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第12話
「へぇ、連れね。俺、雨宮。よろしくな」
なんだこれ。雨宮の妙な態度に違和感を覚えた静は、次の瞬間にはハッとして暁に待っててと言うと雨宮を奥に引っ張っていった。
「イテぇな、何?」
「勘違いしてるだろ?」
「何が?あ?何、浮気じゃねーの?」
「雨宮さん!」
「何だ、違うのかよ。お前に浮気とかされちゃったら、俺が崎山さんに殺されんじゃん」
明け透けにものを言う雨宮に、二の句が継げない。当事者の静と心を抜いて、どうしてそこでそうなるんだ。
以前、暁に紹介するなら雨宮だなと思ったが、とんだ人選ミスだ。心と大差ないほどに無作法で、暁に対して威丈高に物を言った。
後悔しても遅いが、身近な人間に裏切られた気分だ。
「あのねぇ、雨宮さん…。暁は相馬さんも知ってるし逢った事もあるんだよ?大学行ったのも、暁に逢いに行ったんだよ!」
「若頭も知ってんの?」
「そう!心と違って、雨宮さんならと思ったのに!!似た者同士か!」
静はそう言い捨てると、怒りながら暁の元へ戻って行った。
空笑いで暁に謝る。だが完全に、大丈夫かと疑心を抱いている顔の暁に、どう切り出していいのか分からない。
わたわたと明らかに挙動不審。雨宮のせいで事がとんでもない方向へ行っている様な気がする。そんな慌てる静を見て、暁は息を吐いた。
「吉良さ、前にスタッフみんなで住んでるみたいなこと言ってたじゃん?ルームシェアだっけ?で、店にも兄貴的な人が居るって。まさか、あの人?」
「…は?…あ、ああ。うん、そう」
とんだ兄貴分ですけど。まさか、あんな無頼漢だとは思わなかったけど。
「そ、そうなの?ってことは…あの人も一緒に住んでるの?」
暁が訝しげに聞いてきた。だが無理はない。
包帯は取ってしまっているが、額に大きな絆創膏を貼って強面で無愛想。しかも、あの威丈高な物言い。
迷うことなく、何だアイツ、だ。
「あの人さ、あんなんだけど…本当、イイ人だよ。うん、頼りになるし、良い人」
言ってハッとした。これじゃあ悪い人だと言っているようなものだ。
暁を見れば益々、訝しげな表情をしている。イイ人だよ、大丈夫。言うだけ雨宮の立場が悪くなってきてるような気がする。
「ば、バーテンでは日は浅いんだけど、腕が良いって評判なんだよ」
「へ、へぇ…あはは、そうなんだ」
会話終了。しかも、とてもぎこちない会話。
そして、暁の雨宮への疑心は払拭することは出来ず、反対に悪い人と印象付けたような感じだ。
元々、静は他人をどうこういうタイプではない。良いも悪いも他人を評価するほど自分が出来た人間じゃないと思っているから、他人を論うようなことはしない。
元より、友人が居ないせいもあるが、他の誰かの悪評を取り繕うようなことをして庇うような真似はしないのだ。
その静が必死にイイ人だよなんて、とんでもなく悪い人なんだと言うも同じ。
更に相手が心配性の暁だ。暁を見ると、少し遠くに居る雨宮を見て何か思案している感じだ。
良い人?あれが?悪人にしか見えないと思っているか否かは分からないが、不信に思っているのは確かだ。
「あ!暁、あーっと、えー、あ!…が、学校どう?ほら、今の研究のこととか聞いてなかったろ?今も充磐 ゼミ?」
とりあえず話題を変えてみると、暁の表情も変わり静は安堵した。
「そうだよ、扱き使われてるよ。今ね、チェコ文学に凝ってて。ライセンスフリーも多いから、実は、翻訳もしてるんだ」
「は?なに?翻訳家!?」
「まだまだ。教授に見せるとこ止まり」
「チェコ文学ってチェコ語?」
「もちろん、親しみないだろ?」
暁がフフッと笑った。
静は、実は暁は変わり者なんじゃないんだろうかと思っている。
