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第35話

「そうそう、組長は氷室をご存知ですか?」 「あ?親父の時に居た若頭の氷室か?」 「そうです。鬼塚組の内紛を起こした張本人と言ってもいい男です」 「名前しか知らん。死人に興味あらへんし俺は親父のときの組には一切、ノータッチやったしな」 組長を継承するときに見た資料の中に、そんな名前があった。過去に組に居た大幹部だ。死人、先代の時分に亡くなっている男だが、心にしては珍しく顔を覚えている。 何故なら、顔の左側を潰す様な大きな傷がインパクトがあったからだ。 「今回の件ですがね、やったのはその氷室と手を組んでいた来生という男なんですよ」 佐々木は大きく息を吐いて、心を見た。 「確かか?」 「確証を持てずにいましたが、ようやく尻尾を掴んだんですよねぇ。主犯は来生です。これはあいつを殺しておかなかった、私や崎山…山瀬派に居た人間の責任ですね。来生なら佐野姓のことも知っているし、組の内情にも詳しい。崎山を襲ったパーカーの男はどこの誰かは分かりませんが、恐らく来生が用意した刺客でしょうねぇ。来生は策士です。それも狡賢く汚い」 佐々木は過去を思い出したのか、珍しく表情を強張らせた。心はそれを見流して、ふっと笑った。 「策士か。風間の警護の組員を殺して、ガードの薄まったところで後ろからオヤジを刺すやり方は、確かに汚ねぇな。そこまで腕の立つ男なんか」 「いいえ、ただ汚いんですよ。そして人を乗せるのが上手い」 佐々木は口元だけで笑ってみせると、心はなるほどなとソファに転がった。 「じゃあ、暫くは逢えない感じなの?」 静は大学の学食で暁と顔を合わせていた。最近の組のトラブルのせいで、少しのあいだ外出を制限されることになったからだ。 とはいえ組でのゴタゴタが静に影響があるかと聞かれると、それはどうも微妙な話だとは思う。心との関係を知る者は、組内部ですら限られた幹部達だけなのだ。 しかし鷹千穗と居たところを襲撃された事実はあるわけなので、無関係というのには無理があった。 「ちょっと人の手伝いをすることになって、時間が取れない感じかなって」 「そうなんだ?無理しちゃダメだぞ」 暁はそう言って笑顔を見せるが、罪悪感しかないなと静は項垂れた。嘘を重ねるというのは、こうも心が重くなるものなのか。 するとジーンズのポケットに入れているスマホの振動に気が付き、静は暁に断りを入れて電話に出た。 「はい?雨宮さん?」 『お前、まだかかるんだろ?ちょっと呼ばれたから行かなきゃならねぇんだけど、一人で帰れるか?何なら、誰か迎えよこすけど』 「大丈夫だよ、全然」 『…いや、やっぱ2時間くらい時間潰しとけ。迎えに行くから』 「いや、大丈夫…」 『潰しとけ』 雨宮はそう乱暴に言うと、電話を切ってしまった。 心配性だなと思いながら暁を見ると、暁も電話に出ている最中だった。只管、すぐ戻りますからを連呼しているので、暁と居るのは無理そうだなと静は笑った。 「ごめん、吉良、戻らないと」 「充磐教授?いいよ、大丈夫。ちょっとでも逢えて嬉しかったし」 静はそう言って何度も謝る暁の肩を叩いて、また連絡するからと笑顔を見せた。 後ろ髪を引かれるとはああいうことかなと思うほど、名残惜しい顔をして暁は教授の元へ帰って行った。鬼教授の元で働くって大変だなと思いながら、さてどうしようかなと辺りを見渡す。 大学の中にいつまでも居るのもなぁと思ったが、確か近所に色んなショップの入った店が出来たはず。よし、そこへ行こうと静は大学を出た。 大学を出て歩いていると、数人の大学生とすれ違う。戯れあって話している姿を見ながら、何だか世界が変わったなぁと空を見上げた。 心に出逢って地獄から救い出され、恐怖も味わったがそれ以上に大事に想える相手が出来た。 自分が今まで苦しめられてきた世界で生きる人間と一緒に歩むことに戸惑いこそはあったが、そんなもの吹き飛ばすくらいに大きな存在だ。 「態度もデカイけど」 独り言を呟くと、肩を叩かれた。ぎょっとして振り返り、蛾眉を顰めた。 「え…進藤、さん?」 