9 / 35

第9話

その日の夜、英はバイトが終わってから稽古場に行って、自主練をしていた。 練習目標は先日月成にお遊戯だと言われたダンスナンバー。またハンディカメラを利用して、黙々と振り付けを繰り返す。 あれからのレッスンはいつも以上に厳しかった。その上バイトに自主練と、体力的にもギリギリだったが、今日やっておかないと、監督が言った期日に間に合わない。 (オレは不良高校生だから、荒々しく……っと) 同じ振り付けをされていても、キャラクターを出す演技は必要だ。シンクロが要求されるわけではないので難易度は高くないが、他とのバランスも見て演技プランを立てなければならない。 (荒々しいと雑は違うからなぁ。……こうか?) 鏡でチェックしながら、自分のテンポでやってみる。 「おいたんぽぽ!」 「うわっ、はいっ」 いきなり大声で呼ばれて飛び上がると、いつの間にいたのだろう、月成が不機嫌そうな顔で稽古場にいた。 「なんつー集中力してんだお前は。三時間もぶっ通しで踊りやがって。水分くらい採れ」 月成に言われて初めて、自分が初めから見られていたことに気付く。 「あ、あの……もしかして何度も呼びましたか?」 「動きが途切れる度にな。綺麗に無視されたが」 そこへ、ペットボトルが投げられる。受け取ると、飲め、と短く言われた。すると、月成も鏡の前へ来る。 「す、すみません。オレ、集中すると、周りが見えなくなっちゃうみたいで」 「ああ、それは今身をもって知った」 嫌味っぽく言葉が返ってきて、英は逃げ出したくなる。何で稽古場で二人きりなんだろう、とそんなことを考えた。しかし、月成は警戒している英とは対照的に、屈伸をして体をほぐしている。 「お遊戯は、少しは人様に見せられるようになったか?」 「……今見てたのなら分かるんじゃないですか」 「ああ、へたくそだな」 分かっているとはいえ、ストレートにけなされるとムッとする。 「下手だから練習してんです」 英は鏡を見ながら振りの一部をチェックした。これ以上話しかけるな、とサインを送ったつもりだったが、月成は気にしていない。 「ホント、何でお前を主人公にしたんだか」 「んなもん、オレは監督じゃないんで知りませんよ」 素直に言葉が返せなくて、突っかかるような事しか言えない。しかし、月成もそれに応じて軽く返してきた。それがなんだか心地いい。嫌味な言葉は変わらないが、今の月成には稽古中に感じるピリピリしたものがない。 「ほんっと、可愛くねぇな」 「褒めていただいてありがとうございます」 続きの練習をするのを諦め、もらったペットボトルの水を飲むと、腕を組んだ月成が鏡越しにじっと見ていた。目が合ったかと思うと、いきなり彼はダンスナンバーの一部を踊りだす。 「ここ。この時点でもう重心は左足にあるんだ。そしたら次の右足からのターンが楽にできるだろ」 前触れもなくレッスンが始まったので、英は慌ててペットボトルを置いた。月成の隣に立って、言われた通りに踊ってみる。 「それからここはつま先ポワント。で、そのまま立つ」 何ヶ所か注意するところを教わり、月成は先ほどの三時間で、的確に英の悪い点を見抜いていたことを知る。さすが元役者だ、技の切れも、英が見た当時より変わらない。 そして最後に一度、月成と一緒に通すことになった。曲が始まったとたん、月成が役に入って不良らしい言葉を叫ぶ。 「上等だ、おらぁ!」 それを聞いた瞬間、英の中でスイッチが入るのが分かった。 (ああ、そうか) 英は月成と踊りながら、あることに気付く。 主役には、舞台上の役者はもちろん、観客までをその気にさせるテンションと勢いがないといけない。そのためには、全力で感情を表さないと、届かないということ。 英は月成を鏡越しに見た。 もともとワイルドな顔立ちだったが、今はギラギラした目で、暴れることが楽しくて仕方がない不良になっている。背も高くて筋肉も付いているから、さぞかし強い不良になりそうだ。 しかし、そこでふと違和感を覚える。 鷲野のセリフに、自分は腐っていたというセリフがあるのだ。暴れるのが楽しいやんちゃ坊主ではない。 (だとしたら、周りはみんな、敵) 周りも、自分すら信じられなくて、毛を逆立てる猫のように。精一杯の虚勢を張っている、ちっぽけな少年。 (だから、小井出遥にやらせたかったのか) やっと、月成の意図が分かった気がした。しかし、ここまで来て役を譲る訳にはいかない。 通し終えると、英は汗だくになっていた。スイッチが切れてその場に座り込むと、月成はにやりと笑いながら言った。 「少しはマシになったか。せいぜい本番までに仕上げておけよ」 「……はい。ありがとうございました」 ぜいぜいと息を切らしながらお礼を言うと、彼はまだニヤニヤしながらこちらを見ている。 「お前、思ったより体が柔らかいんだな」 「は?」 何の意図があって言ったのか。分からないまま、彼は機嫌よく稽古場を出ていった。 「……」 月成が去ってから数分間、英は今ここで起こったことが信じられなくて立ち尽くす。 あれは完全に個人レッスンだ。ずっと憧れ続けていた彼に初めてまともに指導を受け、しかも一緒に踊ってしまった。 「あああ! もったいないことしたオレ!」 こんなことなら貴重な彼の演技を、もっと注意深く見ておくべきだった。演技スイッチが入った自分が恨めしい。 しかし、得られたものはすごく大きかった。月成のダンスの細部まで懸命に思いだし、気持ちと動きが彼とシンクロした時の高揚感を反芻する。 「もう、オレこれだけで死ねる」 一人稽古場でニヤニヤして怪しいことこの上ないが、英のモチベーションは一気に上がったのだった。

ともだちにシェアしよう!