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第15話

並べられた書類の中には写真等が混ざっていて、彪鷹はその中の一枚を弾いて笑った。 「あらまー。悪そうな顔やなぁ」 「それは売人の一人で尹です。尹は遣いで、下っ端ですね。腕に刺青がある」 「刺青…」 「こいつ、今、お魚さんや」 「泳がしとるんか」 「そ、でも警戒心が強いからなかなか尻尾出さんの」 万里はくつくつと笑った。彪鷹は並べられた書類をぼんやり眺め、顎を撫でた。 「で?風間の島は?」 「今のところは問題あらへん。やて、バレてへんだけで、やっとるんかもな。京都かて分からんえ?鬼頭が俺らに言わんだけで、なんやこそこそしよるんかも」 万里はそう言うとニヤリと笑った。 眞澄と心の大きすぎる喧嘩のことを言っているのか、彪鷹は相好を崩さずに万里の煙草に手を伸ばした。 「心と眞澄もやけど、お前も同じ親の子や。仲良うせぇや。潰す気か、仁流会」 「あんたの息子に言うてや。あいつが一番協調性に欠けるわ」 万里はベーッと舌を出す。まるで子供の様な仕草に、プッと相川が笑い彪鷹がその頭を叩いた。 「彪鷹さんは…眞澄さんにお逢いしたことは?」 「あ?あるで。まぁ、小さい時分やから、今とは顔付きも別人やろか?」 「そうですか。眞澄さんは最近会合などにも出ずにいらして、病気か何かかと心配してたんです」 「病気ー?ははっ…元気やろ」 「はい。先日、久々にお逢いしました。元々、精悍な顔つきでしたが、それよりもまた一段と凛々しくなってました。何かあったんですかね?」 「さぁな、思うとこあったんやないか?」 彪鷹は煙草を灰皿に押し潰した。 カマ掛けてきやがって、本当に嫌な奴と腹の中で舌を出す。長居は無用だなと、彪鷹は残ったコーヒーを飲み干した。 「貴重な情報おおきに」 彪鷹はそう言うと立ち上り、それを見た相川も慌てて立ち上がる。 「帰らはるん?」 「出張費、出ーへんからなぁ、うちの組。早いこと帰らんと、残業代もつかんからサービス残業なんねん」 「えー。エエ姉ちゃん揃えたんにぃ」 「マジっ…あだ!」 餌に食いついた相川の後頭部を彪鷹が叩きあげた。 絶対コイツ、美人局にいつか捕まる。これ確実だ、と彪鷹だけじゃなく万里達も思った。 下半身、節操無し。 「エエ姉ちゃん、美人局やったら怖いやろ」 「よー言うわ。あぁ、心にもたまには顔出せ言うてな」 「あいつ、根暗な引き蘢りやからなぁ。ああ、それ、大事にせぇや」 彪鷹は万里の顔にかかったサングラスを指差した。万里はサングラスの隙間から赤い目を出して、ウインクした。 「形見にならんよぉに、彪鷹はんと兄ちゃんも元気で」 万里は笑って手を振った。 「マジでとんぼ返りっすか?」 相川はハンドルを握って、どこか不満げだ。だが彪鷹は煙草を銜えて携帯を弄る。 本当に観光出来るとでも思っていたのか。その短慮軽率さが羨ましいところだ。 「相川、万里の…あの拳受けてたら、どうなった?」 「はぁ?顎が砕けてたっすよ!パねぇスピード。あんな顔で見ました?拳潰してるとか、訳わかんね。っつーか、彪鷹さん、分かってたんすか?あの不意打ち」 「あー?いやー?何となくや。でもあれが、武闘派明神組の狂犬。まさにチワワやのにライオンですかみたいやな」 「なんすかそれ。チワワはチワワがいいでしょ。チワワ形のライオンとかなら、全然可愛いじゃないっすか?でも、あの目はビビった」 「そういやぁ、明神とこのガキはルビーって聞いたことあんなぁ。なんのこっちゃ思たら、あの目のことか」 燃える様な宝石の様な、普通ではない瞳の色。だが万里のあの顔だからか、それが異様に見えない。 明神のルビーは触るな危険だとか、訳の分からない話はそういうこと。あのただならぬ色香と、どこか妖艶な雰囲気。呑まれたら終わりということか。 さすが狂犬ー武闘派明神組若頭。 「ってか、神原って何か嫌な感じっすね!」 