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■06:Reunion

 マエヤマさんは、指定した時間通りに現れた。 「この前も、ここに居たね」  C25ゲートから3ブロック離れた街中の公園ブースだ。  すっかり陽が落ちてしまった街は、電子とプログラムの光に彩られてきらきらと輝く。公園の木々は何故か電飾を張り巡らされたように光るし、すぐ隣のカフェバーはアルコール飲料半額の文言をUFO型広告にして光らせていた。  C25の夜は明るい。とても、明るい。それは実際の電飾ではなくて、拡張現実COVERが見せる非現実の光源だ。  仕事帰りらしきマエヤマさんは、アバターではなくリアルの状態でベンチの左端に座った。元々右端に座っていた僕と二人分の距離が開いている事に、ほんの少しの警戒心が見て取れる。それでもこんなに近くまで来てくれたのはきっと彼が生ぬるく優しいからだ。  マエヤマさんは目が悪いわけではないが、眼鏡をかけている。いつもマキセという男性に『いい加減コンタクトにしたらどうですか』と言われている。彼の眼鏡は、COVERの世界を見るための端末だ。本来とても目がいい事を僕は知っているし、コンタクトは外し忘れそうでイヤだなんてお年寄りみたいな理由で拒否していることも知っている。面倒くさくて大体同じシャツを着ている事も、休日も似たような恰好をしている事も知っている。  僕は彼の生活を、とてもよく、知っている。そして僕は彼の性格を、目に見えている範囲でとてもよく、知っている。  マエヤマさんは誠実で優しい。本当に、びっくりするくらいに。  だから僕なんかの呼び出しにも、何の条件も提示せずに無条件で応じてくれた。言う通りにしてやるからアバターを返せ、なんて彼は言わない。その生ぬるい優しさが時々彼の評価を下げているようだけど、代わりに慕う人間が増えている事も知っている。  僕はゆっくりと彼を観察してから、最初の一言に返す言葉を考える。一秒一秒が、とても貴重なものだ。 「好きなんです、この場所。待ち合わせしている人で溢れていて、ぼうっとしているだけで、面白いから」 「キミは人間が好きなのかな」 「……嫌い、だと思います。ただ、人間や建物や世界を観察するのは、面白いと思う」 「俺を呼び出したのは俺を観察する為?」 「いいえ。貴方にこの身体を返す為です」  視線だけを横にずらす。このフルアバターのキャスケットのツバはいつも、ちょっとだけ邪魔だ。帽子で半分遮られた視界の中で、眼鏡の男性が息を飲んだ。  僕は握りしめていた左手の中から、青く光るキューブを取り出す。  少しだけ展開する。あらかじめそうなるように走らせていたコードが噛みあい、青いキューブは小さなプログラムの鳥になった。掌より小さいサイズの鳥だ。街の拡張現実の光と同じように、うっすらと半透明な青白い光を放つ。  小鳥は自分で羽を動かし、マエヤマさんの方へ飛んでいく。  目を丸くしていたマエヤマさんが口を開く前に、僕は言葉を投げた。 「そちらの鳥はアバターの管理パスワードです。ただし今はただのプログラムの鳥でしかありません。明日の夜になれば、この鳥は勝手に展開してパスワードに変換されます」 「……明日の、夜?」 「はい。すいません、僕にはもう少し、この身体が必要だから」  今さら見逃してくれだの、許してくれなど懇願するつもりは毛頭ない。僕は彼にとって犯罪者だし、とても迷惑な行為を働いている。だから言葉少なに事実だけを述べたし、マエヤマさんの言葉を待つ間もただまっすぐ前を見ていた。  耳に痛い言葉をぶつけられる覚悟はしていたものの、やはり生ぬるいマエヤマさんは息を吸いこんだだけで、大事な事は言わなかった。代わりに独白するように息を吐く、音がする。 「――キミとギンカさんは、一体何をして、そして何をするつもりなんだろうなぁ……」  問いかけではなかった。だから僕は黙っていたし、彼も気にせず言葉を続けた。 「ここ半月のC25のログを見たよ。