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■01:COVER

 二〇三五年の世界は美しい。  僕が待ち合わせの為にぼんやりと佇む場所も、美しい景観に該当する。  熱風が吹き抜け、公園ブースの木々が揺れる。ベンチに落ちる日差しは熱すぎて笑えるが、恐らく皆頭の上にUVカットフィルターを展開しているのだろう。最近は簡易携帯クーラーシステムも流行っているらしい。すべて不可視処理をされている為、野暮ったいフィルターもクーラーも僕の視界に映る事はない。  いっそ街を丸々建物内に避難させたらいいのに、何故か人間は頑なに太陽の下で生活しようとする。  年々熱中症患者は増え、ついに八月には外出禁止警報が出るようになっても、人間は揺れる木々の狭間から零れる太陽光を愛しているようだ。僕はただ目を細め、じりじりと太陽に焼かれる感覚に感慨を覚えながら、手の中のゼリードリンクを弄んだ。 「……木のとこ。木のとこだよ、この前ほら、ええと……チュロスの屋台があったところだ」  僕が急に言葉を零しても、周りの人間は眉を潜めたりしない。  僕だってさっきから右隣の女性が一人で喚いてヒステリーを起こしている様を見ても、不審に思う事はない。彼氏と通話でもしてるんだろうな、と思うだけだ。  僕の『密室』に直接投げ込まれた音声メッセージは、座標送れと喚く。その二秒後にやっぱお前が来いと追加のメッセが喚いた。 「嫌だ。ていうか僕はもう可視状態だからいきなりそっちにポンと飛び出るわけにいかない。……だってこれが待ち合わせの醍醐味だろう? いいじゃないか付き合ってくれよ待ち合わせくらい。座標なんかなくても公園ブースはC25内に三個しかないしそのうちゲートに近い場所はどう考えてもひとつしかないし、僕はさっきからそう説明しているし地図だって三種類送って……ほら着いたじゃないか!」 「遠い。ざけんな。もっとゲート近くで待てっつってんだろ」 「ギンカの足ならそれほど遠くないだろ。僕はここで待ち合わせするのが好きなんだ」  音声メッセージで届いていた声は、途中からリアルな声に変わる。その声を僕の聴覚が拾った時、目の前にはカラフルな色の髪の毛をツインテールにした背の高い女が立っていた。  ギンカは目立つ。だからどんなに遠目でも、すぐに見つける事ができる。ひょろりと細長くて、やたらと派手な色をこれでもかと纏っているからだ。割合派手な人間が多いこのC25内でも、ギンカ程原色にまみれた見た目の人間は、あまり見かけない。  不機嫌そうな顔を隠さないギンカは、口を開いてから何かを言おうとして、そして結局息を吐いて言葉を飲み込んだ。  ギンカは僕に甘い、という事を、僕は嫌と言うほど知っている。 「……せめて次は手前の交差点とかにして。んで、今日はどこ行くの。もう大概案内しきったと思うけど」  ため息ひとつで僕を許したギンカはカツカツと赤いショートブーツを鳴らす。僕はゼリードリンクを飲み切り、くしゃりとケースを潰してゴミ箱に放り込むと、キャスケットのつば越しに空とビルを見上げた。 「うん。大概は見た。けどまだ食べきってはいない」 「……マジで全店試すのかよ……言っとくけどドレスコードあるような店は嫌だかんな。ぜってー入んねーかんな。ドレスアッププログラムサービスだってああいう硬い服はたけーんだよ」 「金の心配は不必要だけど、まあ、そういう店は最後でいいよ」 「うえ……勘弁してくれよぜってードレスとか似合わねー……」 「そんなことないだろ。背高いし細いんだから、ギンカは似合うよ」 「その恰好のお前に言われたかねーし腕組んで入りたかねーっつってんの」 「……僕はこの格好と顔、好きだけど」  きょとんとしている僕に向かって、ギンカは容赦なく言葉をぶつける。 「知ってるよ馬鹿。おっら、行くぞ東ブロックのカフェは潰したから次は南だ」  ギンカの言葉は鋭くて痛いしいつも乱雑に投げつけられるけど、僕はその言葉が嫌いではないので問題はない。ブロック移動の際に個人コード提示を求められるが、しれっとした顔で偽造コードを提示する事に僕はすっかり慣れていた。 「ギンカ、この前のカフェラテのデータは?」  歩きながら、僕は半歩前を早足で進むギンカに声を投げる。彼女はちらりとも振り向かない。 「投げといたじゃん。そっちの拾い忘れじゃねーの?」 「……待って、悪い、あった。他には何かない?」 「あー……昼前に、キャンディ食った、けど。そんなもんも要るの?」 「ほしい。何でも欲しい。口に入れるものは、なんでも」 「――あっそ。PAL、ファイル357:チェリーキャンディ、さっきと同じとこに投げといて」  ギンカが言い終わるとほぼ同時に、僕の眼前にデータダウンロードのウィンドウが表示される。僕はPALの音声案内を切っているから、控えめなテキストメッセージが小さく光るだけだ。  黙々と歩くギンカの後に続いて歩きながら、ダウンロードデータを読み込む。