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第11話

「さて、及川くんは何を知っとるんかな?」 「…な、に?」 「あんたの…いや、あんたらか。マル暴が、掴んどるネタはなんやろ?」 「……?」 及川は蛾眉を顰めて彪鷹を見た。話の意図が全く読めず、更に殴られた腹が酷く痛み考えが纏まらない。 未だに穂先を近付けられた瞳からは、洪水でも起こした様に涙が止めどなく流れる。 歪む視界の中、彪鷹の唇が弧を描いた。彪鷹は困惑する及川を見て笑い、掴んだ前髪を離した。 「写真やん。あれがあるから、うちの周り嗅ぎ回っとるやろ」 しゃがんだ格好で及川を見下ろし、煙草を燻らす彪鷹はいやに楽しそうだ。その瞬間、その時を楽しむところまでが心にそっくりだ。 佐野彪鷹が帰って来て、幹部の座に就いたというのは情報として得ていたが、彪鷹がどういう男であるのかは謎だった。 元若頭である男の舎弟だったということだけが情報として残っていて、それ以上は何もない。生死も何もかも分からないほどの”ノーマーク”な人間だったのだ。 無理もない。彪鷹は舎弟に就いて早々に、姿を消したとされていたからだ。それが心の養父になった頃の話。 彪鷹が養父だったことさえ最近になって判明したことで、謎の多い鬼塚組のやはり謎の男、佐野彪鷹。 年齢不詳、出生も生い立ちも不詳の男。ただこうして対峙して新たに分かった事は、”関西出身”ということ。 どうでもいいようで、何かの手がかりになりそうな事実。 及川は身体を起こして、彪鷹を睨み付けた。起き上がるにも腹の痛みが尋常ではなく、動けそうにない。内臓が潰れたんじゃないかと畏怖するほどだ。 それでも痛いということを顔に出したくなくて、奥歯を噛み締めた。 「あれに命令されて、俺が来たと思うとるん?」 「違うのか?」 「お前、心のケツ追い回してるくせに、アイツをわかっとらへんな」 彪鷹は立ち上がり、ジーンズのポケットに捩じ込んでいた携帯灰皿を取り出し、煙草をそこへ放り込んだ。 妙に律儀な男だと思いながら、及川はその様子をただ眺めていた。 「あれは昔から、一番あかんとこが何でもやりたがらんとこや。極道かて何となし。相馬がおらな、今頃鬼塚組なんか潰してたかもしらん」 「知ってるよ」 及川がつっけんどんに言うと、彪鷹は小さく笑った。 「あいつはな、各々がやりたいことやったらええっちゅう人間や。せやから、自分も好きなときに好きに動く。誰かに何や言うて動かすくらいなら、あれが勝手に動く。…ま、命令すんのも面倒なんやろな。せやなぁ、あれはあんたの母国では何て言うん…?」 「母国…?英語で心のことをか?nonchalantか?」 「はぁ…なるほどね。さっすが、発音が見事。せやせや、それ。無関心、無頓着のnonchalant」 「どういう意味だ?お前が勝手に…?」 「組織がいくらデカイいうても、上があれやったらどないもこないもなぁ?思わん?及川くん」 「…ということは、これは…貴様なりの忠告ってことか?」 「賢いなぁ、あんた。なぁ、心以外に誰か写っとったやろ?例えば吉良。あんたは吉良静をそれで知って近付いたんやろ?」 彪鷹の指摘に及川は頷くわけでもなく、ただ彪鷹を見据えた。 「あとは、一人、異質な奴」 及川がハッとした顔を見せ、それを見た彪鷹は口角を上げ獰猛な顔を覗かせた。 「あかんよ、及川くん」 「え?」 「そこに踏み込んだら、あんたは潰される」 「ハッ、死ぬってことか?」 「いいや、ただ、サツやのうなるってことや」 「……」 「クレバーな奴は好きやで」 彪鷹は目線を及川と同じ位置に持っていくと、及川の頬をサバイバルナイフで撫でた。 だが、及川は怯むことなく彪鷹を睨み付けたままだ。 「やめて…とは、さすがに言わへんか。こない綺麗な顔やのに、傷つけたないやろ?」 「女じゃあるまいし」 吐き捨てるように言えば、彪鷹は笑って及川の頬に当たるナイフに力を入れた。が、それはシャコっと間抜けな音がするだけで、痛みなんてなかった。 「よぉ出来た玩具やろ?うちには手先の器用な奴が多てなぁ」 「舐めてんのか!貴様ぁ!!」 彪鷹の胸ぐらに伸ばした腕は、寸でのところで払われた。 