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■07:Recuperator
「先輩おっかえりなさーい」
AR用レンタルブースの扉を開いた俺は、思いもよらず甲高い声に迎えられた。
びっくりした。わりと本気でびっくりしたけれど、そうだったこいつのフルアバターは女性型だった、と思い出して大きく息を吐く。
「つかマエヤマさんすっぴんで行ったんです? まー確かに同じ顔が二つ並んでんの相当面白い絵面っすけど。言ってくれりゃあオレがアバターの顔弄ったのに。五分もありゃあ出来んだから何も素で行かなくても良かったんじゃないっすかね」
「いや別に素顔バレたところでどうでもいいから、問題はないし……マキセ、なんでフルアバターなんだよ。本体どこ行った」
壁面全てを作業スクリーンとして展開している小柄な女性は、ワークチェアの上で行儀悪く胡坐をかき慣れた手つきでホイホイと情報を掴んでは投げている。いつも無駄に派手な格好をしているマキセのフルアバターは、今日は短いスカートのウェイトレスコスチュームだ。ギザギザの歯に、白目の部分だけが反転しているかのように黒い。美人というよりは異形に近いが、まあマキセらしいフルアバターだなーと思わなくもない。
「オレは勿論家っすよ。作業中に寝落ちたらイヤじゃん。どう考えてもレンタル作業ブースなんて寝るとこじゃないんだからオレのデリケートな身体はご自宅のベッドの上です、これでいつ寝落ちてもオッケーですオレあったまいいー。というわけで徹夜も辞さない覚悟のえらい後輩は自給鯖の味噌煮でマエヤマさんにこき使われるわけです。目指せ鯖の味噌煮五回分」
「五時間フルでマキセレンタルしても、鯖の味噌煮五つでいいのか」
苦笑いでワークチェアに腰を下ろした俺は、白い壁面にベタベタと張られたスクリーンショットを眺めた。
別に俺は俺の家でも良かったんだけど、作業するなら外がいいとマキセが喚いた。厳密には俺の家だってマキセにとっては『外』だろうに、どうも親戚のお兄さんの家みたいな気持ちになってしまって寝てしまうらしい。お前どんだけ俺の事好きなんだと呆れるがまあ、悪い気持ちじゃない。
好意を寄せられるのは悪くない。大して人気者だった記憶もない人生だ。後輩に慕われるのも、見ず知らずの顔も知らない子に慕われるのも、まあ、うん。嫌な気はしない。
あーやばいこの子、俺の事ちょっと本気で好きなのかも? なんて実感したのは三十分前の事だ。
見た目は慣れ親しんだ俺のフルアバターだ。マキセ曰く最高傑作の丁度いいフツメン。確かに目を引く顔じゃないけど、目に見えて不快な顔でもない。人の印象に残らない顔だと思うがそもそも俺の元の顔をイメージして作ったらしいから、これ以上の言及は心にちょっとダメージになる。
スノくんは、アバターの表情を弄らない。だからずっと無表情だった。感情表現機能を切っているのだろうけれど、そうじゃなくてもあんまり感情が外に出ない子なのかもしれない。
無表情だったし、無機質だった。けれど俺を見つめる視線とか言葉の間とか、そういう物に俺はちょっとだけ自意識過剰に反応してしまった。
どうだったんです? なんて作業の片手間に声をかけてくるマキセに、悪い子だとは思えないんだよねなんて返せば、俺の機微に敏感すぎる後輩は眉を寄せる。
「……なんすか、好みだったんすか? え、マエヤマアバター中身女子?」
「うーんたぶんあれ男子だけど……」
「マエヤマさん元奥さんオンナノヒトじゃなかった?」
「元奥さんはオンナノヒトだったけど彼女は同性の恋人いたから。出世したかったらしいし、俺は彼女の事好きだったし。結局色々あって無理だったねーってなっただけで俺は別に女とか男とかあんまり拘らない人」
「あー成程マエヤマさんのタラシビームの根底は完全にそこっすね。その全体的におっけーなとこっすね。よくねーわほんと。そういや異性婚してないと出世できねーシステム採用されてからちょっと流行りましたよねフェイク婚。マエヤマさんそんな年上マダムキラーみたいな顔しといて年下好きなんすか?」
「あー……まあ、そうね、かわいい年下わりと好み……」
「オレじゃん」
「お前のそういうとこほんと人として好きだよ好みじゃないけどね」
軽く笑ってから、重い話には蓋をして気持ちを切り替える。きちんと悩んで納得して結婚したわけだけど、フェイク婚と言われたら確かに言い訳できない。ていうか俺の話はどうでもいい。好みの話も、とりあえずは置いておく。
