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十八、本願寺検分

 東本願寺の境内は広い。  間口約二十五尺(約76m)、奥行約二十尺(約58m)、外観二層建ての荘厳なる御影堂は、実に国内最大の規模を誇るものである。  更にその南には、御影堂の約半分の規模を持つ阿弥陀堂が隣合わせに鎮座している。  千珠は、こんなにも大きな寺を見たことがなかったため、二つ並んだ美しき御堂を、しばし陶然として見上げていた。  黒く艶のある木柱の肌に、歴史を感じる。御影堂門は瓦礫と化してしまったが、今までずっとこの地で都を見守ってきたこの御堂まで破壊されずに済んで良かったと、千珠は思った。  そして同時に、このような場所で破壊と殺戮を行おうとした猿之助のことが、改めて憎たらしくなってくる。  境内の白砂利は、夥しい血痕で赤茶色に染まっていた。  夜顔に殺された僧侶たちの遺体は昨夜のうちに運び出されていたが、あちこちに飛散した血飛沫が尚も惨状を物語っている。  千珠は瓦礫になった御影堂門の上に立つと、痛ましい表情を浮かべて広い敷地内を見渡した。 「こんなにひどい状況だったとはな……」  木の壁や土塀などに、生々しく人型に血の跡が付着している。夜顔によって、そこまで弾き飛ばされたのだろう。 「明るい場所で見ると、ほんまに酷いですね……」  忍装束姿の柊は口布を上げて鼻を覆い、辺りを見回している。  千珠は一応目立たないように編笠を被っているものの、黒装束の群れの中に白い衣がひとつ。目立たない訳がない。陰陽師たちの遠巻きな視線を感じつつ、千珠はひらりと砂利の上に降り立つと、夜顔が立っていた場所まで歩いた。  そこはちょうど御影堂の真正面で、千珠が幻術を食らった場所でもある。 「ひょっとして、あなたが千珠さまですか?」  その時、少し離れた場所から一人の陰陽師に声をかけられた。千珠は編笠を上げ、その男に顔を晒した。その姿を目にした男は、歩み寄って礼儀正しく一礼する。 「お初にお目にかかります。私は、芦原風春(あしはらのかぜはる)と申します。舜海とはこの二年、常に修行を共にしておりました」  顔を上げたその男は、舜海と同年齢ほどに見える優男であった。都のよく似合う、はんなりとした品の良い空気を纏った男だ。  賢げな一重まぶたの目元と、きれいに通った鼻梁はいかにも育ちが良さそうで屈託がなく、千珠は何となく好感を持った。 「そうでしたか。世話をかけました」 「いえ。……あの、私は昨晩からずっと、ここで検分方についておりましたゆえ、何かお聞きになりたいことがあれば何なりと仰ってください」 「それは大変でしたでしょうな。このような場所に一晩も……」 と、柊は心底風春に同情するような口調で、首を振りながらそう言った。 「ええ……まるで地獄でした。ご遺体もひどく傷ついたものが多かったですからね……」  風春は青白い顔で俯き、重い苦しい声でそう言った。 「何人、亡くなったのです?」 と、千珠。 「十七名です。僧侶と稚児が大方やられてしまいました」 「……そうですか。ところで、猿之助の従者の中にあの子どもを庇った男がいましたが、あれは誰です?」  千珠は、破魔矢からあの子どもを守った男のことを尋ねた。ずっと気にかかっていたのである。  猿之助のぎらついた欲深い目とは対照的で、まっすぐでいて思慮深く、何やらのっぴきならぬ事情を胸に抱えたような目付きだった。あんな穏やかな目をした男が、猿之助に付き従っているのが不自然に思われたのだ。 「あの方は、猿之助の実弟、佐々木藤之助という者です。先代が健在だった頃は、私もよく稽古をつけて頂いて、大変世話になったものでした。……まさか猿之助について行かれるとは思ってもみませんで……」  風春の口調は、藤之助に対して信頼の情がこもっているように聞こえ、千珠は首をひねる。 「唯一の兄弟ですから、兄の頼みを退けられなかったのかも知れませぬ。しかし藤之助様は……いえ、佐々木藤之助は、今となっては討つべき存在です。追手を放ち、行方を探しているところなのです。……早く見つかるといいのですが」  風春の表情は寂しげである。  千珠も、それ以上は何も問わないでおいた。

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