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26 紘一視点
「佑平、そこから動かないで」
和馬の声がする。なのにその声が幼い和馬から出ているとは思えないくらい、力のある声だった。
「幼いお前が、あいつらを守りながら俺と戦えるとでも? 大人しく出てきたお前はバカだよ」
「出て来いと言ったのはキミだ。僕はおばあさまみたいに優しく諭そうなんて思っていない」
その台詞とともに、和馬の右腕が振り払われた。すると何かに弾かれたように、レイが後ろへ吹き飛ぶ。遅れて強風が、紘一の元にも届いた。これが彼らの、風を操る力なのだろうか。
背中を壁に打ち付けたレイは膝を付いたが、すぐに和馬を視界に捉える。
「やっぱりもっと早くにお前を潰しておくべきだった。九歳のガキと俺が互角なんて礎家の恥だ」
レイはそう言うと、一瞬のうちに翼を出した。そして床を蹴ったかと思ったら、人間ではありえない速さで和馬との間合いを詰める。
「なら、お前の弱点を突くまで!」
キィン! と、また金属がぶつかるような音がした。その直後、レイは止まらず和馬に突進していく。
「和馬!」
紘一は思わず叫ぶ。レイが和馬の細い首を右手で掴み、そのままの勢いで押し倒した。
レイの体重がかかり、苦しそうな和馬。一瞬で組み敷くことに成功したレイは、和馬の上で笑った。
「物理的な攻撃なら俺には勝てまい。これだけ近けりゃ結界も意味ないしなぁ!」
「ぐ……」
和馬の顔が歪む。佑平も、自分が無力なのを知っているから、悔しそうに見ているだけだ。
スッと、レイの左手が動く。それは和馬のお腹にぴたりとあてられた。
「ぐ、あ、あああああ!」
和馬が突然悲鳴を上げる。一体どうしてと見ていると、彼の手がレイの左手を掴んだ。
あの手が、和馬に何らかの苦痛を与えているようだ。
(くそ、見ているだけなんてもどかしい)
きっと今意識がある佑平も、同じ気持ちなのだろう。彼は和馬が何をされているのか分かっているようだ。ずっと止めろと叫んでいる。
「和馬! 俺の結界を解いて反撃してくれ! ……和馬!」
しかしすぐに、和馬が限界を迎えてしまった。レイの左手を掴んだ手がぱたりと床に落ちると、苦しがっていた声も途絶える。同時に消えたらしい結界から、佑平がつんのめるようにして走ってきた。
「レイ、貴様!」
「雑魚に用はない。……特に有馬家にはな」
突風が吹いた。レイを中心に竜巻のように激しい風が部屋中を駆け巡る。その風に殴られ、佑平はまたしても吹き飛ばされた。
「はははっ、ついに手に入れた!」
激しく荒れ狂う暴風の中で、レイは両手を眺め笑っている。その足元の和馬は微動だにしない。
いくら夢でもこんなのは心臓に悪すぎる、早く覚めてくれ、と思った瞬間だった。
いきなりその暴風が止んだのだ。最初はレイが自分で止めたのだと思ったが、彼の様子を見て違うと分かる。
「……何故だ? 何で風が止まる?」
「まったく、一族の恥よ」
レイは驚いた顔で足元を見る。今しがた力尽きた和馬から、和馬とは思えない程低い声がしたのだ。
レイは素早くそこから離れると、起き上る和馬を警戒している。
(あ……)
和馬の髪が金色に変化している。翼も現れているが、以前見た本当の姿とは何かが違うのだ。
圧倒的な力と威圧感。動くことすら許されないような、そんな空気が流れる。
その顔が、ゆっくりこちらに向けられた。
「人間、何故お前がここにいる? 我と夢を共有すると、戻れなくなるぞ」
「……っ」
「オイ、誰と話してる!」
レイが叫ぶ。レイたちには紘一の姿は見えないようだが、今の和馬には見えているようだ。金色の瞳とまともにぶつかってしまい、息もできずに喘いでいると、和馬はふと笑った。
それだけで一気に呼吸が楽になり、和馬が許してくれたのだと知る。
「帰るがいい。お前の生きる時代はここじゃない」
そう言われた瞬間、空気が紘一の足をすくった。世界がひっくり返り、このままでは床に頭をぶつけてしまう、と衝撃を覚悟した。
「……」
しかし、次の瞬間紘一は布団の上で目が覚めた。額に汗が浮き、背中もべったりとシャツがくっついて気持ちが悪い。
辺りを見渡すと、やはり和馬のおばあさまの部屋だった。あんな夢を見たのは、この部屋にいたからだろうか。
紘一は夢の内容を思い出す。血の海だったあの部屋を思い出しかけて、違う、と頭を振った。起き上ると空気が冷えていて、汗がどんどん冷たくなっていく。
(和馬、だったよな……)
最後に見たあの人物は確かに和馬だった。しかし口調も一人称も、まるで人格が変わったかのように違っている。
そして最も感じたのは、和馬の凛としていても柔らかい雰囲気が、凍てつくような瞳と、人を殺すことになんのためらいもない態度になっていたことだ。
もし逆らうなどして機嫌を損ねたら、すぐに殺されたかもしれない。
「……っ」
今頃になって体が震えた。そして思う、和馬の中にいたあの人は誰なんだろう、と。
ふと、部屋の外で声がした。何やら言い争っているような雰囲気だ。それがすぐに和馬と佑平の声だと分かると、紘一は部屋の外へ出る。
「どうしたんだ?」
隣の部屋で寝ていたらしい佑平と、部屋の前で和馬がハッとこちらを見た。その表情が、良くないことが起きたと確信させる。
「……竜之介がいなくなりました」
「え……?」
和馬は目を伏せる。その瞼が震えていて、今にも泣きそうに見える彼は、まだ回復していないのだろう、少し顔色が悪い。
「僕が探しにいきます」
心当たりがあるので、と和馬は言ったが、多分レイのところなのだろう。佑平が止める。
「アイツのことは見捨てろ」
「な……っ」
紘一が思わず声を上げる。
「自分の力量も考えずに突っ込んでいったアイツが悪い」
「でも……!」
和馬が叫ぶ。
佑平の言うことは分かる。彼が一番怖いことは和馬を失うことだとも。しかし、逆の立場で言えば、和馬だって竜之介たちを失いたくないのだ。
「僕はもう、誰も失いたくない……誰も……」
和馬は顔を背ける。いつも静かな和馬が、感情をあらわにしているのが珍しかった。
自分ではこんな表情は引き出せないな、と思ったら切なくなる。
「…………とりあえず回復しろ。じゃないと話にならない」
「でも僕は……」
「昨日竜之介から聞いた。それでもだ」
紘一には何のことかさっぱり分からなかったが、和馬は何かに躊躇っているようだ。そのままこちらに顔を見せないまま、黙ってしまう。
たっぷり二分は黙ったままだった和馬は、ようやく長いため息をついた。
「……分かった」
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