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第8話
次の日、稽古は大荒れだった。
いつもは英にしか厳しくしない月成が、キャストの一挙一動に怒号が飛ぶ。しかも、舞台とは関係のないところまで突っ込まれ、それに笹井が切れたのだ。
「ただ機嫌が悪いだけじゃないですか! 監督の個人的な感情になんて付き合ってられません!」
「何だお前、俺に口出すってのか?」
「ちょっとは円滑に進めようとは思わないんですか!?」
「仲良しこよしでお遊戯でもやれと!?」
怒鳴り合いは平行線で、ついには笹井が稽古場を出ていってしまった。気まずい雰囲気に英は慌てる。彼がいなければ稽古にならない。追いかけようとすると、月成の冷たい声が飛ぶ。
「行くな。やめたい奴はやめればいい」
月成の言葉はもっともだが、それでは今まで作ってきたものが台無しになってしまう、それは嫌だ。
それに、笹井だけじゃなく、みんなが、月成作品を完成させようと努力しているのだ。役者を軽んじる言葉に、英はカッとなった。
「監督は、オレ以外に関してはこの人が良いってキャスティングしたんですよね? 笹井さんも大事な役です。この場の誰が欠けても月成作品は完成しません。連れ戻してきます」
英は月成の言葉を待たずに稽古場を飛び出す。
廊下の向こうに笹井の背中が見えた。角を曲がったところを見ると、休憩所に行ったのだろう。
「笹井さん」
「……英」
追いついて声を掛けると、ベンチに座ってうなだれた笹井の隣に座った。
「あああああ、俺やっちまった! ごめんな英、俺のせいで稽古止めちまったっ」
やはり笹井は、すぐに後悔していたらしい。根は優しくて、少し気が弱い笹井の姿を見て、英は微笑ましくなる。稽古も仕上げ段階に入りつつあり、精神的にもみんながきついと思う時期なので、早めに爆発したのは良いことだ。
「大丈夫です。あれは笹井さんが言わなかったらオレが言ってました。ま、オレが言っても監督が聞いたかは別ですけど」
優しく背中を叩いてなだめると、頭を抱えていた笹井は顔を上げる。
「そうだ。英にだけ厳しいのも問題だ。何もそこまでって思うときあるよ」
「あはは……オレも言い返してるから良いですけど」
演技指導で注意されたりしたときはともかく、理不尽なことは言い返すようにしている。不思議なことに、舞台に関することは、間違ったことを言われたと思っていないのだ。
そこで、笹井のポケットから携帯の着信音が流れた。
彼は慌てて携帯電話を取り出し、相手を確認すると、すぐに電話に出る。
「はい、笹井です……はい。いえ、こちらこそすみませんでした」
言葉の内容から察するに、相手は月成監督のようだ。珍しく謝っているらしい。
「はい、すぐ戻ります。……英ですか? ここにいますけど……」
すると笹井は何ともいえない表情をして、電話を英に渡した。代われということだろうか。
「はい、蒲公……」
『関係ないお前まで出て行ったせいで、予定が十分押した。十秒で戻ってこい、一秒遅れるごとに三十分追加だ』
容赦ない冷たい声で、月成は言い放つ。しかし、今回は月成のせいでもあるのだ、一方的にこちらがペナルティーーしかもむちゃくちゃなーーを追うのは違う気がする。
「関係なくないです。言ったでしょう、誰が欠けてもこの舞台は成り立たないって。Aカンパニーはそこを大切にしてるはずですけど?」
『…………いい度胸してるじゃねーか。早く戻ってこい。お前らがいないと、進まん』
その言葉を聞いた瞬間、英は勝ったと思った。初めて言い負かしたのが、こんなにもすっきりするとは、と笑みが浮かぶ。しかし、すぐに何で勝ち負けにこだわってるんだ、と考え直す。
稽古場に戻ると、思った以上に空気が湿っぽかった。出演者の中には目と鼻を赤くした者もいて、一体何があったのか、と思う。女性スタッフの中にも泣いてる人がいるのを見つけ、でも気持ちが落ち込んでいる雰囲気がないので、そっとしておく。
(そっか、みんなしんどかったんだな……)
つまり、笹井の行動は良い方向に働いたということだ。英は無意識のうちに声を上げていた。
「みなさん。オレはこのメンバーで憧れの月成作品に参加できて、本当に嬉しいです。なのでこの舞台は絶対に成功させましょう。そのためにも力を貸してください、お願いします」
すると、どこからともなく拍手が沸いた。キャストもスタッフもみんなが笑顔で受け入れてくれる。それが嬉しかった。
ただ、それを厳しい目で見る月成と、不満げにそっぽを向く小井出とその取り巻きを除いて。
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