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蕩けそうなほど幸せそうに見える姿を、願うならば俺の傍らで見せて欲しかったが……
「いい、匂いもする」
「ラフィオの匂いですか?」
「いや、乳とお前の匂いだ」
「 っ」
一瞬、鼻を掠めた匂いに自然と体が跳ねた。
以前に、森番小屋で嗅いだことのある甘い匂いだ。
はっきりと感じるのは、体を清めてきたためか雑多な匂いが無くなって、素直なはるひの匂いだけを強く感じるからだろう。
自分自身の反応をはるひが自覚しているのか、戸惑う気配が手に取るようにわかる。
「あ、の ヒロを寝かしつけてから休みますから、クラド様は先にお休みになって下さい」
会話を切り上げようと背を向けられてしまい、軽い拒絶に胸の奥がキシ と軋みを上げた。
誘うような、甘い匂いはまだはるひから漂ってきていると言うのに、俺を拒むように背を向けられて……
「……髪が、濡れたままだ。風邪をひくぞ」
森番小屋での二の轍を踏むまいとあれほど心に誓ったはずなのに、鼻先をくすぐるように誘う匂いに釣られて一歩踏み出す。目は見えていないだろうに、小さく軋んだ床板の音で気が付いたのか、はるひがはっとこちらを振り返った。
その拍子に、小さな雫が頬へと当たる。
「ぐっしょりじゃないか」
「じ、自分で、拭きますから……」
すぐ傍に俺の気配を感じたからか、さっと身を強張らせるとにじるようにそろそろと距離を取ろうとしている。
「赤ん坊を寝かす前に風邪をひく」
「 っ、そんなヤワじゃありません」
態度は頑なだ。
そして、逃げられると追いかけたくなるのは獣の本能だ。
思わず力づくでこちらを向かせようかと腕を伸ばしかけ、寸でで堪えてその手を握り込む。
無理矢理こちらに向かせることも、腕の中に収めることも簡単だ、けれど……
「……はるひ、お前のことが心配なんだ」
極力、威圧的にならないように抑えた声を出したつもりだったが、はるひの肩は大げさに跳ねるだけだった。
けれど、言葉に出すことをもう一度心の中で掲げて、できうる限り静かな声を出す。
「 っ」
「だから俺に拭かせては貰えないか?」
それから?
どんな言葉を使えばはるひに気持ちが伝わるのか?
そろりと手を伸ばして肩にかけられたままだったタオルを取り、濡れていつものふわふわとした気持ちのいい感触のなくなった髪をそっと包む。
あのひなたの猫のような髪が好きだ。
はにかむように見てくる目が好きだ。
俺に全身で好意を伝えてくれるはるひが好きだ。
はるひのすべてを愛おしく思うの揺るぎない事実で、そう言う言葉を何と言えばいいのか考えあぐねていたが、しっくりとくる言葉はこれではないかと、そろりと口に出してみた。
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