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第20話
パタンと閉まったドアを見て、一連の流れを見ていた彪鷹は眉を上げた。
「なぁ…俺、明神とこでボディチェックしたけど?」
それって、もしかしてダメだったの?と、首を傾げる彪鷹に相馬はふふっと笑った。
「あそこは仕方がありません。うちとは犬猿の仲ですし、武闘派である明神は常に誰かに狙われていますしね」
「はぁー、そうなん。なぁ、お前も若頭やん?」
「そうですね」
「なんで俺の名前だけ言うわけ?」
素朴な疑問に相馬が不敵に笑い、彪鷹は息を吐いた。あのいきなりの相馬の振る舞い、まさかとは思ったが。
「あなたには、鬼塚組の若頭である自覚を持っていただかなくては」
この、キツネが。結局、若頭の自覚が薄い彪鷹の存在を知らしめるための茶番だったということ。
水戸黄門よろしく、この方を誰と…のフレーズに似た自己紹介のおかげで、彪鷹の名前はあの護衛達には刻み込まれたであろう。
だが、あまりいい印象ではないことは確かだ。
いつもらしくない、相馬らしくないあの行いは全てそれがあっての事だったということか。
「周りを潰して、俺を飼い殺す気か?」
未だに無理矢理連れて来られてきた感が拭えない彪鷹の、逃げ場を塞ぐための一連の行為。強引すぎるような気も否めないが、彪鷹相手であるとこういう強引さがないといけないということだろう。
そもそも逃げ道を塞いだところで、彪鷹なら相馬達の考えの斜め上の思考で逃げていきそうな気もするが…。
「飼い殺すなんて、人聞きが悪いですよ」
「ちゃうんか?へぇ、そうなん、ふーん」
「ほれ、行くぞ」
二人のやり取りを聞いていた梶原が指を鳴らす。部屋に入ればまた長い廊下が続き、その突き当たりにドアが見えた。
何だか、あのドアを開けてもまた廊下が出てきそうな、マトリョーシカみたいな部屋が延々続きそうな感じだ。
「広いねぇ。そんな奥の奥に入っとかなあかんもん?」
誰に言う訳でもなく口にすると、何故か相馬に睨まれた。
あれ?なんで?と首を傾げ、何が悪かったのかと考えてはみたものの分かる訳もなく、彪鷹は唇を尖らせた。
「お見えになりました」
梶原の声に顔を上げると、梶原が突き当たりにあったドアを開けるところだった。
ゆっくり開くドアの隙間から光が零れる。促され中に足を踏み入れると、それが壁一面の窓ガラスから入り込む陽の光だというのがわかった。
「最近は、こういうんが普通なん?」
海外映画でよく見るようなそれだが、いつもこの窓は破壊され、地球外生命体やらテロリストが入り込むシーンばかりが印象にある。
見て見て!ここよ!私はここに居るのよ!狙ってちょうだい!なんて言ってそうなそれが、イマイチ好きになれない。
「挨拶なしか、彪鷹」
低い嗄れた声に彪鷹はフッと笑った。
部屋の中央の応接テーブルの上座。まるで王でも座りそうなソファに、スーツの上からでも分かる鍛え上げられた身体の男が足を組んで座っていた。
風間組組長、風間龍一である。
「今日は着物ちゃうやん。とりあえず、ご無沙汰やな?…で、お前も」
彪鷹は、その風間龍一の隣に立つ長身の男に目をやる。風間龍一の息子、風間龍大だ。
龍大は軽く頭を下げたが、子供の成長は早いもので、すっかり男の顔になっている。十代の青臭さは消えていて、心同様、歳を疑う。
早々から老け込んじゃって可哀相に。俺の方が絶対若く見えるなと、どうでも良い事を真剣に思う。
「相馬も、元気そうやのぉ」
風間がちらりと相馬に視線を送る。相馬は彪鷹とは対照的に綺麗にお辞儀をした。
「お元気そうで何よりです」