語学が好きで、英語、フランス語、ロシア語をマスターして、学内では鬼門とされるチェコ語の充磐教授の鬼ゼミの門を叩き、その鬼ゼミの唯一の生き残りで院生にまで上り詰め今は助手までしているという、充磐教授を知る人間からすれば何て物好きな!という大学生活を本人はかなり楽しんでいる。
酔狂と言われ様が何と言われ様が、自分がこうと決めた道は何が何でも突き進む、そういう少し頑固で融通が利かないところがある。しかし、その容姿はモデルのスカウトを受けるほどに派手で、人目を惹くほどだ。
性格が性格であれば女性関係も派手になるだろうが、実際はというと頑固だが地味でお人好し。だが、何かのめり込む事があると、凄まじいパワーを発する。外柔内剛、それが暁だ。
芯が強くて気取らない、そして気遣いが出来るけどもついつい自分の事を二の次にしてしまうところがあって、端から見ていると危なっかしくて放っておけない。静にとって唯一無二の親友。
「楽しそうで良かった」
そんな親友に隠し事をしてしまっている申し訳なさもあるが、暁には無縁の世界なのだ。関わらないのが一番。
いつか、時が来れば話す事になるだろうけども、今はこの親友の順風満帆な生活を邪魔したくないし心配もかけたくない。
「本当、良かった」
静はもう一度、心の底から暁の”今”を喜んだ。
その頃、眠らない町同様にいつまでもオフィスの灯りの消えないイースフロントの最上階の一室で、相馬はパソコンの画面をじっと見ていた。その相馬の位置から真正面の少し離れた場所に崎山は出来た執事の如く、それこそ相馬の気が散らぬように姿勢よく立っていた。そこへ扉をノックする音が響く。
崎山は相馬に視線を送って、そして重厚な扉を開けた。扉の向こうは時間が時間なだけあって、少し薄暗い。
崎山達の居る部屋から漏れる灯りが、来客者の足元を照らした。
そこには、独特の仕草でノンフレームの眼鏡をあげる神保が立っていた。神保は顔を出した崎山を鼻で笑うと、何も言う事無くその扉を押し開け、部屋の中に入り込むと応接セットのソファにドカリと腰掛けた。
「どうだった?」
相馬がパソコンから目を離さずに問う。神保はそれを気にする事もなく、手に持っていた柔らかそうな皮の鞄から書類の束を引っ張り出してセンターテーブルに投げた。
「イースフロントの元社員で、名前は甲本洋平。接見してきたけどね、甲本の言い分から言うと、コンプライアンスに問題がある。パワハラによる精神疾患になり、追い出される形で解雇通告を受け、家族を失い、失望した挙げ句の暴挙って。まぁ、在り来たりな感じだけど、クソだわ」
「崎山は報告を受けたのか?」
「はい。内部監査によれば甲本は営業3課に所属。肩書きは主任。成績も優秀で部下の信頼も厚かったと。ですが、去年の夏から遅刻や無断欠勤が増えたそうです」
「プライマリープロダクツ・セクション4の池上を出せって我鳴ってたそうだけど?」
「池上は甲本の同期です。元々、親しかった様で最近の甲本の奇行を心配して、上司に相談。その上司が調査部へ調査を打診して、最近の勤務状態や職務怠慢などが明るみになりました」
「具体的には?」
「一番はオークジャパンとの商談の無断欠席」
「無断?無断ってなによ」
相馬との会話に口を挟んできた神保に白眼視し、崎山は続けた。
「出社はしていましたが、商談に行くと行って会社を出て、オークジャパンに現れなかったと報告を受けています」
「やるねぇ」
「幸い、近くに同じ営業3課の人間が居て商談は纏まりましたが、危うく億単位の損害になるところでした」
「それで、解雇か」
「あ?何よ、通告はしたか?いきなり、さようなら~したんじゃ、訴えられた時に不利なんだからな」
「しました。きちんとコンプライアンスに乗っ取って。丁寧すぎるほどに。更には上司と、総務部法務セクションの社内相談窓口の人間も個別で面談したそうです。精神面での不安があるのかと、産業医の先生にも面談をしていただきました。それに解雇ではなく、依願退職です。営業が辛いのならば、他のセクションに移るという案も打診しましたから。こちらから言わせてもらうなら、感謝されることはあっても恨まれる事はありませんよ」
