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二十一、恩
千珠は黒く染まった目で光政をそっと見つめると、唇に微笑を乗せながら応えた。
「……そうだな。でも、これで良かったと俺は思っている」
「……そうか」
「忘れているようだからもう一度言うが、俺はお前の魂を削りながら生きているんだぞ。これ以上、お前から何も奪いたくはない」
「はは、そうだったな。しかしそれは、俺にとっては嬉しいことなのだがな」
「……そうなのか?」
「ああ、そうだよ。お前は、俺の大切な……存在だから」
光政は言葉に迷う様子を見せながらも、そう言って穏やかな笑みを見せた。
「こんな繋がりでも、あると嬉しいものだ」
千珠は少し驚いた顔をしつつも、うっすら頬を染めて微笑む。
「光政は、俺に居場所をくれた。ぬくもりも教えてくれた初めての人間だ。だから恩を感じている」
「そうなのか?」
「初めて抱きしめられたとき、なんて心地が良いのかと思った。そして、安心した。あの時……」
千珠は言葉を切った。光政はぎゅっと千珠を抱きしめたからだ。光政の大きな身体の温もりと、胸から聞こえてくる穏やかな一定の拍動に、千珠は目を閉じて聞き入った。
「暖かい。お前も暖かいぞ、千珠」
光政は千珠の頭を撫で、そう言った。
「戦の時、本当は不安だった。まだ俺も若かったゆえ、経験も多くはなかったからな。あれだけの人数の兵を危険にさらして、命を賭けさせ……。気を抜くと、それがとてつもなく重いことに思えて気が狂いそうになったこともあった」
千珠は、戦場での光政を思い出した。今とは比べものにならないほど険しい表情を浮かべ、鮮やかな鎧に身を包み、篝火に照らされる姿。一国を率いるという運命を背負った光政の姿を。
「でも、俺にはお前がいた。お前は強くて、自信に溢れていたな。そんなお前がそばにいるだけで、俺は肩の荷を半分預けているような気分になった。一国の主としては情けないことだがな。戦場を駆るお前の白い影を見るたび、萎えた気持ちも奮い立ち、心を強く持つことが出来た」
千珠は目を閉じたまま、光政の声を聞いている。
「そして、夜な夜なお前を抱きしめるたび、戦の疲れが癒されるのを感じた。恩を感じるのは俺の方だ。この国を救ったのは、お前なのだから」
荒れた城の硬い床の上で初めて千珠を抱いたことを、光政は思い出していた。華奢な体で自分を受け入れる千珠の表情は、どんなにか苦しそうだっただろう。苦しめるつもりはなかったが、苦痛を与えていたのではないだろうか、と。
「あの頃のお前に、自分の不安や迷い、恐怖をぶちまけていた。それを、重い罪のように感じていた」
「そんなこと……」
「だから今、お前の笑顔を遠くから見つけるたびに、俺は嬉しかったよ。ああ……あいつはあんな顔もできるようになった。兵たちとも親しくなった。こんな重い荷を背負わせたのに……人間を嫌わないでいてくれた、と」
光政は千珠の肩に手を掛けて、身体を離し笑顔を見せる。
「盟約のためだけじゃない、自ら選んでここにいてくれている、と」
千珠は何も言わず、ただ光政を見上げていた。黒い瞳が、月明かりを受けて潤んゆく。
そして、その目から一筋、涙が流れ落ちた。それは頬を伝うと顎からぽとりと落ちて雫となり、ぱた、と畳に落ちる。
「……ありがとう。千珠」
「……う……」
光政の澄んだ瞳と感謝の言葉をその胸に真っ直ぐ受け止めて、千珠は俯いた。目から止めどなく涙が溢れては、ぱた、ぱたと雫が落ちてゆく。
光政はもう一度、千珠を抱きしめる。強く、強く。千珠の手が光政の衣に触れ、そして握りしめた。
千珠は声を殺して涙を流す。その震えを受け止めながら、光政は千珠が落ち着くまでずっと、優しく頭を撫で続ける。
優しく、優しく。
想いをこめて。
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