社交辞令のそれを聞き、元気過ぎて鬱陶しいの間違いじゃないと口走りそうになり、彪鷹は慌てて口を噤んだ。
「まぁ、座れ」
風間に促され、相馬と彪鷹は柔らかなソファに腰を下ろした。
ぎゅっとソファが鳴いて、腰から下が飲まれる。彪鷹はそれが落ち着かないのか、一度立つとまた腰を下ろした。
「何や、座り心地がええんやら悪いんやら」
「文句の多い男やのぉ」
風間が落ち着きのない彪鷹を笑う。
龍大もそこでようやく彪鷹の前に座り、その隣に梶原が腰を下ろした。
「心が…狙われとるって?」
一息つく暇もなく、風間が口を開いた。いきなり本題かと彪鷹は唇を尖らせた。
「狙われてるっちゅーか、ストーカー?いやー、ってか、あれは盗撮?変態みたいな」
な?と、相馬を見ると目が怒っていた。え?なんで?と思ったが、多分、風間に対する口の聞き方だろう。
お前がそんなんだから、心が!みたいなあれ。
「ストーカーってなんよ?あれに熱狂的なファンでもおんのんか?」
梶原が愉快そうに笑う。ナイス、助け舟と梶原にはその気はさらさらないだろうが、助かったと彪鷹は梶原の方を見た。
「熱狂的なファンというよりは、悪趣味な変態でしょうか?写真はご覧になられましたか?」
彪鷹ではなく相馬が答える。粗相のある彪鷹が何を言うのか信用ならないのか、発言は許さないという雰囲気だ。
「写真映りはよくねぇなぁ」
風間がクツクツ笑い、テーブルの漆の箱に手を伸ばした。その箱を開けると煙管が入っていて、風間は慣れた手つきでそれを用意する。箱は煙草盆だった。
「心…」
龍大がそれを眺めながらポツリと零した。独り言の様な、聞き流してしまいそうなその声に彪鷹は反応した。
「あ?なんて?」
「鬼塚は知りませんよ、龍大さん」
常日頃から言葉が極端に少ない男と居るからか、相馬は龍大の言いたいことを汲み取り返事をした。
超能力者みたいな奴だなと、龍大の意図を読めなかった彪鷹は風間が嗜む煙管を眺めた。
ゆっくり、雲の様に漂う煙を目で追いながら、鼻を掠める香りに眉を上げた。畳の匂いだ。真新しい、畳の匂いがする。
くんくんと犬の様に鼻を鳴らすと、相馬にまた睨まれた。
「心は、知らない?」
「龍大さん、鬼塚はあなたが思うほど賢い男ではありませんからね。狙われていると知れば、出不精のあの男は一気に外出好きになりますよ」
相馬がにっこり笑うと、龍大は片眉を器用に上げた。それのどこが悪いという感じだ。
すっかり感化されて、ろくな人間になってないなぁと彪鷹は思った。崇拝する人間、明らかに間違っている。
「相手は誰か、わかんねえんだよな?」
梶原が自分の煙草に手を付け、一本咥えて火を点ける。彪鷹はそれを見て、じゃあ俺もとジャケットの内ポケットに手を入れようとして隣からの刺す様な視線に気が付き、そっと手を戻した。
なんで、ダメなの…。
「あれ?ちょっと、えらいド派手なジッポやなぁ」
彪鷹が梶原の手に握られたジッポを見て、驚いたような声をあげた。
梶原はいつもその肩書きを丸潰れにしそうな、おまけでもらう100円ライターを愛用する。それが今回はある意味、肩書きを丸潰れにしそうなシルバーのジッポを持っていた。
本体と同じシルバーの虎と龍が焼き付けられていて、とりあえず重そうだ。というか年考えろよ、オッサン。と言われかねない派手な代物だ。
「貰い物や」
「またこんなん渡す女て、えげつない女やろ。高そうやのぉ。それ、オーダーメイドやろ?」
「ほっとけ。で、相手は?」
バツの悪そうな梶原はそれをスーツのポケットに捩じ込むと、話題を変えた。これはまた、梶原ともあろう男でも手を焼く様な女を相手にしているなと彪鷹はニヤニヤ笑った。
