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第40話

屋敷に戻ると出て行くのが難しくなるからと、雨宮と静はビジネスホテルへ来ていた。血塗れの衣服のままフロントを通る訳にも行かず、雨宮の上着を羽織って人目を避けるように歩いた。 部屋に着いた途端、雨宮は服などを調達してくると出て行き、残された静は閉まったドアを見て、徐にそれに額をゴツンとぶつけた。 「しっかりしろ、俺…」 呟いた声に目を閉じる。 弱い自分に辟易とする。狼狽えて何もできない力のなさにうんざりする。これじゃあ、いつまでも何も変われないと何度かドアに額をぶつけた。 ふと視線を右側に移すと、壁に埋め込まれた姿鏡が目に入った。手を伸ばして入り口の電気を付けると、映し出された自分の姿に苦笑を漏らした。 心の血を浴びたせいで上から下まで服の色が変わっている。自分で見る事が出来なかったので気が付かなかったが、顔にも血が飛んでいた。 静は徐に雨宮から借りた上着を脱ぐと、部屋の奥へ向かい上着をベッドに置いた。そして次々と服を脱ぐと、それは床に置いてベッドに腰掛けた。 雨宮の服と一緒に置いていた鞄を手に取って中を漁り、スマホを取り出すと電源を付けた。それは神童から持たされたスマホで、静は連絡帳のアプリを立ち上げてみたが一件も登録はされてなかった。 あちらから連絡がないとどうしようも出来ないということかと、ベッドに身体を横たえた。すると、まるで見ていたかのようにスマホが振動し始めた。 画面には非通知の文字。静は躊躇うことなくそれに出た。 「卑怯者、お前みたいな下衆野郎は大多喜組以来だぜ」 吐き捨てるように言うと、電話口の向こうで短い声で笑ったのがわかった。 『残念だなぁ、第一声がそれとは…』 「なんでこんなことした。あんたの狙いは心の命だったのか?」 『まさか…。今回のことは僕も想定外なんだよね。こんなことを仕出かすなんて、夢にも思わなかった。だから、僕もひどく怒ってるんだよ』 「自分の部下も管理しきれてねぇとか、マジでダセェ」 『うーん、それを言われちゃうと耳が痛いなぁ』 すいませんねと殊勝なことを言っていはいるが、本心かどうかなんて怪しいものだ。 『今回の襲撃は、僕の与り知らぬところで行われたことなんだよね。僕としても、どうしてこんなことしちゃったのかはっきりしてほしいんだよ。あ、これはこっちの事情になるのか』 「そうだな、あんたのとこの内部事情なんて知らねぇし。そんなこと聞かされても、俺は一切嬉しくもない」 『そうだよね、本当にその通りだ。まぁ、とりあえず今回の勝手な行動の件の償いはさせるから。吉良くんも疲れただろう?ちょっとは休んでよ。ああ、心を殺さないでね』 「おまえ!!!」 静が飛び起きて声を荒らげた途端、通話は一方的に切られた。 「くそ!!!!くそ!!」 こんな勝手なことをされてもスマホを壊すことも出来ないし、折り返して文句も言えない。結局、溜まったフラストレーションは自分でどうにかするしかないのだ。 静はスマホの電源を落とすとリュックに投げ込んで、シャワールームへ飛び込んだ。シャワーコックを開いて頭から一気に浴びる。 すると髪の毛にも血が付いていたのか、足元に流れ落ちた水は薄い紅色だった。するすると流れるそれを見ながら、静は冷静になれと自分に言い聞かせた。 ドンドンとバスルームのドアが叩かれ、静は少しだけ扉を開けた。すると雨宮が袋だけ中に入れ込んできた。 「服だ。早く出てこい、行くぞ」 「え!?はい!」 静は慌ててシャワーを止めると、身体を拭いて渡された袋から中身を取り出した。ジーンズとTシャツ。