そこは感じ取ったんだと思いながら、彪鷹は煙草に火を点けた。 「神原なぁ。せやけど、うちのコンビよりちゃんとしとるよな。あいつらは盃交わしとるからな」 「え!うち交わしてないの!?マジで!?」 「お前なぁ…交わすと思うんか、心と相馬が。相馬が心を庇って死ぬ思うか?あいつなら、鉄砲玉来ても避けよるわ。で、涼しい顔して言いよるで。ここで死ぬなら、そこまででしょってなぁ」 「ないわー。想像できるだけに反論出来ないっす。よぉ、うちの組って保ってるっすよね?」 「まぁ、眞澄んとこやて何やかんや言うて交わしとるしなぁ」 まぁ、あれはあれで厄介なものだろうと思う。眞澄は御園を盾にすることは絶対ない。反対に身を挺して御園を守りそうだ。 あそこは眞澄の御園への異常なまでの依存で成り立っている。今後、眞澄が組を継いだときどうなるのか。 「ほんまに、仁流会、大丈夫かいな」 「は?何すか?でも神原って奴、あれっすね、うちと鬼頭組のゴタゴタ?知ってるって感じっすね!めちゃ探り入れてきたみたいな」 「神原はなぁ…武闘派明神組唯一の頭脳や。うちのんには負けるけどな」 「若頭っすか?」 「そうそう。あれに比べたら神原はまだまだやな。顔に出よるし。相馬ならシレッと証拠並べて、お盛んですねって笑いよるわ」 「怖い怖い怖い」 わざと怯えてみせる相川を横目に、彪鷹は紫煙を窓の隙間から外に吐き出した。 「ま、今は明神より…あの余所者や」 「知ってるんすか?」 「入れ墨見たか?」 「気合い入ってたっすね!」 神原が出した写真の中に、腕の入れ墨が写り込んだものがあった。花の柄の特徴のある蛇が巻き付いた入れ墨は、右腕全てに彫り込まれており、その存在を誇示していた。 「あいつら、香港マフィアやな」 「え!入れ墨で分かるんすか!マジっすか!すっげぇ」 「…相川、お前、ちょっと勉強しろよなぁ」 彪鷹は呆れた様に頭を抱えた。 「あの腕に入ってた入れ墨の絵柄、あれは香港マフィアの 花蛇(ホヮーシャア)の紋章や。あいつら、銀バッチの代わりに入れ墨入れよる強者やからな」 「え?でもー、知らん言うてたっすよ?明神」 「あほたれ。同じ仁流会でもなぁ、仲良しこよしやあらへんねん。100%情報くれるわけあらへんやろ」 「え!嘘っぱち!?」 あれを全部鵜呑みにしたのか、本当にアホかとは口には出さずに目一杯の嘆息で訴えてみる。無駄なことだが。 「あー、嘘やない。でも全部やない。まぁ、あわよくば…うちの動きも探れて、うちを動かして情報せしめたり」 「うちから…情報?」 「内偵も情報収集も、うちが仁流会で一番長けとる」 「あー、崎山」 相川は一瞬、眉を上げた。日々、相当に悪辣な事を言われているのか、その顔が全てを物語っている様で彪鷹は笑った。 「なんや、どないした?」 「いやいや、うん、そうっすね。崎山率いる裏鬼塚」 「裏鬼塚なー。なぁ、実は、まだまだおるんやろ?」 「あー、そうっすねー。ってか、ぶっちゃけ裏のことは崎山しか知りませんよ。俺も一部しか知らないんっすよねー。人数も顔も…」 「何や、大将はあいつか。せやけど鷹千穗も一派やろうが?あれは裏でも一人か」 異質な鷹千穗。異質さだけではなく、取扱い注意な人間なのは誰もが百も承知だ。 コントロールの利かない猛獣。彪鷹は備え付けられた筒状の灰皿に、煙草を投げ捨てた。 「鷹千穗はねー、ああ、悪く言うつもりないっすよ、ガチで。でも鷹千穗が誰かと馴れ合う訳ないっしょ?雨宮と…解体屋と…くらい?」 「解体屋?そんなんもおんのか?裏鬼塚か?」 「いや、あいつは便利屋って感じかなぁ?解体屋もするし、腕足らんときは表にも出てくる」 「なんやそりゃ…素性知らんのか」 「崎山しかね」 「崎山様々やなぁ」 「俺ね…」 相川が突然、神妙な顔を見せた。唇をギュッと噛んで、どこか真剣な顔。いつもヘラヘラして女の尻を追い回すそれとは全然違うそれに、彪鷹は首を傾げて相川をじっと見た。 「崎山は、実は人間じゃなくて、魔界から来た悪魔の申し子ってやつと思うんっすよ!」 