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第34話
カンファレ室と書かれたプレートが入る部屋に通され、静はギョッとした。明らかに機嫌の悪い顔の崎山と雨宮曰く、コミニュケーション能力の死んだ高杉、そして見覚えはあるが話したことのない佐々木が会議室のような円組で置かれた机に座っていて、その中心に鷹千穗が容疑者のように座って居た。
裁判かよと言いたいような配置に心を見上げると、心は出入り口に畳まれ置かれていたパイプ椅子を広げて、そこに座ってしまった。
部屋の中で残るのは鷹千穗の隣の席。おいおい、俺も容疑者かよと静は仕方なく鷹千穗の隣に腰掛けた。
「こんばんは、静さん。佐々木です。佐々木紫輝です」
細い目を更に細くして、にっこりと笑われる。座って居ても分かる長身さだ。痩身で穏やかに見えるその顔は、極道とは遠いものに思えた。
静はとりあえず、こんばんはと頭を下げた。そして高杉を見たが、高杉は静を見ることもなければ、よほど退屈なのか何かの部品を弄くり回していた。
さすがコミュニケーション能力皆無。心が居てこの態度なのだから、これが通常な彼なのだろうと思った。
「えーっと…ところで、なんでしょう?」
抜け出したこと怒ってるんですよねと、崎山を恐る恐る見る。崎山は聞こえるように溜息を吐いて、テーブルを指で弾いた。
「死神に聞いても答えてくれないからね。ね、静さんは誰か見た?」
「誰かって…佐野っていう男とフードの男くらいしか」
「それは俺も見た。じゃなくて、二人仲良く屋敷を抜け出して夜遊びしてる最中、何か見た?」
ぐうの音も出ない言い方してくるなと唇をきゅっと締めた。後ろで心が笑っているのが分かるし、高杉は隠すことなく笑っている。
「いや、俺は…。鷹千穗さん、何か見た?」
そのまま地面に倒れそうなくらいに項垂れる鷹千穗の顔を覗き込むと、銀色の瞳が静を見た。
静はにっこり笑うと、ん?と首を傾げた。それに鷹千穗は何度か瞬きをした。
「見たんだ」
今ので分かったんかい!!が、恐らく部屋に居た人間全員の感想だ。鷹千穗はようやく顔を上げて、崎山を見た。
「どこで?屋敷からか?」
鷹千穗はまた頭を下げそうになったので、静が慌てて鷹千穗の手を握った。
「全部、教えてくれたら彪鷹さんの居る部屋の近くまで連れて行ってあげるから、頑張ろう」
おい!と崎山が一瞬、前のめりになったが心が視線を送ってきたので、渋々、頷いた。
「屋敷から見た?」
静は鷹千穗の僅かな変化を逃すまいと、その唯一無二の銀の瞳をじっと見た。まるで狼のような瞳だ。瞳孔は黒く、虹彩は本当に銀色だ。
瞳孔の周りがほんの少しブルーっぽく、光の加減でそれが濃いブルーになったり薄いブルーになったりする。
その瞳を縁取る睫毛は銀色で、キラキラと光って見える。こういう毛並みの猫を見たことあるぞと思いながら、あまりの美しさに息をするのも忘れた。すると鷹千穗の瞳が僅かに動いた。
「屋敷からなの?」
静が言うと佐々木と崎山が顔を見合わせ、高杉は口笛を吹いた。
「防犯カメラ調べたら、出て来るんじゃねぇの?死神が見た連中」
誰に言うわけでもなく高杉が言うと、崎山は唇を撫でて何かを考えているようだった。
「ね、その連中は、お前がやりあったフードを被った人間か?」
「違うって」
「ああ、じゃああれですね。静さん達を付けていた連中は、あくまでも監視役で襲ったのがキーマンということですねぇ」
「鷹千穗」
心が呼んで振り返るわけもなく、静が代わりに振り返った。
「強いか」
誰がと聞くまでもなく、静が鷹千穗を見た。
「強い…みたい」
「へぇ、ええやん」
心はニヤリと笑うと、ジャケットのポケットから煙草を取り出した。それに佐々木が気が付いて、それを制した。
「組長、ダメですよ。ここ、禁煙なんで」
「あの、」
静がおずおずと手を挙げると、崎山が蛾眉を顰めた。いや、余計なことを言うつもりはないんですよと、とりあえず一呼吸を置く。
「あの、フードの奴は喋らなかったんだけど、その佐野っていう人は俺の名前も知ってたし鷹千穗さんを”死神”って」
静が言うと、崎山と佐々木が驚いた顔をした。あれ?何か拙かったのかと思わず鷹千穗と同じように俯く。
「ね、本当に死神って、呼んだの?そいつを?」
「え、そう。鷹千穗さんの顔を見て、死神って」
「……」