そこに居たのは、店の客でもある進藤だった。 「奇遇だね、まさかこんなところで逢うなんて」 上品に笑う進藤から距離を取り、静は辺りを警戒した。それに進藤は、おやと手を打った。 「僕のこと、雨宮くんに聞いちゃった?」 「何か、用ですか?」 静はそっと尻ポケットに捩じ込んだスマホを撫でた。進藤が昔、彪鷹の敵だったこと。今は無関係を主張しているが、警戒すべき相手であることは雨宮から聞かされている。 その進藤を前に、たった一人で居ることに思わず息を呑んだ。 「警戒しないでほしいなぁ。ただ、少しお話を聞いてくれたらいいんだよ?ああ、この先に店舗がいくつかあるのを知ってる?そこなら人も多いし、安全じゃない?」 進藤はそう言って静を促した。 さすがに大学の近くとあって、人も多かった。広いカフェに空席は少なく、ここなら大丈夫かと静は進藤と共に腰を下ろした。 「コーヒーを2つ…で、大丈夫?」 静が頷くと、進藤は目を輝かせて周りを見た。こうして見ると、本当に何の害もない紳士にしか見えない。 「こういう新しいところって、何だか楽しくないかい?」 「用は、なんですか?」 「うーん、店での対応と違うのは悲しいなぁ。そう警戒しないでよ」 「もしかして、俺をつけてたんですか?」 「いやいや、人聞きの悪い。そんなんじゃないよ。ただね、僕は君に用があってね」 進藤は運んで来られたコーヒーにミルクをたっぷりと落とし、砂糖を入れるとゆっくりとティースプーンでかき混ぜた。上品な仕草だが、静は毛を逆立てた猫の様に警戒心剥き出しで進藤の一挙手一投足を見ていた。 「僕はね、君に邪魔をしないでほしくてね」 「え?俺が邪魔?」 「そうなんだよね。困ったもので…君ね、鬼塚心くんと、別れてくれないかなぁ?」 「……は?」 思いもよらない発言に静は目を丸くした。それに進藤は笑顔を見せて、コーヒーに口をつけた。 「彼はね、僕がずっと手に入れようと必死になっていた人間でね。一度は断られてしまった上に、僕もこっちで過ごせない事情が出来て離れていたんだけど、帰ってきたら…まさか君なんかと」 進藤の顔から笑みが消え、静を侮蔑するようにして睨みつけた。その目には冷酷さが如実に表れていて、静は悚然とした。 「あ、そうだ。僕、君に謝らないと」 進藤は一転、笑顔を見せて顔の前て手を合わせた。 「え?」 「名前ね、こっちが本名なんだよ」 進藤は名刺を取り出すと、静の前にすっと出した。 「神童 理生…漢字が違う…」 「そうなんだよ。よろしくね」 「いや、よろしくって…。心と別れろって、お願いを聞き入れない場合は脅しますか?俺を」 「いやいや、君は脅しなんかに屈しないよ。大多喜組とのことも調べさせてもらったけど、君の見た目からは想像出来ない様な負けん気の強さには恐れ入るね」 「俺は、あいつとは…」 「吉良くん、これはね、お願いじゃないんだよ」 「……」 「絶対なんだよ」 神童はそう言うと、コーヒー冷めちゃうよ?と静にコーヒーを促した。 「風間組は大変だよねぇ」 「え…?」 「佐野彪鷹は死んじゃった?」 「あ、あんたが!!!」 静が声を荒らげると、一瞬、店内の賑やかさが消えた。静はそれに慌てて頭を下げると、神童は笑ってコーヒーを嗜んだ。 「僕が殺してあげたいけど、残念なことに僕にはそんな力はないんだよね。僕は非力な人間だ。ライフルで彼を狙撃する様な銃の腕は持ってないし、あの風間組に侵入して組長と若頭を襲撃するなんてこと出来るわけがないよ」 「あんたが直接、手を下さなければ出来ることだ。俺はそういう卑怯な人間を山ほど見てきたし、あんたはそういうのが得意な人間なんじゃないのか?」 「なるほどねぇ。さすが、長年に渡り籠絡されることなく大多喜組と一人で戦ってきただけあって、君は本当に…ねぇ。ああ、そうだ、じゃあ君が彼と別れてくれるなら、全てが終わると言えばどうだろう?」 「認めるのか?」 「いやいや、だって僕が何を言っても君は信じてくれないだろ?まぁ、そうだなぁ。1つ言えることは、僕は全く無関係じゃないってことかな。