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第14話
言われた場所に車を停めて、彪鷹は車を降りた。長時間シートに腰掛けていたせいで堅くなった身体を解すべく、腰を回す。
運転をしてきたわけではないが、さすがに疲れたなと欠伸をすると迎えに出てきた男の視線を感じた。
「丸腰やて」
彪鷹はスーツのジャケットを捲って笑った。それに男は頭を下げ、ビルへ向かう。
一階ロビーは閑散としたもので、無人の受付があるだけ。だが中は真新しさを感じた。
新築独特の匂いが鼻を掠めていく。靴音を高く鳴らす床は傷一つなく輝きを放ち、近付けば顔が映り込みそうなほどだ。
「こちらへ」
男は受付の横をすり抜け、数台設置されたエレベーターへと向かった。するとそこに付くのに合わせたかのようにエレベーターのドアが開き、中から男が現れた。
黒の髪を一切の乱れなく後ろに撫で付け、上品にスーツを着こなす。襟元から覗く首は長く、一重の切れ長にノンフレームの眼鏡がその整った顔立ちによく似合っている。
綺麗な男だった。明神組にこんな男が居たとはなと思っていると、彪鷹を見たその男は薄い唇の両端を上げ、笑みを浮かべた。
「お初にお目にかかります。若頭補佐の神原海里と申します」
男、神原はそう言うと丁寧に頭を下げた。
なるほど、これが噂の神原か。思っていたよりもかなり若いなと思ったが、相馬の言うとおり相当頭が切れる男のようだ。
明神組は大阪統括長で、言うなれば鬼塚組の二次団体だ。言うまでもなく親は鬼塚組。その鬼塚組の若頭である彪鷹が直々に足を運んでいるのに、出迎えはなし。ただ一人、大男が居るだけ。
これを指示したのが神原かどうかは不明だが、その出迎え方から分かる事はただ一つ。
平伏しているわけじゃない、ということ。
「俺は佐野。こいつは相川」
彪鷹はそう言うと煙草を銜えた。
「禁煙か?」
「エレベーターではご遠慮願います。火災報知器が反応致しますから」
神原はそう言ってエレベーターのボタンを押して乗り込んだ。彪鷹は相川に顎で合図してエレベーターに先に乗り込ませると、その後に続く。屈強な男も乗り込んでくるのかと思いきや、男はエレベーターに乗る事なくドアが閉まるまで頭を下げていた。
「大男は乗らへんのか」
「小山内ですか?大男ですかね?」
「えらい静かなビルやなぁ。箱だけ立派で中身は空か」
「いえ、移転の最中で。ここは最近建て替えたんです。申し訳ありません、花道も作らずに」
「あれは嫌いやからええわ」
クソタヌキと心の中で舌を出す。
この神原、かなり嫌味な男だ。彪鷹は火の付いていない煙草を唇で弄びながら、サングラス越しに神原を盗み見た。
思ってもいないことを、さも申し訳なさそうに言うところは大したものだ。相馬と良い勝負の三枚舌。
相馬とよく似ていて、だが相馬より性格が歪んでいて、そして腹黒い。いや、腹黒さも良い勝負か。
「ないわ」
「は?なんすか?ってか、俺、受付嬢に超期待してきたんすけどー。今日はないんっすねー。新しい出逢い的なの期待してたんすけどねー」
ペラペラと、どうでも良い事を言ってえへへと笑う相川を神原が侮蔑した。
アホか、こいつ。そんなところ。でも同感と、彪鷹は大息をついた。
エレベーターは最上階で止まり、神原を先頭に続いて降りる。真っ直ぐ一直線に奥へと進む。
周りを見ると確かに引っ越し前なのか、どこもかしこもガラガラだ。
たまに無造作に置かれてあるデスクには、ビニールがかけられている。神原があるドアの前で止まりノックした。
