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第13話
しとしとと雨が降る。闇夜に漂う少し湿気た匂いは、その部屋にまで香る事は無い。
鬼塚組の事務所。以前は心のプライベートルームがあったそこに、幹部組員一同が顔を揃えていた。
ベッドや不必要な家具を取り払い、だが、以前とそこまでの違いがない部屋。今では上層部の会合という目的のみに使われるそこは、セキュリティ面で重宝されてはいるものの、やはり少し手狭だ。
「雨宮の怪我と七女会のチンピラの粗相。最近、店に起こる嫌がらせ。なんや、面倒やな」
彪鷹は崎山の用意した資料を眺めると、鼻で笑って煙草を銜えた。
以前、心が定位置と言わんばかりにそこにしか居なかった場所に、彪鷹が転がっている。もう見慣れた風景だ。
その隣では定位置を取られた心がテーブルに足を投げ出し、背凭れに首を乗せて仰け反る様にして、やはり煙草を燻らしていた。
そして相馬は心の向かいの位置に当たる場所のソファに座り、間違い探しにも似た風景を堪能して自分の隣に姿勢よく立つ崎山に合図した。
「今回は、七女会の齊藤豊という男の仕業です。こいつがうちの管轄にある店の人間に、ヤクを捌いていました」
崎山は説明しながら二人の男の写真を並べたが、勿論、心と彪鷹はチラリとも見ようとはしない。それが当たり前と思う辺り、末期だなと思いながら崎山は続けた。
「齊藤は、外国人からヤクを買っていたようです」
「崎山、七女会ってなんや」
彪鷹が基本ともいえるそこに食い付き、崎山は腹の中で舌打ちした。
心と彪鷹の違い。疑問に思った事を聞くか聞かないか。さほど興味もないくせに、気が向いた時にこうして聞いてくるところが質が悪い。
「七女会は熊坂重政という男が組長をする組で、最近、うちの傘下に入りたいと何度か話を…」
「傘下?なんや心、直属傘下なんか取っとるんか」
「あ?取らへんわ、面倒くさい」
心はクツクツ笑う彪鷹に目も向けずに、漂う煙草の煙を目で追って猫の様だ。そんな様子に呆れているのは、崎山だけか。
「傘下っていうんは、面倒やからなぁ。まあ、七女会さんには気の毒やけど、代償払ってもらうしかあらへんなぁ」
「払わしました」
崎山は言い捨てると、妖艶に微笑んでみせた。
「あ?払わした?」
「はい。齊藤を刻んでポリ袋に入れて引き渡し、七女会と熊坂が所有する土地と金を押さえ、序でに解散していただきました」
崎山はそう言うと、もう用が無くなった齊藤達の写真を封筒に仕舞った。
「崎山はヤク嫌いで有名や」
心は灰皿に煙草を押し付けながら、呆気にとられている彪鷹に言った。彪鷹はそれに笑うと相馬に向かって指を鳴らした。
「大した狂犬や」
「優秀で助かってます。ところで、最近はうちのフロント企業や経営する店に嫌がらせやトラブルが相次いでまして、小さいだけならまだしも、大きい事になることもありまして」
「あぁ、最近逮捕されたアホがおったなぁ」
チラリ、今にも眠りにつきそうな心に目をやるが心はそれを気にする事無く、欠伸をした。
「彪鷹さんも、及川と東雲という刑事には気を付けてください」
相馬が心を笑っている場合ではないぞとばかりに注意すると、彪鷹は口角を上げて笑った。
「あ?なに、彪鷹、及川に何かやったんやないんやろな?」
さすが義親子。その表情で何かをしたというのを察知した心が、彪鷹を睨んだ。
「んー?秘密」
「しょーもね。彪鷹ぁ、及川に火ぃ点けたら面倒やから、大概にしとけよ」
心はそう言うと目を閉じた。これはもう寝る気だなと相馬はそれを咎める事無く、続ける。
「及川や東雲もですが、ヤクが絡むと五課も出てきます。くれぐれもお気をつけを」
相馬の忠告をしっかり聞く様にはどう考えても思えないが、何も言わずにいて無茶をされるよりはマシだと相馬は思った。そして彪鷹はやはりその忠告を胸に刻みつける様子もなく、トントンとテーブルを指先で叩いた。
「で、ヤクの売人は?」
「余所者です」
「余所者?」
「ええ、アジア系です」
「うわー、じゃんくさ。余所者さんとはやりとうないなぁ」
「最近、明神組ともモメているようですよ?かなり商売が大胆なんで、仁流会としても手を打たないと」
「やて、余所者さんに法は通用せんからな。ピンポン押してバズーカー撃ち込んできても、おかしあらへんで」
「ですね。どうしますか?連携しますか?」
「あほか」