だから君が彼と別れれば、この起こっている騒動は波が引くように消すことも出来るってことだよ」 「そんな、確証もないことを俺が信用するとでも?」 静は神童を睨みつけた。その顔を見た神童は肩を竦めた。 「彼はね、孤高の男なんだよ。それが君のせいで最近は腑抜けに見える。僕には、だけどね。鬼頭組との一件でも、鬼頭眞澄に情けを見せた。彼はね、そうじゃないんだよ」 「眞澄さんは心の従兄弟だし、同じ仁流会の人間だ。それを殺す必要があるわけないだろ?」 静が声を殺しながら苛立ったように言うと、神童は眉を上げて頬杖をついた。 「君、彼がそんなつまらない人間になって、残念だと思わないの?」 「何を言って…?心が眞澄さんを殺さなかったことがつまらないって、本気で言ってんのかよ」 「別れるの?別れないの?」 「別れない!!」 「じゃあ、僕が鬼頭眞澄を殺そう」 「…は、なに言ってんの、無理に決まってるじゃん」 神童はコーヒーを優雅に嗜みながら、口角を上げてみせる。静はぐっと拳を握って、挑むように神童を睨んだ。 「俺が言うのもおかしな話だけど、鬼頭組の若頭を殺すなんて出来るわけないだろ?仁流会のNO.3なんだから…ッ」 「出来るよ、風間龍一がそうなったじゃない」 「…それは、それがあったからこそ今は警戒レベルも上がってるし!」 「違うんだよ、今の仁流会は腑抜けなんだ。規模こそ大きいけど、勢力は衰えている。日本という国で生き難い稼業だとしても、その衰えは目に余る。いいかい?この平和ボケした国で、極道の世界だけが命を賭して戦っているんだ。その世界で頂点に君臨するはずの風間組の組長と若頭が、あっけなく無残に殺られたんだよ?」 「でも、それは…」 「油断大敵。王に君臨していても、いつでも虚を衝かれるんだ。そんな腑抜け集団のNO.3の鬼頭組の鬼頭眞澄も代わりに殺してあげれるし、邪魔なら明神組の明神万里も始末出来る。風間龍一が死んで、息子である風間龍大が後継者となって組を継ぐなら、そこも排除出来るんだ」 聞き覚えはあるが、逢ったことのない人間の名前を次々と言われ静は首を振った。 「待って、それってなに?代わりって、あんた、心を…仁流会の会長にしたいのか?」 昔、鬼塚組のことを調べた時に仁流会の組織図を見たことがある。神童があげた組の名前はみな、仁流会の幹部の名前ばかりだ。 「まぁ、そういうことかな。僕にとって、彼を頂点にしてあげることが葬いになるかなぁってね」 「葬い?」 「僕の姉はね、乃愛っていうんだ」 「は?なに?乃愛…?」 「心の母親だよ」 「え!?」 「だから、僕と彼は血縁者なんだよ。だけど僕はね、彼女に酷く嫌われていてね。彼女が僕の前から消えたときは、死に物狂いで探したものさ。だけど見つけたときには彼女は鬼塚清一郎のものとなっていて、手が出せなかった。僕が居た組が、そんな規模の大きいものじゃなかったからだ。だが虎視眈々と彼女を取り返す事だけを狙っていた」 「取り返すって…」 「そう、彼女は僕の最愛の人だからね。彼女だけが僕のことを理解してくれていた。だけど、僕がヘマをしてしまって少しの間、外部と遮断されている間に彼女は鬼塚氏の元から逃げ、彼を産み、一人で育てていたんだ」 「一人で?」 「聞いてないのか?まぁそうか、彼も彼女との思い出は少ないだろうからな。鬼塚氏はね、彼が幼い頃に彼を彼女から取り上げて連れ去ってしまったんだ。僕がようやく外に出て彼女を見つけたときは、彼女は自ら命を絶っていてね…」 静はゆっくりと息を吐いた。心の出生を、こんな形で知ることになるとは思ってもなかった。母親から引き離された、だから彪鷹が育てていたのか。 「心のお母さんのために、心を仁流会の会長にすることが葬いになるって、本気で思ってるの?」 「どうだろう?とりあえずってところかな。ステージだよ、言うなれば。彼を頂点にして、次は何をしようって感じだよ。彼を見てると愛おしくてね。彼は彼女によく似ているんだよ、目元が特にね。ぞっとするほどに」 そう言って笑顔で話す神童に、静は目を見張った。 「神童さん、あんた…」 「君は察しのいい男だ。そう、彼女は鬼塚氏から逃げながら、僕からも逃げていた。君が想像する通り、僕が彼女から酷く嫌われていたのは僕が彼女を抱いたからだよ。