15 / 67
第15話
並べられた書類の中には写真等が混ざっていて、彪鷹はその中の一枚を弾いて笑った。
「あらまー。悪そうな顔やなぁ」
「それは売人の一人で尹です。尹は遣いで、下っ端ですね。腕に刺青がある」
「刺青…」
「こいつ、今、お魚さんや」
「泳がしとるんか」
「そ、でも警戒心が強いからなかなか尻尾出さんの」
万里はくつくつと笑った。彪鷹は並べられた書類をぼんやり眺め、顎を撫でた。
「で?風間の島は?」
「今のところは問題あらへん。やて、バレてへんだけで、やっとるんかもな。京都かて分からんえ?鬼頭が俺らに言わんだけで、なんやこそこそしよるんかも」
万里はそう言うとニヤリと笑った。
眞澄と心の大きすぎる喧嘩のことを言っているのか、彪鷹は相好を崩さずに万里の煙草に手を伸ばした。
「心と眞澄もやけど、お前も同じ親の子や。仲良うせぇや。潰す気か、仁流会」
「あんたの息子に言うてや。あいつが一番協調性に欠けるわ」
万里はベーッと舌を出す。まるで子供の様な仕草に、プッと相川が笑い彪鷹がその頭を叩いた。
「彪鷹さんは…眞澄さんにお逢いしたことは?」
「あ?あるで。まぁ、小さい時分やから、今とは顔付きも別人やろか?」
「そうですか。眞澄さんは最近会合などにも出ずにいらして、病気か何かかと心配してたんです」
「病気ー?ははっ…元気やろ」
「はい。先日、久々にお逢いしました。元々、精悍な顔つきでしたが、それよりもまた一段と凛々しくなってました。何かあったんですかね?」
「さぁな、思うとこあったんやないか?」
彪鷹は煙草を灰皿に押し潰した。
カマ掛けてきやがって、本当に嫌な奴と腹の中で舌を出す。長居は無用だなと、彪鷹は残ったコーヒーを飲み干した。
「貴重な情報おおきに」
彪鷹はそう言うと立ち上り、それを見た相川も慌てて立ち上がる。
「帰らはるん?」
「出張費、出ーへんからなぁ、うちの組。早いこと帰らんと、残業代もつかんからサービス残業なんねん」
「えー。エエ姉ちゃん揃えたんにぃ」
「マジっ…あだ!」
餌に食いついた相川の後頭部を彪鷹が叩きあげた。
絶対コイツ、美人局にいつか捕まる。これ確実だ、と彪鷹だけじゃなく万里達も思った。
下半身、節操無し。
「エエ姉ちゃん、美人局やったら怖いやろ」
「よー言うわ。あぁ、心にもたまには顔出せ言うてな」
「あいつ、根暗な引き蘢りやからなぁ。ああ、それ、大事にせぇや」
彪鷹は万里の顔にかかったサングラスを指差した。万里はサングラスの隙間から赤い目を出して、ウインクした。
「形見にならんよぉに、彪鷹はんと兄ちゃんも元気で」
万里は笑って手を振った。
「マジでとんぼ返りっすか?」
相川はハンドルを握って、どこか不満げだ。だが彪鷹は煙草を銜えて携帯を弄る。
本当に観光出来るとでも思っていたのか。その短慮軽率さが羨ましいところだ。
「相川、万里の…あの拳受けてたら、どうなった?」
「はぁ?顎が砕けてたっすよ!パねぇスピード。あんな顔で見ました?拳潰してるとか、訳わかんね。っつーか、彪鷹さん、分かってたんすか?あの不意打ち」
「あー?いやー?何となくや。でもあれが、武闘派明神組の狂犬。まさにチワワやのにライオンですかみたいやな」
「なんすかそれ。チワワはチワワがいいでしょ。チワワ形のライオンとかなら、全然可愛いじゃないっすか?でも、あの目はビビった」
「そういやぁ、明神とこのガキはルビーって聞いたことあんなぁ。なんのこっちゃ思たら、あの目のことか」
燃える様な宝石の様な、普通ではない瞳の色。だが万里のあの顔だからか、それが異様に見えない。
明神のルビーは触るな危険だとか、訳の分からない話はそういうこと。あのただならぬ色香と、どこか妖艶な雰囲気。呑まれたら終わりということか。
さすが狂犬ー武闘派明神組若頭。
「ってか、神原って何か嫌な感じっすね!」
そこは感じ取ったんだと思いながら、彪鷹は煙草に火を点けた。
