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三十二、親心

 雪代から知らせを受けていた千珠は、すでに城へ戻り朝飛の傷の手当に立ち会っていた。  珠緒の元へ駆けつけたいのは山々だったが、宇月それを留められたのである。雪代を始め、夜顔、槐がすでに子どもたちを保護しているという知らせが入っている以上、そこへ千珠が向かうとややこしいというのだ。 「若い方を信じて待つのも御役目でござんしょう」 と、宇月は青い顔をしながらそう言った。本心では珠緒が心配で仕方がないことが伝わってくると、同じ気持ちの千珠はそれ以上言い返せない。  忍寮をうろうろと歩き回っていると、柊が落ち着いた声で千珠をたしなめる。 「少しは落ち着いてくださいよ、千珠さま」 「……落ち着いてるよ」 「さっきから、同じ所をぐるぐるぐるぐる……目が回ります」 「……だってさ」 「すみませんでした、千珠さま」 「え?」  柊はすっと正座をすると、膝の上に拳を乗せて頭を下げた。千珠は驚いて立ち止まり、柊を見下ろす。 「うちの阿呆な子ども達が珠緒を危険な目に合わせたんや。ほんまに、すいませんでした」 「……いや、別にお前が謝らなくとも。それに、まさかあんなところに盗賊が出るなんて、誰も思わなかったろ」 「そうですが……ここ数年の平和で俺もすっかり不抜けていた」 「それでいいじゃないか。俺は別に怒ってないよ」 「……すみません」 「いいって。白蘭と白露にはいつも珠緒が世話をかけてるんだ。それより、朝飛……」  奥の部屋で宇月と水国の手当を受けて眠っている朝飛の傷は、肩から腰のあたりまでざっくりと斬られたひどいものだった。しかも切れ味の悪い、手入れのされていない太刀で切られたため、傷はえらく膿んでしまっている。  千珠と柊は浮かない顔だ。一番に二人が謝罪をしなければならない相手は朝飛だ。非番の時に護衛を頼まれた挙句、負傷させたのだから。  朝飛が斬った盗賊たちは、全員すでに絶命していた。足首を切断されたあの男も、雨のせいで血が止まらず、そのまま死んだ。子どもたちを追った方の盗賊たちはどうなったのだろうかと、千珠は気がかりで仕方がなかった。  人を殺めたことを知り、傷ついた夜顔がこんな事件に巻き込まれて、またどんなふうに影響を及ぼすのかと思うと心配だった。 「……」  千珠は、雨上がりですっかり晴れ渡った空を窓から見上げて、腕組みをする。  その時、入口のほうがにわかに騒がしくなり、人の気配を数人分感じ取った千珠は、一目散にそちらへと駆けていった。 「……珠緒!」  夜顔に抱かれて戻ってきたずぶ濡れの珠緒を見て、千珠は思わず駆け寄った。珠緒は千珠の姿を見て、大きな目をぱちぱちと瞬かせ、そして泣きだした。 「あーん、ははうえぇー!」 「珠緒……!無事でよかった……!」  千珠は泣いている珠緒をぎゅっと抱きしめて頬を寄せ、唇を噛んでじっと目を閉じた。珠緒はわんわんと泣きながら、千珠の頬をぬらしている。珠緒の泣き声を聞きつけて、奥から宇月も飛んできた。 「珠緒!」 「うわあああん」 「よかった……怪我はないでござんすか?こんなに濡れて、あら、血がついているでござんす!」 「返り血だろう、怪我はしてないよ」 と、千珠は宇月の肩を抱く。涙目で千珠を見上げる宇月の姿を見て、白蘭たちはまたぽろぽろと泣き始めた。 「ごめんなさい……ごめんなさい千珠さま、宇月さま……」 「あたしたちが、珠緒を連れだそうなんてしたから……」  今まで張り詰めていた二人の気持ちが、一気に緩んでしまったようだ。二人はわんわんと泣きながら、千珠と宇月にひたすら謝り続けた。珠緒を宇月に任せると、千珠は二人の前に跪き、ぎゅっと二人共を抱きしめた。 