すると中から「どうぞー」と何とも気の抜ける声がした。神原がドアを開け彪鷹達を促す。それに彪鷹は相川に顎を動かし、先に行けと合図した。
相川は首を傾げて彪鷹を見たが、彪鷹は再度行けと顎を動かした。相川はそれに頷き、部屋に入った瞬間、物陰から風を切るような拳が飛んできたのだ。
「のわぁ!?何!」
さすが元チャンピオン。それを綺麗に交わして直ぐ様ファイティングポーズ。
その様子を彪鷹は煙草に火を付け傍観したが、神原は中を覗くことさえしなかった。
「あら?あんはん、どちらはん?神原、なんやこれ」
「鬼塚組の幹部の相川さんです」
「あら」
くすっと小さく笑う声が聞こえ、彪鷹は部屋に入った。
広い部屋には家具らしい家具がなく、やたらと大きな窓にブラインドが掛かるだけ。その部屋の中央に、立派な応接セットがドンッと置かれていた。
「あら、大きい」
相川の正面で、スーツのポケットに手を入れ笑う男に彪鷹は蛾眉を顰めた。
艶やかな黒髪に映える白い肌。ぷるんとした唇が悪戯っぽく弧を描く。それに不似合いなサングラスのせいで顔全体は見えないが、かなり若いのは分かる。
そしてサングラスを掛けた左側のそこから、涙のように真っ赤な傷が走っていて、それが印象的だ。
「ご挨拶やな」
彪鷹はそう言うと、応接セットのソファへ向かいドカリと腰を下ろした。
「堪忍ねぇ…」
「明神万里か」
「せや、明神組若頭明神万里」
「え!マジで!」
何がなんだか現状が飲み込めない相川が彪鷹の横に腰を下ろしながら声をあげ、彪鷹はその頭を叩いた。
「あいた!」
「何や、仁流会は若返りでもしたいんか」
彪鷹は呆れを通り越して笑えるとでも言わんばかりに言い捨てると、紫煙を燻らした。心に万里、そして眞澄。
どれもこれも若輩者と呼ぶに相応しい年齢ばかりだ。勢いと元気の良さだけピカイチなんて、興して間もない会社じゃあるまいし。
「うちのオヤジはあんたより上やし、風間のオヤジもあんたより上や。せやろ?あんた、まさかそへんな顔しとって50越えてへんよな?大体、若返りはかってはんのは、あんたんとこやろ。特に心」
万里はスーツの胸ポケットから煙草を取り出し、火を付けた。
「また、えらいもん吸うてんな」
彪鷹がテーブルに滑らされた箱を見て笑った。ダビドフ・マグナム。葉巻煙草の高級品というところか。
普通の煙草よりも少し太いそれは、小さい唇が銜えると悪さを覚えた子供の早過ぎる遊びというようにも見える。
「葉巻もええんややけど、神原があかんて」
「ダメとは言ってませんよ。コントみたいだと申しただけです」
神原は小山内が持ってきたコーヒーショップのコーヒーをそれぞれの前に配ると、万里の隣に腰を下ろした。
小山内がエレベーターに乗り込まなかった理由は、これを買いにお遣いに出て行っていたからのようだ。だが、あんなどうみても堅気ではない男が来店するなんて、ちょっとした嫌がらせだと彪鷹は思った。
「ほんまに、何もあらへんのやな」
インスタントでもいいからコーヒーくらい置いておけばいいのに、こんな無防備な状態の事務所で密会だなんて、他に場所があっただろうとも思うほどだ。
武闘派を謳う明神組だ。抗争は日常茶飯事のはず。今ここに攻められても、どこまで太刀打ち出来るのやら。
「何もないっていうか、なさすぎやろうよ」
「んー?まぁ、まだ内装終わってへん階もあるなぁ。やて、本家はオヤジが喧しいて、あんたと話されへんさかい」
「木崎組長と俺は面識あらへん」
「やて、逢いたいって言うてはるもん。鬼塚組の若頭はんで、心の親父やろ?」