ジャストサイズに苦笑いしてしまうが、さっさとそれを着てバスルームを飛び出した。 「さっぱりしたな」 ベッドに座る雨宮は、静に視線も向けずにそう言った。雨宮の視線はスマホに集中していて、少し近づいてみると航空券の手配画面が見えた。 「あの、服とかありがとう…」 「ああ。時間がねぇから飛行機で行くぞ。飯も中で食おうぜ。あ、お前スマホ持ってる?」 「え?うん…?」 静は鞄を漁ると自分のスマホを取りし出し、雨宮に渡した。すると雨宮はそれの電源を落として、自分のスマホも電源を落とした。 「GPSで探されるからな。屋敷に戻ってないから、俺のとこに連絡が来てる。ここもバレるから、もう出るぞ」 「あ、うん。あ、服…」 と、ベッドの横に置いていたもともと着ていた服をと思ったが、それがない。どこに行ったのかと雨宮の顔を見ると、もう処分したと言われた。 さすが、仕事が早い。 それからすぐに雨宮と静は早々にチェックアウトして、空港へ向かった。車も足取りがバレると電車に乗り、慌ただしく関東を飛び出した。 その頃の病院の一室。先ほど静達の居た部屋で崎山は苛立ちを隠さないまま、やはり近くにあった椅子を蹴り飛ばした。 「あんの、クソガキども!!!」 部下から屋敷に雨宮達が帰ってこないこと、GPSでの追跡が出来ないこと、車は駅近くのコインパーキングに置いたままになっていることを報告を受けたのが5分ほど前。今、何が起こっているのか、どうするべきなのか分かっているはずなのにこの勝手な行動。 崎山は殺してぇと呟いて、椅子に身体を投げるようにして座った。 「つうかさ、雨宮も一緒に消えたっていうのが謎じゃね?超不思議」 相川は暴君が少し落ち着いたかなと、少し距離をとって離れた場所の椅子に腰掛けた。相馬は塩谷と消えてしまったし、暴君のストッパーである成田も走り回っていて居ない。 橘はイースフロントに篭っているし、佐々木も出て行ったままだ。これはもしかして命の危険というやつなのでは!?と思いながら、缶コーヒーに口をつけた。 「ね、今、お前と喋ってると、うっかり殺しそうなんだけど」 「うっかりってなに!?うっかりで殺されるの!?異常者かよ。いや、だってさマジもんのバカじゃないんだしさぁ?なんか、考えあってのことなんじゃね?分かんねぇけど」 「ね、俺に言わないってことはさ、その考えがベストじゃないからってことなんじゃないの?俺に言えば反対されることだから、勝手に動いてるんでしょ?」 「あー、ねー。そういうことねー」 言ったところで、いま動くことをイエスとは言わないでしょうとは口が裂けても言えない。それこそ、本当にうっかり殺される。 「で、フードの男は?」 「ああ、橘が必死に解析してるけど、あの公園さぁ、マジで今どき珍しく防犯カメラねぇの。まぁ、だから、あんな派手なこと出来たんだよなぁ…」 「期待出来ないってことか。で、週刊誌、止めれそう?」 「いやいや、そっちも無理みたいよー。最近のマスコミは強気だわ」 相川もさすがに疲労困憊と大きく息を吐いた。最強と謳われた仁流会がここまでやられるとは…。 だが、不思議なこともある。彪鷹への襲撃、心への襲撃、風間組への襲撃…どれも全て先手先手に動かれている気がするのだ。まさか内部事情が漏れてるなんてことはないよなぁと思いながら、一寸先は闇の今の状況に肩を落とした。 静は自分の目線の高さにある雲を見ながら、刻一刻と迫る時間に苛立っていた。飛行機で大阪を経由して新幹線で京都へ。 かなり贅沢な交通手段ではあるが、時間がない今はそんなことは言ってはいられない状態だった。 「崎山さん、怒ってるかな」 「そんな上品な言葉で済むようなことでもないだろうな」 「そうだよね。