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25 紘一視点

紘一は、広い屋敷の真ん中で立っていた。 どうして自分はここにいるんだろう、と考えて、和馬に連れて来られたんだ、と思い出す。 しかし様子が変だ。蝉が鳴いている。確か今の季節は冬ではなかったか。 そう思って、これが夢であることに思いつく。誰かいないかと思って足を踏み出すと、床の冷たさにドキリとした。氷の上を歩いているかのようで、思わずつま先立ちで歩いて行く。 (違う、床だけじゃない) 床を這うような冷気が漂っている。それも夏の湿気が凍りつくほどに。そして辺りは恐ろしいほど静かで、蝉のこえしか聞こえない。 ただならぬ雰囲気を感じ取った紘一は、冷や汗を拭った。 (……あっちだ) 勘で人が居そうな場所へ向かう。床はどんどん冷たくなり、進むのも怖いほど空気が重く、暗くなっていく。 『行きたくないと思うところは無理に通らないでください』 ふと、和馬の言葉を思い出し、足が止まる。思い直して安全な「おばあさまの部屋」へ行こうとするが、この先にあることに気付いた。 (何で……) 何かがおかしい、そう思うのに、何がおかしいのか分からない。 試しに近くの襖を開けると、そこに見えた光景に、紘一は口を塞いだ。 開けた瞬間漂ってきた生臭い臭気。宴会場ほどの広さの和室は、血の海だった。 そしてそこに転がる多くの人間――いや、多分天使族だ。 もしかして、和馬たちの家族が殺されたという、十年前の夢を見ているのだろうか、と紘一は素早く襖を閉めた。込み上げる不快感を、唾を飲んで抑え込むと、暗い廊下の向こうから声がした。 「……っ」 正直あの暗い方へは行きたくないが、紘一は決心する。 息を吸うと肺まで凍ってしまいそうな冷気の中を、一気に走り抜けた。 「レイ、これ以上の殺生はおよし。あなたの何の得にもならない」 おばあさまの部屋に着くと、やはりそこに和馬たちはいた。やはり十年前の夢のようだ、和馬は部屋の隅で、気絶している竜之介と、怪我をした佑平を庇うように前に立っていた。 和馬の前にはおばあさまらしき人物が横たわっている。ということは、命を懸けて張った結界があるのだろう。 「お父さん、お母さん、結界に入って、お願い!」 和馬はおばあさんの少し前に立つ二人に、必死に声を掛けている。 その二人とレイが対峙しており、こちらからは和馬の両親だという二人の顔は見えない。 (……レイだ) 大学で見た時と変わらない彼が、口の端だけを上げて笑っている。 「得? 俺にはあるさ。お前ら全員殺して、俺の力にしてやる。人間もこの世界も、俺が動かすんだ」 レイの瞳が金色に光る。すると和馬の両親は短く呻いた。レイが歩み寄っても体が動かないらしく、その場で立ち尽くしている。 「さあ、力を獲られるのはどちらからがいい?」 「……やめて……」 和馬のか細い声がする。 「最期の一言だけは許してやる。あの結界の中じゃ、届くかどうかも分からんけどな」 父親らしき人が顔だけ振り向いた。その顔は、和馬によく似て中性的だが、凛とした雰囲気が良く似ている。 「……愛している、和馬。佑平、和馬を頼んだぞ」 その瞬間、父親の顔が歪んだ。何が起きたかと思ったら、レイは笑いながら、両親の腹部に腕を刺していた。 「ああ、最期だというのに、よくもそんな信用できない言葉を吐けるねぇ! ふふ、傑作だ」 レイはずるりとその腕を抜く。今の一瞬で力を奪われたのか、両親は倒れ、そのまま動かなくなってしまった。 レイは赤く染まった自分の腕を舐める。その顔は恍惚としていて、満足げだ。 紘一はその表情にゾッと寒気がして、瞬間的に怒りで顔が熱くなるのを感じる。 「さあ、遊ぼうか和馬。その結界から出ておいで」 キィン! と甲高い金属音がした。紘一は何が起きたのか分からず、頭を竦める。和馬を見ると、彼は佑平に声を掛けられているが、反応せずに俯いているだけだ。 「出てこないならこいつらの身体、少しずつ切っちゃおうかな」 そう言って、レイは和馬の両親を踏んだ。 「やめろ!」 佑平が叫ぶ。紘一も叫んだが、和馬たちには届かない。 すると和馬が立ち上がった。ゆっくりと前に歩き、おばあさんと両親の間に立つと、場の空気が軽くなったような感じがする。 「……対象が結界から出ると、効力が半減する結界……さすが「元」魔術師だな」 レイは感心したように呟くと、ニヤリと笑う。 「だが今の俺では半減した結界なら何とでもない!」 レイが腕を振り上げた。それが振り下ろされる。危ない、と叫んでも届かない。どうすれば、と思った瞬間だった。 ガンッと音がして佑平が何かに吹き飛ばされる。しかしすぐに起き上った彼は、「和馬!」と叫んだ。 いくらこの先が分かっているとはいえ、こんなものを見せられてしまったら、和馬を心配せざるを得ない。彼を見ると、細い足でふらふらとレイに近づいていた。 「……和馬?」 ここからは表情が見えないが、ただならぬ雰囲気を感じて紘一は思わず呟く。それに気付いたのかは知らないが、和馬はゆっくりとこちらを見た。 「……っ」 あの、金色の目だった。レイと同じ、憎悪を滲ませた視線は、紘一の呼吸を一瞬止める。

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