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終話 柊の祝宴

 それからひと月後。  初夏の日差しを見せるようになった空の下、柊の祝言の宴が催された。  一年の殆どを黒い忍装束で過ごしている柊も、今日ばかりは白い紋付袴を身に着けて、上座に背筋を伸ばして座している。明るい色の衣服に見を包んでいるせいか、きりりと結い上げた長い髪と涼やかな目元や、すっと通った鼻梁が凛々しく、柊はいつもよりもずっと男ぶりが上がって見えた。  その隣には、揃いの白い着物に身を包み、艶やかに髪を結いあげいる武器商人の娘、芽衣が目を伏せて座っている。髪の毛に白い大きな百合を飾り、おしろいはそこそこに唇を赤く塗っている芽衣も、初めて見た時の町娘の姿よりも、ずっとずっと美しく見えた。  二人は契の杯を交わし、目を見合わせて微笑み合う。  はにかむように目を伏せた芽衣を見て幸せそうに微笑む柊の表情は、千珠が今まで見たこともないくらい優しく、そして満ち足りていた。  慎ましく行うと言っていた宴であったが、忍衆は総出でそこに出てきていたし、光政の重臣たちも揃ってそこに座しているため、かなりの人数に囲まれた宴となった。  一折の儀式を終えた柊は、皆の前できっちりと一礼をして、ここに集まった面々への感謝の言葉と、今後の決意を流暢に述べる。 「このような素晴らしい宴を催していただき、誠に恐悦至極にございます。私共は、これからは一対の夫婦とし、青葉を守り、国の繁栄を支えていく所存にございます。ここに集まっていただいた皆様の顔を見るにつけ、私、御恩と感謝の気持で胸が詰まる思いがいたします。どうか、今後共私共を暖かい目で見守っていただきたく存じます。若輩者ですゆえ、何卒ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申しあげまする」  大勢の人間たちの前で堂々と口上を述べ、流れるような立ち居振る舞いで顔を上げた柊の表情は晴れやかだった。柊は最後に光政を見つめて、微笑んだ。  光政も、何も言わずに頷く。  どこからともなく桂女たちが姿を現し、そこからは一転、華やかで賑やかしい宴の始まりだ。  重臣たちに囲まれて酒を注がれている柊を眺めながら、千珠はこれが人間の夫婦の契りかと、物珍しいものを見るようにきょろきょろとしていた。   都からは、陰陽師衆からの祝いの品と、ひとつ雅やかな仕掛けも送られてきた。  桐の箱に赤い組紐のかけられた贈り物を、宴の席で開いて欲しいという佐為からの書に従い、芽衣がその紐を解いてゆっくりと蓋を開く。  すると、中から白い蝶の形をした紙吹雪が舞い上がり、くるくると宴の席の上を華やかに舞い踊ったのだ。そういった術を見慣れぬものが多いため、おお!と重臣たちからは恐れとも感嘆とも取れる声が湧き上がり、皆がやんやと拍手喝采をした。  その蝶は、最後に新たな夫婦の頭上でくるくる、ふわふわと舞った後、かき消すように消えた。それを見て、またどよどよと声がわき、目をまんまるにして柊を見上げる芽衣も、楽しげにその余興を喜んだ。 「佐為のやつ、味な演出考えたもんやな」 と、千珠の隣に座っていた舜海がそう言って笑った。今日は舜海も黒い法衣ではなく、艶のある黒い直垂姿である。千珠も濃紺の直垂に身を包み、華やかすぎる髪の毛は全て結いあげて烏帽子を身に着けている。 「みんなこんなことするのか?ただ酒飲んで終わりじゃないんだな」  千珠が祝いの舞を見上げながら、物珍しげにそう言った。 「柊はこの国の重臣やし、忍頭やからな。こんくらいは派手にお披露目しとかなあかんからな。それよりお前らはどうすんねん。さっさとお前も身を固めて、もう二度と家出なんかせぇへんように尻に敷いてもらえ」 「えっ、俺は別に……まだいい。それにこんな賑やかしいのも嫌だ」 「そうかぁ?」  