でも…」 そんなことを気にしている余地はないんだと、静は何度も脳内でリピートされる血を噴き出しながら倒れる心の姿に瞠目した。 京都に着くとすぐにレンタカーを借りて、目的地へ急いだ。日本が誇る観光都市。さすがに道は混んでいるし、歩道も人で溢れていた。 この地に足を踏み入れるのは2回目だなと、助手席からそこを眺めながら、ふと疑問に思い雨宮を見た。 「雨宮さん、連絡取ったの?今から行くって」 「取ってるわけねぇじゃん、俺、連絡先とか知らねぇし」 「え!?どうするの!?」 「普通に訪問」 「えええ!?」 本気か、この人!と青褪める。一般人の家に行くのとは訳が違うのに、普通に訪問して逢わせてもらえるのか…。 いや、逢ってもらわないと、ここまで来た意味がない。静はそう思うと決心したように、拳を握った。 仁流会鬼頭組。あまりいい思い出はない屋敷だなと、屋敷近くの路上に車を停めて門の方を見る。 「えー…」 無理だよ、あれと思わず言いそうになる。いや、無理だ。今の仁流会の状況では、近づくだけで殺されそうだ。 その証拠に車から見える鬼頭組の屋敷の門の前には、屈強な男が辺りに睨みをきかせている。どう見ても、厳重な警戒態勢というやつだ。 静はチラッと雨宮を見て、これは雨宮を連れて普通に訪問とか無理だろう、どう考えても誤解ですとか言える感じではないよなと肩を落とした。 「よし…俺が行ってくる」 こんにちはと言って、いきなり撃ち殺されはしないだろう。そこまで物騒な、いや物騒ではあるが、そこまで常識がないわけではないと思う。 多分だが…。 「いきなりドカンってやられちゃうかもしれねぇよ?」 「人の心折らないでよ」 どうしてそういうこと言うの?と蛾眉を顰めた。だが、意を決して車を降りた。 一歩進む度に鼓動が早くなり、汗が出る。盆地の土地のせいで暑さはあるが、暑い汗ではなく、これは冷や汗。 いきなりドカンが頭から離れずに、とりあえずそれを払拭するように頭を振った。 「あの…」 門の前に姿勢良く立つ男に声を掛けてみた。男は何もそんなに威嚇しなくてもという目つきで静を睨みつけて来た。 「ああ?」 「あ、すいません…えっと、吉良 静といいます。こんにちは」 「なんや、お前」 「いえ、あの怪しい者ではなくてですね…。あの、」 「お前、見たことあんなぁ…。せや、一回、頭が連れて来た」 「あ、はい!そう、そうです!!!」 良いのか悪いのか、男は以前、静が攫われてきたときのことを覚えていた。静は何度も頷いて、少しだけ安堵した。 「あの、」 「観光か?今日はあかんで、うちはごたついとって頭もおらへん」 「え!?居ないの!?」 思わず声を荒らげると、男にギロッと睨まれた。 「あれれー?静やおへん?」 この間延びした話し方は!!と静は男を押し退けて見ると、勝手口から御園が顔を出していた。 「み、御園さん!!!」 「えー、遊びに来てくらはったん?コンビニ行こう思うたけど…中入る?」 「入ります!!!あ、あの…連れが」 「連れ?」 静は雨宮の方を指差すと、門に居た男と御園がその方向へ視線を向けた。だが離れすぎていて見えないのか、御園は目を細くして首を傾げた。 「どちらはんやろか。はぁ、かまへんよ。中入り」 「み、御園さん!」 男が慌てて御園を呼んだが、御園はかまへんと繰り返すだけだった。静が男を見上げると、男は鬼の形相で静を睨み、だがそうしても仕方がないと門を開けた。 「ようこそ、おいでやすって言うたほうがええ?」 静は目の前に座る御園に首を振った。何とか雨宮と屋敷には通してもらえたものの、で、ここからどうするのかは雨宮から一切聞いていないのだ。 