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第21話
「それではこの辺で」
ある程度、話が終わったところで彪鷹と相馬は席を立った。ようやく終わったわと部屋を出ると、その後を龍大が追いかけてきた。
龍大は頭を下げると彪鷹をじっと見る。あー、何か話したいわけねと解釈して、彪鷹は相馬を先に行かせ龍大と別室に入った。
「逢い引きかぁ?」
これが人妻とかなら最高のシチュエーションなのにと、くだらない事を考えながら彪鷹は部屋の中を見渡した。
ベルベッドのカーテンとマリー・アントワネットでも座っていそうな刺繍の施されたソファ。そしてそのソファの奥には、中から子ヤギでも出てきそうな大きな時計が静かに時を刻んでいる。
風間の本家は日本家屋のそれは立派な旧家で日本人ならば誰でも心の奥底、それこそ遺伝子に組み込まれた和への愛着からかとても落ち着くが、この西洋かぶれのような部屋はあまり趣味が良いとは言えないなぁと思った。
「威乃のこと、親父に黙っててくれて、ありがとうございました」
「あ?」
「心の…こと、話したとき」
「ああ、心のオトコの話のときにか?何でわざわざ話が長なるようなことせなあかんねん。黙るわ、そりゃ」
話が長くなるどころの騒ぎじゃ終わらない。火の粉は飛び散るだろうし、心が悪影響、即ち彪鷹の教育まで咎められる。
それで済めばいいが、済む訳がない。絶対に大事になって、今日は帰れなくなる。今日、帰れないどころか…。
そう思うと、そんな面倒な話は出来るならば一生蓋をしておくのが一番だ。
彪鷹はつっ立っているのもなんだと、ソファに腰を下ろした。それを見て、龍大も向かいに腰を下ろす。
師弟関係がどうあるべきかしっかり梶原に躾けられているようで、これはうちは再教育し直さなければならないと改めて感じた。
「俺、威乃と別れる気はありません」
「俺に宣言してどないすんねん」
知らねぇわ、好きにしてよと彪鷹は手を扇子のように扇いでみせた。
「もしものとき、力を貸してください」
「オヤジにバレたときかよ」
彪鷹はとんだ貧乏くじだと笑った。
息子がトチ狂ったと呼び戻され、自由な生活から一変、極道の世界へ。
それだけでも億劫なのに、若頭を襲名させられた挙げ句、次は愚息への脅迫やら…。
「ハゲるわ」
悠々自適な生活とはいかないが、今よりも安息の時間がある日々だった。あれこれと問題もなかったし、好きな時に寝て好きな時に起きて、好きな時に酒を飲んで…。
まぁ今更、過去を振り返っても仕方がない。過去を振り返ってもどうしようもない事は、身を以て知っている。
するだけ無駄だし、したところでどうにもならないのだ。
彪鷹は大きく息を吐いて、背凭れに首を載せる様にして上を見上げた。そこには目映いばかりのシャンデリアがぶら下がっていて、思わず顔を戻した。
「あー、…威乃は元気か?」
「学校行ってます」
「は?留年?」
「専門学校です。パティシエの」
「あ、そーなん。ええねぇ。俺もなろかな、パティシエ」
そんな気は毛頭ないくせに適当な事を言う。龍大はそれに嫌な顔一つせず、だが、ニコリとも笑わずに彪鷹を見据えた。
「彪鷹さんは、どない思うてるんですか?今回の」
「あ?…さぁ。俺はこっちの世界戻ってきて間ぁないしなぁ。イマイチ系列の組も把握してへんからなぁ」
彪鷹は胸ポケットから煙草を取り出すと、一本銜えた。ふと、前に置かれたアンティークなセンターテーブルを見ると、中央に15センチほどの大きさのミロのビーナスが大きなクリスタルガラスの灰皿と一緒に置かれていた。その灰皿には仁流会の代紋が彫り込まれている。
何だか趣味の悪さが決定的だよなーと思いながら、徐にミロのビーナスに手を伸ばし、その表情のないように見える顔を触っていると、頭の部分が倒れて首から火が出てきた。
「うわー」
これはないわーと、さすがに声を上げた。
こういう卓上ライターが一時期ブームにはなったが、最近ではほとんど見なくなった。それをこんなところで、それも一番趣味が悪いと思われる形で再会するとは。
「お前のセンスは大丈夫?」
「え?」
「いや、なんもあらへん。親父って、こんな趣味やったっけ?」
「さぁ?あの、彪鷹さんは仁流会に…おると思うてるんですか?」
「んー?どうやろうなぁ」
彪鷹は曖昧に言いながら、そのミロのビーナスで煙草に火を点けた。ライター一つで煙草の味は変わるというが、これは見た目から気持ちが萎える。
「でも残念なことに、うちの息子は内部からも外部からも嫌われとるから、難儀やでなぁ」
「俺は心のこと好きです」