がっつり寝る体勢に入っていた心が、目も開けずに口を開いた。
「明神と連携なんか取れる思うてんか」
「は?何よ、お前、明神とも仲悪いんか。眞澄だけちゃうんか」
「明神組というか、若頭の万里さんとはね」
相馬が小さく笑った。
確かに明神組の若頭の明神万里と心の関係を考えると、連携だなんて天変地異が起こっても考えられない。まさに自殺行為だ。
仁流会の手綱を握ると言うに相応しい三つの組は、心以外が未だ若頭という親がいる身であるからこそ同じ方向を向いているが、三人が親になったときどうなるか分からない不安定なものだった。
風間が健在な今はいいが、極道なんて明日がどうなるかなんて分からないもの。心を崇拝している龍大が風間を継げば、仁流会はどうなることか。頭の痛いところだ。
「全く、ほんまにどうしようもない愚息が。やけ、情報は欲しいなぁ。はー、しゃーないなぁ。お父さんが、万里ちゃんとやらに会いに行ってくるかぁ」
彪鷹が頭を掻きながら言うと、心が片目だけ開けて彪鷹を睨んだ。だがそこから何か言うのも面倒に思ったのか、小さく舌打ちだけして終わった。
「彪鷹さんが行かれるんですか?万里さんと面識があるんですか?」
「あらへんわ。眞澄かてうる覚えで、今、逢うてもわからんわ」
「そうですか。まぁ、一度お会いになるのもいいかもしれませんね。ですが。万里さんの側近にはお気をつけください」
「あ?」
「神原といいます。頭の切れる男で、こちらの内部までそつなく探る男です」
相馬が言いたいのは、及川の元に送られている写真のことだろう。彪鷹は、はいはいと軽い返事をした。
「ほな、えーっと…」
「相川を使ってください。暇ですから、あいつ」
そのやり取りを見ていた崎山はそう言うと、携帯を取り出し部屋を出ていった。
「関西弁のお姉ちゃん!クラブ行きましょ!クラブ!」
翌日、昨日の憂鬱な雨とは打って変わって遠出にはもってこいの天気のなか、関西までのハンドルを握る相川はご機嫌でML63AMGを転がす。彪鷹はサングラスを掛けて、遠足にでも出発する小学生の様な浮き足立つ相川を笑った。
「クラブより、キャバとかがええやろ。お前は」
「そうっすねぇ、キャバかぁ。いっそ、ナンパします?」
「アホか。ナンパって。俺、いくつや思うてんねん」
「いやいや、イケますて!」
本当に噂に違わぬ女好きだなと彪鷹は呆れながら、煙草を銜えた。
新車で購入したばかりのML63AMG。オプションなど合わせて1700万超えのそれを一気に脂臭くするべく、彪鷹は火を点ける。
「キャバもナンパも、それよりもまずは明神や。まぁ、いきなり突撃こんにちはーやのうて、スーパーコンビが行きますーいうて相馬が連絡したみたいやけど」
「明神組は初めてなんすよねぇ、俺。若頭ってどんな人っすか?」
「知らん」
「は?」
「俺は鬼塚組におったいうても、ほとんど子守りやったからな。クソガキの。せやから組で知ってんのは風間んとこくらいや。鬼頭んとこのガキも、チビん時にチラッと見たことあるだけで今はどないに育っとんかは知らんなぁ」
「そうなんすか?あー、でも眞澄さんも、かなりのイケメンっすよ?組長に似てるけど、鬼頭の親分には似てないんすよねぇ」
「鬼塚の血が濃いからや。鬼頭の姐さんは先代の妹さんや。まだ健在やろ?逢ったらビビんぞ、めちゃくちゃ美人や」
「マジで!」
「でも、性格は鬼やな。組長には姐さんのが相応しいってくらい、肝の据わった姐さんや」
「あー、ないわ、ないない。俺、どっちかっていうと、天然系が好きなんすよ」
「あ?アホが好きなんか」
「どうして!天然ってば!」
「どあほう。天然なんかな、その辺歩いてる女捕まえて天然キャラ依頼してみろ。みんな完璧に演じよるわ」
「えー」
「女は女優やで、相川くん」
彪鷹は笑ってサングラスをあげた。
陽気な相川の他愛ない話を聞きながら、彪鷹は欠伸を噛み殺した。さすがに長いなと思いながら、運転しないだけマシかとも思った。
「なぁ、お前はあれか?崎山の舎弟か?」
「は?悪魔の申し子のっすか?」
「…は?」
何の事だか分からずに、彪鷹は首を傾げた。手前の信号が赤になり、車はゆっくり停車した。
「あいつはね!人を人とも思わへん、まさに悪魔の申し子っすよ!!昨日の3時!丑三つ時に鬼デン!何事かと思ったら『明日、送迎』ガチャンっすよ!!3歳児の方がまだ喋るわ!!」
相当ストレスが溜まっているのか、それとも崎山と仲が悪いのか、舎弟同士の位置関係を把握していない彪鷹は地雷でも踏んだかと、怒る相川を横目に瞠目をした。
