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第63話
「相席、良いですかー」
間延びした言葉に顔を上げた相馬は、目の前に立つ長身の男に舌を鳴らした。それに男、心は笑って返事も聞かずに腰を下ろした。
「どうぞとは言ってませんよ。それに相席をしなければいけないほど、混雑もしていないでしょ」
「まさか逃亡するとは思わんかった」
相馬に答えずに心が笑った。それに少しだけ視線を向けたが、すぐに手に持っていたミステリー小説に視線を戻した。
「逃亡ではありません。三行半です」
「夫婦か」
ウェイターが注文を取りに来たので心は相馬の前に置かれているクラブサンドを指差した。
同じものをと言って、トマトは抜いてくれとだけ付け足した。
「で、帰ってきてくれよって泣いたらええわけ?」
「泣こうが喚こうがもう手遅れです」
「…ワンチャン」
心の口から妙な言葉が返ってきて、相馬は蛾眉を顰めた。この男と話していると本の内容も頭に入ってこない。
相馬は諦めて本を読むのを止めた。
「あなた、相川の影響ですか?それとも姿を消している間に知り合った人間ですか?顔に似合わない言い方はやめたほうが良いですよ」
激オコじゃんと、やはり相川がよく言う言葉が頭に過った。口には出さなかったが、本当に激オコ。
「病院から抜け出せたのは、あなたの精鋭部隊の仕業ですか?」
「部隊て…裏鬼塚やあるまいし、ただの助っ人要員。人数は片手で事足りる」
心は右手を広げて見せた。相馬はそれを冷めた目で見て、ゆっくりと息を吐いた。この男のペースに飲まれたら負けだと妙な対抗心を抱いた。
「助っ人要員ね。人数は初めて聞きましたね。意外に少ない。いや、あなたが管理出来る人数の限界がそれか」
「お前も持てばええやん。何やっけ、精鋭部隊」
「私には崎山がいますから。あなたと違って部下には全幅の信頼を寄せているのでご安心を」
部下である相馬に信頼を置いてないと遠回しに言ってきてるなと、心は頭を掻いた。
「それに、崎山は意外に子供っぽいとこがあるんで。私が別で部隊なんて抱えたら拗ねるでしょ」
「お前…」
崎山って、俺とお前よりも年上だよな?と年齢を考えたが、いや、年齢知らないわと早々に匙を投げた。だが意外に子供っぽいというのは納得出来る節がある。
有智高才で神色自若のように見えるが、感情の起伏は激しい方だと思う。あと我慢がきかない。そう考えたら相馬は有智高才で神色自若のどちらも備えている、可愛げのない男だ。
「さて、ここがわかったのは…雨宮か」
相馬の居場所くらい雨宮がすぐに突き止めるとは思ってはいたが、この男が自ら動くとはなと相馬はコーヒーを口にした。
先ほどまでは美味だったコーヒーも、心のせいで味が落ちたように思える。思い過ごしだとは思うが、反省の色も何もない男を目の前にしているのだ。味は絶対に落ちた。
「それで、その肝心の雨宮はどこですか?あれも姿を消したままですけど」
「自分一人でのこのこ帰って海の藻屑になるのは嫌やねんて」
相馬が姿を消したと聞いて雨宮にすぐに連絡をした。どういう経緯でそうなったのか確認したかったからだ。
だが帰ってきた答えが「まだ千虎の家にいますから知らない」だ。流石の心も「は?」と間の抜けた答えをしてしまった。
しかし雨宮の言うことも一理ある。大騒動を起こしておいて、心は消えて自分一人で帰ればまず崎山が手を下しかねない。崎山の我慢がきかないところはそういうところだ。
「相馬、お前、怒っとるけど組やる時に話はしたよな。事が起きたら別行動。俺が動くことに関しては何も言わんて」
「確かにそうは話してましたけどね、実際やられるとクソ腹立つなと思って。しかも彪鷹さんも一緒というのは話にありませんでしたし、ダブルとなると腹立たしさが3倍になる」
計算が合わないぞと呆れながら運ばれてきたクラブサンドを頬張った。さすが相馬の行く店なだけあって味は補償付き。食に関心がない心でも美味なと思うほどだ。
「来生を片付けたやり方は箝口令が引かれていて、私でも完全には掌握しきれていません。それもまた腹立たしい」
ああ、蚊帳の外なのが気に入らないのか、意外に面倒な男だなと思ったが口に出さないのが良いなとコーヒーを飲んだ。
「今回の襲撃の主犯は俺やない」
「彪鷹さんがやったなら、あなたがやったことも同じです」
「どんな理屈やねん。梶原が陣頭指揮取ったんやし。そもそも彪鷹は病院におったやろ」
「病院に居ようが地獄に居ようが、あの人なら何でもやりかねないでしょ。でも、梶原さんと彪鷹さんで組むなんて夢にも思いませんでしたよ。しかし二人の性格を思えば、組むこともありなのかもしれませんね」
「じゃあええやん」
「生きてればの話な」