思わず紫煙を一気に吐き出した。
龍大の欠点であり利点は、嘘をつけない真っ直ぐなところだ。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。
立場上、媚び諂う様なことをする必要はなくても、相手の立場や性格で自分の立ち位置を変えなければならない。が、恐らくというより確実に龍大にはそれが出来ない。
「あのなぁ、俺に愛の告白されても困るし。尊敬とか、そういうの分かるけど、でも、あんまり他所で言いないね。印象よぉないから」
「心みたいに直情径行の人間は煙たがられる事も多いけど、腹の中で探り合うんは俺も嫌いや」
ほら出たよ、俺はこうですから。我が儘めと半ば呆れつつ、これでは梶原も苦労するなぁと少し同情する。
「お前は心と同じタイプの人間やからなぁ。なぁ、お前も明神のルビーとは仲悪いんか」
「…あの人は、苦手や」
龍大は少しだけ彪鷹から視線を外し、困った様な顔を見せた。
「まぁ、せやなぁ。あれはちょっと、異色やなぁ」
彪鷹はそう笑って言うと煙草を代紋に焼き付ける様に押し付けると、胸ポケットからサングラスを取り出しかけた。
「まぁ、何かあったら連絡してこい。まぁー、あれや、威乃絡みでも構わんから」
そう言う彪鷹に龍大は頭を下げた。
本当に厄介ごとばかり。厄年かな?と柄にもないことを考えながら、外に出ると相馬が少しだけ離れたところに立っていて彪鷹に頭を下げた。
「なんもないで」
「何も聞いておりませんよ?」
ニッコリ見せられる笑顔が曲者だ。聞き耳を立てる様な男ではないし、部屋のドアは室内同様立派で分厚い。
篭城した時に破壊するのが困難なようなドアだ。
なので中で何を話していたかなんて、一切、分からないだろうが…。エスパーだもんな、コイツ。
「俺、厄年?」
「そんなこと、気になさるんですか?」
極道でも信仰心が厚い人間は居るだろう。神からすれば、その前に日頃の行いを改めろと言いたいだろうが、ここまでろくなことがない日々が続くとそういうことを考えてしまう。
「…お?」
彪鷹は等間隔で並んで居た男達の顔が痣だらけなのに気が付き、パッと顔を輝かした。奥のエレベーター近くでは崎山が涼しげな顔で立っている。
もちろん顔にかすり傷一つもないし、スーツにも一切乱れはない。見送られた時と何一つ変わらない様子だが…。
「あらあら」
彪鷹は相馬の顔を盗み見たが、相馬はポーカーフェイスのままだ。さも当然の結果ということか。
「大丈夫なん?こないなことしちゃって」
「何がですか?総会で、他所の組の人間とトラブルばかり起こす男の組ですから。上が上なら下も下でしょう」
「上がって。なぁ、それって結局、最後には俺が怒られるんやないの?」
「おや?そうなりますかね。申し訳ありません、気が付きませんで」
然もありなんとばかりの顔をされると、横っ面を張り倒したくなる。本当に、陥れるつもりなんじゃないだろうかと思うほどに、相馬の彪鷹への配慮が全くない。
鬼塚組から逃れられない様に、ジワジワと四方を固められている気がしてならない。
「やっぱ、俺、厄年やわ」
彪鷹は盛大にため息をついて、エレベーターに乗り込んだ。
静は雨宮と買い物から帰ってきて部屋に戻ると、そこで珍しいものを見た。部屋にある大きなソファでいつものように転がる心が、すやすやと眠っている姿だ。
転がって煙草を燻らしているのではなく、眠っている!これはなかなかレアだと静はゆっくりと荷物を床に置いて、心に忍び寄る。
そろそろ近付いても、その寝息が止まることなく、心はまさに夢の中。普段、警戒心が強い心ならば有り得ないことだ。
静は、うわーっと声を上げそうになるのを抑えて、普段は使わない携帯を取り出すとその寝顔を激写した。
音の出る部分を指で押さえたものの、その音はやけに大きく聞こえた。まるで盗撮犯のような気分になりながら、その激写した写真に満足した様な笑みを浮かべた。
ゴソゴソとしていたので、さすがに起きるかな?と思ったが、心はやはり起きない。猛獣がお腹を出して寝ているくらいに無防備だ。
なかなか見れないぞと、静は携帯をテーブルに滑らすとその寝顔を覗きこむ。
長いまつ毛と閉じている時は柔らかな目元が、年相応なんだなと思う。これが開いたら最後、眼光だけで人を殺めそうな鋭い視線を向けてくるのだ。
「あれ?」
静は袖の捲り上げられた腕に意外な物を見つけ、声を上げた。絆創膏だ。それも綿のたっぷり入った小さな絆創膏。点滴の後などに貼られるものだ。
もしかして具合が悪いのかと静は心の額に手を当てた。
「…つめた」