眞澄も居ないとなると、ここで時間を無駄にするのもと雨宮を横目に見た。 「元気あらへんねぇ。まぁ、仁流会があないなことなってもうて、うちのも呼び出されて帰ってきはらへんわ。あんたらは暇な俺の話し相手に来たわけ…ではあらへんねぇ。で、それは新しい彼氏?」 御園が雨宮を見てニッコリと微笑むと、雨宮は小さく頭を下げた。 「雨宮です」 「はいはい、雨宮或人…やんねぇ。裏の人間に会うんは初めてやさかい、緊張するわぁ」 「知ってるの…?いや、それどころじゃなくて…御園さん、心が襲撃されたんだ」 静がたまらず言うと、御園の表情が一瞬険しくなった。だがすぐにいつもの表情に戻り、お茶に口をつけた。 「冷めてまうから、飲みなはれ。京都はお茶も美味しいで。せやけど鬼塚組って、やられたんは心はんかいな。ほな、うちのも時間の問題かもしれへんな」 「心が、死んじゃうかもしれないんだ!」 思わず声を荒らげて腰を上げる。御園はそんな静を流すように見て、笑みを零した。 「静、人はいつか死ぬんやで。遅かれ早かれ、命は無限やあらへんねん。それに極道の世界におるんやし、心はんかて覚悟したはるわ」 「輸血すれば助かります。それで来ました」 雨宮がそう言って御園を見据えた。御園は驚いた顔を見せて、次には困ったように笑った。 「輸血て、あんたんとのこ大将の血採りにわざわざ京都まで?レアキャラかいな」 「レアですね。御園さん、ボンベイ・ブラッドですよね」 「え!?」 静は思わず声を出して雨宮を見た。鬼頭組に心と同じ血液型の人間が居ると聞かされてはいた。静はそれを勝手に血縁者である眞澄が、ボンベイ・ブラッドだと思っていたのだ。 だが、まさか…。 「御園さん…が?」 「何やの、それ。横文字は苦手やわ」 御園は呆れた顔で首を振って、茶受けの菓子を口にした。 「眞澄さんがあなたを側に置きながら、外に出さない理由がそれでしょ」 「言い切るんや」 「俺を裏鬼塚の雨宮 或人だって知ってるんですよね?」 御園は肩を下げると頬杖をついて、ゆっくりと息を吐いた。 「調べたんかいな。ほんなら隠してもしゃーないってことか」 「認めるんすか?」 「調べたんやったらせやわ」 ドクッと心臓が大きく跳ね上がった。 まさか、こんな近くに心と同じ血液型の人間が居たなんてと、静はそれに涙が溢れた。一縷の望みがここにある。 心の命を繋ぐ望みが…! 「み、御園さん!心を助けて…お願い、お願いします!」 「あんさんの涙には弱いけど、メリットあるんかなぁ、それ」 御園は手を伸ばすと静の涙を拭った。 「でも…心が死んじゃったら、鬼塚組もどうなるか。そうなったら、仁流会だって」 「正直、心はんが死んでもうたら、No.3の鬼頭組からすればまたとないチャンスや。俺らは眞澄を一気に担ぎ上げれるやろ?」 にっこりと微笑まれ、静は言葉を失った。 そうだ、眞澄はもともと若い心が鬼塚組を継承したことを快く思っていなかったのだ。従兄弟とはいえ、いや、従兄弟だからこそ自分より年の若い心が継いだ組が自分の組よりも上の地位に居ることが気に入らなかった。 だから、眞澄は静を攫うという暴挙に出たのだ。なので、今はまさに眞澄にも鬼頭組にも、またとないチャンスということだ…。 愕然としている静の隣で、雨宮はパチンと指を鳴らした。 「いやいや、メリット得るとかじゃなく代償じゃないすかね?今回の件、眞澄さんが起こした事件、あれがきっかけと思うんすよね」 「はぁ?なんやて?」 御園は表情を険しくして雨宮を睨みつけた。

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