「は?何で知って…ああ、オヤジさん、山瀬さんと仲良かったんか」
「せや…。なぁ、それクロム・ハーツ?」
万里が身を乗り出し、彪鷹の顔のサングラスに触れる。彪鷹はそれを嫌がることなく、万里の様子を窺った。
心や風間組の嫡男の龍大、鬼頭組の眞澄。どのタイプとも毛並みが違う万里。これが武闘派で知られる明神組の後継者か?どこか首を傾げたくなるのは、その軽さか。
「あら、男前。なぁ、神原」
万里は彪鷹のサングラスを取ると、そう言って笑った。隣の神原は、そうですねと適当にも思える相槌を打つ。
「心と似てんなぁ」
「似てへんわ」
「ほうか?よぉ似とるわ」
万里は銜えた煙草を灰皿に押し潰すと、自分の顔にかかるサングラスを外した。
「…っ」
彪鷹の隣の相川が息を呑んだ。声をあげなかっただけマシか。彪鷹は眉を上げ、万里の顔を見た。
長い睫毛が飾られた、くっきりと印象的な瞳。宝石のオニキスを彷彿させるような輝きもあるそれとは対照的に、左目はメラメラと燃え盛る炎のように赤く色づいていた。
「自前か」
「せやで」
「見えるんか」
「多少、視力が悪いだけや。男前のあんはんの顔もバッチリや」
万里は戯けてみせ、彪鷹のサングラスをかけた。
「これ、記念に頂戴や」
「何の記念や」
「初出逢い?あんたの息子との初出逢いは最低最悪やったからなぁ」
「何か無作法な事でもしよったか?」
彪鷹が相川を見ると、相川は分からないとばかりに首を振って顔の前で掌を動かした。
心が無礼なのは彪鷹は百も承知だが、万里と心の不仲の原因はそれじゃないのかと訝しむ。
「無作法、はっ!あれが無作法ってゆーんか、俺の心が狭いんか…。あのあほう、初めて逢うた時に俺を三下や言いよったんや」
「は?」
相川と共に首を傾げると、それまで暢気にコーヒーを啜っていた神原が小さく笑った。
「初めて逢った時に私を明神万里だと思ったようで、明神に失言をね」
「失言!?はっ、あれが失言か!暴言!」
万里は神原に掴み掛からんとばかりに息巻く。
「まさか!組長がそ、その目のこと…!」
「あほか、心がそないなくだらんこと言うか」
彪鷹はテーブルに置かれた万里のサングラスをかけると、神原の用意したコーヒーを啜った。
「あの、阿呆!俺に!この俺に!ここは三下は立ち入り禁止ちゃうんか。退け、チビって言うたんや!そらあいつはデカイわ!アホみたいに背ばっか伸びよって!やからて、チビか!?俺、チビちゃうし!三下ちゃうし!!!」
万里は鼻息荒く叫ぶと、ダンッとテーブルを叩いた。
え?それだけ?と彪鷹と相川は少し冷めた目で万里を見た。というか、お前、気にしてんじゃね?背丈。と思ったりする。
心に龍大、そして眞澄は3人が3人とも長身だ。その中に万里が立つと、確かに小さいねという感じだ。
だが万里の背が一般男性よりも低いかというと、それはNOだ。標準だろうと思う。ようは育ち過ぎなのが3人揃っただけの話。
そして、言葉と常識を知らない男が暴言を吐いたというだけのこと。
「大体なぁ、俺は新参者でいきなり鬼塚組の組長なんかに担ぎ上げられて可哀相になぁって気の毒になっててん。眞澄の従兄弟やいうて眞澄は自分よりも若い心が上に立つんで、仲良うしはる気なんか微塵もあらへん。何やったら殺てもうたろうっちゅう雰囲気や。龍大なんかガキで話にならへん。ほな、ちぃと協力したろ思うやん?それを!それをあの阿呆は!!しかもや!!俺が明神万里やって知っても、アイツはあのまんまや!!俺のが先輩やっちゅうねん!!」
何だ、こいつ。アホか?と思いながら彪鷹は煙草をガラスの灰皿に押し付けた。