と言いつつ、千珠は重臣たちの輪の中で、年寄りたちに酒をついでやりながら微笑んでいる宇月を見遣った。今日の宇月は黒装束ではなく、薄桃色と朱色の入り混じったような可愛らしい着物に身を包んでいる。千珠はそんな宇月の姿に思わず見惚れた。  こうして普通の女のように明るい色に見を包んでいると、宇月は出会った頃と比べても、ぐっと女らしく、美しくなったように見える。普段はきっちりと黒装束に身を包み、髪の毛もひっつめているため分からないが、ゆったりと緩く結った髪の毛はふわりと柔らかい茶色をしていて、思わず触りたいと思ってしまう。  舜海は少しばかり微笑むと、宇月に見とれている千珠から目をそらす。    そこへ、宇月がゆっくりと近づいてきた。 「千珠さま、お酒を飲んではいけませんよ」  いきなり小言を言われているのである。千珠はぷいと顔を背けて、「ふん」と照れ隠しに鼻を鳴らした。 「宇月、随分とその……今日は、女らしいんだな」  ぎこちなく、千珠は宇月にそう言った。褒めたつもりなのだ。気を利かせた舜海は立ち上がると、酒瓶を持って柊のところへ行ってしまった。 「あいつどこ行ったんだ?」 と、千珠が舜海を眺めていると、「ああしてお酒を注ぎにいって差し上げるのでござんす。そこでお祝いを述べるのですよ」と説明する。 「ふうん。なるほど」 「後でご一緒して、やり方をお教えするでござんす」 と、宇月は微笑んだ。  千珠は照れて、また目をそらした。 「柊様、とてもご立派でござんすな。お二人の明るい未来が見えるようでござんす」  宇月は我が事のようににこにこと笑いながら、嬉しそうにそう言った。千珠も微笑んで、頷く。 「人間てのは色々と宴好きなんだな。こんなに大勢の人間が一度に集まるなんて」 「皆様が柊様をお祝いしたいお気持ちをお持ちだからですよ。人徳のなせる技でございます」 「ふうん、そんなもんか」 「千珠さまがこうなさるときも、きっと大勢の方がお見えになるでござんしょうね。佐為なんか、式を飛ばさず自分が飛んでくるでござんすよ」 「どうせ絡み酒しに来るだけだろ」 「業平様、風春さまも、きっと馳せ参じてくださることでござんしょうね。槐さまも、千瑛さまも」 「まぁ……。でも、業平様から見ればお前は弟子の一人だし、風春にしたらお前は妹分だろ?別に俺だけに会いに来るわけじゃないよ」 「あら」  宇月が丸い目を丸くして、千珠を見つめた。  千珠は首をひねって、そんな宇月の顔を見返す。宇月は少しばかり頬を染めて、ちょっとうつむいた。 「……それは、千珠様のお相手はわたくしだとおっしゃっておいでなのですか?」 「何いってんだ、当たり前じゃないか」 「まぁ」  宇月の顔が更に赤くなる。千珠は言ってからはっとして、揃って顔を赤くする。  賑やかしい宴の席の中、二人の間だけに静寂が生まれているような感じがした。千珠はどきどきと高鳴る心臓をそっと押さえて、ごくりとつばを飲み込む。 「今はまだ、はっきりとそういう暮らしを思い描けるわけじゃないし……。子を成すこととかも、まったくもって想像できないけど……」 「はい……」 「でも、お前となら。そういう未来になったらいいなと思うんだ」 「……はい」 「お前は?宇月は……どうなんだよ。俺のこと、やっぱりまだ子どもだと思うのか?俺は、柊みたいに良いことを言えないし、落ち着きもない。お前からみたら俺は頼りないがきかもしれない」 「まぁ確かに、落ち着きはないしいいことをおっしゃるわけではないですし、私よりもずっと年下で、頼りになるかどうかは分かりませぬが……」 「……そんなはっきり言わなくてもいいじゃないか」  淡々と千珠の言ったことを復唱して挙げ連ねる宇月を、千珠はやや落ち込みながら恨めしげに見た。そんな千珠の目つきを見て、宇月はとても楽しそうに笑った。 「でも、そういうところ全てが、千珠さまの魅力でござんすよ。私は……そういうあなただからこそ、おそばにいたいと思っているのでござんす」 「え?……それって、俺でいいって言ってんのか?」 