冷えた手で触ったせいで、心の身体が小さく震え、猛獣が目を覚ました。
あーあ、残念。
「大丈夫か?」
「あ?」
心は静の言う意味が分からず、顔を顰めた。ぐっすりと寝ていたせいで部屋の灯りが眩しいのか、開ききらない目を擦って身体を捩る。そして徐に起き上がると静の身体を抱き寄せ、ちょうど腹の部分に顔を埋めた。
なんだ、こいつ。可愛い!と言葉にはせず、がっつり寝起きはこんなんなのかと、意外な発見に驚く。
そうだ、まだ知り合って一年間足らず。新しい発見なんて山ほどある。言葉が少な過ぎる心ならなおのこと、日々、発見だ。
静は心の意外に柔らかい髪を撫でてみた。対して手入れもしていないくせに、やたらと綺麗な髪をしているのも意外。
ぎゅーっと腰に腕を回してくるのが何だか可笑しくて、小さく笑った。何なら、喉でも鳴らしそうなほどに甘えてきている。今なら年下だと言われても、納得出来る仕草だ。
「具合、悪いんだろ?」
「…あ?」
何の事だと言わんばかりの顔で片目だけ開けて静を見ると、また閉じてしまった。
「それ、腕だよ」
「腕?ああ、血ぃ抜いたからな」
「え?献血!?」
突拍子もない発言に大声を上げると、心が下から睨み付けてくる。
だって血を抜くとしたら献血じゃん。しかも献血なんて言わば慈善事業のようなもの。
心と慈善事業なんて、どう頑張っても結びつかない。驚くなというほうが無理がある。
「献血やないわ、採血や」
「え?やっぱり、どこか悪いのか?」
「ちゃうわ。定期検診」
「定期検診?え?やっぱ、どっか悪いんじゃないのか?」
健康優良児という言葉が相応しいのかどうかは分からないが、心は見た目同様、健康そうだ。
出逢ってから風邪を引いたというのも聞かないし、具合が悪いというのも聞いた事がない。なので勝手にそう思っていたが、実は何か身体に爆弾でも抱えているのかと少し不安になった。
「あーほ。そんな顔すんな。全員する定期検診や。学校でもあるやろ、検診」
「全員…の定期検診?鬼塚組の?」
学校ではあると言われればあるが、極道の定期検診なんてヤバいものしか出ない様な気がする。それこそ病気とかではない、出てきてはいけないもの。
それに極道の定期検診って、健康とは一番無縁そうな人種が何を血迷った事を言っているのかと可笑しくも思う。
「でもさ、検診って…そんな疲れたっけ?」
検診って身体測定とか血圧とか心電図とか。確かに寝ろだの立てだの動くなだの、更には息を吸えだの吐けだの、あれやこれやと指示をされて煩わしい。
だがこんな泥の様に眠るほどに疲れるものだっただろうか?
「ヤブ医者相手やと、疲れるわ」
「ヤブ医者?ああ、塩谷先生」
ヤブ医者イコール、塩谷とは失礼かもしれないが、静も塩谷に対してはあまり良い印象を持っていないのですぐに結びついた。
「やべ、ダルい」
心はそう呟くと静から離れると、またソファにごろんと横になった。余程、疲れているのか直ぐにでもまた眠ってしまいそうな雰囲気だ。
まぁ確かに塩谷の検診では、検診というより実験されている気分になりそうだ。
それに医者であることすら、やはり怪しく未だに信じられないのも確か。その定期検診って大丈夫なの?と聞いてしまいそうになる。
「なぁ、それって、相馬さんとかも受けたの?」
「全員」
それはそれで見てみたかったかもしれない。
あのメンバーが一列になって、身体測定をされているなんて想像するだけでカオスだ。
「心、寝るならベッド行けば?」
「うーん」
返事こそするものの、そこから動く素振りは見せない。すでに夢の中に入りかけている様子で、これはどうにもならないなと静は肩を落とした。
出来る事ならば心を担いでベッドに運んでいきたいが、何をどう頑張っても担いで行ける気がしない。
静は立ち上がると寝室へ向かい、ブランケットを持ってきて心にかぶせた。
「起きたら、何か食うかなー?あ、そうだ」
静は何かを思い出した様に声を上げた。
買い出しに行った時に、雨宮が唐突に餃子食いたいなと言い出した。なので静は着替えたら台所へ手伝いに来る様に言われていたのだ。
「雨宮さんに雑炊作ってもらおう」
雨宮は自分ではそうでもないと言うが、かなり器用な男だ。ホールが暇な時は調理場へ来て、好き勝手に何かを作って食べている事がある。
芝浦曰く、かなり手際もいいし、食材も残さず使うところが見込みがあるらしい。
本人は全く、その気はないようだが…。
「餃子ー餃子ー」
とりあえず、腹ごしらえでもしてくるかと静は心の頭を軽く撫でると、部屋を後にした。
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