あれは本当に人生で一番の至福の時だったなぁ」 静は思わず腰を浮かせた。平然と言う神童に蛾眉を顰めて、心に闇でも覆う様な居た堪れなさに首を振った。 「あんた、兄弟だろ!?」 「そうだよ?姉だって言ったじゃないか」 「何でそんな平然に…。あんた、おかしいんじゃないの?」 「僕は正常だよ。彼が愛おしくて、大事なだけさ。で、君は別れてくれないのかい?」 「別れない!」 「残念だ。君の負けん気の強さは好きだけど、頑固さは嫌いだなぁ。じゃあ、まずは雨宮くんだ」 「なに?」 「雨宮くんの身体を切り刻んで、一部づつ毎日屋敷に送ろう」 「神童さん!」 「そして、桜庭暁くん」 「…ッ!!」 「彼は…そうだなぁ、素材がいいから撮らしてもらうのもありだね。君も大多喜組に言われた事あるだろう?」 「あんた!!……え」 静は店に入ってきた客に目をやり、青褪めた顔で神童を見た。神童はにっこりと微笑むと、入り口を振り返り手を振った。 「もちろん、彼女も撮らせてもらうよ?」 「お兄ちゃん」 笑顔で席に来た涼子に静は愕然とした。身体が震え、静は目の前が真っ暗になった。まるで奈落の底に叩き落とされた様な感覚に陥り、声が出なかった。 「やあ、こんにちは。場所が分かってよかったよ。元気だったかい?」 「はい、神童さんもお元気そうで」 涼子は静の隣に座ると、神童に頭を下げた。 「涼子…」 「お兄ちゃんも久しぶり。びっくりしちゃった。神童さんの部下の人に迎えに来てもらったんだけど、どうしたの?」 静は震える唇をぐっと噛んで、神童を睨み見た。 「涼子ちゃんとは新藤氏と仕事の関係で知り合って、それが縁でね」 「そうなの、同じ”しんどう”ですごいねって。字は神様の神に童だから全然違うんだけど」 「驚いたろ?サプライズだよ」 神童はそう言って微笑んだ。叔父とも親密となり、まさか涼子とまで。静はぐっと拳を握った。 「あ、ちょっとごめんね。お手洗い行ってくるね」 「ああ、じゃあケーキも頼んでおいで。君、ケーキ好きだからね」 涼子はにっこり笑うと席を立った。静は殴りかかりたい気持ちを抑えて、神童を睨みつけた。その顔は憎しみに満ちていて神童は満足気に笑った。 「そう、怖い顔をしないでくれるかい?僕は非力ではあるけど、色々と考えを持つ男だよ。非力は非力なりに作戦を立てなければならない。僕は本気だぞと分かってもらわないとね。分かってくれただろ?何なら、もう一人、誰かを…」 「やめてくれ!!」 「そうかい?誰でも出来るよ?組に関係のない芝浦くんとか、星くんは気に入っているけど…仕方がない」 「分かった、わかったから…」 静は手で神童の言葉を遮った。次々と神童の口から出てくる名前に、静は頭を抱えた。 「じゃあ、別れてくれる?」 「い、今すぐには無理。そんなことを急に言い出せば、怪しまれる」 「そうだね、それもそうだ。でも、僕とのこと言わない保証もないよねぇ?」 「言わない!絶対に、何があっても!」 「本当?でもなぁ…」 「涼子を人質にしているくせに!言えないことくらいわかってるだろ!?」 「そうか、それもそうだね。ごめんね。でも、君が僕とのことを、いつ、どこで、誰にも言ってはいけないってことだよ?極端に言えば、この店の店員さんにも言っちゃいけないし、トイレで独り言として呟いてもダメってこだ」 「わかってる」 「じゃあ、これ受け取ってくれる?」 神童はテーブルにスマートフォンを置いた。 「君と僕の連絡ツールだよ。ああ、見つからないようにしてね。君の携帯は鬼塚組に管理されているだろ?君のとこには、恐ろしくハイテクな男が居るようだし」 静はそのスマホを乱暴に取ると、ズボンのポケットに捻じ込んだ。 「覚えててね。言えば、一番に僕がすることは彼女を飢えた野獣の巣穴に放り込むことだ」 神童はにっこり笑って立ち上がると、ここは奢るよと告げてレジへと向かった。そこに涼子が現れて、二人で談笑をしている。 静はそれを唇を噛んで黙って眺めていた。

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