崎山と佐々木は神妙な顔をして、黙り込んでしまった。静はその意味が分からずに心に振り返ったが、心は愉快そうに笑っているだけだった。
手術中のランプの付く扉の前の長椅子に、鷹千穗はそれこそ死人のような顔で座って項垂れていた。そこへ連れてきた静は鷹千穗の隣に座り、その背中を摩った。
「大丈夫だよ」
確証はなかったが、そう言わずにはおれなかった。
鷹千穗にとって彪鷹はすべてだろう。異質な鷹千穗が唯一、彪鷹だけに心を許しているのだ。
もし、その心の拠り所がなくなれば?想像するだけで、静が薄寒さを覚えた。
ふっと手術中の赤いランプが消えて、手術着を着た塩谷が出てきた。長時間の手術のせいで手術着の首元が汗で濡れている。
こうしてみると、本当に医者なんだと実感した。
「あ?なんだ、ここは立ち入り禁止だぞ、あほども」
いや、医者じゃないわ、これ。
「心がいいって。あの、彪鷹さんは?」
「俺はやるだけのことをやった。あとは、あいつ次第だな」
いや、そこは何か医者っぽいこと言ってよと思いつつ、塩谷にそれを求めるのもバカかと静は鷹千穗の手を握った。
「大丈夫だよ」
言ってみたが、鷹千穗は相変わらず表情もなく手術室をじっと見つめていた。
トンッと重厚なテーブルを指先が弾く。梶原はそれを見ながら風間龍一の言葉を待った。
「心のところに脅迫めいたもんが届いて、佐野が狙撃されて…か」
「はい…。鬼頭組も襲撃いうてもガキですけど、アホどもが眞澄を襲ったようで。明神組にも聞いてみたんですけど」
「あそこは年中賑やかやから、聞くだけ無駄やねぇか」
「オヤジ、うちにも…」
梶原は最後まで言葉にせずに、ただ頷いた。風間がそれにフッと笑うだけだった。
「佐野は、保ちそうか」
風間の問いかけに梶原は首を振り、風間は大きく息を吐いて椅子に深く腰掛けた。
鬼塚清一郎が彪鷹に心を託したのは正解だった。清一郎が急死したときに、この時のためだけに心を育てていたのかと思ったほどに、心は完璧だった。
だが、それは全て彪鷹が居なければ成し得なかったこと。その彪鷹が居なくなるのは、惜しいという簡単な言葉では片付けられない。
「緊急招集かけろ。場所は鬼塚組の本社でええ。儂もそっちに向かう。明神組は万里も、鬼頭組には眞澄も来させろ」
風間が言うと、梶原は小さく頷いた。万里や眞澄をも動かすということは、一気に相手を炙り出して決着をつけるつもりだ。
今の時代、長期戦は完全に不利だ。妙な動きをして警察にそれを嗅ぎつけられれば、面倒ごとが増える。それは得策ではない。
「梶原、今回は龍大も連れて行く。そろそろあいつも顔出しさせていって、地盤を固めていかんとあかん。とりあえず、屋敷に龍大呼べ」
「屋敷に一回、戻りますか」
「極道に休息はあらへんなぁ」
風間はそう言って笑うと、席を立ち部屋を出た。
平成の極道戦争。誰かが面白おかしくそう呼ぶそれは、風間龍一の命を賭した闘いだった。それに貢献した鬼塚清一郎は急死し、風間組を護るために動いた明神万葉も隠居した。
世代交代は早い方がいい。いつまでも年寄りがこの席にしがみ付けば、下は衰退し、極道排除の世の中では一気に潰しにかかられる。
昔の生業は通用しなくなり、若い者を食べさせていくのも一苦労で代紋を下ろす組も増えた。
仁流会とて他人事ではなく、豊富な資金があってもそれがいつまでも底なしに続くわけではない。時代も変われば人間も変わるべきなのだ。
「梶原ぁ、年は取りたくねぇなぁ」
風間が笑う。梶原はそれに何とも言えない顔をしながら、地下駐車場のドアを開けた。
そこで梶原が異変に気が付いた。
「オヤジ、妙だ。一度、戻って…」
と言い振り返った梶原が目にしたのは、風間の腹から突き出る刃先だったのだ。
「オヤジ!!」
梶原が手を伸ばすと、風間はすぐに後ろの男に肘を打った。男は飛び跳ねるようにして離れると血に塗れた手を口元に持っていき、べろっと舐めた。
「て、てめぇは…!!!」
梶原はすぐに壁の警報ボタンを拳で潰した。館内に警報音が鳴り響く。
壁に凭れ掛かり、ずるずると崩れる風間を咄嗟に梶原が抱えると、その頭に銃口が当てられた。
イースフロントの社長室のソファで煙草を燻らし、そうあることが当然のスタイルとばかりに心が転がっていた。相馬や崎山、他の幹部連中はフロント企業の仕事そっちのけで走り回っている。
無理もないかと思っていると、内線電話が鳴り響いた。周りには誰もおらず、いつもならば無視をするが何となく電話に出た。