人の恋路ほど面白いものはない。それが拗れたときが一番面白くて楽しいのだ。
「相手は不明です。警視庁の及川に隠し撮り写真を送りつけ、及川がうちに持ち込みました。多分、これはほんの一部だと思います」
「及川…?ああ、あの異国の兄ちゃんな。でも、こないだお前んとこの連中が遭遇したんやろうが」
「顔に見憶えはないと」
「確かか?」
煙管を優雅に噴かして梶原達のやり取りを聞いていた風間が言い、相馬は「はい」と短く答えた。
たった一言発しただけで、妙な緊張感が漂う。風格が違うとはこの事だなと、愚息を思い出す。
「相馬ぁ…お前んとこは、妙な連中を飼ってるらしいじゃねぇか」
「妙な…」
相馬は相好を崩さずに首を傾げた。
出た!キツネ!!と彪鷹は風間の方とは逆の方へ視線を移した。恐ろしくて見てられないというより、風間と視線が合わない様にという措置だ。
何故ならば矛先が自分に回ると、面倒なので何でも喋ってしまうからだ。そんな事をすれば、あとが恐ろしい。これは本当に恐ろしいのだ。
「恍ける気か?相馬ぁ」
「いえ、恍ける訳では。妙な、とおっしゃられたので。うちでは妙な連中を飼っている覚えはありません。ですが、妙な連中と”噂”されているのは確かですね。崎山の部下のことですか?」
こんなところでも言葉遊びをする相馬の気が知れない。見ているこっちの胃がキリキリすると、彪鷹は歯を噛み合わせた。
今にも子供がよくやる”イーッ”とする、あの表情になりそうだ。
「噂に聞いた話じゃあ、心の命取りに来た奴も飼ってるらしいが、お前、飼い慣らせてんのか?」
「飼ってるわけではありません。ギブアンドテイクです。もちろん、対等にとはいきませんが」
ふっと浮かべた不敵な笑みに、彪鷹も梶原も”出た!キツネ!”と思ったのは言うまでもない。
風間の言う”妙な連中”とは勿論、裏鬼塚の連中だ。あれを妙と言わず何と言う。顔ぶれをそれなりに知っている彪鷹からすれば、他に呼び名が浮かばない。
「ギブアンドテイクか。せやかて、その配分も間違うたら命取りやのぉ?で、その中の奴らの素性は?」
「申し訳ありません」
「親のワシにも言われへんのか」
「崎山の飼い犬ですので、勝手は出来ません」
崎山の飼い犬だけど、崎山はあんたの飼い犬でしょ?とも思う。かといって裏鬼塚には鷹千穗が居る。
彪鷹からすれば、その素性をペラペラ喋られるのはあまりプラスとは言えない。どちらかと言えばマイナスだ。
こういうとき、相馬が身内で良かったと思う。
「崎山は、山瀬のことがあってから変わったのぉ」
「残念ながら、山瀬さんとは私が学生の時分にお話した程度で、ご活躍はお噂だけでしか…。ですが崎山だけでなく、今の組の人間は山瀬さんの意思を継ぐ者達です。風間組にとってマイナスになるようなことはないと思います」
「やったらええけどなぁ。まぁ、どちらにせよ、あれがやられるんは痛いことや」
風間はふんっと鼻を鳴らして煙管を灰吹きの縁に打ち付け、火種を落とした。
「会長、河嶋が出てきているのを、ご存知ですか?」
「河嶋?」
「佐渡肇の部下で、先代の鬼塚が仁流会関東統括長の頃、仁流会副理事として興和会の組長をしていた男です。ちょうど、風間会長が佐渡組と抗争中に別件で捕まり、刑に服しておりましたが」
「そんなんも、おったか…」
風間は煙管を煙草盆に仕舞いながら、昔を思い出してか片方の口角を上げて笑った。
「こういうええ品は己で手入れするもんや。ワシ等は組の長であって、王やない。両の手と足があるくせに、あれもこれもやらすようじゃあ、上には立てん」
風間は誰に向かって言うでもなく、独り言のように言った。
