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第1話 バレンタインデイ
たとえば正月。
たとえば盆。
それから、クリスマスもそうかな。
日本全国どこもかしこもって浮かれざわめく年間行事、って感じではなく。
局地的に……ごくごく一部の年齢帯の人間だけが、そわあって浮かれるそんな時期。
それが二月。
今日はバレンタインデイだ。
ご多分にもれず、俺――羽鳥慶 ――だって浮かれます。
先日は恥ずかしいのをこらえて、ちょっと値のはるチョコレートを手配しておいた。
『ふわりと花が綻ぶような』って言いたくなるような、あの笑顔のためなら、多少の気恥ずかしさくらい乗り越える。
だって、好きな人のためのイベントだ。
笑顔のために頑張るし、その笑顔を想像しては、浮かれたりもするだろう。
届いたって報告を楽しみに、待機したりするだろう。
でも。
一方で、浮かれつつ腹の底にたまったぐるぐるが、もう、これもう、って感じで重たくのしかかる。
それでも外面はいい方だから、友人と一緒の時には平気な顔をして。
自分一人になると、こうやってスマホの画面を眺めてうだうだとしている。
俺の大事な人は、今、手の届くところにいない。
いわゆる遠距離恋愛だ。
俺は大学進学でどうしてもどうしても、という状態で、地元を離れて寮に入った。
二年間だけは寮に入らなきゃいけなくて、どうしようもなかったんだ。
俺の大事なミキ――小椋美樹 ――は、まだ高校生で親元にいる。
大学は同じじゃなかったとしてもこっちに進学して、その時はルームシェアという名の同棲をしよう、そう約束して早一年と十か月。
同性だってことの迷いなんか、付き合い始める前に乗り越えた。
物理的な距離も、お互いの努力で今のところ素敵なスパイスだ。
約束の日はもうすぐやってくる。
し・か・し!
人によっては『脱!童貞処女』を掲げるバレンタインというこのイベント。
これが単純に浮かれていられようか。
かわいいんだよ。
誰が何と言おうと、俺のミキはかわいいんだ。
それなのに、こんな浮かれた時期に、俺は近くにいられない。
狙われたらどうするよ、っていうか、狙われない訳がない。
だって、ミキだ。
そして、現在ミキは高校三年。
人によっては高校生活をかけての最後のチャンスとばかりに、猛攻を仕掛けてくるだろう。
ミキの気持ちを疑ってはいない。
これっぽっちも疑ってないし、疑いをはさむ余地もない。
俺は単純に周りの野獣ども――男女関わらずの肉食獣たち――の暴走を心配してる。
寮の部屋の床に、ゴロゴロと転がる。
本人はもやしだと言い張るけれど、すっと伸びた平均より少し高めの身長。
色白で細いけれど、でも貧弱じゃないしなやかな身体。
頭が小さくて、手足が長くて、バランスがいいシルエット。
サラサラの黒髪。
口下手で人見知りで、感情豊かで言いたいことは表情に出る。
普段そんなに舌っ足らずな感じはないけど、『けー先輩』って俺を呼ぶときだけは。
そういうときにだけ、少しだけ甘えたような口調になる。
色んなことに器用じゃないけど一生懸命で、情に厚くて、優しい。
ああ。
会いたいよ、俺のミキ。
「羽鳥ー、郵便来てたー」
部屋の扉がノックされる。
俺は慌てて外面を整えて、受け取るために扉を開けた。
「おー、さんきゅ」
「なあ、それ、誰から? 彼女??」
隣の部屋の同級生が不思議そうな顔で、俺に茶封筒を差し出した。
「は?」
「や、だって今日だしさ。けど、なんかほら、封筒に色気ないしなあって……でも、差出人がさあ」
「差出人、見たのか」
「許せよ。差出人だけじゃん」
はあ。
まあ、寮なんてこれくらいプライベートがないもんだろうけどさ。
あらためて受け取った封筒を検分する。
定型の料金で送られる、少し大き目のごくごく普通の事務用茶封筒。
厚みはないけど、なんか……カード? っていう感じのものが入ってる。
宛先は俺。
読み取る相手のことを考えたんだろうなっていう、きっちりと角の整った……少し緊張したなってわかる、ミキの筆跡。
差出人は間違いなく、ミキ。
字面だけだと女の名前に見えるのをわかっているから、ミキは郵便を送ってくることに躊躇いはない。
電話はスマホであっても、頻繁過ぎないかとか気にするくせに。
「ああ、うん。あいつからだな」
俺の口から彼女とは言わない。
ミキは俺の大事な人で恋人だけど、決して彼女じゃないから。
「にやけてる」
「当り前だろ」
「ああ、いいよな~。ごち」
「あはは、お前も頑張れ」
「今日はもうほとんど終わりだろうがよ」
はいはいと呆れたように笑う相手に手を振って、俺は扉を閉める。
何だろう。
封を切って中身を出した。
板チョコ。
それだけ。
「ぷ……ふふふ……」
かわいいなあ。
ホントにかわいい。
大好きだ。
ひとりで腹を抱えて笑っていたら、スマホが着信を伝える。
この音は、ミキから。
大急ぎで着信ボタンを押して、何よりも先に伝えよう。
「ミキ、愛してる」
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