それは一階の受付からで、その言葉を聞いて心は分かったと一言だけ告げた。それから数分後、ノックもなしに扉が開いた。現れた異国色の強い男は鼻息荒く心に近づくと、胸ぐらを掴み上げた。
「てめぇ!これが分かってたんじゃねぇのか!?」
寝転がる心に馬乗りになり、怒りに震える及川を見上げた。
「いきなりなんやねん」
「初めから風間がターゲットだって、分かってたんじゃねぇのか!?ああ!?」
「おい、及川!」
今にも殴りかからんばかりの勢いの及川の手を、杉山が掴んだ。及川はそれを振り解くと舌を打ち、心の向かいのソファに乱暴に腰掛けた。
「誰もおらんから、おもてなしは出来ひん」
心は笑って起き上がると、乱れたシャツを軽く直した。
「おもてなしはいらねぇな。それに、誰も居ないのはこちらとしても都合が良い」
杉山は及川の隣に腰掛けると、手に持った封筒から写真を取り出した。写真は風間龍一を盗撮したもので、赤いマジックでバツ印が書かれていた。
「及川が、さっき訳の分からんこと言ってたけど、オヤジが狙われてたかどうかは知らん」
「察しはついてたんじゃないのか?及川はそういう意味で言ったんだ」
「こんな酔狂な奴の狙いなんか分からん。俺のとこも実際、無害やったわけやない」
「佐野彪鷹のことか。で、状態はどうなんだ?」
「さぁな。死ぬかもしれへんし、死なんかもしれへん。何やったら、このまま目覚めへん可能性もある」
心は煙草を銜えた。それを及川が奪い、手を出す。心は眉を上げて、ライターを取り出すと及川に投げた。
「自分の親父が死ぬかもしれねぇってのに、お前は冷たい息子だな」
及川は煙草に火を点けると、テーブルにライターを置いて心の方へ滑らせた。
「彪鷹は親やあらへん」
「親みたいなもんやろうが、実際」
「まぁ、佐野のことはとりあえず、相手の心当たりってないのか?恨み買うなんて日常茶飯事だろうけど、こんな派手な襲撃されたことなんてないだろう?」
「俺があると思うか?そもそも、うちに喧嘩売ってる人間がいることも相馬に隠されとって知らんかった。鬼頭組が襲撃された件があって、俺は知ったくらいやからな。第一、俺よりあんたらの方が詳しいやろ、極道のことに関しては」
「詳しいって?」
「仁流会に喧嘩売るアホが、極道のなかにおるんか?」
杉山は顎を撫でて思案していたが、分からないなと首を振った。
「仁流会と肩を並べて喧嘩出来るんは一新一家くらいだけど、あの組はそんなバカなことはしない。なら、組関係の人間じゃないかもしれない。そうなると厄介だぞ。現に風間は襲撃されたんだ。まだ表立って言ってないにしても、いずれ知られれば仁流会の内部も浮き足立ってくるぞ?」
「死んだか?」
及川が心を睨むように見ると、心はフッと笑って首を傾げた。
「さぁな。こっちに連絡を入れれるような状態やないってことやろう」
及川はそれに舌を打って杉山を見た。杉山は息を吐いて、携帯番号の書かれた名刺をテーブルに置いた。
「俺のプライベートな番号だ。悪いけどな、税金使ってお前の警護を表立ってするわけにはいかない。とはいえお前に死なれると非常に困るから、24時間体制で監視をつける。文句はなしだぞ」
「好きにしたらええやん」
「覚えとけよ、心。お前をブチ込むのも、犯すのも俺だからな」
「悪趣味」
心が舌を出すと、杉山がそうだと指を鳴らした。
「悪趣味っていえばな、お前が相手してる奴も相当悪趣味だぞ」
「あ?」
「そうそう悪趣味だわ、あれ。お前のそっくりさんを殺して回ってるぜ。そっくりさんって言っても、背格好とか顔つきが少し似てるくらいのな。お前、相当愛されてんな」
及川が鼻で笑うと同時にドアがノックされ、佐々木が顔を出した。佐々木は及川達の顔を見ると、肩を竦めてみせた。
「困りますねぇ、勝手なことされては」
「通したのはこいつだぞ」
杉山と及川は立ち上がると出入り口に向かい、長身の佐々木を見上げた。
「あのガキ、殺られるんじゃねぇぞ」
杉山は囁くように言うと佐々木の肩を封筒で叩き、そのまま部屋を出ていった。佐々木はそれを見送りドアを閉めると、心の側に行きソファを指差した。
「あ?座れよ」
「では、失礼します」
「で?」
「分かったことだけを言うと、生死は不明です。風間組の口が重いことをみると、どうにもねぇ」
「梶原は?」
佐々木はそれに首を振った。
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