「だって、先輩」
毛を逆立てた猫のように見える崎山を笑い、神保は相変わらずパソコンを見つめる相馬を見る。すると、相馬は一息つくと椅子の背凭れに背中を付けて、そこで初めて二人を見た。
「早瀬の店にもおかしな人間が来たらしいね」
「はい。雨宮がかすり傷を」
「傷害罪と営業妨害で訴えるか」
「最近、店のガラスが割られたり客が暴れたりする報告も多いね」
「あらあら、鬼塚組への宣戦布告の幕開けとかじゃないの?まぁ、顧問弁護士からの助言は薬物検査を絶賛お薦めするね」
「なに?ね、意味分かんないんだけど」
いい加減、辟易したのか、横やりを入れる神保を崎山が乱暴な口調で咎めた。
「あれ?怒った?怒ったの?でもさぁ、出たんだよねー。甲本から覚醒剤反応がさぁ」
神保の思いもよらない台詞に、崎山は蛾眉を顰めた。その顔を見て神保は満足げにニヤリと笑うと、書類をテーブルに滑らせた。
「シャブか?」
「もちろん。ああ、でも、所持はしてませんでしたし、中毒性が出るまでには至ってないとのことですけどね。取り調べした刑事が甲本の挙動不審さに気が付いて、検査したんですけどね。ねぇ崎山、フロント企業に在籍してた人間がこれよ?裏探れば、当選者多数かもよ?」
神保が独特のスタイルで眼鏡を上げ、崎山を見ると崎山はそれを鼻で笑った。
「裏で出た方が好都合ですよ、神保先生。嬲り者にして、出所を聞き出せばいいんだから。ね、簡単でしょ?」
「拷問は得意技ってか。怖い怖い。では先輩、どうします?」
「甲本の件はお前に一任するよ。うちが訴えられる事のない様にしてくれ。崎山、早々に健康診断でもしてくれ。裏も同様に使いっ走りも幹部もな」
相馬の言葉に崎山は一礼して、部屋を出ていった。神保はその姿を見ると、やれやれと肩を落とした。
「面倒ですよ、先輩。ヤクですよ」
「うん、こんな商売してるなら、出ない方が不思議だろ」
「イースフロントのエリートですよ?」
「エリートだからこそかもね。ノイローゼとか、精神疾患になりやすいらしいからね」
「分かってくださいって」
神保がにっこり笑顔を向けると、相馬は頬杖をついて嘆息した。
「及川だろ?」
「それもあるけど、五課です。力道ですよ。及川みたいな狂犬じゃないですけどね、ある意味、及川より利口で狡い。麻取まで絡んで来ると、厄介ですよ。うちは公安にも目を付けられてるんで」
「力道…。確か、何度かうちの若いのも連れて行かれてるらしいね」
「容赦なくね。あいつなら、坊っちゃんじゃなく、先輩から潰しにかかる」
「おや、利口だ。力道ね。覚えとくよ。でも、そうなったとしても、お前がすぐに出してくれるんだろ?」
「愚問ですよ、先輩」
神保はそう言って、不敵に笑った。
崎山は薄暗く黴臭い室内で、手に持った資料をぼんやり眺めていた。
薄暗い中でそれを見るのは容易ではなく、時折ペンライトで資料を照らす。そしてそんな崎山のBGMは、男のくぐもった声と肉が弾けるような音だ。
耳を覆いたくなるほどの音を崎山は取り分け気にすることもなく、そしてそれに視線を向けることなく退屈そうに資料を眺めていた。
崎山が居るのは組が所有する、倉庫の地下だった。元は薬品会社の倉庫で、崎山が居る部屋にもその名残か訳の分からない薬品が転がる。
その室内の角に置いた少し錆び付いた机に腰掛けた崎山は、手に持った資料を机に置くと有名チェーン店のコーヒーを啜りながら、目の前の惨状をぼんやり眺めた。
相馬の指示で一斉に行った健康診断という名の薬物検査。フロント企業であるイースフロントからは、必然の結果と言うべきか一人も検査に引っ掛からなかった。
引っ掛かったと言えば、コレステロールや血糖値、もしくは心電図での”健康”に関すること。やはり甲本だけが異端だったのだ。