まずは情報を整理しよう。
「マキセ、PAL共有していい?」
いちいちやり取りするのが面倒で、情報管理媒体のPALそのものを繋ぐ、という事を俺はよくやる。
要するにハードを繋ぐ事になるのでお互いのPALに勝手にアクセスできちゃう感じになってしまうわけだが、特別隠すもののない俺と別に趣味とか隠してないマキセは、たまに面倒くさくなるとこれを実行してしまう。
いつものようにマキセは二つ返事でオッケーする。ほんと好かれてるな俺、とまたむず痒くなる。
ちなみにPALの共有は、セキュリティ面の問題から実はあまり推奨されていない。相当信頼している相手でないと、うっかり重要なパスワードなんかを抜かれてしまいかねないからだ。俺も基本マキセ以外とはPALを繋ぐことはない。
お互いのパスワードを声帯認証し、PALを繋いで共有する。
『ハロー4℃、久しぶりOwner。さあ、用件をお伺いしよう』
『こんにちは、Owner&4℃。ご用件をお伺いします』
マキセのPALの音声案内に続き、俺のPALがいつもの無機質な女性の声を放つ。ちなみに4℃というのは牧瀬四土という本名をもじったニックネームらしい。大体の人間はフルネームかニックネームを登録する。
俺の初期設定PALを繋ぐ度に、凝り性のマキセは眉を寄せた。
「マエヤマさんまだPAL初期設定なんすか。いや別にAI入れろとか言わないけどせめて名前くらいは登録してやってくださいよ」
「えー。嫌だよなんか、一々名前呼ばれるのあんまり好きじゃないんだよ。別に困らないしさ、愛着沸きすぎても嫌だし」
「人工知能付きPALと結婚するしないって揉める世の中っすから愛着沸く云々はわからんでもないっすけど、おとなしく名前くらい連呼されろとは思います。まあいいや、これ終わって暇ならオレが勝手に弄るから。んで、まあなんとなーくお察しだとは思いますが『スノ』で登録してある個人認識コードで都内在住っぽいのは全部攫ってますが現状検索八十パーセントでそれっぽいヒットは五件。ぱーっと手動で見ましたけど全員外れですね。せめて下の名前か上の名前かわかれば検索時間短縮できるんすけど」
さくさくと無駄話から本題に切りかえたマキセに引っ張られるように、俺も頭を切り替える。目の前には、マキセが表示させた『スノ』の検索結果がずらりと並ぶ。
「倉梯総合医療法人のドナー被害者リストにもスノって名前はないですね。まーこのリスト、遺族の任意がとれたもののみっすから、スノっちのかーちゃんかとーちゃんがドナー被害者って可能性はなくはないっすけど。そしたらスノっち本人の個人情報がひっかかってこないのはどういう仕組みなんすかね。なんつーか透明人間って感じできめーなほんと」
「書庫の方はデータが多すぎる、けど、一応やっとこうか。PAL、『スノ』を個人名キーワードにして書庫内のデータを検索。更に絞り込みワードに『ドナー被害者』を設定」
この検索には時間がかかる。その間に俺は次の問題に取り掛かることにした。
PALに命じて動画を壁に羅列する。端から順に再生させ、俺は隣のマキセに『どう思う?』と問いかけた。ひらひらしたスカートの少女は、素直に俺を見上げる。
「どうって、何がっすか」
「これ、C25内のスノくんの行動記録の一部なんだけど。その中でも共通の動作をしているものを抜き出した」
「……食ってる、場面?」
「そう。スノくんが食品を口にしている場面だ。でも、フルアバターに味覚なんてないし、リアルの食品に触れることもできない。そこに映し出されているプログラムでしかないからね。だからスノくんが口にしているものは多分プログラムで投影された食品なんだけど。これ、たぶん、味覚ある、よね?」
「………………いやいやいやいや。いや、ねーよ、んな、ばかな、そんなこと、あるわけ」
「でもほらこれ、口に入れた瞬間びっくりして吐き出してる。思っていたより辛かったんじゃない?」
「あーこれあれか東エリアのチリドッグだろわかるよくっそみてーにかれえもんオレも最初吐いた……じゃなくてマジで? え、マジで? 食ってるフリじゃなくて?」
拡張現実COVERは、投影されているだけの視覚プログラムだ。食品の見た目を変えることはできても、そこに存在していない物の味を再現することはできない。そして拡張現実プログラムであるフルアバターも、味覚を感じる事は出来ない――筈だ。