「相馬、今回のんをその佐渡の生き残りの仕業やと?」
梶原は何だか納得いかないとばかりに、蛾眉を顰めた。
「梶原さん、来生の動きは掴んでますか?」
「来生?まぁ、掴んでるちゅうか…そないに派手な動きしとらんから、あれはあんまり関係ないんやないか?」
何やら昔によく聞いた名前がぽんぽん出てきて、彪鷹は息を吐いた。
気が重い。そんな感じだ。何故ならば、誰も彼もあまり関わりたくない人間だからだ。
「あー。なぁ、梶原さん。明神の他所もんとモメてんの、あれはどこなん?」
「あ?明神?」
「そう、明神。こないだなぁ、明神のルビー見てきたで」
彪鷹が明神万里と対面した時の事を思い出し、ふっと笑った。深紅の炎の様に燃えるルビーの瞳。
一度見ると病みつきになりそうなその宝石は、触れるな危険。まさにその通りの男ー。
「万里か」
「そ、あの威勢のええ兄ちゃん」
「んー?悪さしてへんやろな」
梶原が面倒事はごめんだとばかりに彪鷹を見た。内紛はこりごりだということだろう。
「いやいや、悪さどころか、反対にうちのんがノックアウトされかけたし。手の早いガキやで」
「万里はあの容姿なもんで、たまにころっとイカれる男もおんねんぞ。あれが荒くれ者やなかったら、ただの男娼なっとったかもしらんのに」
梶原は大きく息を吐きながら、ソファの背凭れに背を預けた。
確かに妙な色香を持つ男だった。妖艶で小悪魔の様な、そんな雰囲気。男娼でも十分にやっていけそうな、そんな感じだ。
「まぁ、その万里のおる明神が他所もんとモメてんのに、どこの誰やか言うてくれんのよな」
「あそこは神原がおるから、その辺の口は固い。明神は組長の木崎よりも万里のほうが動きは派手や。神原がおるから出来ることやけどな。組長の木崎は会長であり万里の親父である明神万葉がおるから、お飾りみたいなもんや。木崎も会長に義理があるからそれを良しとしとる。万里が番犬よろしくあちこち牙剥いてる間に、木崎は地下工事に食いこんで資金集めに奔走。賢いやり方や。まぁ、明神デカするためやな。やから、いくらうちの親父が聞いたとしても、明神会長が万里を放し飼いにしてる間は、情報は皆無やと思わなあかんわ」
「嫌な感じやなぁ。もうちょっと仲良うしようや」
同じ会派、同じ上層部。もう少し情報交換を綿密にするとか、色々とあるじゃない。どうしてそんなに相容れない状態なのかなと思うが、それが極道なのだ。
ああ、本当に面倒な組織、面倒な世界と思う。
「彪鷹ぁ、今回の件、まさかまた心のあれが関係しとるんやないやろうなぁ?」
風間が鋭い眼光を彪鷹と相馬に向けた。何の事ですか?とすっとぼけられそうにもないそれに、彪鷹はそれにククッと喉を鳴らした。
「あれ…やのうて、明らかにうちの倅狙いやからなぁ。そりゃないわ」
「心も酔狂なことしとるけど、あれも飽き性やからのぉ。時間の問題やろうが…。まぁ、何の得にもならんことやっちゅうことを、お前も言い聞かせぇ。こんな事が周りに知れたら、ええ笑いのネタにしかならんからのぉ」
女に現を抜かす、の方がまだマシということなのだろうか。確かに、男と男の情事なんて滑稽で非生産的だ。何も生み出さないし、誰も幸せになれない。
風間が言いたい事はそういう事なのだろう。
この世界には多いそれと言われたところで、長となる人間が特定の女も囲わずに男である静を囲っているこの状況。仁流会の行く末を担う風間としては頭の痛い話だろう。
「ふふ、愚息ですんませんなぁ」
風間に答えるわけでもなく、彪鷹はただ笑うだけだった。
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