「神原なぁ。せやけど、うちのコンビよりちゃんとしとるよな。あいつらは盃交わしとるからな」
「え!うち交わしてないの!?マジで!?」
「お前なぁ…交わすと思うんか、心と相馬が。相馬が心を庇って死ぬ思うか?あいつなら、鉄砲玉来ても避けよるわ。で、涼しい顔して言いよるで。ここで死ぬなら、そこまででしょってなぁ」
「ないわー。想像できるだけに反論出来ないっす。よぉ、うちの組って保ってるっすよね?」
「まぁ、眞澄んとこやて何やかんや言うて交わしとるしなぁ」
まぁ、あれはあれで厄介なものだろうと思う。眞澄は御園を盾にすることは絶対ない。反対に身を挺して御園を守りそうだ。
あそこは眞澄の御園への異常なまでの依存で成り立っている。今後、眞澄が組を継いだときどうなるのか。
「ほんまに、仁流会、大丈夫かいな」
「は?何すか?でも神原って奴、あれっすね、うちと鬼頭組のゴタゴタ?知ってるって感じっすね!めちゃ探り入れてきたみたいな」
「神原はなぁ…武闘派明神組唯一の頭脳や。うちのんには負けるけどな」
「若頭っすか?」
「そうそう。あれに比べたら神原はまだまだやな。顔に出よるし。相馬ならシレッと証拠並べて、お盛んですねって笑いよるわ」
「怖い怖い怖い」
わざと怯えてみせる相川を横目に、彪鷹は紫煙を窓の隙間から外に吐き出した。
「ま、今は明神より…あの余所者や」
「知ってるんすか?」
「入れ墨見たか?」
「気合い入ってたっすね!」
神原が出した写真の中に、腕の入れ墨が写り込んだものがあった。花の柄の特徴のある蛇が巻き付いた入れ墨は、右腕全てに彫り込まれており、その存在を誇示していた。
「あいつら、香港マフィアやな」
「え!入れ墨で分かるんすか!マジっすか!すっげぇ」
「…相川、お前、ちょっと勉強しろよなぁ」
彪鷹は呆れた様に頭を抱えた。
「あの腕に入ってた入れ墨の絵柄、あれは香港マフィアの 花蛇 の紋章や。あいつら、銀バッチの代わりに入れ墨入れよる強者やからな」
「え?でもー、知らん言うてたっすよ?明神」
「あほたれ。同じ仁流会でもなぁ、仲良しこよしやあらへんねん。100%情報くれるわけあらへんやろ」
「え!嘘っぱち!?」
あれを全部鵜呑みにしたのか、本当にアホかとは口には出さずに目一杯の嘆息で訴えてみる。無駄なことだが。
「あー、嘘やない。でも全部やない。まぁ、あわよくば…うちの動きも探れて、うちを動かして情報せしめたり」
「うちから…情報?」
「内偵も情報収集も、うちが仁流会で一番長けとる」
「あー、崎山」
相川は一瞬、眉を上げた。日々、相当に悪辣な事を言われているのか、その顔が全てを物語っている様で彪鷹は笑った。
「なんや、どないした?」
「いやいや、うん、そうっすね。崎山率いる裏鬼塚」
「裏鬼塚なー。なぁ、実は、まだまだおるんやろ?」
「あー、そうっすねー。ってか、ぶっちゃけ裏のことは崎山しか知りませんよ。俺も一部しか知らないんっすよねー。人数も顔も…」
「何や、大将はあいつか。せやけど鷹千穗も一派やろうが?あれは裏でも一人か」
異質な鷹千穗。異質さだけではなく、取扱い注意な人間なのは誰もが百も承知だ。
コントロールの利かない猛獣。彪鷹は備え付けられた筒状の灰皿に、煙草を投げ捨てた。
「鷹千穗はねー、ああ、悪く言うつもりないっすよ、ガチで。でも鷹千穗が誰かと馴れ合う訳ないっしょ?雨宮と…解体屋と…くらい?」
「解体屋?そんなんもおんのか?裏鬼塚か?」
「いや、あいつは便利屋って感じかなぁ?解体屋もするし、腕足らんときは表にも出てくる」
「なんやそりゃ…素性知らんのか」
「崎山しかね」
「崎山様々やなぁ」
「俺ね…」
相川が突然、神妙な顔を見せた。唇をギュッと噛んで、どこか真剣な顔。いつもヘラヘラして女の尻を追い回すそれとは全然違うそれに、彪鷹は首を傾げて相川をじっと見た。
「崎山は、実は人間じゃなくて、魔界から来た悪魔の申し子ってやつと思うんっすよ!」