拡張現実は、あくまで視覚と聴覚のみでプログラムを可視化するだけの立体映像だ。設定によっては拡張現実で作られた物体を跳ね返したりはできる。だが、重さを感じたりはできない。それはただの映像だから。投影されているだけの映像に、重さも味もあるわけがない。
「マキセ、味付きのデータって作れると思う?」
「――味の情報を組み込んだデータだったら余裕でできます。要するにうまいかどうか判断するような判定プログラムは、うまみ成分だとか糖分だとか塩分だとか、そういう数値を読み取っているわけだし逆にそれを組こみゃあいい。でもそれってただの数値っすよ。人間の身体は味覚数値データを読み取れ無……あー待って、いや待ってそんないや、ねーよでも、あーッ!」
視覚と聴覚だけでは、触覚と味覚は補えない。脳に干渉しないかぎり。
「うん、そう、読み取れる人がいる。ていうか読み取れた人がいた」
「あ、Arts Stage感覚チップ……」
マジかよ、とマキセのフルアバターが出せる限りの低い声を出す。今頃本体のマキセはベッドの上で悶絶している筈だ。俺だってマジかよと思うし、嘘だろと思うし、なんなら嘘だと信じたい。
「たぶんスノくんは、Arts Stage被害者で、倉梯総合医療法人に安置されているドナー被害者だ。そしてほとんどの人間がいまだに脳死状態にある中、目を覚ましてしまったんだと思う。回帰者ってやつだ」
Arts Stage被害者は体内のVR用感覚チップの暴走で脳死状態になった。その多くが被害者の身体に埋め込まれたまま回収されていない、らしい。この辺の記述や資料は曖昧だ。Arts Stageを提供する中国の会社が記録もろともかっさらっていったと言う話は有名だ。
スノくんの身体に感覚チップが埋め込まれているとしたら、彼は味覚データを読み取り実際の感覚として、感じる事が出来る筈だ。
空気が確実に止まった。一瞬の間の後に零れたマキセの息はあまりにも沈痛だった。
「回帰者って都市伝説じゃないのかよ……そんな、もー……全部乗せかよ設定もりもりすぎんだろスノっち……つか回帰者って、戸籍戻んねーんすか」
「戻らないっぽいよ。ていうか回帰者自体がほとんどいない事になっているし、それこそ都市伝説みたいなもんだよ。一度殺した事にして臓器引っこ抜いた人間が目を覚ましたからもう一回人権与えますねーとか、いくら過去の政府の愚策のせいだとしても人道的にやばすぎる」
「臓器、あー……そう、っすね、臓器ないわけか、そうかいやでも、ドナーとして適合してなかったら無傷な場合も、あります、よね?」
「どうかな。代理心臓の技術はまだ確約されてないみたいだから心臓が抜かれてるって事はないと思うけど。生活するには心許ないけど、ただ生かしておくだけなら人間の内蔵のほとんどが代用できる。先の感染症では小腸の移植が多く行われた。少なくとも消化器官はない、かもしれない」
「だ、だから、プログラムの飯を用意して、食ったの……? 実際は寝たきりで、歩くことも食うこともできないから? マエヤマさんからフルアバターうばって自分の感覚チップと繋いでカスタムしてプログラムの飯を用意していやいやいやできるかよそんなこと、理論上は可能かもしんねーっすけど個人でそんなクソミソなプログラムコード書いて実行するなんて何年かかると思ってんだ」
「できるかもよ。PAL、検索終わった?」
『現在施行率五十六パーセント。キーワード該当件数一件です。表示しますか?』
「出して」
眼前に表示されたのは、少年の履歴だった。
春原鸞。享年十二歳。
幼い線の細い少年の画像の隣には生い立ちと戸籍が表示される。
両親はスズカエンタープライズクリエーションのCEOで、健在。同じ両親の下に生まれた兄弟は三十五人。典型的な試験管かつデザイナーズチルドレンの特徴だった。
大人たちが設計した理想の子供。勿論クローンがアウトだった当時、人権的な問題として散々議論されぎりぎりのところで遺伝子操作は踏みとどまっていた。それを良しとしたのはやはりクソみたいな権力者の圧力が原因だろう。一度抜け道ができた法案が設立されてしまえば、人権保護などと叫んだところでどうしようもない。その上世界は最悪な不況に足を踏み入れたばかりで、他人の子供の人権など正直考えていられる状態ではなかった筈だ。
そしてスノくんとギンカちゃんは生まれた。大人がデザインした特殊な能力を持つ子供として。
「スノハラランはデザイナーズチルドレンだ。恐らくギンカちゃんとは別方向の、頭脳の方に振り切ったタイプだね」