大きい組織の何が面倒かというと、こういうとこ。何派だとかの派閥だとか、そういうやつだ。
群れをなす組織なのだからあって当然と言えばそうだが、それは時に内部戦争の火種となる。
「えーっと、俺、あんまり分かってへんねんけどー。車整備の兄ちゃん」
「成田っすか」
「そうそう、あれと崎山は仲エエやん?」
「っすね。あの二人は入った時期もモロ被りっすから。俺も成田とか佐々木とか…って分かります?あの連中とは仲エエっすよ?」
「あー、分からんなぁ。高杉っちゅうのは屋敷で逢うたわ。崎山と成田は、ほれ、今、本家の離れに二人で住んどるから仲エエなぁって」
「…あー、はい」
いきなりの意気消沈。何?これも地雷なの?近頃の若者は分からんと彪鷹は首を傾げた。
鬼塚組の舎弟頭は崎山で、それに続く舎弟であり大幹部の成田、相川、佐々木、橘がそれぞれ若衆なる者を従えている。
基本的に舎弟も舎弟頭も自分の組を持たない。鬼塚組ほどの大規模な極道なのにだ。
そして彪鷹自身、大それた肩書きがついたものの自分の専属となる舎弟を持っていない。何とも、いい加減な内部だ。
あまり内部の事に関しては調べてはいないが、もしかすると意外に脆いのかもしれない。そんないらぬ心配まで頭を過る。
「俺、舎弟の人間、把握してへんわ」
「え!?マジっすか!?まぁ、うちは多いっすから。若衆とかなってきたら、俺も分かんないっすよ」
「心はもっと分かってへんで、絶対」
育て方、間違えたよなと今更どうこう出来ないことを後悔しても仕方が無いが、相馬が居なかったら組は明日にでも潰れそうだなと彪鷹は改めて思った。
興味もなく、関心もなく、何となしにやっている。それが他の誰でもない、組長である心だ。
だが一度謀反を起こせば?もし相馬が昔に風間龍一が起こした下剋上を仕掛けたら?
心はあっという間に潰される。絶対に有り得ないとは言い切れないのだ。
常に付きまとう疑心、猜疑心。狐と狐の化かし合い。腹の探り合い。
「因果な商売やねぇ」
彪鷹はふーっと息を吐いた。
「大阪なう!!!!」
見える標識に相川が意気揚々と叫んだ。遥々運転してきて、喋り倒してのこの有り余る元気。
これが若さか?というよりも、観光か?本来の目的を忘れちゃいないか。
「変わらんなぁ」
「あ。そっか。彪鷹さん、こっちの人間っすよね?」
「まぁ、一応な」
「えーっと。関西に来たし、本家の挨拶とか行っときます?」
「本家?オヤジか?行かへんわ、邪魔くさい」
「マジっすか!ヤバくないすか!?」
「ヤバくないっすよ」
「えー」
「アホ、明神に会いに来ただけで戦争しにきたわけやあらへん。それにオヤジかて忙しい人やさかいな、俺みたいな小物が逢えるような時間あらへんわ」
「小物て…」
彪鷹が小物ならば、自分は何になる。相川はそんなことを考えながら、ナビに目をやった。
「明神の事務所、もうちょっと走るっすよ?いやぁ、超緊張!何か超ドキドキ!オフ会で初お目って感じじゃないっすか!?」
「はぁ?」
「俺、あんまり他所の組と逢うとか、さしてもらえないんっすよねぇ」
そりゃそうだろ、彪鷹は納得しながら煙草を銜えた。
組員は組の顔だ。それは会社と同じ。極道という仕事柄、社会人としてのマナーなんて的外れな要求はしないが、相川はないわとは思う。
「あー、面倒やなぁ。明神行かんとたこ焼き食って帰りたいわ」
「同感っす!」
相川の共感に、やっぱりないわと彪鷹は思った。
「ここっすね。ええっと、株式会社明神」
相川は地上10階建てほどのビルの前に車を停めると、ナビのスイッチを切った。彪鷹はサングラスをずらして、正面玄関に目をやる。
「中、見えへんなぁ」
スーパースモークでも貼っているのか、正面玄関のガラス戸から中の様子は一切見えない。出入りする人間もおらず、周りのビルも静かなものだ。まさかの留守?まさかのドタキャン?あーやっぱり面倒になってきたと、彪鷹はチッと舌打ちした。
「どうしますか?」
「…どないしょうか」
言っていると、正面玄関の自動ドアが開き、黒のダブルのスーツを着た屈強な男が出てきた。
男は彪鷹達を見ると頭を下げ、ビルの前の数台しか停めれない駐車スペースを指差した。
「やて」
「うぃーっす」
相川は良い返事をして、そこへ車を回した。
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