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16 紘一視点
「……知ってたらどうすんだよ」
紘一は、ここは慎重になった方が良いと考え、安易に答えを出さないようにする。その言葉に苛立ったのか、レイは金色の瞳でこちらを見た。
「俺が聞いてんのは、『イエス』か『ノー』のどちらかだ。言え」
「…………知らない」
さっきと違う瞳の色を見つめて、はっきりと嘘をついた。レイの邪悪な雰囲気はすさまじいものの、先程の竜之介のような、意思さえコントロールされそうな恐怖感はない。
すると、視線を外したレイは舌打ちをした。まだだめか、と独り言を言ってまたこちらに視線を向ける。
「じゃあ、竜之介はどうしてお前の力を抜いた? アイツは和馬のためにしか動かない。お前がここでこうしているってことは、和馬とも繋がりがあるんだな?」
そう言って、レイは紘一の前にしゃがんだ。その口の端が上がる。目の光は鋭いままなので、そのアンバランスさに寒気がした。
「知らない」
それでも嘘を通すと、レイの顔から表情がなくなる。
「……お前、自分の身が可愛くないのか」
レイは紘一の髪を掴むと、持ち上げる。痛みに顔が引きつるが、それ以上に自分が和馬のことを、祓い屋だということ以外知らないことに気付いた。
すると、喉に冷たいものが当たる。
「和馬もここにいたのか、イエスかノーで答えろ」
喉に当てられたものが刃物だということはすぐに分かった。レイが少しでも刃を滑らせれば、紘一の皮膚は切れるだろう。
その時、ごう、という音がして土が舞う。とっさに顔を庇うと、髪を掴んでいたレイの手と、喉に当たった刃物が離れた。
目を開けると誰かの靴が視界に入り、少し離れたところにレイがいる。誰かが自分とレイの間に割り込んだのだと知ると同時に、それが誰なのか知って、息を飲んだ。
「……和馬」
相変わらず凛とした佇まいだが、今は怒っているのかレイをまっすぐ睨んでいる。
一体どうやってここに来たのか不思議だったが、そんなことを聞いている場合じゃない。
「ははっ、ひどいなぁ、いきなり仕掛けてくるなんて」
しかしレイは和馬の突然の登場に動じず、むしろ喜んでいるようだ。大げさに肩を竦めるレイは、それでも瞳の鋭さは失わない。
「……それはお互い様だ」
和馬はレイから視線を外さないまま、しゃがんで紘一の肩に触れた。ふわりと優しい、温かい風が頬を撫で、座ることすらままならなかった体に力が沸いてくる。
「レイ、これ以上人間に手を出すな」
和馬とは思えない程低い声がした。時々肌をくすぐる風とは正反対だ、と思いながら、その言葉に違和感を持つ。
「元はと言えば、お前のせいだろ」
「違う、お前の自業自得だ」
一体何の話をしているのか見当もつかないが、二人の間には怨恨の情がありそうだ。
(柳さん、もう動けますね)
すると、和馬の声が温かい風に乗って聞こえてくる。和馬を見ても彼はレイを見つめたまま、口も動いていない。今度はどんな術だよ、と思いながら、体を起こした。
「お前ホントむかつく。昔からその澄ました顔が大嫌いだったんだよ。いつも他人を見下して、表情一つ変えないお前が!」
キン! と近くで金属を叩いたような音がした。二人の間の緊張感が一気に高まる。
続いてカン、カン、と断続的に音がする。音の正体を探ろうと首をひねると、後ろのフェンスがひとりでに切れていた。
(動かないでください。結界から出ると、フェンスのように切れますよ)
何だこれは、と体が震える。何だか科学では証明できないことが起きている。
得体の知れない何かに、紘一はある言葉を思い出した。
『世の中には科学で説明できないものもあります。あまり興味本位で首を突っ込まないよう、預言者として言わせていただきますね』
あれはこういうことだったのか、と思い至り、冷や汗がどっと出る。
(落ち着いてください。レイはまだ実体ではなく、本体はまた別の場所でしょう。あれだけでは、僕らを殺す力はないはずです)
(殺すって……)
和馬の言葉に返事をするが声が出ず、代わりに一度うなずくと手を繋ぐよう言われた。
以前握った時のように、細くて柔らかい手だったが、少し骨っぽさがあるような気がする。痩せたのかな、とこんな時なのに和馬が心配になった。
すると、紘一と和馬の周りを囲むように、風が回り始めた。それは次第に勢力を上げ、土や葉を巻き込んで視界を悪くする。
「和馬! 逃げるのか!」
竜巻の壁の向こうで、レイの声がした。しかしその後は風の音で何も聞こえず、一瞬立っているのもやっとというほど、強い風が吹いた。砂粒が痛いほど強く当たり、一瞬呼吸さえもできなくなる。
この風は和馬が操っているのだろうか。だとしたら彼はとんでもない力の持ち主かもしれない。そう思って横目で彼を見ると、集中しているのか、真剣な表情をしている。
次第に風が弱まり、土煙もおさまってくると、辺りの景色が変わっていることに紘一は驚く。
少し急な坂、そこから見える住宅街と空――和馬と初めて会った場所だ。
「……信じらんねぇ……」
今日の空は重たい色をしているけれど、踏んでいる土の感触や緑の匂いは紛れもなく本物だ。
ふわりと冷たい風が吹く。それに誘われて惚けていた自分に気付き隣の和馬を見ると、彼はうずくまって胸を押さえていた。
「和馬っ?」
慌てて紘一もしゃがむと、疲れただけだ、と和馬の弱い声がした。胸を押さえているように見えたのは、首から下げた何かを掴んでいたからだ。手が白くなるほど力を入れて、ぎゅっと握っているのを見ると、何だかそれに縋っているようにも見える。
「ごめんなさい。あなたは……あなただけは巻き込みたくなかった」
苦しげに肩を上下させながら言う和馬には、後悔の色が見えた。しかし紘一には、何故彼がそんな顔をするのか分からない。
むしろ自分は、和馬と会えたことを喜んでいるし、今もこの人間離れした綺麗な顔をずっと見ていたいと思っているのだ。
琥珀色の瞳がこちらを見る。その時、竜之介の言葉が脳裏に浮かんだ。
『我々が美しいのは、何故だか分かります?』
『こうやって人に取り入って、力を分けてもらうんですよ』
本当にその通りだと紘一は思う。この美しい和馬になら、自ら差し出しても良いとさえ考えるのだ。
「……どうして、俺は巻き込みたくなかったんだ?」
胸の中が温かいもので満ちる。この感情にまだ名前は付けられないけれど、それは次第に熱くなり、いずれは爆発して外へ出てしまうだろう。
自分だけ、という単語に期待して答えを待つと、琥珀の瞳が揺れる。それが震えているようにも見えて、安心しろと抱きしめたくなる。
「あなたは……」
「和馬」
和馬が話しかけた時、低い声が横から入ってきた。見ると、黒髪の青年、佑平が近くに立っている。
「迎えに来た。話は帰ってからだ」
彼は普段から感情が表に出ないらしい。今も事務的に告げると、すぐに踵を返した。
なんだか邪魔をされた気分の紘一は、和馬と一緒に立ち上がると、並んで佑平の後を追いかけたのだった。
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