「ぜ……全部乗せすぎんだろぉ…………なんだよこの設定二十年前のラノベじゃねーんだから全部乗せりゃあいいってもんじゃねーよ……」
「半分は憶測だけど、ドナー被害者は確定かな。ついでにスノくん、痛覚っていうか最低限手首には触覚もあるっぽいんだけど、フルアバターと感覚チップがあれば可能?」
「……まあ、プログラム同士が触れた時の数値を圧迫とかの数値に換算できれば、可能じゃないっすかね。オレは知らないっすけど実際Arts Stageでは触覚ってやつも感じられた筈だし。いや、まぁそうか、痛覚ねーと辛さなんかわかんねーもんなたぶん……つかヤバくないっすかそんなやべープログラムが実用できてるとか。完全に社会が変わる」
そう、スノくんが作った味覚プログラムは社会を変える。悪い大人の役に立ちそうな機能はつけていない、と彼は言った。けれど悪い大人というのは、人の命を直接的に奪ったり奪われたりするようなアンダーグラウンドの住人だけではないのだ。
広げた動画ファイルを一気に端に寄せて別ファイルを呼び出す。
マキセは倉梯総合医療法人の別棟の監視カメラ映像。
俺はCOVERを利用した味覚錯覚プログラムに関しての食品企業会合の参加企業リストを開く。
「今日の夕方五時十五分にギンカたん別棟に入ってますたぶんここにドナー被害者つっこんである、と思う。そっからは動きないっすけどギンカたんあのくそみたいにでけえスーツケース持ってます」
「PAL、リストの企業をマーカーでチェック。ファイル59:アバターマークリスト01と照会。結果わかったら教えて。――マキセ、この子達がやろうとしてること、何だと思う?」
「何って知りませんよ。フルアバターじゃなきゃできない事なんてそんな存在しねーしと思ってたけど、味覚痛覚あるフルアバターなんつーファンタジーなものが存在してたら可能性なんてわけわからん数値で跳ね上がります。歩ける、食える、走れる。物は運搬できねーと思いますけど、ギンカたんは五体満足な上人より運動能力あるしこいつら組んだらなんでもできるんじゃないっすかね」
「でも俺は、この二人はいままでできなかった事をやりたいんじゃないかなって思う」
「……すげー嫌だ嫌だオレシリアスな話嫌いなんすよ。ほんとやだ。あー……でも、そうっすね、ドナー被害者は寝たきりで、絶対に生きるように管理されている、から。自殺、できない? スノっちのフルアバターがあれば、えーと例えば、病棟のロック解除できちゃったりとか……?」
俺と同じ事を考えたマキセが、勘弁してよと吐き捨てた。その後に息を吐き、次の文句を放つ前に眉を寄せる。マキセの視線は目の前の監視カメラ動画に注がれている。
「待って待って、待ってマエヤマさんちょ、ギンカたん出てきた、え、何なんで……なんか走ってない? 追われてない? なんかギンカたんの後ろからわらわらちっさいなんか追いかけてない? 何が起こってんの?」
珍しく慌てるマキセの声に煽り立てられるように画面を追う。
バンドウギンカはトランクを引きずりながら走っていた。時折背後を振り向き、追っ手を確認するような動作を繰り返す。
COVERが適用されていない病院前の道路では、彼女の見た目は随分と変わっていたが、確かにバンドウギンカに違いない。
「やばいやばいオレ先に行きますっアーどこに転送したらいいのこれ!? 駅かとりあえず駅か!? とりあえず最寄り駅から……え、今何時!? 駅のCOVER切れてない!?」
「落ち着けコンビニかファーストフードならCOVER二十四時間適用してるバンドウギンカ追跡して最寄りのコンビニで確保または経路誘導しろ!」
「先輩、オレの本体ゲートで合流します! コード打ちながら走るから遅れるかもしんないそしたら先に行ってくださいとりあえずフルアバターは先に走らせます!」
叫ぶが否や、マキセのフルアバターは一瞬にして姿を消した。残った俺はレンタルブースの伝票を呼び出し、早急に決済を終わらせると部屋を出て走り出す。
都内への電車はもう動いていない。どれだけCOVERが便利になったところで、リアルに移動するには電車か車を使うしかない。拡張現実は所詮そこに存在しているだけのプログラム映像だ。
タクシーの予約システムを呼び出しながら、俺は走る。そして嫌な疑問に目を向ける。
キミたちは一体何をするつもりなの?
キミたちはそのトランクの中に、一体何を入れたの?
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