キミたちが映っている全ての映像と写真をCOVER内の映像記録媒体から抽出した。でもその映像の中で、俺はキミたち二人に特別な危険性は感じなかった。……なんていうか、不気味なほどに、普通なんだ」  不気味なほどに普通。  ああ、とても的確な表現をするなぁ、と思って少し、笑いそうになる。僕は普段ほとんど表情を動かすことがないし、というか、できないし、だからフルアバターを操作するときも意図的に笑う表情を出力しない。どのタイミングで人間は笑うのか、僕はあまり理解できていない。 「フルアバターの盗難はちょっとした悪戯だとしか思えない。実際それ以外の何物にも見えなかった。ただ、不思議な事に、キミたちは多くの人間に狙われている」 「……らしいですね。ギンカに聞きました」 「誰かに狙われる心当たりは?」 「さぁ。……ちょっとだけ、アバターをカスタマイズしたからかな、とは思いますが。悪い大人の役に立ちそうな機能はつけてないと思いますよ。僕はただ、僕がやってみたかったことが出来るように、カスタマイズしただけです」 「そのやってみたかったこと、って奴は、明日の夜には終わるの?」 「……僕が『やってみたかったこと』は、終わりがあるようなものじゃないです。でも、そろそろこの身体を貴方に返さないといけないし、そうしないときっと貴方は困るしずっと追いかけてくると思うし。やらなきゃいけないことをやる覚悟も、決まったし。だから明日の夜に、お返しします。全国警察官連盟記念式典には間に合うと思いますし、貴方の元に返す時には僕が弄ったところは元通りにしておけると思います」 「フルアバターのカスタムってそんな簡単な作業じゃない、筈、なんだけどホントキミ一体どこのスーパー技術者なのよ」  どうせ本気で質問しているわけではない。だから僕は答えずにただ、明日の夜にお返ししますと繰り返した。  本当は全部終わった後に、ギンカに届けてもらう予定だった。  でも僕は欲を出した。最後に一回だけ、この人に会いたいと思ってしまった。他の誰かに向かって話しかける映像を眺めるだけでは嫌だ。僕に向かって言葉を放ってほしい。  ギンカは嫌な顔をしたけど止めなかった。あんなぬるい顔の男のどこがいいのか、とまた言っていたけど。何度でも言うけれど僕はマエヤマさんの顔がとても好きだ。一目惚れをしたくらい好きだ。  アバターのキャスケット姿も好きだし、本物の誠実そうな姿も好きだ。マエヤマさんの外見に言及する人は口を揃えて『普通』だと言うけれど、僕にとっては本当に素敵な顔だ。  特に僕は彼の笑った顔が好きだった。  困ったように眉を落として笑う顔が好きだった。  笑ってくれないかな、と思って動画ファイルを何度も眺めた。僕はあんなふうに柔らかく、アバターの顔に笑顔を乗せられない。  マエヤマさんは仕事熱心な人なので、仕事中は大概とても真面目な顔をしている。  マキセという人と話しているときはよく笑うけど、だから僕はマキセという人の事がちょっと嫌いだ。マエヤマさんにあんなに気安く笑いかけてもらえるなんて、ずるいと思うから。  でも同時に感謝もしている。あの人と話しているときのマエヤマさんは本当によく笑うし、とても素敵な呆れた顔をする。  仕方ないな、と息を吐く時の顔が好きだ。仕方ないな、と零す時の声が好きだ。僕はあまりにもマエヤマさんの事が好きすぎて、本当に久しぶりに夢に見てしまった程だった。  夢なんて、しばらく見ていなかった。  僕はただの肉塊だ。人間ではないものは、夢なんて見ない。  そう思っていたのに、夢を見た。夢の中のマエヤマさんは僕の隣で酷く自然に笑っていて、目が覚めた後に声を上げて叫んでしまいそうになった。  この人の事が好きだと思う度に現実が僕に囁く。思考することを許されただけの肉塊が、恋だなんて、馬鹿馬鹿しい。  ――今日の僕の目的は、彼にアバターのパスワードを押し付けることだけだ。だから本来なら目的は終わっている。今すぐに用意している転送コードを発動してこの場から離れるべきだった。  いち、にの、さんで、未練とはさようならだ。  