「…は?」
長旅の疲れが、一気に彪鷹に振りかかった瞬間だった。
「最近…」
助手席で煙草を燻らす心は、前を見据えたまま独り言のように呟く。
「え?」
成田はContinental GT Speedのハンドルを握りながら、心に耳を傾けた。鬼塚組の事務所に顔を出し、帰路についている途中。
少し遅くはなったが心の機嫌も悪くもないし、今日は何も問題もなく終わりそうだと思っていた時だ。
「最近、何かおかしいやろ」
「なにがっすか?」
「何か隠しとるよな?」
思わずブレーキを踏みそうになった成田は、背中に嫌な汗を掻いたがそれを悟られまいと笑ってみせた。
「何をすか?」
「さぁな。でも、会合も総会も相馬や他の連中が代理で出とる」
いやいや、今に始まったことやありませんやん。と言いかけたが、余計なことは言うまいと成田は口を噤む。
「いや、実は最近、組に対して不穏な動きする輩がいまして」
「あ?聞いてへんぞ」
「抗争とかやあらへん、ちっちゃい組ですから、橘んとこが片付けに入ります」
勿論、言うまでもなく嘘だ。だが成田は自他共に認める嘘の下手な男だ。そして相手は心。
洞察力に優れているなどという特異なところはないが、如何せん並外れた野性の勘なるものを持ち合わせている。
鼻が利くなんて刑事に使うような言葉は使わないが、それに近いものがある。いや、それ以上。
特別な動きをしていることはない、誰も彼もが普段通り。心が気が付くような動きをするような、初歩的なミスをするような人間は居ない。
ただあの写真がある以上、皆がみな普段通りというわけではない。崎山率いる裏鬼塚だけが、闇夜で獲物を狙う猛禽類のようにひっそりと動いている。
「何や気になることでもありましたん?」
「…あ?別に。相馬にブガッティ買ったのバレて、いつものねちっこい厭味を聞いた」
「いつも通りやないですか」
というか、普段となんら変わりない日常ではありませんかと、成田は思った。
心の言うねちっこい厭味。相馬の小言は今に始まった事ではないし、機嫌が悪い時は心の箸の持ち方にまでケチをつける。
だが、その相馬の機嫌を悪くして、殺人的なスケジュールをこなさせているのは他の誰でもない心だ。
心が表の事だけではなく、裏の事もほぼ相馬任せの今の状況事態がおかしいのだ。
「気に入りませんか?」
「何かちゃう」
心はそう言い捨てると、倒し切っているシートにゴロンと寝転がった。何かは分からないけど、何かが違うなんて言いがかりにも似たそれに心相手だからこそ、危機感を覚える。
成田は少し考える素振りを見せた。
「ああ、何やったら、橘に報告に行かしましょうか?」
「いらね、面倒くせぇ」
「はぁ…」
こうなったら成田には太刀打ち出来ない。出来るとするなら…。
そんな事を思案しながら成田は帰路を急いだ。
「あ、おかえり」
玄関を開けるとそこには静が居た。シャツにスラックス姿のそれは仕事から帰ったばかりのようで、成田は頭を下げた。
救世主ー!!と、口に出さずに顔にも出さずに心の中で拳を握る。
「お疲れ様です」
「お疲れ様…?」
二人のやり取りを他所に心は部屋に上がると奥に消えてしまった。その足取りはどこか乱暴で、成田は息を吐いた。
「何あれ、機嫌悪いってか、感じ悪」
思っていても言えないそれを、静がさらりと言う。思わず苦笑いをして成田は頭を掻いた。
「すんません。機嫌悪くしてもうて」
「は?悪いのはあいつでしょ?どーせ。あの辺がガキなんだよな」
「いや…それは」
何とも言えませんけど。というか、後はよろしくお願いします。
「あの、雨宮は帰っとります?」
「車庫に居なかった?俺降ろしたら、車直しに行ったよ?」
「あ、俺まだ車庫に行っとりませんねん。覗いてきますわ」
「うん、わかった」
静に軽く頭を下げて広い玄関を出て、そこから少し離れた場所にある車庫に向かった。
ともだちにシェアしよう!