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第1話

「おいこっちだ! こっちにも部屋があるぞ!」  一枚隔てた向こう側から喧騒が届く。アルバラは頭をぎゅうと抱え込んで、気付かれないようにと息を潜めていた。  アルバラの母親が血相を変えて部屋に飛び込んで来たのは少し前のことだった。状況を理解できないアルバラをひっつかむと、母親はただ「隠れなさい!」と離宮内を駆け出した。連れられたのは知らない一室だ。アルバラさえその存在を認知していなかった、おそらく隠し部屋の一つである。  ガチャリと、隠し部屋の扉が開く。アルバラはその中のさらに床下に隠れていたから、簡単には見つからない。男たちの乱暴な足音を、泣き出しそうになりながらも息を殺して聞いていた。 「……誰も居ないな」 「隠れられるようなところもなさそうだ」  床下への入り口は絨毯の下に隠されている。それが功を奏したようで、男たちは少しばかり室内を徘徊すると、大人しく出て行った。 (……お母様は大丈夫かな……)  アルバラの母は、アルバラをこの床下に押し込めてどこかに行ってしまった。  あの男たちに見つかっていなければ良いのだけど……仕草が乱暴な男たちだったから、捕まればどうなるのかは想像に難くない。アルバラの母など、抵抗する間も無くすぐにでも殺されてしまうだろう。  しばらく床下に潜んでいたアルバラだったけれど、周囲が完全に静かになったところでようやく床下を押し上げた。  絨毯が引っかかってうまく出られない。アルバラは力が弱いためにそこから出るのもひと苦労である。 「……はぁ。はぁ。……だ、誰か……呼びに……」  ぐっと力を込めて、なんとか這い出した。上質な絨毯はぐちゃぐちゃだ。 「でも、どこに行けば……」  あの男たちが何者なのか、アルバラは知らない。もしかしたら助けを求めた人物があの男たちの仲間という可能性もあるだろう。それなら今は一度逃げ出して、折を見て母の動向を探るべきか。どれほど考えてもアルバラには良い案が浮かばず、その場でぼんやりと座り込んでいた。  ——ここを出たところで、行くあてなんかない。知り合いもいない。そんなアルバラが、どこまでやれるだろう。  けれど考えてもいられない。アルバラはぶんぶんと首を振ると、力を込めて強気に立ち上がった。  アルバラたちが住んでいた離宮は、王宮の敷地の端っこにある。そのため外からはもっとも近く、運が良いことに塀に穴が開いていたから、アルバラはそこから外に出ることに成功した。  ひとりぼっちだけれどそんな場合でもない。今はとにかく出来るだけ遠くに逃げ出さなければと、必死に駆け出した。  アルバラはずっと離宮で暮らしていた。野宿なんてしたことはない。けれど箱入りだからこそなのか、アルバラは状況もすっかり忘れて、初めて出る外に興奮しているようだった。  街にくれば、たくさんの人が行き交っていた。服装も見たことのないものばかりで、いちいち目を奪われる。アルバラがこれまで接していたのは母親のみである。十九年間世界が閉ざされていたから、目に映るものすべてが輝いて見えた。 「すごい。こんなにいっぱい人が居て……」 「おや、あなた。少し不思議な気配がしますね」  すれ違いざま、一人の男に呼び止められた。アルバラと同じ金の髪を腰まで伸ばした、やけに綺麗な男である。 「私は神官長を務めております、レグラスと申します。あなたは?」 「僕はアルバラです」 「……聞き覚えはありませんね。しかしこの気配は……」  レグラスがじっくりとアルバラを見つめる。レグラスは中性的な美しさがある。そのためじっと見つめられるといたたまれなくて、アルバラの目はぐるぐると泳いでしまう。何か責められているような気持ちにさえなった。変な汗がじんわりと滲んで、アルバラはとうとう俯いた。 「……厄介ごとに巻き込まれたと思っていたのですが、あなたと会えたのは僥倖でした。共に来てください。私は今から王宮へ向かいますから、ぜひ一緒に、」  レグラスがにっこりと微笑んだと同時だった。  アルバラは耐えられなくなって、弾かれたように走り出した。 「ちょっと!」  焦ったような声が追いかける。けれどアルバラは振り返ることもなく、必死に足を動かした。  ——レグラスは王宮に向かうと言っていた。アルバラが危険な目に遭ったのは王宮ではないけれど、その敷地に踏み入れるわけにはいかない。アルバラのことを知らないような素振りも演技かもしれないのだ。  アルバラはとにかく駆け抜けて、人の少ない裏路地へと入り込んだ。そこは薄暗く、アルバラを人波から隠してくれる。なんだか落ち着く心地がして、アルバラは見つからないようにと奥へと足を進めた。  どれほど歩いた頃だろうか。  奥から、不規則なか細い呼吸が聞こえた。 「……おい……戻ったのか……?」  アルバラの気配に気付いたその人物が、苦しげな声で問いかける。  アルバラは思わず身を隠す。そうしてそろりとそちらを確認すると、真っ黒な服装の男が一人、ブロック塀にもたれるようにして力なく座っていた。

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