「お前たちも、無事でよかった。怖かったろ?」 「うわあああん!ごめんなさい……!」 「もういい。それより、お前たちが謝るのは朝飛だ。それから、ちゃんとお礼を言うんだぞ」 「あさひ……様、どこに……?」  えぐえぐとひどい顔でしゃくり上げながら、白蘭がそう尋ねる。鼻水を垂らして泣いている顔を見て、千珠は笑って頭を撫でる。 「奥にいる。夜顔の先生が、治してくれたんだぞ」 「え?」 と、居心地悪そうにしていた夜顔の顔が、少し動いた。千珠は夜顔を見上げて微笑む。 「素晴らしい医術だ。いい先生についたのだな」 「……はい」  夜顔は誇らしげに微笑み、頷く。そこへ、柊がのっそりと姿を現した。  白蘭と白露を始め、夜顔と槐までもがはたと息を飲んだ。普段、冷静であまり表情を表に出さない柊の顔に、はっきりとした怒りを見て取ったからだ。  忍装束に身を包み、頭巾をしていない柊は長い髪をひとつに束ね、額当てを巻いている。そのすっきりと出たこめかみの辺りの血管がぴくりと動いている。 「……父上」 「……白蘭。お前は自分のしでかしたことの重大さが分かっているか」 「……はい」  白蘭が震え上がって、こっくりと頷く。白露も兄の横で小さくなった。 「朝飛にあんな怪我を負わせた上、珠緒と妹を危険に晒した。今日俺は、お前に手習いをするよう言っておいたのに、それを破って遊びに出ようとしたからだな」 「……はい」  白蘭の声が小さくなる。ぎゅっと拳を握りしめながら、白蘭は顔を上げて柊を見あげた。切れ長の柊の目が、更に細くなる。  つかつかと白蘭に歩み寄った柊の平手が、ばしっと鋭い音を立てて小さな頬を打った。皆が緊張して、柊親子を見つめている。  白蘭は打たれた頬を押さえ、涙を目にいっぱいためて、柊を見あげた。 「……痛いか」 「……痛いです」 「戦いがどういうものか、身を持って分かったか。血が流れ、人が傷つくということがどういうことか」 「……はい」  柊は片膝を着いて白蘭の前にしゃがむと、ぎゅっと白蘭を抱きしめた。腕を伸ばし、白露も一緒に抱きしめる。 「馬鹿者。心配させよって、この阿呆が」 「父上……ごめんなさい……ごめんなさい」 「よう護った。珠緒も、白露も。よう頑張ったな」 「……はい」 「うわーん」 と、白露が泣き出す。白蘭はぎゅっと目をつむって、涙を堪えているようだったが、こらえ切れない涙がその瞼からぽろぽろと流れだす。父親の大きな身体にすがって、二人の小さな忍はおいおいと泣いている。柊はそんな二人をただただ無言で、ずっとずっと抱きしめていた。  千珠は微笑んで、そんな親子の背後に佇んでいる槐と夜顔を見比べる。二人は並んで、複雑な表情を浮かべていた。 「……槐、お前にも世話をかけたな」  側にやってきた千珠に、槐は首を振って答えた。 「いいえ、私が行った時には、すでに夜顔殿が敵を打ち倒していましたから」 「あ、いや……僕は……」 「状況は雪代から聞いている。ふたりとも、ありがとう」  千珠に軽く頭を下げられて、二人は慌ててしまう。 「兄上、そんな、やめてください。私は本当に、子どもたちを連れて帰ってきただけです」 「いいんだ。顔見知りのお前がいて、子どもたちも心強かったろう。雪代は怖いからな」  夜顔と雪代の間の、小さな言い合いを槐はふと思い出した。厳しく冷たい物言いの雪代は、もうひとり現れた応援とともに盗賊を連れてすぐに姿を消したのである。 「ふたりとも、着替えて休んでくれ。すぐになにか暖かいものを持って行かせるから」  千珠にそう言われ、二人は目を見合わせて頷いた。

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