「はい」  宇月は桃の花が花開くように、ふんわりと微笑んだ。千珠は腹の底から嬉しくなって、思わず宇月の手をぎゅっと握り締める。 「俺でいい、ではございませんよ。私は、千珠さまだから良いのです」 「宇月……本当か?」 「はい」 「……そっか。そうなんだ。ふうん……」  白い肌をぽっと染めて、花のように笑っている千珠は、なんとも言えず美しい。宇月は自分の手を握る千珠の手の上に、自らの掌を重ねる。  千珠は宇月を抱きしめたくて仕方がなかった。しかし、今は柊の祝の席だと自分に言い聞かせて、なんとか耐え忍ぶ。 「さぁ、柊様にお祝いをお伝えに参りましょう」  宇月は千珠の手を引いて、立ち上がった。千珠も笑って、立ち上がる。  並んで歩く二人の姿は、すでに若夫婦のようにも見えた。忍衆の若者たちは、そんな二人の背中を見てやいやいと囃し立てる。  重臣たちの中に座していた舜海も、そんな二人の姿を微笑みながら見つめていた。幸せそうな千珠の顔が、眩しくて仕方がない。  だから胸がしくしくと痛むことには、今は気づかないふりをしておくことにした。菊池宗方と大江唯輝から盃を勧められ、千珠たちから目をそらす。わいわいと乾いた笑い声を立てながら、舜海は心の目を閉じた。  あいつの幸せを邪魔しない。それが自分に課した決まりごとだ。  ――これでいいんや。前を見ろ。   舜海のどこか痛々しい表情に、光政は気づいていた。だが何も言葉はかけない。自分と同じ思いを持っていると、分かっているから。 「千珠さま、ありがとうございます」  芽衣がうっとりと千珠に見惚れながら、盃を受けているのを見て、柊は苦笑いをする。 「やれやれ、やはり千珠さまにはかないませぬな」  柊はそう言いつつ、自分も千珠から酒を注いでもらって上機嫌である。宇月は微笑んで、そんなやり取りを見つめていた。 「白い衣も似合うじゃないか」 「そうですか?まぁこういう日でもないと、着ぃひんからね」 と、柊は自分のなりを見おろす。 「千珠さまもおひとつ」  芽衣が酒を勧めるのを、柊は手で制す。 「おい、やめてくれ。この子は酔うと恐ろしいことになんねんから」 「この子とか言うなよ」 と、千珠がむくれる。 「あら、おめでたい席ですのに」 と、逆に芽衣の興味を引いてしまったらしい。宇月は重ねて、「いえあの、本当に面倒なのでやめておかれたほうがよろしいでござんす」と進言する。 「面倒くさいとか言うなって」 「そこまでは言っておりません」 「む」  千珠は膨れて、柊の手から盃をさっと奪い去った。ただでさえ素早い千珠の動きだ。柊は千珠がくいと酒を煽るのを見てから、ようやく自分の手に盃がなくなっていることに気がつく。 「あ!千珠さま!あかんて!」 「もうすぐ俺も二十だ、これくらい……」 「あぁもう、知らないでござんすよ!」 と、宇月が冷や汗を拭う。 「あら、一体どうなるんですの?」 と、芽衣はきらきらと目を輝かせて千珠を見つめた。  言っているそばから、千珠の目つきが豹変する。じいっと柊を見つめて、千珠はひくっとしゃっくりをした。 「柊、お前。今日は一段と美味そうだな……」 「あぁまた始まった……」  柊は頭痛をこらえるように頭を押さえると、大騒ぎになる前に千珠を人気のない所に移そうと立ち上がった。 「ほら、こっち来てください。こんなとこで投げ飛ばされんの、嫌やで、俺」  ぐいと顔を赤くしている千珠の腕を掴んだ柊に、千珠はずるりと立ち上がらされる。不安げな顔をしている宇月とは対照的に、何も知らない芽衣は「千珠さまったら、可愛らしいこと」と笑っている。  「どうせすぐ寝てまうねんから。忍の誰かについといてもらいましょね。おおい、朝飛」 「頭、主役が何をうろうろと……」  朝飛が上座から立ち上がって千珠を引きずっている様子を見て、驚いている。千珠の目はすでに据わっており、じろりと朝飛を睨んだ。 「う。