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第22話

佐々木は鬼塚組のビルの前で車を降りると、折り畳んでいた身体を伸ばすように伸びをした。決して小さくはない車だが、長身の身体には堪える。 暢気に身体を伸ばす佐々木に対して、出迎えた舎弟が一斉に頭を下げる。佐々木はそれに眉を上げた。 ひょろひょろ長いだけで、腕っ節も強くなければ極道さながらの威圧感もない。風で吹いて飛びそうとは言い過ぎかもしれないが、貫禄なんて一切ない。 言ってしまえば、そこで頭を下げている男の方が貫禄ある極道そのものだ。なのに幹部ともなるとその肩書きだけでここまで周りが平伏すのだから、本当に不思議な世界だなと思う。 少し名の知れた大学を出て、所謂一流企業に勤めていた日々。このまま華々しい光り輝く人生を謳歌するはずが、何をどう間違えたのか光など入り込む隙もないほどの暗黒の世界に今は身を置いている。だが、それを悔いることもなければ、再度光り輝く世界に戻りたいという願望もない。 「だって、こっちのほうが面白いもんね?」 近くにいた舎弟に突拍子もなく言うと、舎弟は目を大きく開けて返事に口籠った。佐々木はそれに笑って、ビルへ入っていった。 前までは組長である心が塒にしていたために警備も厳重で、ビルが丸々、最高級のロックのかかった金庫のようだった。今もその名残はあるものの、仰々しさは八割ほどだと思う。 受付カウンターは名ばかりのそれで、相川が鼻の下を伸ばしそうな笑顔の受付嬢は不在だ。その名ばかりのカウンターで郵便物を選り分ける男を見かけて、佐々木は声をかけた。 「おはよう」 「あ、お疲れ様です」 八重歯の印象的な男は森野といって、最近、このビルへ配属になった舎弟だった。学歴はないが、話していると頭の回転の速さが分かり、佐々木が引っ張りあげたのだ。 佐々木と違い身体もがっちりしていて腕っ節にも自信があるらしく、若手では有望株だ。 「ポストマンなの?」 「はい。このビル、階とかで色々と分かれてるから、覚えるのにやれって成田さんが」 「あ、そうなの?成田は?」 「ガレージです」 「昨日、あいつに千円貸したから、回収しよーっと」 佐々木がそう言ってガレージへ向かうのを森野は小さく笑って、また郵便物を分け始めた。 「あれ、なんだ、この箱」 森野は積み上げられた箱の、宛名の分からないそれを見て首を傾げた。そこまで大きくない、漫画雑誌ほどのサイズで、だがそれほど重くもない箱。 宛名は会社宛で部署も個人名も書かれていない。差出人はやたらと長いカタカナの名前で、そこから企業か何かだと思われた。 「佐々木さん、宛名っていうか、誰宛っていうのがない荷物はどうしますか?」 ひょろひょろと長い身体を揺らして、ガレージへ向かう佐々木の背中に尋ねると佐々木はひらひらと手を振った。 「開けちゃっていいよー」 「え?あ、はーい」 何かのアニメのキャラクターに似てるよな、あの白いやつに。と、佐々木本人には口が裂けても言えない事を思って、一人笑う。 別に森野は佐々木を馬鹿にしているわけではない。それよりも感謝している。 三下のチンピラ、鉄砲玉にも使われそうにないような自分に目をかけて引き上げてくれたのは佐々木だ。こうして上等なスーツを着て、舎弟として佐々木達を出迎えれる様になれたのは、佐々木が居たからこそ叶った現実なのだ。 今、この現実を造り上げてくれた佐々木の役に立つためにも、早く仕事を覚えて、早く舎弟の中でも格を上げないといけない。 「頑張ろっ」 森野は小さく呟きハサミを取ると、その箱に尖端を入れた。箱の綴じ込みに合わせてハサミを滑らして開けていく。勝手に開けていいのかな?組長のとかじゃないよな?と森野は会ったことも見たこともない組長を想像した。 鬼神のような男だと聞いた。普段は闇に潜む獣のように静かだが、動き出すと誰も止められないと。 一説には抗争の痕が身体中に残る、筋肉隆々で凶器のように鋭い目を持つ男だと言われている。他の組に比べると少しだけ若いらしいが、若いからこそ古式に拘らないやり方が出来るとも聞いた。 「ラオウみたいな人かな」 25歳になったばかりの森野はまだ見ぬ頭首を想像して、笑った。 「なんだこれ」 開けた箱の中には、小瓶が入っていた。その小瓶の上には”サンプルご応募ありがとうございました”と書かれた紙が置かれていて、森野は首を傾げた。 「なに?まさかのサンプル?栄養剤か?まさか、マムシドリンクじゃないよな」 森野は瓶を眺めたが、栄養ドリンクと書いてあるだけで何の変哲もない。しかもよく見るメーカーの物で、怪しさはゼロだった。 