だが、反対にこちらはやはりと言うべきか、本業の鬼塚組の経営する店のスタッフが薬物検査に引っ掛かってきたのだ。スタッフと言っても、店のスタッフが使いっ走りに使っていたチンピラだ。
関係は皆無と言ってもいいくらいの人間。念のためにと、店の人間が男に診断を受けさせたのが運のツキ。これは、功績と呼んでいいのか否か。
ともあれかくもあれ、男がただの下っ端の使いっ走りとしても、鬼塚組の経営する店に出入りしている以上は放っておくわけにはいかない。
そこからの崎山の動きは、闇夜に潜む猛禽類のように静かに俊敏だった。崎山は舎弟を従えて、まず、男を捕まえてそれを絞め上げた。
そして、男が入手していたシャブの純度を調べた。これがまた高純度で崎山は笑った。
男は拷問するまでもなく、少し殴っただけで直ぐさま入手先を吐いた。男に薬物を売りつけていたのは、最近、しつこく傘下に加入を申し入れしてきていた七女会のチンピラだった。
崎山はすぐに舎弟に命令して、その与太者を捕まえた。吐かせるのは売買しているシャブの入手ルート。どこから大量に入手して、売り捌いた金がどこかに流れているのか。
然しながら鬼塚組がシャブークスリの類いを御法度としているのを知っていて、大それたことをしたもんだ。呆れてものが言えない。
崎山は組んだ足を揺らしながら、サウンドバックよろしく殴られ続ける男を嘲笑った。血飛沫が舞い、赤い涙を流す男を微塵も気の毒だとは思わなかった。
「ざまあみろ」
崎山が誰にも聞こえぬように呟くと、まるでそれに合わせる様にして入り口のドアが開き見知った男が入ってきた。その男を見て、出入り口に控えてた舎弟達が一斉にに頭を下げる。男は同じ舎弟頭の相川だった。
相川は原型を留めぬほどに変形した顔の男に口笛を鳴らすと、崎山のもとにやってきた。
「ヤベェ、リアルホラーじゃん。ちょっと、やりすぎじゃね?吐く前におっ死ぬぜ。肉の塊は口がねぇんだよ」
「うるさいよ、吐かないから殴るんじゃない」
「うわ、何それ。おいおい、超機嫌悪くね?お前が機嫌悪いと、みんながビビんだぜ?」
「なによ?じゃあ、お前がさっさと吐かせてよ」
「マジかよ、無理じゃね?何時間あれやってんの」
「俺がやったら殺しちゃうもの」
崎山はそう言うとジャケットの胸ポケットから携帯を取り出した。メールを受信したようで、携帯を操作しながらその淫靡な唇が弧を描いたのを相川は見逃さなかった。
「グッドニュースなんだ」
「…相川、解体屋呼んでよ。運び屋も」
崎山はそう言うと、ジャケットを脱いで相川に投げた。相川はそのジャケットを受け取ると、慌てて崎山の腕を掴んだ。
「崎山っ!解体屋ってなに?吐かせんだろ?」
「橘達が別のソースから、シャブの入手ルートを掴んだ」
「えー、マジかよ。えー」
相川はげんなりした顔でタバコを銜えると、指を鳴らして合図した。それに気が付いたのは、ずっと拷問を続けていた部下たち。
男達は歩み寄る崎山に気が付くと、もう立つことも出来ない男の身体を腕を掴んで無理やり立たせた。
猿轡を嵌められ、後ろ手に手錠をかけられた男はもう見えてるか分からない目で恐怖を感じとり、悲鳴をあげた。
崎山が今、どんな表情をしているのか相川には分からない。ただ、相川から見えるその華奢な背中には悪魔の羽が見えた気がした。
崎山のヤク嫌いは常軌を逸している。過去に何があったのか知らないが、それは有名な話だ。
「二発も保つかね」
相川は崎山が腰掛けていた机に座ると、腕時計を眺めた。そして視線を前に移すと、シャツの袖を捲る崎山が目に入った。
相変わらずゾッとする絞まり具合だ。白くて、細く柔靭 な腕。
見た目を裏切るとは完全に崎山のことで、その腕から繰り出される拳に百戦錬磨の元ボクサーの相川でさえ、内臓を潰されかけた。
相川は煙草を燻らし、時計の秒針が時を刻むのを見つめた。
男の短い人生が終焉を迎えるその時を。
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