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第9話
その日の夜、英はバイトが終わってから稽古場に行って、自主練をしていた。
練習目標は先日月成にお遊戯だと言われたダンスナンバー。またハンディカメラを利用して、黙々と振り付けを繰り返す。
あれからのレッスンはいつも以上に厳しかった。その上バイトに自主練と、体力的にもギリギリだったが、今日やっておかないと、監督が言った期日に間に合わない。
(オレは不良高校生だから、荒々しく……っと)
同じ振り付けをされていても、キャラクターを出す演技は必要だ。シンクロが要求されるわけではないので難易度は高くないが、他とのバランスも見て演技プランを立てなければならない。
(荒々しいと雑は違うからなぁ。……こうか?)
鏡でチェックしながら、自分のテンポでやってみる。
「おいたんぽぽ!」
「うわっ、はいっ」
いきなり大声で呼ばれて飛び上がると、いつの間にいたのだろう、月成が不機嫌そうな顔で稽古場にいた。
「なんつー集中力してんだお前は。三時間もぶっ通しで踊りやがって。水分くらい採れ」
月成に言われて初めて、自分が初めから見られていたことに気付く。
「あ、あの……もしかして何度も呼びましたか?」
「動きが途切れる度にな。綺麗に無視されたが」
そこへ、ペットボトルが投げられる。受け取ると、飲め、と短く言われた。すると、月成も鏡の前へ来る。
「す、すみません。オレ、集中すると、周りが見えなくなっちゃうみたいで」
「ああ、それは今身をもって知った」
嫌味っぽく言葉が返ってきて、英は逃げ出したくなる。何で稽古場で二人きりなんだろう、とそんなことを考えた。しかし、月成は警戒している英とは対照的に、屈伸をして体をほぐしている。
「お遊戯は、少しは人様に見せられるようになったか?」
「……今見てたのなら分かるんじゃないですか」
「ああ、へたくそだな」
分かっているとはいえ、ストレートにけなされるとムッとする。
「下手だから練習してんです」
英は鏡を見ながら振りの一部をチェックした。これ以上話しかけるな、とサインを送ったつもりだったが、月成は気にしていない。
「ホント、何でお前を主人公にしたんだか」
「んなもん、オレは監督じゃないんで知りませんよ」
素直に言葉が返せなくて、突っかかるような事しか言えない。しかし、月成もそれに応じて軽く返してきた。それがなんだか心地いい。嫌味な言葉は変わらないが、今の月成には稽古中に感じるピリピリしたものがない。
「ほんっと、可愛くねぇな」
「褒めていただいてありがとうございます」
続きの練習をするのを諦め、もらったペットボトルの水を飲むと、腕を組んだ月成が鏡越しにじっと見ていた。目が合ったかと思うと、いきなり彼はダンスナンバーの一部を踊りだす。
「ここ。この時点でもう重心は左足にあるんだ。そしたら次の右足からのターンが楽にできるだろ」
前触れもなくレッスンが始まったので、英は慌ててペットボトルを置いた。月成の隣に立って、言われた通りに踊ってみる。
「それからここはつま先ポワント。で、そのまま立つ」
何ヶ所か注意するところを教わり、月成は先ほどの三時間で、的確に英の悪い点を見抜いていたことを知る。さすが元役者だ、技の切れも、英が見た当時より変わらない。
そして最後に一度、月成と一緒に通すことになった。曲が始まったとたん、月成が役に入って不良らしい言葉を叫ぶ。
「上等だ、おらぁ!」
それを聞いた瞬間、英の中でスイッチが入るのが分かった。
(ああ、そうか)
英は月成と踊りながら、あることに気付く。
主役には、舞台上の役者はもちろん、観客までをその気にさせるテンションと勢いがないといけない。そのためには、全力で感情を表さないと、届かないということ。
英は月成を鏡越しに見た。
もともとワイルドな顔立ちだったが、今はギラギラした目で、暴れることが楽しくて仕方がない不良になっている。背も高くて筋肉も付いているから、さぞかし強い不良になりそうだ。
しかし、そこでふと違和感を覚える。
鷲野のセリフに、自分は腐っていたというセリフがあるのだ。暴れるのが楽しいやんちゃ坊主ではない。
(だとしたら、周りはみんな、敵)
周りも、自分すら信じられなくて、毛を逆立てる猫のように。精一杯の虚勢を張っている、ちっぽけな少年。
(だから、小井出遥にやらせたかったのか)
やっと、月成の意図が分かった気がした。しかし、ここまで来て役を譲る訳にはいかない。
通し終えると、英は汗だくになっていた。スイッチが切れてその場に座り込むと、月成はにやりと笑いながら言った。
「少しはマシになったか。せいぜい本番までに仕上げておけよ」
「……はい。ありがとうございました」
ぜいぜいと息を切らしながらお礼を言うと、彼はまだニヤニヤしながらこちらを見ている。
「お前、思ったより体が柔らかいんだな」
「は?」
何の意図があって言ったのか。分からないまま、彼は機嫌よく稽古場を出ていった。
「……」
月成が去ってから数分間、英は今ここで起こったことが信じられなくて立ち尽くす。
あれは完全に個人レッスンだ。ずっと憧れ続けていた彼に初めてまともに指導を受け、しかも一緒に踊ってしまった。
「あああ! もったいないことしたオレ!」
こんなことなら貴重な彼の演技を、もっと注意深く見ておくべきだった。演技スイッチが入った自分が恨めしい。
しかし、得られたものはすごく大きかった。月成のダンスの細部まで懸命に思いだし、気持ちと動きが彼とシンクロした時の高揚感を反芻する。
「もう、オレこれだけで死ねる」
一人稽古場でニヤニヤして怪しいことこの上ないが、英のモチベーションは一気に上がったのだった。
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