僕はもうC25に立ち入る事はない。マエヤマさんに、会うこともない。  重い腰を上げようとした時、ベンチの端のマエヤマさんがふわりと声を上げた。 「俺の仕事ってさ、実は結構地味なのよ」  唐突に、彼の話は始まった。  ベンチから腰を浮かそうとしていた僕は、ぴたりと動きを止める。一体、何の話? と思ったが、腰を浮かすことも転送コードを読み込むこともせずに、おとなしく言葉の続きを待った。 「C25セキュリティガードは警察の一部っていうか亜種だけど、主な任務はCOVER内の仮想現実不正利用の摘発と治安維持。要するにCOVERネット犯罪の捜査だ。アバターの不正利用だったり広告の規定違反だったり、そういうモノ。あとは普通にパトロールね。重大な犯罪組織の撲滅とか、張り込みをして容疑者を追い詰めるとか、そういう仕事はほどんどない。凶悪犯罪系は湾岸警察の方の管轄だし、警察官っていうか刑事さんの仕事だ。俺達はなんていうか、COVERネット犯罪に詳しい警官のおにーさん、みたいな感覚かな」 「……でも、大切な仕事ですよね?」 「勿論、別にこの仕事に対して文句なんてないしそれなりに誇りも持ってるよ。ただ、どうしても何日も張り付いて捜査したりはしないって事。俺達が普段しているのは犯罪捜査じゃなくて治安維持だから。だからなんていうかこの数日、俺はびっくりするくらいキミの事ばっかり見てたなーと思って。普段の仕事でもそんな案件そうそうないのに、ずっと、キミを観察していた」 「…………」 「公園ブースのベンチでギンカさんを待っているところとか、アバター用ミラーで帽子を直しているところとか、時々ぼうっとしてギンカさんにおいていかれそうになって慌てて走るところとか。キミは、俺が思っていた以上にすごく普通の人だった。声はプログラムで出力してるみたいだし、キミの性別も歳も俺にはわからないけど、そうだなぁ……たぶん、ギンカさんとあんまり変わらない歳の男の子じゃないかなぁなんて想像してる。間違ってても怒らないでね」  マエヤマさんは眉を下げてふわりと笑う。僕はすっかり目が離せなくなって、息がどんどん浅くなる。  涙なんて無駄なものを流す事はすっかりなくなったのに、目の奥がじんわりと熱くなった、気がした。  これは僕の本体の方の異常だ。僕が拝借しているマエヤマさんのフルアバターは勿論勝手に涙を流したりはしない。だから彼に見えている僕は、ただの無表情なアバターでしかないだろう。 「キミはすごく普通の子で、俺はキミのこと嫌いじゃない。ていうか好きな気がする。ギンカさんがちょっとC25内の規約違反をしてズルをしようとすると、キミはそれを止めるよね。あれ、すごく好きだなって思うよ、俺。キミは真面目で、トモダチ想いの優しい人だ」 「…………僕は、……」  その先の言葉が出ない。声を出力するためのキーボードが打てない。僕の本体は、今や呼吸をするだけでも精いっぱいだ。 「俺は、キミが何者なのか知らない。だからどうやって手を差し伸べたらいいのかわからない。そもそも手を差し伸べるべきなのかもわかんないんだけど、でもきっとキミとギンカさんはすごく困っていると思うんだ。少なくとも訳の分からない連中にマークされているわけだし、それに関してだけでも俺はキミたちを助ける事は出来ると思う。これは、予測でしかないけど、キミがもし、ギンカさんと同じような環境にいるなら――……」 「……おなじ、環境……」 「うん、そう。ドナー被害者の血縁なら。周りに、信頼できる大人がいないなら。俺達はセキュリティガードとしてではなく、一人の大人として、警察官としてキミたちの力になりたい。……力に、ならせてもらえない?」  きっぱりと力強く言い切った後に、首をかしげて声を弱めるのがずるい。そんなのはずるい。僕がどんな気持ちで貴方の声を聞いているのか、貴方の全てを見つめているのか、貴方は知らないからずるい。  僕は何も答えない。何も答えられない。  確かにマエヤマさんはとても優しい。素直にいい人だと思う。信頼もできるし、頭も良い。