「あんた、外道で有名らしいやないの。傷つけさして傷害でパクる。銃刀法違反のおまけつき。証拠なんかいくらでも捏造しそうやもんな」 彪鷹はそう言って立ち上がり、及川を見下ろした。 「警告したからな」 その言葉を言い残し、彪鷹は颯爽と歩き駐車場の入り口から出て行く。その彪鷹の姿が見えなくなった頃、及川は腹を押さえて上体を倒し、地面に額を付けた。 「いて…」 及川はズキズキ痛む腹を押さえながら立ち上がると、唾を吐き口を拭った。それに血が混じっていて、忌々しさが増した。 そして顔を上げてぐるりと辺りを見渡し、目的のものを見付けると嘲笑する。 及川の目に写るのは、ガムテープで覆われた防犯カメラ。何台かあるカメラは全て全滅。さすが鬼塚組の幹部。用意周到だ。 及川は胸ポケットから財布を取り出すと、中から一枚写真を取り出した。その写真には、気怠げに煙草を銜える心と何人かの組員、そして銀髪の着物姿の男。 写真には男を矢印で示してcheckと書かれていた。及川達が書いたものではない。送りつけられたときから書かれていたものだ。 そして、それと一緒に送りつけられた別の写真には、組に不似合いの男が写っていた。それが吉良静だ。 ご丁寧にl'amantと書かれていて、吉良静が心の“女”だということがわかった。 心はゲイではないしバイでもなかったはずだが、嗜好が変わったのか、いつもの気紛れか。 及川はエントランスに入るとコンシェルジュからキーを受け取り、エレベーターに乗ると最上階のボタンを押した。 駐車場にも警備員が居るのに今は居なかった。それも人払いしたのか、さすがなのかマンションの警備体制が脆弱なのか。 「まさか佐野彪鷹に逢えるとはな」 ふと、彪鷹が煙草を携帯灰皿に詰め込んだのを思い出した。不自然なそれを先程は妙に律儀だと思ったが、もしかすると佐野彪鷹も調べられては困る何かがあるのかもしれない。 それこそ、唾液なんかで調べられては困る佐野彪鷹という男自身。ズキリと腹が痛み顔を歪める。 それに思わず目の前のエレベーターのドアを蹴飛ばした。無機質の箱が少し揺れたが、及川の苛立は消えなかった。 「覚えとけよ、佐野彪鷹」 怨みをたっぷり込め、及川は呟いた。 「大丈夫なのかい?」 cachetteのオープン前ミーティング。早瀬は顎に指を当てて、少し困った顔を見せた。 ミーティングに出ているスタッフも皆、早瀬と同じように何とも言えぬ顔をする。その原因の雨宮は、額を覆うような大きな絆創膏をして素知らぬ顔で頷いた。 雨宮が退院したのは今日の早朝。言うなれば数時間前のことで、静と成田が病院に行く頃には愛車に乗り込むところだった。 塩谷の病院で精密検査が出来るような設備が備わっているとは思わないが、翌日さっさと病院を出なくてもいいんじゃないかとも思う。しかも一人で。 余程、病院嫌いか塩谷嫌いか。 とりあえずは数日療養して…という、成田の言葉には耳を傾けずに雨宮は頭に包帯を巻いて静と共に出勤してきたのだ。 屋敷を出るとき、とりあえず無駄だと思ったが止めてみた。店へ出るということは、大学への送迎とは訳が違う。 シートを倒して眠るようなそういう時間もないし、忙しければ慌ただしく動く必要もある。 だが今、店に二人しているということは、静の説得は無駄だったということだが。 「雨宮くんが大丈夫ならいいんだけど…。でもね、さすがにお客様がびっくりされると思うから、君、厨房ね。サーブは君嶋くん、出来たよね?」 君嶋と呼ばれたスタッフはギョッとした顔をしていたが、どちらにしても雨宮が居ても居なくても君嶋がカウンターでバーテンをすることになっていたのを分かっていたからか、渋々という感じに頷いた。 なぜ君嶋がそう覚悟をしていたのか。それは、サーブが出来るバーテンの数が少ないからだ。 雨宮は貴重なバーテンのうえに、腕がいい。愛想もない、どちらかと言えば客商売不向きな男は、こと酒に関しては通をも唸らせるくらいに博識だ。知らない酒はないんじゃないかというほどに詳しく、雨宮と酒の話をするだけに来る客すら居る。無愛想だが…。 「とりあえずは、人数はいけるし今日はお客も少ないと思うから、みんな頑張っていきましょう」 早瀬の言葉に、スタッフ全員の気合いが入った声がホールに響いた。 