「ご応募って、誰が頼んだんだ?」 森野は眉を上げた。そこへ、車の移動を終えた舎弟連中と佐々木がガレージから帰ってきて、森野は居住まいを正して頭を下げた。 と、その時、カチッと背後で音がしたのを森野は聞いた。 「見事だな」 及川はあちこちに散らばる瓦礫をつま先で突ついて、鼻を鳴らした。 まだ火薬臭の残るそこは、黒い煤が高い天井までをも黒く色を染めていた。入り口の防弾ガラスはヒビが入り、割れてこそないものの崩れるのは早そうだ。 「及川、あんまり触るなよ」 杉山が鑑識に話を聞きながら、及川に注意するが当の本人は聞く耳持たずだ。それに眉を上げて、杉山は鑑識との話を続けた。 まさか、鬼塚組がこんな派手に襲撃されるとはな。及川は見るも無惨になったそこを眺めながら、口角を上げる。 床に飛び散る瓦礫と血飛沫を冷めた目で見つめながら、これが報道されたところで、気の毒に思われる事はないだろうなと思う。 それよりも、社会のゴミを抹殺してくれてありがとうと称賛されかねない。そういう世界の人間だ。 「あんまり触んないでくれますかねぇ?及川警視殿」 うろうろ彷徨う及川の足元に小さな瓦礫が転がってきた。及川はその方向へ顔を向けると、そこに居た男を見て笑った。 「なんで所轄のデカが、ここに居るんだよ」 忌々しげな顔で及川を見るのは、新宿署の東雲だった。一度しか面識がないのに怨念の籠った目で睨まれるのには、笑みが溢れる。 「何でここにって。だって、ここはうちの管轄なんだから、居て当たり前でしょー?」 「所轄がほざくな。うちが担当するから、帰りな。用無しだよ」 「それは、警視殿としての命令で?それとも、警視庁からの指令ですかぁ?」 挑発するように言って、くつくつ笑いながら東雲は顎を撫でる。だが、そんな東雲を及川は気にすることなくロビーをぐるっと逡巡して、奥のエレベーターへ歩を進めた。 ボタンを押すとランプが付いたので、エレベーターは問題なく稼働しているようだ。 上に、ここの獣が息を潜めているのかは分からないが、サプライズな爆発物のプレゼントに対して、どういう顔をしているのか見てみたい。 まぁ、どうせなんてことのない涼しい顔で、他人事のように関心を示していないのは分かっているが。 エレベーターが1Fに着き、ドアが開いたそこに乗り込もうとしたところに、ドアの代わりに足が及川の行く手を阻んだ。及川はそれに笑い、足の主を見下ろした。 「よぉ、この度はとんだ目に遭ったなぁ」 「うるさいよ。ね、どこ行こうっていうの?」 崎山は及川を見ることなく、通せんぼよろしく伸ばして壁に付けた自分の足を眺めていた。 どうやら機嫌の悪さはマックスのようだ。折角の綺麗な顔が台無しなくらいに、顔が怒りに満ちている。 「そう、カッカすんなよって言ってやりてぇけど…。まぁ、いいや。心のとこ行くんだよ」 「あんた、馬鹿じゃないの?現場はここだけで、他の立ち入りは認めねぇよ」 「珍しく口の悪い…」 「黙れ」 崎山は及川を睨みつけながら、袖に潜ませたインカムで話を始めた。一言二言話すと、崎山は足を退けエレベーターのドアを閉めた。 「あれ?後ろのお兄さん、この間、誤認逮捕してくれたお兄さんじゃない?ね?」 崎山は及川の後ろの東雲を見ると妖艶に笑った。東雲は何を言われているのか分からない様子だったが、次の瞬間にはハッとして、忌々しげに一つ舌打ちをした。 「てめぇ、組の幹部だったのかよ」 東雲はチッと舌打ちをして、苛立ちを爪先を揺らすことで表した。 及川からすれば、なんだ知らなかったのかと呆れる事だが、まぁ、所轄は知らないのも当たり前かと整った眉を上げた。 「ね、新宿署の東雲樹人警部補?色々と面白いよね、あんたの周りは」 「あぁ!?」 「例えば、家族とか」 崎山がそう口を開いたと同時に、東雲の怒りが及川にも伝わった。東雲は長い腕を一気に崎山に伸ばしたが、それは崎山に届くことはなかった。及川がその腕を掴んだからだ。 「及川さんに止められるとか、よっぽど」 ははっと珍しく声を出して笑う。崎山のこんな顔を見るのは初めてかもしれない。 これはまさに八つ当たりをすることで、少しでも自分の苛立ちを発散しようとしているのだろう。 「離せ!!このクソガキ!」 腕を掴む及川の腕を振り払い、東雲は猛獣よろしく牙を剥いて崎山に掴みかかろうとする。及川はそれを身体で呈して、東雲を突き飛ばした。 「いい加減にしろ!このボケ!!てめーのそのアホな行動のせいで、この事件が捜査出来なくなったら責任取れんのか!」 「そうそう、面倒だね。責任。俺、ひ弱だから、すぐに怪我しちゃう」 崎山は目を細め、笑った。