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第62話

「お母さん、心がいなくなって辛かったんだろうな」 墓からの帰り道、静が何気に口にした。母親の愛情は絶対だ。稀に一部、愛情を疑うようなことをする母親もいるがほとんどの母親は十月十日お腹の中で成長させて命懸けで出産する。 出産の痛みは男が味わうとショック死するほどの激痛だと聞いたことがある。それだけの痛みに耐えて産んで育てた子供を拐われたのであれば、気が触れるのも当然と言えば当然か。 「俺がおらんようになったからやのうて、鬼塚に捨てられたっていうんやろうな」 「え?どういう意味?」 静の思いと全く違う心の言葉に静は首を傾げた。 「俺を取られたとき、お前は子供を産んだことはよぉやったって、やけどもう用無しやなって言われたらしいわ」 誰にと聞くまでもない。静は心を見上げた。心を取られたことよりも、捨てられたことに絶望して命を絶ったというのか。 「誰かに…聞いたのか?」 「組継いでからな。そういう話はいやでも耳に入ってくる」 心は小さく笑った。 急に現れた後継者である心を認めたくない組員は多かっただろう。自分の耳に入ってくる不確かな情報で、心が全く何も感じなかったとは思えない。 静は心の大きな手をギュッと掴んだ。 「用無しって…」 「自分から逃といてって感じやけどな。それだけ本気やったんちゃうか。やけど、相手は子供だけでよかった」 「そんな…」 「やけど、突き放した気持ちも…まぁ、少しわかる」 「はぁ!?」 静は思わず大きな声を出すと深い森に声が響き、心が唇に手を当てた。 「落ち着け。森ん中やぞ」 「だって、自分の子を産んでくれた人を突き放す気持ちなんて分かるのかよ!?」 「あの頃、鬼塚組は内紛が緩やかにやけど激化し始めとった。やから俺は彪鷹と組から出たし存在も隠されとった。極力、弱点になりそうなところは除くんは当然やろ」 「え?心って、もしかして…」 「鬼塚組長と直接、逢ったんは拐われた時だけ。あとは直で話したことは覚えてへんからあらへんのやろうな。最後に面と向かって顔見たんは、死んだ棺桶の中」 何となく感じていた心の先代組長の話の違和感。まるで人伝に聞いたような話ばかりで、彪鷹の話をするときのそれとはかなり違うものだった。 心が彪鷹を慕う気持ちをどことなく理解出来た気がした。本人は決して認めはしないだろうが、心の父親は彪鷹なのだ。 「その、鬼塚組の内紛って」 「俺も詳しくは知らん。平成の極道戦争でダメージのない組はあらへん。抗争に便乗して仁流会内部でも揉め事はあったらしいし、弱体化してる仁流会をどうかして我がものにしたいっていうゴロツキは山ほどおる。終わってすぐは会長不在状態。次期会長候補の風間組も今ほど力があるわけやなかったから、風間のやり方が気に入らん連中が結託して内紛起こすっていうんもあり。それに鬼塚の人間が一部、噛んでた」 「そんなにひどいものだったのか?」 鬼塚組を調べた時に会長である風間等の名前こそ知ったものの、過去の情報を知っても仕方がないとそこまで深くは調べはしなかった。 調べると言っても当時の新聞を図書館で読む程度か、インターネット検索で分かる程度なので表側の情報しか知り得ない。ただ、どの組も痛手を負って死傷者の数は見つかっているだけで多数。 見つかっていないものも含めると、その倍の人数になるだるということだった。 「当事者、渦中におったんは崎山と成田、相川と橘と佐々木…高杉もか。まぁ、あと他にもおるけど一番その内紛を目の当たりにしたんはあいつら。何があったんかまでは詳しくは言わん、特に崎山はな」 「崎山さん?」 「崎山は当時、若頭の山瀬っていう男の舎弟やった。崎山と成田、あと高杉は入った時期はそこまで変わらんけど崎山はあの通りやから、頭ひとつ飛び抜けて出世してたんやと」 さすがと言うべきか何と言うべきか。だけどそうなると、かなり若い年の頃から極道だったということか。 ますます、謎な人だなと思った。 「その山瀬って人、たまに名前聞くね」 「先代の右腕でありながら人の良いオッサンで、他の組からも慕う人間が多かったんやと。彪鷹に俺を預けたんもそのオッサンや」 「そうなの?」 「もう死んでおらんけどな」 心が空を見上げたので静も釣られて見上げた。雲ひとつない晴天だ。 