しくなる。 「…良いのかな、本当に俺」 「俺が良いって言ってるんだから、良いんだよ」 良いんだ。 そう抱き寄せる肩に、涙が触れて滲んでいく。包まれる織人の温かさに心がほどけて、その腕に、思いが溶けて溢れてしまう。織人は不出来な部分も、余す事なく受け止めてくれる。槙は、織人の服の裾を小さく掴んだ。 「…俺、絶対面倒臭いよ」 「そんなの今更だろ」 織人は何でもないみたいに笑って、それからあやすように、槙の髪を優しく撫でた。 「だから、だからさ」 俺を選んでよ。 小さく耳元で聞こえた懇願にも似た声に、どうしようもなく胸が震えて、槙は織人の背中に腕を回して、小さく頷いた。掠れた槙の声は織人の声よりも小さくて消えてしまいそうだったけど、織人にはしっかり届いたようだ。 ぎゅっと織人に抱き竦められ、それに驚いた途端、再び吹き抜ける風に、手から手紙を落としそうになった。慌てて手紙を掴み直せば、桜の花びらが空を行く。 その先に、思い出の欠片が見えた気がして、槙は涙を浮かべて織人の背にしがみついた。 まるで背中を押されたみたいで、この花びらが文人からの最後の贈り物のような気がして。槙は空に思いを馳せ、心の中で文人に語りかけた。 ありがとうと、大好きだった事、きっと忘れられない事。それから。 ひらひら舞う桜の花びらに、槙は自分の人生を歩く決心をした。 織人と共に、この先を歩いていく。

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