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三十六、千珠の帰郷

 久々に降り立ったその土地は、どこかひんやりとしていた。  冷え冷えとした風に銀髪を乱されながら、ひとりぽつんと佇んでいる。たったひと月前まで、当たり前のように暮らしていたこの場所に。  ここで惨劇が起こったことなど、一目見ただけでは分からぬような景色だった。  白珞鬼は、死ねば身体は土のように朽ち、骨すら残らない。衣服でさえ、妖気を具現化したものであるため、残らない。ただ、焼け落とされ荒れ果てた家並みだけがあちこちに広がっている様は物寂しく、呆気無いものである。  千珠は眉根を寄せて、唇を噛んだ。  身体の内側から張り裂けるあの痛み、皆悲惨な最期だったろう。遺体が無いことは寂しくもあったが、皆の死に顔を見てしまっていたら、きっと千珠はこの場で発狂してしまいかねなかったであろうから、救いであったとも言える。  砂利を踏んで谷の中腹へと進んでいくと、昔暮らした家や道場、井戸、祖父である長老の住んでいた櫓が広がる里の中心部へと出た。暮らしていた時は何とも思わなかったが、今はどれもこれも懐かしいものばかりだ。  しんとした空気、何の音もしない。  ただ風の唸りだけが、千珠の耳にこだました。 『千珠』  ふと、頭の中に聞こえた声。聞き慣れた、祖父の声だ。千珠は声の発した場所を探し求めて、きょろきょろとあたりを見回した。 「お祖父様!」  真後ろに、千珠の祖父・劫白(こうはく)が立っていた。実体の無い、残留思念である。 『千珠、よう生き残った。良かった、お前だけでも生き延びることができて』 「お祖父様……俺、何もできなかった。皆を、救えなかったよ」 『いいや、お前が生きていることが皆の救いだ。何も気に病むことはない』  皺々の劫白の顔は穏やかに微笑んでいて、千珠は懐かしさから溢れそうになる涙を必死で堪えた。 「……はい」 『与えられた運命を受け入れて、精一杯生きるのだ』  堪えきれず、涙が一筋流れる。 「……はい」  長老は穏やかに微笑むと、皺だらけの長い指を伸ばして丘の上を指さした。 『それでいい。高台で、紫皇が待っている。最後に話をするといい』  劫白の姿がゆらゆらとぼやけ始めたかと思うと、足下から空気に溶けるように消え始めた。 「お祖父様!!」  千珠は駆け寄ってその姿を抱き留めようとしたが、その腕は虚しく空を掠めるのみであった。  今までに見たこともないような優しい微笑みを見せ、祖父は消えた。  千珠は両掌を見下ろして、空を見上げる。 「あぁ……お祖父様」  ぼろぼろと頬を伝う涙をそのままに、千珠は力なく高台の方を見上げる。  そしてゆっくりと、丘のほうへと歩を進め始めた。

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