乱暴にコーヒーカップを置かれ、ああ、死んでたんだっけと首を傾げた。いや、それはもうこっちの話ではなく、風間組の事情…。
「鷹千穗は屋敷のセキュリティーを壊して組員を暴行。ただでさえややこしい男の撹乱のせいで幹部以下の組員は落ち着かない。梶原さんの死亡は仁流会に一斉に通達され、幹部が躍起になっている状態を横目に死人であるはずの梶原さんを筆頭に虎視淡々と準備をして、馬鹿が雁首揃えて密入国した上に来生を暗殺。ご丁寧にビルまで爆破して…。どうして捕まらなかったんでしょうね。あちらの国でしたら死刑にしてくださってましたよ」
「ちょー早口」
捲し立てるように言われて、前半部分の嫌味を覚えてない。鷹千穗の脱走は高杉が発案したことなのだが、そこを突かれると面倒になるので伏せておく。
高杉が心に唆されましたと相馬に報告している可能性もある。高杉だからこそあり得るのだ。高杉もまた面倒事が嫌いな人間だ。
「つうか、把握してるやん。ほぼその通りやし」
「誰がどう手配して、どう動いているのかが分からないのは消化不良で気持ちが悪いものです。しかも今回は風間組長が了承したそうなので、こっちは何も言えずですよ。今回は馬鹿ばっかりが雁首揃えて行ったそうで、明神組の神原に小言を言われましたしね」
明神の神原…あの神経質そうなメガネか。というか、それは更に自分に関係のない話だな。
「風間組の命令で仕方なく動いたんやし、しゃーないってことでええやろ」
「よくねぇよ、殺すぞ」
久々に聞く言葉遣いだなと心は両手を広げて見せた。相馬もまた短気だと思う。崎山と違うところは、それをなかなか見せないというところだ。
普段は紳士を気取り言葉遣いも上品で粗野な物言いはしないが、昔はもう少し砕けて話していた。
周りを冷静に見れる分、頭が切れる分、自分の中に積もり積もる苛立ちを言葉遣いというブレーキで抑えているのではないだろうか。だとすると…。
「面倒臭い奴」
「何が?」
「いーや、今回は俺も言われたから動いただけやから、俺に言われても困る」
「お前がわざわざメーデイアのところに行ってるのも、言われたからか?」
昔馴染みというのはよくないなと思う。ぐうの音も出ない。心がメーデイアと繋がりがあることは相馬しか知らないのだ。
そして千里眼を持つようなメーデイアを心が嫌っているのも知っているし、相馬もまたメーデイアを嫌っている。一度、メーデイアの素性を探ろうとして痛い目に遭ったせいだ。
だが、ギリシャ神話で出てくる魔女の中で最強と言われるほどの力を持つ、その名を名乗るような人間の素性を探るほうがどうかしているのだ。
「俺が知る中で一番の情報源やからな。雨宮や俺の使ってる人間じゃ得られへん情報が多すぎたからな。Thanatosをとっ捕まえへんことには進まへん話やったから」
「そうですか。では、静さんと別れたのもフェイクですか」
そこに戻るのかと息を吐いて頬杖をついた。
「本気」
「本気だったんですか?」
思ってもいない返事のせいか、相馬が目を丸くした。
「フェイクで別れるとかゲスか。やて、追いかけてきたんやからどないも出来ひんやろ。追いかけてきた奴を突き放す必要なんかない」
「突き放せなかったんでしょ。好きならくっ付いていればいいんですよ、あれこれ考えるの苦手なくせに妙なことをするから拗れるんでしょ。拾ったのはあなたから、手を掴んだのもあなたから、それを平穏な暮らしをしてなんて柄にもない理由で離すとかどうかしてますね。というか無責任でしょ。それなら初めからそうしなければいいんですよ。あなた相手にあそこまでやって退ける人なんて居ないんですからね。自分の性格と立場を考えてください。あ、考えたことなんかないか。まぁいいや…」
散々言って満足したのか、相馬は手にしていた本をパタンと閉じた。
「で?」
「彪鷹が退院する。その前に俺はまだ後始末せなあかんことがあるから…」
「から?」
ニッコリ微笑まれて舌打ちをする。ここまでする必要ってあるのかと思う。いや、ない。多分、もういいと思う。組も解散して会社も譲渡してしまうか。
いや、それで片付くなら初めからそうしている。今は色々と難題が山積みで相馬に構っている時間がもったいない。心は大きく深呼吸をして奥歯を噛み締めながら、苦虫を噛み潰したような顔をして吐き捨てるように言った。
「戻ってきて…ください」
行った瞬間、吐き気がした。美味かったクラブサンドが一気に出そうなくらい胃の不快感。ただ、相馬だけが満面の笑みでコーヒーを優雅に啜っていた。
「あー、そういや…今回の成果あるぞ」
「何ですか?」
「Thanatosをこっち側に付かせた」
「………は?」
先程のまでの笑みはどこへやら。一瞬にして険しい顔つきになった。
「今回の襲撃はThanatosも連れて行った」
「Thanatosを連れて行ったんですか?」