「…は?」 長旅の疲れが、一気に彪鷹に振りかかった瞬間だった。 「最近…」 助手席で煙草を燻らす心は、前を見据えたまま独り言のように呟く。 「え?」 成田はContinental GT Speedのハンドルを握りながら、心に耳を傾けた。鬼塚組の事務所に顔を出し、帰路についている途中。 少し遅くはなったが心の機嫌も悪くもないし、今日は何も問題もなく終わりそうだと思っていた時だ。 「最近、何かおかしいやろ」 「なにがっすか?」 「何か隠しとるよな?」 思わずブレーキを踏みそうになった成田は、背中に嫌な汗を掻いたがそれを悟られまいと笑ってみせた。 「何をすか?」 「さぁな。でも、会合も総会も相馬や他の連中が代理で出とる」 いやいや、今に始まったことやありませんやん。と言いかけたが、余計なことは言うまいと成田は口を噤む。 「いや、実は最近、組に対して不穏な動きする輩がいまして」 「あ?聞いてへんぞ」 「抗争とかやあらへん、ちっちゃい組ですから、橘んとこが片付けに入ります」 勿論、言うまでもなく嘘だ。だが成田は自他共に認める嘘の下手な男だ。そして相手は心。 洞察力に優れているなどという特異なところはないが、如何せん並外れた野性の勘なるものを持ち合わせている。 鼻が利くなんて刑事に使うような言葉は使わないが、それに近いものがある。いや、それ以上。 特別な動きをしていることはない、誰も彼もが普段通り。心が気が付くような動きをするような、初歩的なミスをするような人間は居ない。 ただあの写真がある以上、皆がみな普段通りというわけではない。崎山率いる裏鬼塚だけが、闇夜で獲物を狙う猛禽類のようにひっそりと動いている。 「何や気になることでもありましたん?」 「…あ?別に。相馬にブガッティ買ったのバレて、いつものねちっこい厭味を聞いた」 「いつも通りやないですか」 というか、普段となんら変わりない日常ではありませんかと、成田は思った。 心の言うねちっこい厭味。相馬の小言は今に始まった事ではないし、機嫌が悪い時は心の箸の持ち方にまでケチをつける。 だが、その相馬の機嫌を悪くして、殺人的なスケジュールをこなさせているのは他の誰でもない心だ。 心が表の事だけではなく、裏の事もほぼ相馬任せの今の状況事態がおかしいのだ。 「気に入りませんか?」 「何かちゃう」 心はそう言い捨てると、倒し切っているシートにゴロンと寝転がった。何かは分からないけど、何かが違うなんて言いがかりにも似たそれに心相手だからこそ、危機感を覚える。 成田は少し考える素振りを見せた。 「ああ、何やったら、橘に報告に行かしましょうか?」 「いらね、面倒くせぇ」 「はぁ…」 こうなったら成田には太刀打ち出来ない。出来るとするなら…。 そんな事を思案しながら成田は帰路を急いだ。 「あ、おかえり」 玄関を開けるとそこには静が居た。シャツにスラックス姿のそれは仕事から帰ったばかりのようで、成田は頭を下げた。 救世主ー!!と、口に出さずに顔にも出さずに心の中で拳を握る。 「お疲れ様です」 「お疲れ様…?」 二人のやり取りを他所に心は部屋に上がると奥に消えてしまった。その足取りはどこか乱暴で、成田は息を吐いた。 「何あれ、機嫌悪いってか、感じ悪」 思っていても言えないそれを、静がさらりと言う。思わず苦笑いをして成田は頭を掻いた。 「すんません。機嫌悪くしてもうて」 「は?悪いのはあいつでしょ?どーせ。あの辺がガキなんだよな」 「いや…それは」 何とも言えませんけど。というか、後はよろしくお願いします。 「あの、雨宮は帰っとります?」 「車庫に居なかった?俺降ろしたら、車直しに行ったよ?」 「あ、俺まだ車庫に行っとりませんねん。覗いてきますわ」 「うん、わかった」 静に軽く頭を下げて広い玄関を出て、そこから少し離れた場所にある車庫に向かった。

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