「山瀬は崎山を極道として育て上げた男で、崎山や成田はほんまの親父みたいに慕ってた。その極道戦争で命落したらしいから、あの二人には極道戦争は禁句や」 「でも、それとお母さんのことは」 関係ないと言いかけて口を閉ざした。 「女はどんな強く鍛えても弱点にしかならん。しかも、神童の身内やなんていうおまけ付きや」 「神童さん…」 「神童から逃げながら、鬼塚の血を受け継いだ俺を一人で守るんは到底無理。組は内紛真っ只中で誰が敵かも分からんから、女連れて戻るんはリスキー。見目麗しいって感じの女やったから、生きるのには困らんとでも思ったんやろ」 不器用な男なりに精一杯の突き放しだったのだろうか。不器用で口下手なところは父親似ということか。 「心でもそうする?」 「そうしようと思ったら、実家に居座られてた」 しんみりとする静の鼻をきゅっと摘む。静はその手をパンっと叩いた。 「俺には相馬もおるし、あの戦争を乗り切った崎山ら舎弟がおるからな。誰が敵かどうかも分からんような組織作りはしてへん」 「俺はお前が子供を拐って帰ってきたら、相馬さんに撃ち殺されると思う」 そういう光景が目に浮かぶと言うと、心も思うところがあるのか反論はしなかった。 「少しは好きだったのかな…お母さんのこと」 「さぁな。やけど、俺を引き取った後は女遊びもせんと、特定の誰も見つけんと一人でおったらしいから情はあったんかもな」 それならまだ少しだけ救われるなと、静は乃愛の墓の方を振り返った。 帰るとすぐ、心が荷物をまとめ出した。では静もとはいっても、静の持ち物はリュックひとつだ。すぐに用意ができた。 「バイクで帰るの?」 「春日がメット置いとくって…あったあった」 心が三和土に置いてある箱を開けて、中からヘルメットを取り出した。 「春日さんに何も言わないの?」 「帰るとは言ってるからな。その辺、何や言うてくる奴やない」 本当に付き合いの長い友達なんだと静はちょっと感激して、心の肩を叩いた。 「なんやねん」 「友達いない子って思ってたから」 何を言ってるんだという顔をされたが、心を知っている人間からすれば感動ものだと思う。 バイクの後ろに乗って整備されていない、どちらかと言えばバイクは走っちゃいけないんじゃないかという道を抜けていく。 ガタガタの道は静の身体を下から突き上げ、右へ左へと揺らす。バイクなのに乗り物酔いをしそうなひどい揺れに、静はぐったりとした。 行きは標識も目印も何もない道をひたすら歩いて、本当に大丈夫かと不安で仕方がなかったが、今は何時間も歩いた時の方がマシだと思えるほどだった。 ようやく整備された道に出た時は思わずガッツポーズしたほど、過酷な道だった。そして次は行きも帰りも歩こうと心に決めた。 高速に乗って初めのインターチェンジで二人で食事を取り、静は足らないと外で売っていたたこ焼きをバイクのシートに座り食べていた。 「一人で30コを二つ…」 心はコーヒーを飲みながら、この胃袋にだけは慣れないと思っていた。心も食べるときは食べる方だ。だけどそれでも静の足元にも及ばない量で、食べ比べなんて秒殺されると思う。正直、見てるこっちがお腹いっぱいになる食べっぷりだ。 「俺、ちょっと考えたんだけど」 最後のたこ焼きを口に放り込み、静が神妙な顔を見せた。 「なに」 「うん、あのさ…もしかしてだけど屋敷に帰った瞬間、撃ち殺されない?」 ないとは言えないだろうという疑問を心に言うと、心は静を見下ろしてフッと笑った。あ、これあるかもしれないというか、すごい確率が高い話だと思った。 心に聞いた話としては、勝手に病院を抜け出し、その間の連絡を絶っている。もちろん行き先も告げていない。そして共犯は彪鷹で鷹千穗も彪鷹の指示で動いている。 最終的に心と眞澄、明神組の若頭と風間組の倅を連れて船で密入国してひと暴れ。帰国したけども面倒だなと屋敷に戻らずに母親の墓参りに来た。 という流れだということを詳しく聞いてはいないが、というか聞きたくないのでサラッとだけ説明を受けただけだが…。死亡案件だろと思った。 静でも撃ち殺しかねないレベルの得手勝手ぶり…得手勝手というか独断専行というか我田引水というか、とにかくやっていることがひどい。 更には別れを告げたはずの静とともに出戻り。つまらない痴話喧嘩かと言われてもおかしくないおまけが一つ。相馬がやらなくても、崎山が撃ち殺しにくるやつだと思う。 