万里の横の神原は暢気にコーヒーを嗜んでいて、我関せずだ。このままでは万里の心への罵詈雑言を延々聞かされることになりそうだと、彪鷹は灰皿を神原の方へ滑らせた。
「ああ、失礼。この話になると明神は長いので。で、今日は親睦を深めるためにいらっしゃった訳じゃないんでしょ?明神に…何か?」
ヒートアップする万里の腕を神原が軽く叩くと、万里は唇を尖らせてソファに深く腰掛けた。
師弟関係がイマイチよく分からない。心と相馬ならば、間違いなく相馬は心を止める事はしないし、何なら心を放置して全員で部屋を移るくらいのことをしそうだ。どこも大変だなと他人事の様に思いながら、彪鷹はふっと息を吐いた。
「あんたら、余所者とモメてるって噂をな聞いてなぁ」
「余所者?」
「ヤクでな」
神原は万里を横目で見た。神原はそれに頷くと、立ち上がり部屋を出た。
「おいおい、従順な下僕やなぁ。やっぱ、心と相馬とはちゃうなぁ…。噂で聞く眞澄と御園ともちゃう感じやないか」
「あそこは眞澄が御園に依存しとる。御園も眞澄に甘いさかいあかんねん。心と相馬は何で組が保ってるんか、不思議でしゃーないわ」
忌々しげに万里が言うが、それは組員全員が思っていることだと余計な事は言わずに胸にしまう。
依存型の眞澄と御園。独立型の心と相馬。なら、万里と神原は何だと考えているとドアが開き、神原が現れた。
神原は手に持っていた資料の束をテーブルに置き、腰を下ろした。
「お、噂は真ってか。かなり掴んどるんか?」
「いや、いっこも。ただ島でクスリ撒いとるらしいわ。けったくそ悪い奴等や」
「お前らの相手は、どの連中や?中国マフィアか?」
「いや、まだ分からん」
「分かってないんか」
「氷毒ちゅうヤクでな、まぁ、シャブみたいなもんで、うちのチンピラが嵌まりよった」
「嵌まった?」
「美人局や」
彪鷹は思わず相川を見た。と、それに気が付いた相川は、目一杯、頭を振った。
「マジで!?ないない、そーゆーヤバ系はないっすよ!これマジ!」
そう言う奴ほど怪しいんだよと彪鷹は長嘆して、テーブルに無造作に置かれた資料を眺めながら首を傾げた。
「氷毒ってエフェドリンよなぁ?そこまで掴んでるんなら、中国マフィアで決定やろ」
「なぁ、中国って行ったことある?」
「は?俺は海外行くんやったら近場の温泉行きたいからな」
唐突な質問に万里を少しだけ見て、また資料に目を落とした。売人か運び屋か、それとも客か。数多くの人間の写真。悪の極みだなと、人相の悪い連中を眺めた。
そして、サンプルとして添付された”商品”の資料を見る事無く、ソファに深く腰掛けた。
「それがどないした」
「ツアー観光とか健全なもんでも、間違えて入り込んでまうようなあかんとこってあってな。あっこは裏入ったら違法か合法かさっぱりな病院があったりすんの。女やて年齢不詳ん奴等が身体売って生計立てとる。まぁ、半分以上が村から連れてこられた未成年やわ。あっちじゃ日本人がヤク捌いたりしたら速攻死刑やのに、怪しげな病院行って身体がダルい言うたら、ヤク擬きを処方しよる。最近やったら、日本に来てビル丸々買うて、そこに船で女運んできて商いおっ始めよんねん。縄張りもなんも関係あらへん。やりたい放題や。我の国なら堅気と極道もんはちゃんと線引きしよるけど、こっちやったら島もなんもフル無視や。あいつら、日本の極道なんか屁とも思ったあらへん」
神原は持ってきた書類をテーブルに並べ出した。
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