小さな『密室』をまず作り、その中に展開したデータを押し込むと、必要な数値だけをこの前作ったテンプレートにぶちこんだ。  構築場所は尻のポケットに指定する。  しばらくの後、僕はおもむろに尻ポケットを漁り、棒付きのチェリーキャンディを取り出した。  呆れたようなギンカの視線は気づかなかった事にする。言いたい事はわかる。そういう事をしていると怪しまれるぞ、と顔に書いてある。でも僕としては、この場所にいる時間の一分一秒も無駄にはしたくない。どうせ、こんな遊びが長く続くとは思っていないのだから。  キャンディの包み紙を取り除き、ぞんざいに口に放り込む。華やかな甘さと少し酸味を思わせる花のような香りが脳みそに叩き込まれる。甘い。酸っぱい。ショートケーキやドーナツやチュロスとはまた違う、どちらかと言えば合成甘味料のドリンクに近い甘さだ。 「この前のゲーム会場は? 行かなくていいの?」  舌の上の甘さに満足して、僕はギンカの後を追いかける。彼女はやはり、振り向かない。 「ん、あー。いい。お前と一緒だと口出しされんのがウザい」 「だって回し蹴りのタイミングが一秒ズレていたから。ギンカはコマンドより速く動くから息が乱れるんじゃないかな。もう少し遅く呼吸を意識すれば、あの最後の女にも勝てたと思うけど」 「無理無理。『鮫』はここんとこ連勝のバケモンアバターだっつの。弱小ゲーマーが勝てるわけねーの。それにあれは暇つぶしだし、誰かと連れ立っていくとこじゃねーもん。一人ん時に行くからいい」 「……僕と一緒の時は僕を優先してくれるってこと?」 「るせーよそうだよ口に出すな親友」 「口に出さないと伝わないじゃないか親友」  ギンカは滅多に笑わない。けれどマジックミラーになったビルのガラス面には、照れた様に耳を赤くする友人がしっかりと映っている。その半歩後ろを歩くのは、黒いキャスケットをかぶった黒髪の男だ。  百七十センチを超えるギンカよりも背が高い。その上細い。折れそうな長い脚は黒いぴったりとしたボトムで覆われ、まるで棒のようだ。ゆるいトップスが、歩調に合わせてふわりと膨れる。  恐らくイケメンと言われる顔ではない。だが、決して醜くはない。中途半端な優男、とギンカは呼ぶ。でも僕は、先ほども言ったように、そして再三ギンカに主張しているように、この顔が好きだ。とても好きだ。  生ぬるい感じの声も好きだし、表情の力を抜いた時の下がる目尻の感じも好きだ。鏡を見る度に惚れ惚れする僕を、ギンカはもう叱らなくなったし呆れなくなった。ただ、何も言わずに目を細めた。  ギンカは憐れむ時に言葉をかけない。だからとても優しい奴だと思うし、僕はこの親友の事がとても好きだと思う。  ふと親友に声をかけようとして、僕は異変に気が付いた。  僕の先を歩いていた筈のギンカが居ない。その時に初めて、周りの音が遠のいている事に気が付く。  いつの間にか、僕の周りの人間がすべて消えている。プライベートモード『密室』の中に、僕は引きずり込まれたに違いない。 『――見つけた!』  しまった。そう思った時、僕の周囲全てがスピーカーになったかのように、大音量の声が響いた。空間が伝えてきたのは、耳慣れた声だ。耳慣れすぎた声だ。そう、さっきまで僕の身体が放っていた、少し生ぬるい男の声だ。  見つかった。見つかってしまった。ついに、見つかってしまった。  一瞬のパニックが僕の頭の中を真っ白にする。心拍数が上がる、気がする。この心臓の音はこの身体のオプション? それとも僕の本体の音?  ああ。嫌だ。嫌だ。そう思うのに、僕は別の期待で震える。  見つかった。彼に――マエヤマさんに、見つかってしまったのだ。 『まったくキミは一体どこの凄腕デザイナーなんだよ!? そんなステルス機能があるならセキュリティガードのアバター全部につけてほしいって話だよ……ああ、動かないでね。一応セキュリティガード権限で拘束してるから、動いちゃったら公務妨害で罪上乗せだ。って言っても今のところ俺が個人的にキミを探していただけだし、とりあえず話を聞いて立件するかどうか考えましょってところだから示談もありだよ。……というわけで凄腕のどろぼうくん』 「俺の身体、返してもらっていい?」  密室の壁の向こうから、僕と同じ顔をしたマエヤマさんが現れた――瞬間僕は、強制的に、世界をぷつりと切り離した。  ぐらり、と視界と脳みそが揺れる。感覚がする。  心臓がどくどくと煩い。これは僕の、本体の心臓の音だ。視界に映るのは、C25の情報に溢れた街並みではない。いつもの、薄暗く劣化したコンクリートの天井だった。 「…………見つ、かった」  掠れる声は、普段ほとんど使わない声帯を振るわせて息と共に零れる。見つかった、どうしよう。見つかってしまった、どうしよう。  そう思うのに僕は、恐怖とは別の高揚感を確かに感じていた。

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