でも、彼はとても正しい人だから、僕とギンカの計画には絶対に賛成してくれない筈だ。  僕達は結末を決めている。マエヤマさんには、関わってほしくない。  だから僕は何も言わずに席を立った。プログラムの青い鳥は、マエヤマさんの隣でふわふわと飛んでいる。明日の夜になれば、正しくパスワードの文字列を吐き出してくれる筈だ。僕の今日の目的は、これを届けるだけだから。  さようならの言い方がわからない僕はそのまま立ち去ろうとした。けれど慌てた様子のマエヤマさんに、咄嗟に手首を掴まれる。  普通、拡張現実を掴んだり持ったりするにはコツがいる。けれどきっと彼はセキュリティガードとして訓練されているのだろう。難なく僕の腕を器用に掴んだ。 「…………っ、た……!」 「っう、わ、ごめんつい……! ああ、いやキミが俺の事拒否するのはもう仕方ないから追いすがるつもりはない、けど、せめて名前くらい教えてくれないかな? ……見た目俺のアバターだしなんていうか、呼び方がないのがすごく不便」 「勝手に、呼んだらいいじゃないですか。……番号とかで」 「いやーそんなかっこいい感じの部署じゃないからウチ。コードネームとかないし。名前教えて。そしたら離す」 「…………強引。恐喝。横暴」 「スーパーハッカーのどろぼう君に言われるのは心外だなー。ていうかキミほんとかわいいね。詰り方がかわいい。マキセに見習ってほしいくらいだ」  これ以上かわいいとか連発されたら僕の脳みそが多大な被害を受けかねない。仕方なしに僕は、さも苛立ったような声色を出すように微調整しながら言葉を打ち込んだ。 「……スノです。ギンカは僕をそう呼ぶから、それが僕の名前です」 「おっけー、スノくん。あだ名でもなんでもいいよ、呼び名があればそれでいい。教えてくれてありがとう」  約束通り、マエヤマさんは僕の腕をそっと離す。圧迫感が無くなる。それが少し寂しいけれど、勿論僕のアバターはそんな表情を見せることはない。 「スノくん、俺は、キミたちを助けたいよ」 「……マエヤマさんは『ネットに詳しい警察のおにーさん』なんでしょう? アバターを返したらもう、僕達に貴方が関わる必要なんてない」 「そんなことない。だって俺、キミたちが笑ってるところが見たいし。普通にお節介な大人としてキミたちを見つけてみせるよ」  彼の柔らかな声の途中で、僕は転送コードを開いた。強制終了とは違う。きちんと計算されたコードを踏んで、僕が繋がっているアバターは別の座標にデータ転送される。  床の感触が戻る。あたりはすっかり薄暗い。携帯用のCOVER端末を展開していても、元々COVERの拡張現実プログラムが書き込まれていない場所ではただ現実が存在しているだけだ。光る広告も、派手な外見のアバターも、存在しない。  そこにはただ横たわる肉塊が存在している。  無数の眠る肉体と、そしてその中で唯一目を覚ましてしまった、天井を見上げるだけの僕。  僕は僕に近づく。息をするたびに薄い肌に覆われた肺が動く。どうして生きているんだろうと思う。でも、死んでいたままならギンカに声をかけることはできなかったし、マエヤマさんを見つけることもできなかったから、目を覚ました事にも多少意味はあったのかな、と思う。 「おかえり」  部屋の隅に蹲っていたカラフルな人影が声を放つ。 「……ギンカ、面会時間過ぎてない?」 「うっさいよ。そんなん守ってどうすんのどうせ他の病棟と隔離されてんのに。今日はあたしここで寝るから」 「その寝袋クッション代わりじゃなくて本当に使う為に引きずって来たのか……キャンプをするには、あんまり適切な場所じゃないと思うけど」 「うっさい黙れ馬鹿。最後の夜くらいしんみりさせろ」 「うん。まあ、そうか。準備はもう終わった?」 「終わった。全部終わった。だから後は、手を合わせて死ねって叫ぶだけ」  ギンカの物言いにうっかり、息を零してしまう。確かにそうだ。僕達が明日やることは、全てに、世界に、死ねと叫ぶことだけだった。

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