何ですのん、千珠さま」 「やっぱりお前のほうが美味そうだ」  そう言って、千珠は柊に組み付いて、そのまま背負い投げをしようとした。柊は慣れたもので、そんな千珠の動きを先回りし、足払いをして千珠を床に引き倒す。だんっと大きな音が宴の席の中央で繰り広げられ、皆がけらけらと笑い出した。 「なんだなんだ、千珠さまの余興かな」 と、菊池宗方がしゃっくりをしながら手を叩く。 「なんだぁ、柊との組手か?まったく、酔狂な……」 と、唯輝も苦言を呈しながらも、楽しげにそれを見ていた。 「おいおい、また飲んでんのか。あの阿呆」 と、それを止めるべく、舜海は立ち上がる。  背中を床にたたきつけられた千珠は、ぎらりと目を光らせたかと思うと、全身をばねのように使い下半身を跳ね上げ、両足を柊の腹に巻きつけた。そして腰をひねって柊を床に引き倒す。慣れない衣で身動きの鈍くなっていた柊は、あっさりと千珠に組み敷かれてしまった。 「いってぇ!あのなぁ、千珠さま、こういう場面でこんなおいたは……」 「おいたってなんだよ。みんなして俺をがき扱いしやがって」  千珠は柊の腹の上に乗ったまま、じとりと柊を見おろす。見かねた朝飛が千珠を引き剥がそうとするが、千珠は腕の力のみで朝飛を部屋の反対側まで投げ飛ばした。 「うわぁ!!」 「おお~さすが、お強いのお」 と、重臣たちは拍手をしている。 「おい、お前!いいかげんにせぇよ!お前ら、全員で取り押さえろ!」  舜海の指示で、忍衆達が一斉に千珠に掴みかかる。柊は青くなった。 「離せぇ、この野郎!邪魔すんなぁ!」  竜胆に羽交い締めにされ柊から引き剥がされた千珠は、竜胆の腕を片手で掴んで更に投げ飛ばす。もみくちゃになった忍衆たちを見て、皆が楽しげに笑い、主役たる芽衣も手を叩いて笑っていた。  宇月は見ていられないという様子で頭を抑え、光政は苦笑いである。 「離せ離せぇ!」  取り押さえられた千珠は、ずるずると引きずられて宴の席からつまみ出されていった。光政は呆れながらも、楽しげにしている重臣たちや家臣たちの笑顔を見て、あんな振る舞いをしたにも関わらず、千珠がしっかりとここで受け入れられているのを改めて実感し、微笑んだ。 「……まったく、仕方のない奴らだ」 「もう知らん、あの阿呆」 と、舜海は光政の隣に座る。 「殿も甘すぎるんですよ、千珠に。もっとびしっと叱ったって下さいよ」 「はははっ、そうだな。そうするよ」 「全く」 「でも、皆楽しそうだ。何よりだな」 「ま、そらそうですね」 「素晴らしい、俺も楽しいぞ」 「なんや、殿も酔うてんのか」 「やれやれ、たまりませんよ、こっちは」 と、ぼろぼろにされた柊が上座に戻ると、芽衣がすかさずその衣装を直してやっている。そんな風景も微笑ましく、舜海と光政は笑った。 「宇月、さっさとあいつと夫婦になって、あいつを落ち着かせろ」 と、光政。 「私に押し付けないで欲しいでござんす」 と、宇月は憮然としている。 「はははっ、夫婦になる前から三行半か」 と、柊が笑う。 「よいよい、騒がしいのが何より楽しい。はははっ」 と、光政は皆に酒を注ぎながら、いつになく楽しげに笑っていた。  賑やかで明るい昼下がりに、楽しげな声がこだまする。  新しい世代の誕生を予感させる華やいだ空気と、希望に満ちた笑い声を耳にしながら、千珠は庭木の上に立っていた。  美しい国、気のいい仲間たち。 「……ここで寝るか」  千珠は唇に笑みを乗せて、庭木の枝に腰掛け、どっしりとした樹木に背をもたせかけた。  楽しいな。  幸せだ。  こんな気持ちになれる日が来るなんて、思ってもみなかった。  千珠はうとうとしながら、木漏れ日を感じながら目を閉じる。 「千珠さま、またそんなところで……!」  小五月蝿い柊の声を子守唄のように聞きながら、千珠はゆったりと昼寝にありついたのであった。  異聞白鬼譚【八】ー祓い人の罠ー   ・   終

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