「あのさぁ、苺を四角にカッティングとか…出来るかな?彼」 何で俺に聞く。静は思いながら、苺が山盛りに入ったザルを持ち引きつった顔で言う芝浦を見た。 彼というのは無論、雨宮のことだ。 オープン前の仕込み段階の厨房は皆、少しばかり苛立っているように思える。時間との戦い、オープンまでにしておきたいことが各々にあるからだ。それは芝浦だって同じ事。 デザートなど仕込みの多い芝浦は、まさに猫の手も借りたい状態でのんびりしている暇など全くない。だが、その猫の手に戸惑っているらしく…。 「出来るんじゃないですか?多分」 「え?じゃ、じゃあさ、この部分を切り落としてさ…」 「は?いやいや、芝浦さんが言いましょうよ、俺、クラッカーが」 「え!」 「…噛みついたりしないから」 どんな人間なんだと思いながら、仏頂面でメニューの一つの野菜スティックを作るべく、ニンジンの皮を剥く雨宮を芝浦と二人で見る。 傷が痛むのか、ただ虫の居所が悪いだけなのか、いつも以上に人が近付けないオーラが漂っている。明らかに、周りのスタッフが異様なまでに緊張していた。 「…ね?」 ほらね、という顔をして見せるので、静は仕方なく芝浦から苺の入ったザルを受け取った。 「雨宮さん、ニンジン終わったらこれいいですか?」 「あ?なんだそれ?苺?」 「四角に出来る?」 「四角って?」 「いい日本酒が手に入ったとかで、マチェドニア作るんだって。だから、えっと…」 静は芝浦に教わった通り、苺を四角にカッティングしてみせた。 芝浦がしたのより、少し形が悪い。それを雨宮が、プッと笑った。 「なに!」 「別にぃ。これを四角にするんだな?余った破片は?」 「勿体ないなぁ。皿に入れといてよ」 「あ?食うのか?」 「うん」 「あっそ」 雨宮はそう言って、またニンジンの皮を剥ぎだした。 ああ、集中してただけなんだ。分かりにくい人だなぁ。静は少し笑って、また自分の持ち場に戻っていった。 オープンして中盤に差し掛かろうとしたとき、君嶋が厨房を覗き、静を手招きした。 「はい?」 「カウンターに、友達来てるよ?」 「…は?」 誰だそれと不思議に思いながら近くのスタッフに声をかけ、ホールを覗いた。君嶋が指を指す方向を見れば、カウンターの見覚えのある姿にパッと顔が明るくなった。 「暁!?」 「あ、吉良。来ちゃった」 ヘラッと笑われ、一気に肩の力が抜ける。 静はカウンター越しに暁の前に立ち、暁の手元を覗いた。 「何飲んでるの?」 「何がいいか分からなくて、ボトルの数もすごいよね。だから、とりあえずはモスコミュール」 せっかくのバーなのにねと笑う暁に和み、思わず顔が綻んだ。 「道、迷わなかったか?」 「ああ、うん。少しだけ。さすが隠れ処だね。でも、吉良が厨房に居るってさ、シェフスタイルで出て来るかと思った」 「ああ、俺さ、たまにカウンター出たりするから。中と外のヘルプのスタッフはこれなの」 白いワイシャツに黒いパンツに黒のソムリエエプロンスタイル。カウンターに入るときとホールに出るときは、それに加えて黒いネクタイを着用する。雨宮達バーテンは、それにベストを加える。 ホールスタッフはギャルソンスタイルで統一されていて、店内もさることながら店員のスタイルも早瀬の拘りが滲み出た店だ。 「似合うよ、カッコいい」 フフッと笑われたが、きっと暁の方がビシッと着こなしてくれるに違いない。 モデル顔負けの容姿と長い手足。長身で文化系の人間ではあるが、ただ痩身ではなく程よく筋肉がありスタイルはとても綺麗だ。 外見に文句の付け所のない暁に、テーブルに座る女の子達は興味津々の様子。それに静は鼻が高くなる。 「学校から直で来たのか?」 「おい、吉良」 突然、呼ばれて振り返れば雨宮が居て、暁がギョッとした顔を見せた。厨房からは芝浦達が野次馬丸出しの顔でこちらを伺っていて、静は首を傾げた。 「はぁ?」 「連れか?」 「あ、うん。大学の友達の桜庭暁」 静が紹介すると、暁は小さく頭を下げた。

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