「やから、メーデイアに逢いに行った。早々にとっ捕まえて引き入れるためにな」
相馬は大袈裟に息を吐いて、額に手を当てた。
「あなた、自分を殺そうとした人間を手元に置くのが趣味ですか?それとも、あの顔が好きなんですか?」
どんな趣味だと思うが、言われてみればシチュエーションは違えど、双子に命を狙われているのかと思わず笑った。
「あなたのその酔狂なところは共感しかねますね。悪趣味です」
そんなおかしいことか?と、心は首を傾げた。それに相馬がまた蛾眉を顰めた。相馬の眉間に年齢に不相応な皺が彫り込まれたとしたら、9割は心のせいだ。
だが心はそんな事を気にもせずに、右手の人差し指と親指を立てて相馬に見せた。
「死神とThanatosの違いは?」
「名前の持つ意味のことですか?それとも攻撃性のことですか?」
「攻撃性」
相馬は少し考える素振りを見せた。共通しているところは圧倒的強さと異常さ。見た目は鷹千穗の方が常軌を逸している。
Thanatosに関して言えば同じ顔を知っているので、今さら見た目に何か思うことはない。顔の入れ墨があるかないかくらいだ。二人を並べた時に一番に思い浮かぶことは…。
「二人とも剣を、一人は刀ですが使いますね。私は剣術を嗜んだことはありませんので、どちらが優れているのかは対峙したのを見たわけでもありませんので分かりかねます」
「接近戦で得物使わせれば圧倒的に強いのは鷹千穗。やけど、鷹千穗には欠点がある」
「武器が使えないってことですね」
ご名答と言わんばかりに心が指を鳴らした。
「あいつに剣術を叩き込んだ男も武器は使わん。武術に長けとって、武道のありとあらゆるもんを鷹千穗に教えたけど、さすがに銃の扱いまでは教えてへん」
鷹千穗に身を守る術を、敵を攻撃する力を与えた彪鷹でも心でもない、”死神”を創り上げた男。そして彪鷹が唯一、恐る男…。
「Thanatosは銃も使うんですか」
「そりゃ、殺し屋ですから」
心は笑って言った。剣一本で裏社会で恐れられる殺し屋が務まるような、そんな甘い世界ではない。しかも拠点が海外だ。一般人が銃携帯許可を持つような、そんな国で剣だけでありとあらゆる組織を潰してきたとしたら、ただの化け物だ。
「あなた、Thanatosの実力をテストするために今回、同行させたんでしょ。自分が斬られただけじゃ分かりませんでしたか?」
「人数をどこまで捌けるのかって思ってな。敢えて、鷹千穗には力をセーブさせて力量を見た」
テーブルにSDカードを投げると、心は残りのクラブサンドを平らげた。相馬は小指の爪ほどのSDカードを手にすると、心に視線を向けた。
「鷹千穗の服に仕込んだカメラのデーター。Thanatosの仕事っぷりが分かる」
「あなた、本気で組織に入れる気ですか…?」
話半分に聞いていたのだろう。相馬は怪訝な顔をしたが、理不尽な謝罪をさせた仕返しだとばかりに頷いて笑うと、心はコーヒーを口にした。
「さて、始めましょうか」
相馬は月笙の前に座るとデスクに肘をついた。まるで取調室だなと月笙はニッコリと笑顔を見せた。
ここは前鬼塚組の本拠地。心が塒にしていたビルの一室だ。窓も何もない無機質な部屋だが、壁の四隅にはカメラが埋め込まれている。
心に呼び出されたとき、もしかして始末されるかなと考えたが鬼塚組がそこまで浅はかではないのは分かっているので丸腰で来た。
出入り口に立つ男は以前、Thanatosとやり合ったことのある男だ。見た目からは想像出来ない腕前で、瞬発力も攻撃力もThanatosにしっかりと付いてきていた。
妙に艶っぽさのある男で調べから年齢は知っているが、その年齢には見えない。確か、名前は雅…崎山雅だ。敵意剥き出しだが顔が可愛いので良いとしよう。
しかし、日本人は幼く見えるのかと思ったが、東洋人からすれば月笙も年相応の顔ではないので、アジア人がそうなのかもしれない。
「俺に何を聞く?俺には情報…没有。お前たちの知りたいことは…来生と繋がっていた香港マフィア?」
月笙が指を立てたが相馬は相好を崩さずに両手を組んで、その手の上に顔を乗せた。
この相馬という男は調べたものの、正直、そこまでの情報がなかった。強いて言えば先代の鬼塚組の顧問弁護士の息子ということくらいだ。
到底、極道者には見えない容姿に加えて、極道になるために必要とは思えない学歴。物好きなのか偏屈なのか…。
「神童があなた方に直接、何かを依頼したことは?」
「あー、神童。没有…uh…no、ないよ。神童は王暁…戒人の実力も信用してなかった。鬼塚心が上と端から見抜いていた」
「Thanatosが鬼塚を斬ったが、居場所はどうやって?」
やはり知りたいのはそこかと、月笙は眉を上げて口許で笑みを作って見せた。
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