「撃ち殺されるってな、そんなもん長年付き合えば性格とか理解したらええやん」 長年連れ添った夫婦の、旦那が地雷踏む瞬間のセリフだよと静はため息を吐いた。 「勝手しすぎたら長年連れ添った夫婦でも一発離婚だよ。お前はそうやって自己中なとこがあるから、周りが苦労するんだろ」 「まぁ、大丈夫やろ。手土産なしやないんやし」 「あの、フードの男とその仲間?」 「そうそう、そういうの諸々あっていけるやろ」 いや、無理だろと言ったところで無駄なので、何も言わずに屑籠にゴミを捨てた。 「は?」 屋敷に帰っての第一声がそれだった。それも、心の。撃ち殺されることはなかったが、心の想像を上回ることが起きていたのだ。 屋敷の門を潜って出迎えてくれたのは鬼の形相の相馬でもなく崎山でもなく、長身で痩身の佐々木だった。 心達が帰ってきたことを防犯カメラで知ったのか、門はチャイムを鳴らすまでも開き、心達を出迎えた。門が開いた先には佐々木が居て、開口一番、心に告げたのだ。 『組長、良いところに来ました。若頭の謀反です』と。 今、謀反って言ったか?と思いながら静がバイクの後ろから降りると、佐々木がにっこり微笑んで静にもお帰りなさいと告げたがヘルメットを脱いだ心がそれを遮った。 「待て待て待て、今なんて?」 「え?おかえりなさいですよ?」 「ちゃうわ!」 「挨拶は基本ですよ、組長。ああ!謀反の方ですか?そうそう、若頭は消えました」 「いや、消えたってなんやねん、トラブルかなんかか」 「トラブル?組長以外にトラブルの元なんてありましたかねぇ」 佐々木は顎を撫でながら、首を捻る仕草を見せた。心がそれに右の口の端を上げてフッと笑い、長距離を走ってきたせいで熱を持ったバイクのタンクの上にヘルメットを置いた。 「じゃあ、消えたってなんやねん」 「”やってられるか、クソボケ”最後の言葉がこれでしたねぇ。いや、一応止めたんですけどね、僕の見てない間に監視カメラのないエレベーターから地下まで…」 すーっとねと指を上から下へ動かした。心はそれを見て、こいつ、まだ根に持ってやがると舌を鳴らしてスマホを取り出した。もちろん相手は相馬だ。 だがワンコールもなく、すぐに無機質なアナウンスが聞こえてきた。 「携帯の電源はオフにされていますね」 心がギロッと睨んだが、佐々木は両手を広げただけで怯えるような顔は見せなかった。 「行き先は」 「行き先ですか?さぁ?何も仰っておりませんでしたしねぇ。何しろ、怒り心頭に発する状態で私なんかがそれに太刀打ち出来る訳ないじゃないですか。行ってらっしゃい、お気をつけてとしか言いようがないでしょ」 ね?と首を傾げてにっこりと笑われる。心はギリギリと奥歯を噛み締めて腰に手を当てて反対の手で目を覆った。 「崎山は…」 「崎山は淡々と仕事をこなしてますけどねぇ。組長もご存知の通り、フロント企業の経営は若頭と崎山が軸になっているんですよ?なので今の現状はというと、若頭の分も崎山が動いている状態。いやぁ、若頭の穴を埋めるのは骨が折れそうだ。本当、崎山まで居なくならなければいいですねぇ」 ふふっと笑って言う佐々木に静はゾッとした。心を翻弄している!あの心を!!それを証拠に、いつもならば好きにさせとけと言いそうな心が何も言わずに佐々木を睨みつけるしか出来ていないのだ。 「さて、私も仕事に戻りますけど…崎山が表に付きっきりだと裏側に皺寄せが…これもまた、居なくならなければいいですねぇ」 どこか楽しげにそう言って、佐々木は車に乗って屋敷を出て行った。 「あのひょろひょろ!」 天に向かって心が吠えるので、さすがに吹き出した。 「ひょろひょろて…。もうさ、悪いのお前じゃん。謝るしかないんじゃない?」 「ああ!?俺は彪鷹の言う通りに動いただけや!謝るんやったら彪鷹やろ!」 いや、お前も同罪なんだよと言ったところで理解させるにはかなり骨を折る。これは相馬に直接罵られるのが一番だろう。 どうせ口で敵う訳ないんだしとは思ったが、本当にあの相馬が仕事を放り出してどこかへ消えるなんてことがあるだろうか? 「静、部屋に戻っとけ」 心はヘルメットを被ると、エンジンをかけた。 「え?ちょっと、相馬さんの居場所分かるの?」 「さぁな」 え、何それ…。そう言う静の返事は聞かずに心はバイクを走らせてしまった。

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