と、その崎山の背後のエレベーターのドアが開き、熊のような男が出てきた。 さすがの及川も東雲もギョッとするほどの巨体だ。 「橘、この刑事さんお二人が迷ってエレベーターに乗らないように、ここで案内してあげて。お出口はあちらですってね」 橘はそれに頷き、エレベーターの前に仁王立ちする。崎山は橘の身体の横の僅かな隙間からエレベーターに乗り込むと、ドアを閉めた。 閉まり切るその瞬間、親指で首の前を一直線に切る仕草を見せた崎山に及川は笑った。 絶好調じゃねぇか、あいつと。 「あんの、クソガキぃ」 笑う及川の隣でギリギリと東雲が歯を鳴らす。 これはまた、短気な奴だと自分のことを棚に上げて及川は思った。 「クソガキってか、あれ、そんなに若くねぇぞ」 「…はぁ!?」 「なぁ?」 及川が橘を見上げて聞いてみたものの、橘は前を見据えたまま微動だにしない。 その屈強な身体があれば崎山のあの細い首も簡単にへし折れそうなのに、そう出来ない何かが崎山にはあるのだろう。 「ったく、何が怖いんだかな」 「おい、こら、何やってんだ!」 杉山が遊んでいる及川を見て、声を上げた。東雲も同じように上司の怒号が飛び、渋々と持ち場に戻っていく。 「なぁ?次はこんなんじゃ、済まねぇかもよ?」 及川は足元の瓦礫を拾って橘を見上げたが、橘はやはり何も言わなかった。よく躾けられた犬だなと、及川は瓦礫をそこへ落として我鳴る杉山の元へ歩いて行った。 その頃、心はイースフロントの最上階にある相馬の部屋で、相馬のデスクの椅子に座っていた。 足をデスクに投げ出して背凭れに目一杯身体を預けた状態で、時折、その椅子を左右に動かす。 爆撃の時、心はイースフロントに居た。なので、何かが爆発して佐々木達が怪我をし、舎弟が一人死んだという情報だけが伝えられたのみ。 ビルがどういう状態なのか、何がどうやって爆発したのか全く分からない状態なのだ。 そろそろ我慢も限界にくるかな?と相馬は感じた。 心は特別、仲間意識の強い男ではない。舎弟がだの部下がだの、煩わしいとさえ感じてしまうような男だ。 それを軽薄と取るかは分からないが、だが、縄張り意識はあるのではないかと思う。しかも、今回は心の元塒。 その塒で自分の部下が死傷したとなれば、面白くないのは当然のこと。 仲間意識は強くはないが、縄張り意識が強い男…。まるで獣だ。 「荷物に混じっとったって?あそこ、荷物とか来んの?」 心がソファに居ない時は、この男が居る時だ。彪鷹はソファに転がり、その腹の上に灰皿を置いて煙草を燻らしている。 騒動後、今日の予定をすべてキャンセルして、とりあえずここで待機させてはいるものの時間を持て余しているようだ。 「一応、表向きは鬼塚建設で看板あげてますからね。荷物はそれなりに来ますね。今回のは、荷物ごと吹き飛んだので差出人は分からないですが」 「ま、そうやろーなー。公安の連中は?」 「及川が居るので、出張ってきませんでしたね」 「は?なんで?」 彪鷹は頭だけを上げて、相馬を見た。 「あれはあれで役に立つんですよ。公安だろうがなんだろうが、平気で楯突いて問題を起こしてくれますから。うちの捜査をするなら、法的手続きの前に及川をどうにかしないと無理ですね」 「なんでも物は使いようってか。のぉ、心」 「…佐々木は?」 ぼんやり天井を見上げてた心が、スッと前を向いた。 まるで眠りを起こされた獣のように、心の目は鋭かった。これは思った以上に腹立たしく思っているようだ。 「衝撃で吹き飛んだんで、頭をぶつけてましてね。今日は検査入院ですね。他の組員も裂傷や、重軽傷者も居て、舎弟の森野は亡くなりました」 相馬の事務的な言葉を聞いているのかいないのか、心は特段、顔色も変えずにそれを聞くと、また天井を見上げてぼんやりしだした。 相馬はふと、佐々木達の容体をみに病院へ行ったことを思い出した。 舎弟が咄嗟に庇ったらしく、目立った外傷はというと頭の包帯が痛々しいくらい。 カウンターが粉砕して、その破片で額を切ったらしい。そして、頭部を強打しているとのことで、精密検査に入院を余儀無くされていた。 そこで森野のことを伝えると佐々木はゆっくり笑みを浮かべた。 「育つと思って上にあげたのになぁ」 極道が命を狙われることは珍しくない。なんなら日常茶飯事のことだ。だがやはり、襲撃されたときの悔しさとか憤りは言葉では表せない。 沸々とした怒りがどんどんと形を変え、それがマグマの塊となって身体の中を駆け巡る。 普段、温和な佐々木が、怒りで拳を握るのを相馬は初めて見た気がした。

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